445)抗腫瘍免疫の増強法(その1):メチオニン・エンケファリン

図:細胞傷害性T細胞(キラーT細胞)はがん抗原を認識してがん細胞を攻撃する(がん抗原特異的免疫)が、MHC(主要組織適合遺伝子複合体)クラスI分子の発現が低下したがん細胞は細胞傷害性T細胞からの攻撃から逃れることができる。一方、ナチュラルキラー細胞(NK細胞)は、MHCクラスI分子が喪失した細胞を認識して攻撃する(非特異的免疫)。制御性T細胞はNK細胞と細胞傷害性T細胞の働きを阻害する。メチオニン・エンケファリンは制御性T細胞の働きを阻害して、NK細胞活性とTリンパ球活性を高める作用がある。

445)抗腫瘍免疫の増強法(その1):メチオニン・エンケファリン

【免疫応答を抑制する細胞】
様々な生体内機能には恒常性を維持するための仕組みが存在します。
たとえば細胞内の物質代謝においては、ある反応物質が多くなるとその物質がそれを生成する酵素を阻害(アロステリック阻害)することによって反応を止めるネガティブ・フィードバック機構が存在します。
内分泌系では、あるホルモンが少なくなると、そのホルモンの分泌を刺激するホルモンが分泌されるという方法で体内のホルモン活性を一定に保っています。
受容体への刺激が大きくなると受容体は脱感作を起こして、受容体のシグナル伝達を抑制します。
神経系では、興奮系や抑制系や調節系のニューロンの相互作用によって神経活動が調節されています。
免疫系では、様々な種類の免疫細胞やサイトカインや増殖因子や伝達物質によって免疫応答が制御されていますが、これらには免疫応答を促進するものと抑制するものがあり、それらのバランスで免疫応答が制御されています。
免疫抑制性の細胞は、免疫反応を適切な時期に終息させたり、自己のたんぱく質や食物に反応しないようにする働きがあります。もし異常に免疫系が活性化され続けたり、自己のたんぱく質と反応すると、自己免疫疾患やアレルギー性疾患を引き起こします。
つまり、免疫応答を実行する細胞が暴走しないように抑制性の細胞やサイトカインや伝達物質が存在し、それによって免疫系が正常に働くことができるのです。

【がん組織は多くのメカニズムで免疫細胞の働きが抑制されている】
リンパ球(T細胞・B細胞・ナチュラルキラー細胞など)やマクロファージ樹状細胞といった免疫担当細胞が、がん細胞を排除するために働いています。
したがって、これらの免疫細胞の働きを高める治療法はがんの治療法として期待されています。しかし現実的には、多くの免疫療法はあまり効果が認められていません。
その大きな理由は、がん組織には免疫細胞の働きを抑制する様々な細胞やサイトカインや化学物質が増えていて、免疫細胞が十分にがん細胞を攻撃できないからです。がん細胞を攻撃する目的で免疫担当細胞ががん組織に入っていっても十分な働きができないためです。
例えば、がん組織にはマクロファージなどの炎症細胞から活性酸素プロスタグランジンE2(PGE2)の産生が増えています。PGE2と活性酸素は、免疫担当細胞(樹状細胞、リンパ球、NK細胞など)の働きを抑制します。一方、PGE2は骨髄由来抑制細胞を動員しがん組織内で増えます。
骨髄由来抑制細胞(Myeloid-derived suppressor cells: MDSCs)は顆粒球のマーカーと単球/マクロファージのマーカーとを同時に発現している未熟な段階の骨髄由来細胞で、免疫反応を強力に抑制する働きを持っています。

骨髄由来抑制細胞はアルギナーゼや活性酸素、一酸化窒素、IL-10、TGF-βなどの産生を介して免疫担当細胞の活性を阻害したり、制御性T細胞(Treg)の誘導をきたすことによって免疫抑制作用を発揮します。制御性T細胞は免疫応答を抑制的に制御しているT細胞の一種です。
がん細胞は解糖系が亢進しており、その結果産生される乳酸水素イオンによってがん組織は酸性化しています。がん組織の酸性化は、免疫担当細胞の働きを抑制し、骨髄由来抑制細胞の働きを活性化します。(下図参照)

