380)オピオイド増殖因子(メチオニン・エンケファリン)の抗がん作用

図:(右)オピオイド増殖因子受容体(OGF受容体)は細胞核の核膜の外側に存在し、オピオイド増殖因子(OGF:メチオニン・エンケファリン)と結合して核の中に移行し、サイクリン依存性キナーゼ(CDK)阻害因子の発現を亢進して細胞増殖を抑制する。オピオイド増殖因子はオートクリン(自己分泌)あるいはパラクリン(傍分泌)の機序で細胞の増殖を抑制する因子として作用し、発生や創傷治癒や血管新生や細胞増殖の調節を行っていると考えられている。
(左)増殖刺激は、サイクリン(Cyc)というタンパク質で活性化されるサイクリン依存性キナーゼ(CDK)を活性化してRbタンパク質をリン酸化する。Rbタンパク質は転写因子のE2Fと結合してE2Fの活性を阻害しているが、Rbがリン酸化されるとE2Fと結合できなくなってE2Fがフリーになる。フリーになったE2Fは増殖関連遺伝子の転写を促進することによって細胞周期をG1からS期に移行させて細胞周期を回す。オピオイド増殖因子(OGF)はOGF受容体と結合すると核内に入ってサイクリン依存性キナーゼ阻害因子(CDK阻害因子)のp16やp21の発現を促進して量を増やす。その結果、サイクリン依存性キナーゼ(CDK)が阻害されて細胞周期がG1期で停止した状態に維持される。OGF-OGF受容体の結合を断続的に阻害するとOGFとOGF受容体の発現量が増えて増殖抑制作用が現れることが低用量ナルトレキソン療法の作用機序になっている。OGFを点滴や皮下注射で投与するとがん細胞の増殖を停止させることができる。

380)オピオイド増殖因子(メチオニン・エンケファリン)の抗がん作用

【ホタテ貝とオピオイド増殖因子】
細胞の増殖は様々な因子(増殖因子、受容体、リン酸化酵素など)によって制御されています。細胞には、外部のさまざまな刺激や環境の変化を感じ取って、その情報を細胞内のネットワークを通じて伝える仕組みが備わっています。
このような制御システムの中で、生物の進化の過程で古くから保存されているシステムがより重要性が高いと考えられています。
例えば、インスリン/インスリン様成長因子-1とそれらの受容体によって活性化されるホソホイノシチド3-キナーゼ(PI3K)、PI3Kで活性化されるAkt、Aktで制御されるTOR(ラパマイシン標的タンパク質)や転写因子のFOXO(Forkhead box O)、TORを阻害するAMP活性化プロテインキナーゼ(AMPK)などの細胞制御のネットワークは、線虫やショウジョウバエでも哺乳類と同等の仕組みが備わっています。(酵母にはインスリン受容体はありませんが、PI3K/Akt/TORやFOXOやAMPKに相当するタンパク質はすでに存在します)
したがって、この制御ネットワークは生物にとって非常に重要であることが判ります。このインスリン/インスリン様成長因子-1シグナル伝達系に関しては膨大な研究結果が報告されています。
さて、前回(379話)解説したオピオイド増殖因子に関しては、研究している研究者が少なく、生物のシグナル伝達系にどの程度の重要性があるかはまだ十分に研究されていないようです。
たとえば、PubMedで「Insulin IGF-1」で検索すると34260の論文がヒットしますが、「Opioid Growth Factor Receptor」で検索すると86の論文しかヒットしません(2014年3月29日の時点)。
86の論文のうちの58編はペンシルバニア州立大学のHershey Medical Centerのザゴン(Ian S. Zagon)博士マクローリン(Patricia J. McLaughlin)博士の研究グループからです。このグループは内因性オピオイドとオピオイド受容体が細胞の増殖の制御に関与していることを示唆する論文をScienceに1983年に発表しています(379話参照)。細胞増殖とオピオイド増殖因子の関連に関する論文のほとんどはこの研究グループからのものです。したがって、オピオイド増殖因子がどの程度重要な因子かは十分に判断できません。
しかし、最近、ホタテ貝の一種のアズマニシキという二枚貝でオピオイド増殖因子とその受容体が細胞増殖の制御に関与していることが報告されています。以下のような論文があります。

