九州・大分県の内陸部、水清く緑豊かな豊後竹田から発信。
エンジェルファームNEWS
徳冨記念園
昨日、横井小楠生誕の地を訪ねるまえに「徳冨記念園」に寄りました。
告白しておきますが、NHK大河ドラマ「八重の桜」が無かったら、小楠先生や徳冨兄弟の足跡を訪ねることは無かったと思います。彼らに対してこれまで特別な興味を感じたことはありませんでした。そういえば戊辰戦争や西南戦争のことも一般教養の域でした。
元会津藩家老・佐川官兵衛の墓に参るべく大分護国神社を訪ねたり、老母をともなって東京都世田谷区蘆花恒春園や福島県会津を訪ねたり、西南戦争最大の激戦地・田原坂を訪ねたり、横井小南先生の旧居(熊本市沼山津)を訪ねたりしたのは、「八重の桜」がきっかけでした。
「八重の桜」と大分県豊後竹田のエンジェルファームに何の関係があるのかと思われるかたがあるでしょう。実はどっぷりと関係があります。
個人的なことでいうと、桂子のお母さんの出身地が会津です。子供のころ桂子はたびたびお母さんの実家に遊びに行き、質素ながらも自然豊かな環境に感動しました。その感動が現在のエンジェルファームにつながったと思います。
それから私の父は新島襄が創設した京都・同志社大学出身です。新島の妻になったのが八重、その兄が覚馬。ふたりが同志社大学創設に協力しました。ふたりがいなかったら創設できなかったかも知れません。そうなっていたら父は別の大学に行っていたでしょう。父は太平洋戦争敗戦直後の同志社でキリスト教の影響を受けると共に、マルクス・レーニン主義の影響を受けました。
もしその影響を受けていなかったら・・・父にはもっと別の人生があったと思います。従兄弟であった母とは結婚しなかったかも知れないし、そうなっていたら私は香山の父母の子供としては生まれなかったでしょう。日本最高水準の過疎高齢地に「今日のエンジェルファーム」なんていうブログを今夜、こんなことを書くべくキーボードを打つ指は無かった・・・
新島襄が出会うべき瞬間に八重や覚馬と出会うことによって同志社が生まれた。今「八重の桜」でやっている会津戦争で、もし会津が敗北していなかったら、八重と新島襄の出会いは無かったでしょう。そういうことが、私の出生にも影響し、私と桂子との出会いにも影響・・・・・つまり戊辰戦争で会津が負けなければ、京都で八重と新島襄が出会うことは無かった、そうなっていたら私と桂子の出会いも無かった、エンジェルファームも無かった・・・
以下、徳冨記念園で撮りました。詳しいことはHPにまとめます。
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