 
図:がん組織内では、がん細胞と炎症性細胞や免疫細胞が相互に作用して活性化している。マクロファージなどの炎症細胞はプロスタグランジンE2(PGE2)や活性酸素の産生を増やし、PGE2と活性酸素は免疫担当細胞(樹状細胞、リンパ球、NK細胞など)の働きを抑制する。一方、PGE2は骨髄由来抑制細胞を動員しがん組織内で増える。骨髄由来抑制細胞は免疫担当細胞の働きを抑制し、制御性T細胞を誘導する。乳酸や水素イオンによるがん組織の酸性化は、免疫担当細胞の働きを抑制するが、骨髄由来抑制細胞の働きは活性化する。このような複数のメカニズムでがん組織内では免疫担当細胞の働きは抑制され、がん細胞を排除できない環境になっている。
 
したがって、PGE2を産生するシクロオキシゲナーゼ-2(COX-2)の阻害剤、活性酸素を除去する抗酸化剤、がん細胞の解糖系を阻害する2−デオキシグルコースやジクロロ酢酸ナトリウム、水素イオンの細胞外排出を阻害するプロトンポンプ阻害剤、骨髄由来抑制細胞を阻害するシメチジンなどは、ペプチドワクチン療法や樹状細胞療法やリンパ球療法などの免疫療法に併用すると、それらの効果を高めることが予想されます。(403話参照)
 
【制御性T細胞の多いがんは予後が悪い】
制御性T細胞(reguratory T cell; Treg)は免疫応答を抑制的に制御しているT細胞の一種で、過剰な免疫応答を抑制するためのブレーキとして働き、免疫系の恒常性維持で重要な役割を果たしています。
自己免疫疾患ではTregを活性化する治療が効果があります。Tregの増強は臓器移植の拒絶反応の抑制にも有効です。
一方、がんの場合は、がん組織のTregの数や活性の亢進が、抗腫瘍免疫を抑制し、がん細胞の増殖を促進している可能性が指摘されています。
例えば、大腸がんの患者でTregが多いと進行が早いという報告があります。次のような報告があります。
 
Presence of FOXP3+Treg cells is correlated with colorectal cancer progression,(FOXP3陽性の制御性T細胞の存在は大腸がんの進展と関連する)Int J Clin Exp Med 2014;7(7):1781-1785
 
FOXP3は転写因子の一種で制御性T細胞(Treg)に特徴的に発現しており、FOXP3陽性細胞の数はTregの数を意味し、FOXP3の発現が強いとTregの免疫抑制活性が高いことを意味します。
この論文では、63例の大腸がん組織と20例の健常人の大腸粘膜組織を比較しています。
さらに、大腸がん患者と健常人の末梢血中のFOXP3陽性Tregの数を比較しています。
その結果、正常大腸粘膜組織に比べて大腸がん組織の方がTregが多く、末梢血では健常人より大腸がん患者でTregの数が多いというデータが得られています。
例えば、大腸がん患者63例の末梢血のリンパ球中のFOXP3陽性Tregは11.27 ± 1.54%に対して正常人の末梢血中のFOXP3陽性Tregは6.31 ± 0.23%で統計的有意な差が認められています(下図)。
 
がんの進行度が高いほどTregの数値が高いという結果が得られており、Tregの存在が大腸がんの進行と関連することが報告されています。
FOXP3陽性Tregはナチュラルキラー細胞の活性を抑制するので、がん細胞の増殖を促進します。
Treg細胞でFOXP3の発現の高いほど免疫抑制活性が高いので、がん細胞の進行を促進する結果になります。
大腸がんの浸潤や転移や患者の予後を推定する上でTregの数は有用な指標となると結論しています。
 