An opioid growth factor receptor (OGFR) for [Met5]-enkephalin in Chlamys farreri.(アズマニシキにおけるメチオニン・エンケファリンのオピオイド増殖因子)Fish Shellfish Immunol. 34(5):1228-35. 2013
【要旨】
オピオイド増殖因子受容体(OGFR)はメチオニン・エンケファリンの受容体で細胞増殖や胚発生の過程の制御において重要な働きを担っている。
この研究では、ホタテ貝の一種のアズマニシキ(Chlamys farreri)のオピオイド増殖因子受容体(以下CfOGFR)の遺伝子をコードする2381bpのcDNAを同定し解析した。このcDNAは1200bpのオープンリーディングフレーム(遺伝子のうちアミノ酸に翻訳される部分)をもち、399個のアミノ酸配列が同定された。(注:3個の塩基で一つのアミノ酸で、最後の3塩基は終止コドンになるため399個のアミノ酸)
CfOGFRのアミノ酸配列は他の生物のOGFRと33から64%の相同性を認めた。
(中略)
CfOGFRを導入したHEK293T細胞の培養液にメチオニン・エンケファリンを添加すると細胞増殖が阻止された。これらの結果は、アズマニシキにおけるオピオイド増殖因子受容体(CfOGFR)は細胞増殖の制御に重要な役割を担っており、ホタテ貝の免疫応答にも関与している可能性が示唆された

【オピオイド増殖因子のがん細胞増殖抑制作用】
ヒトやラットやマウスのオピオイド増殖因子受容体の遺伝子のcDNA(complementary DNA:相補的DNA; mRNAkから逆転写酵素を用いて合成されたDNA)は、前述のザゴン教授のグループによって2000年前後にクローニングされています。このcDNAを培養がん細胞に導入してOGFRを過剰に発現させると細胞増殖が抑制されることが複数の実験で示されています。
多くのがん細胞でOGFとOGFRの存在が確認されており、オートクリン(自己分泌:分泌された物質が分泌した細胞自身に作用する)やパラクリン(傍分泌:分泌された物質が、分泌した細胞の近隣の細胞に作用する)の機序で細胞増殖を制御していることが明らかになっています。
すなわち、OGFRの発現量や感受性を高め、OGFの産生を高める方法はがん細胞の増殖を抑制し、そのような方法として低用量ナルトレキソン療法があります。
さらに、点滴や皮下注射でOGFを投与するとがん治療に有効であることも複数の臨床試験で示されています。
オピオイド増殖因子が受容体に結合すると核内に移行し、サイクリン依存性キナーゼ阻害因子のp16やp21タンパク質の発現を増やして細胞周期をG1期に停止させる機序が報告されています。(379話参照)
また、進行した膵臓がん患者を対象にした臨床試験でのオピオイド増殖因子の有効性についても前回の379話で紹介しています。
膵臓がんだけでなく、トリプルネガティブの乳がん、卵巣がん、肝臓がんなどに効果が期待できる結果が報告されています。

Targeting the opioid growth factor: opioid growth factor receptor axis for treatment of human ovarian cancer. Exp Biol Med (Maywood). 238(5):579-87.2013

Novel treatment for triple-negative breast and ovarian cancer: endogenous opioid suppression of women's cancers. Expert Rev Anticancer Ther. 14(3):247-50. 2014

Opioid growth factor and the treatment of human pancreatic cancer: A review. World J Gastroenterol. 20(9):2218-2223.2014

Opioid growth factor - opioid growth factor receptor axis inhibits proliferation of triple negative breast cancer. Exp Biol Med (Maywood). 238(6):589-99.2013

Modulation of the opioid growth factor ([Met(5)]-enkephalin)-opioid growth factor receptor axis: novel therapies for squamous cell carcinoma of the head and neck. Head Neck. 34(4):513-9. 2012

The opioid growth factor-opioid growth factor receptor axis regulates cell proliferation of human hepatocellular cancer. Am J Physiol Regul Integr Comp Physiol. 298(2):R459-66. 2010