同様の結果は乳がんでも指摘されています。以下のような報告があります。
 
Tumor-infiltrating lymphocytes, tumor characteristics, and recurrence in patients with early breast cancer.(早期乳がん患者における腫瘍内リンパ球と腫瘍の性状と再発の関係)Am J Clin Oncol. 36(3): 224-31, 2013年
 
ステージIからIIIの乳がん患者72例の腫瘍組織を免疫染色法によってCD8(+)T細胞、FOXP3(+)制御性T細胞,p53、Ki-67、HER-2(human epidermal growth factor receptor-2/neu)などの発現量を測定し、リンパ節転移や再発などとの関連を検討しています。
細胞傷害性T細胞(CD8+)が少ないとリンパ節転移が多く、ステージが進行し、Ki-67の発現(細胞増殖活性の指標)が多くなっていました。
一方、Fox3+Tregの数が多い組織では、リンパ節転移が多く、Ki-67の発現が高くなっていました。
Tregの強度とリンパ節転移の程度は強い正の相関が見られました。
制御性T細胞(Treg)の数が多いことは、CD8+の細胞傷害性T細胞の活性を抑制し、リンパ節転移を促進し、ステージを進行させ、予後を悪くするという結論です。
 
以上のことから、がんに対する免疫療法において制御性T細胞(Treg)を抑制する方法を併用すると抗腫瘍免疫を増強できる可能性が高くなります。Tregの抑制に内因性オピオイドの一種のメチオニン・エンケファリンが有効という報告があります
 
【メチオニン・エンケファリンによる抗腫瘍免疫の増強】
以下のような論文があります。
 
Methionine enkephalin (MENK) improves lymphocyte subpopulations in human peripheral blood of 50 cancer patients by inhibiting regulatory T cells (Tregs). (メチオニン・エンケファリンは50人のがん患者の末梢血におけるリンパ球組成を制御性T細胞を阻害することによって改善する)Human Vaccines & Immunotherapeutics. 2014;10(7):1836-1840. doi:10.4161/hv.28804.
 
50人のがん患者の末梢血を使って、メチオニン・エンケファリンの投与の前後でリンパ球組成がどのように変化するかを検討しています。
末梢血を採血してリンパ球分画を採取し、メチオニン・エンケファリン(1pM)の存在下で培養し, CD4+T 細胞(ヘルパーT細胞), CD8+T 細胞(細胞傷害性T細胞), CD4+CD25+ 制御性 T 細胞 (Treg), ナチュラル・キラー細胞の変化を検討しています。
その結果、メチオニン・エンケファリンは制御性T細胞の増殖を顕著に阻害し、その他のリンパ球の増殖は亢進しました。
この論文の著者らは、抗がん剤治療や放射線治療などで抑制された免疫機能を回復させ、さらに免疫機能を増強する目的でメチオニン・エンケファリンの投与は有効な補助療法となると言っています。
 
Immunotherapy of cancer via mediation of cytotoxic T lymphocytes by methionine enkephalin (MENK).(メチオニンエンケファリンによる細胞傷害性Tリンパ球を介したがんの免疫療法)Cancer Lett. 28;344(2):212-22. 2014年
 
この論文では、培養細胞を使ったin vitroの実験と、動物を用いたin vivoの実験系で、合成したメチオニン・エンケファリンの免疫系に対する作用を検討しています。その結果、メチオニン・エンケファリンは細胞傷害性Tリンパ球(CD8+T細胞)の数を増やし、さらにマウスに移植したS180腫瘍細胞に対するCD8+T細胞の抗腫瘍活性を高め、インターフェロンγの分泌を亢進しました。
培養細胞系および生体内でメチオニン・エンケファリンで活性化したのちにCD8+T細胞をマウスに移入すると、S180腫瘍細胞を移植されたマウスの生存期間が顕著に延び、腫瘍の顕著な縮小が認められました。
正常のCD8+T細胞にオピオイド受容体の発現が認められ、メチオニン・エンケファリンで処理するとさらにオピオイド受容体の発現が亢進しました。
メチオニン・エンケファリンとオピオイド受容体の結合を阻害するオピオイド受容体アンタゴニストのナルトレキソンを投与すると、メチオニン・エンケファリンによるCD8+T細胞の活性化作用が阻止されました。これは細胞傷害性T細胞の活性化にはCD8+T細胞におけるオピオイド受容体とメチオニン・エンケファリンの相互作用が必須であることを示唆しています。
メチオニン・エンケファリンによるT細胞の活性化のメカニズムには、細胞内へのカルシウム(Ca2+)流入の亢進とNFAT2の核内移行が関与しており、これらの変化もナルトレキソンで阻害されました。
つまり、細胞傷害性T細胞にはオピオイド受容体が発現し、これにメチオニン・エンケファリンが結合すると、カルシウム流入とNFAT2の核内移行を介して細胞傷害性T細胞の活性が亢進して、がん細胞に対して殺細胞作用を発揮するというメカニズムです。
NFAT2はT細胞の活性化に重要な転写因子で、通常はリン酸化された状態で細胞質に存在し、T細胞に刺激が与えられると活性化したカルシニューリンにより脱リン酸化され、核内輸送体と結合して核内へと輸送されていき、核内で転写因子として働いて細胞を活性化します。
いずれにしろ、メチオニン・エンケファリンはCD8+の細胞傷害性T細胞を活性化して抗腫瘍効果を発揮するという実験結果です
 
Methionine enkephalin (MENK) inhibits tumor growth through regulating CD4+Foxp3+ regulatory T cells (Tregs) in mice.(メチオニン・エンケファリンはマウスにおいてCD4+Foxp3+の制御性T細胞の制御することによって腫瘍の増殖を阻害する)Cancer Biol Ther. 2015;16(3):450-9. 
 
内因性神経ペプチドのメチオニン・エンケファリンは神経内分泌系と免疫系で重要な役割を果たしています。一方、CD4+Foxp3+ 制御性 T細胞 (Tregs)は免疫系のバランスを維持するために免疫系を抑制するT細胞の亜集団として認識されています。
この論文では、がん組織における制御性T細胞(Treg)とメチオニン・エンケファリンの相互作用について検討しています。
Transforming Growth Factor-β (TGF-β)はナイーブCD4+CD25- T細胞をCD4+CD25+ 制御性T細胞(Tregs)に移行させる作用があり、メチオニン・エンケファリンはこの作用を阻害しました。
この作用はSmad2/3のリン酸化と核内移行の阻害と関連していました。
さらに、S180肉腫細胞をマウスに移植する実験モデルを用い、メチオニン・エンケファリンが制御性T細胞の働きを阻害し、S180肉腫細胞の増殖を抑制することを示しています。
以上の結果から、メチオニン・エンケファリンが制御性T細胞の活性を抑制し抗腫瘍免疫を亢進してがん組織の増殖を抑制する作用があることが示されています
 
メチオニン・エンケファリンはオピオイド増殖因子と同じです。βエンドルフィンなどと同じ内因性オピオイドの一つです。オピオイド増殖因子(=メチオニン・エンケファリン)については380話で解説しています。
オピオイド増殖因子(=メチオニン・エンケファリン)には、がん細胞の細胞周期を停止させる作用、血管新生阻害作用、ナチュラルキラー細胞活性およびTリンパ球活性の増強作用などが報告されています。臨床試験で末期の膵臓がん患者に使用して延命効果が認められています。
さらに、最近の研究で制御性T細胞を抑制して抗腫瘍免疫を活性化するので、免疫療法などと併用すると抗腫瘍効果を高めることができると思います。
オピオイド増殖因子(=メチオニン・エンケファリン)は週に1~2回、点滴で投与します。副作用はほとんど経験しません。詳細はこちら
 
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