さらに、血管新生阻害作用免疫増強作用も報告されています。

【オピオイド増殖因子の血管新生阻害作用】
がん組織が大きくなるためには、栄養や酸素を運ぶ血管を増やしていく必要があります。新しい血管が増生することを「血管新生」と呼びます。がん細胞は自ら血管を増やす増殖因子を分泌して、血管を新生しています。
がん細胞が腫瘍血管を新しく作るために、①がん細胞は血管内皮細胞増殖因子という蛋白質を分泌して、近くの血管の内皮細胞の増殖を刺激し、②さらに周囲の結合組織を分解する酵素を出して増殖した血管内皮細胞をがん組織の方へ導き、③血管の内腔を形成する因子を使って新しい血管を作っています。
がん細胞が100個くらいになると、それ以上大きくなるためにはがん組織専用の血管が必要になって、がん細胞が血管を新生するための増殖因子を産生しだすといわれています。
腫瘍組織を養う自前の血管ができると、増殖が促進され、新生血管を使って転移が起こるようになります。(下図)

図:がん細胞は腫瘍組織を養う新生血管の増生を刺激する増殖因子などを分泌して新生血管を増やす。新生血管は腫瘍組織の増殖や転移を促進する。

がん治療後に腫瘍の血管新生を阻害する薬を使用すれば、残ったがん細胞の増殖を抑制して再発を防ぐことができます。がんが大きい場合もで、がん細胞を殺す抗がん剤治療などと併用すれば、抗腫瘍効果を高めることができます。
オピオイド増殖因子(OGF)が血管新生の制御に関与していることが報告されています。
鶏卵漿尿膜アッセイ法(鶏卵の胚の成長に伴う漿尿膜上で起こる生理的な血管新生に対する阻害効果を調べるアッセイ法)を用いた実験で、OGFに顕著な血管新生阻害作用が確認されています。
この実験では、鶏卵漿尿膜にナルトレキソンを投与すると血管新生が促進されることが示されています。つまり、血管新生にOGF-OGF受容体が抑制系として作用していることを示しています。
組織の免疫染色で、発育している鶏卵漿尿膜の血管の血管内皮細胞と血管壁の間質細胞にOGFとOGF受容体が存在することが示されています。
 
Opioid growth factor modulates angiogenesis. J Vasc Surg. 32(2):364-73.2000
 
Differential effects of vascular growth factors on arterial and venous angiogenesis. J Vasc Surg. 35(3):532-8.2002
 
この結果は、低用量ナルトレキソン療法が血管新生阻害作用を有することを示唆しており、低用量ナルトレキソン療法ががんや炎症性疾患に対して効果を示すこととも関連しているかもしれません。
この2つの論文では、レチノイン酸が強い血管新生阻害作用を持つことを示しています。低用量ナルトレキソン療法とレチノイン酸の併用は抗腫瘍効果が期待できる可能性があります。
 
【オピオイド増殖因子のナチュラルキラー細胞活性およびTリンパ球活性の増強作用】
がん細胞を攻撃する免疫(腫瘍免疫)には特異的免疫非特異的免疫が区別されます。マクロファージや樹状細胞と呼ばれる細胞が、がん細胞からがん抗原ペプチドと呼ばれる小さな蛋白質を捕足し、その情報がヘルパーT細胞に伝えられ、その情報に従って特定のがん細胞に対する免疫応答が引き起こされるのが特異的免疫です。

一方、ナチュラルキラー(NK)細胞マクロファージなどががんの種類に関係なく攻撃を仕掛けるようなものを非特異的免疫といいます(下図)。
図:キラーT細胞(細胞傷害性T細胞)はがん抗原を認識してがん細胞を攻撃する(がん抗原特異的免疫)が、MHC(主要組織適合遺伝子複合体)クラスI分子の発現が低下したがん細胞はキラーT細胞からの攻撃から逃れることができる。一方、ナチュラルキラー細胞(NK細胞)は、MHCクラスI分子が喪失した細胞を認識して攻撃する(非特異的免疫)。NK細胞とキラーT細胞は相補的に働いてがん細胞を破壊するので、免疫力を高めてがん細胞を攻撃するときには、特異的免疫と非特異的免疫の両方をバランス良く高めることが重要。オピオイド増殖因子はNK細胞活性とTリンパ球活性を高める作用がある。
 
ナチュラルキラー細胞というのは、生まれつき(natural) の細胞障害性細胞(keller cell) という意味で名付けられ、略してNK細胞と呼ばれています。
細胞を死滅させるのに、T リンパ球は前もって攻撃相手であることを認識させておく(感作という) 必要がありますが、NK細胞は腫瘍細胞やウイルス感染細胞を見つけると直ちに攻撃して異常細胞を殺します。
NK細胞の中に含まれるパーフォリンやグランザイムといった蛋白質が細胞障害の中心的役割を担っています。がんに対する第一次防衛機構として即戦力を持ち、特に初期段階でのがん細胞の排除において重要な役割を果たしています。
NK活性はストレスで低下し、笑いで上昇することが指摘されており、気持ちの持ちようが免疫力に影響を与える原因とも関連している。
ナチュラルキラー細胞やリンパ球などの免疫細胞にもオピオイド受容体が見つかっており、オピオイドと免疫との関連が指摘されています。メチオニン・エンケファリン(オピオイド増殖因子)がNK細胞活性やTリンパ球活性を高めることが報告されています。
 
Opioids: immunomodulators. A proposed role in cancer and aging. Ann N Y Acad Sci. 521:312-22.1988
 
マウスに腫瘍を移植する実験系でメチオニン・エンケファリンががん細胞の転移を抑制し、NK細胞活性を高める結果が報告されています。
 
Inhibition of pulmonary metastases and enhancement of natural killer cell activity by methionine-enkephalin. Brain Behav Immun. 2(2):114-22.1988
 
がん患者さんから採取したリンパ球にメチオニン・エンケファリンを添加するとNK活性活性が顕著に増強することが報告されています。
 
Neuroimmunomodulation with enkephalins: in vitro enhancement of natural killer cell activity in peripheral blood lymphocytes from cancer patients.Nat Immun Cell Growth Regul. 6(2):88-98.1987
 
さらに、がんやエイズの患者さんにメチオニン・エンケファリンを注射で投与する臨床試験で、NK細胞活性が増強し、T細胞の数が増えて活性が高まることが報告されています。
 
Methionine enkephalin: immunomodulator in normal volunteers, cancer and AIDS patients.
Mem. Inst. Oswaldo Cruz, Rio de Janeiro, Vol.82, Suppl. II: 67-73, 1987
 
このような、免疫細胞に対する顕著な作用から、メチオニン・エンケファリンはサイトカインのような働きを行っていると考えられています。サイトカインというのはリンパ球や炎症細胞から分泌されて免疫に関与する細胞の増殖や活性を調節するタンパク質です。サイトカインは細胞表面の膜上にある受容体に結合することによって、受容体に特有の細胞内シグナル伝達の引き金とない、極めて低濃度で生理活性を示します。
メチオニン・エンケファリンはオピオイド受容体に作用するオピオイドの一種ですが、免疫系に対する作用はサイトカインと言っても間違いではないということです。
 
Methionine enkephalin: a new cytokine--human studies. Clin Immunol Immunopathol. 1997 Feb;82(2):93-101.
 
以上のように、オピオイド増殖因子(メチオニン・エンケファリン)の点滴や皮下注射による治療法は、基礎研究や臨床試験の結果から、がんの代替医療としてかなりのエビデンスがあるようです。
OGF-OGFR系の感受性を高める低用量ナルトレキソン療法や、血管新生阻害作用があるレチノイン酸等との併用も、副作用の少ないがん治療として効果が期待できるように思います。
(臨床試験などの研究が少ないのは、オピオイド増殖因子自体には特許が取れないので、製薬会社などが医薬品として開発するインセンティブが無いため、研究費が無いためと言われています。したがって、オピオイド増殖因子ががん治療に有効であってもがんの標準治療に組み込まれる可能性は低く、代替医療として利用されることになります。現在、点滴に使用できるcGMP gradeのOGFが入手可能になっており、費用も1ヶ月に10万円程度で実施できる計算です。) 
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« 379)オピオイ... 381)寿命を延... »