初心者の老人です

75才になって初めてVISTAを始めました。

満洲映画協会(満映)

2019年10月30日 19時21分43秒 | Weblog



厳寒の登下校は、学校まで直線の広い道を

歩いていきます…

新京の冬は「三寒四温(さんかんしおん)」

です…

一週間のうち三日は特に寒く

気温が-20℃になります…

次に四温は厳寒の-20℃より

少し温かいというのでしょうか

それでも-10℃ぐらいです

学校への行き帰りは綿入りの

防寒帽に外套を着込んで重装備

でした…

登下校の広い未舗装の道路の脇を

市内電車の線路が通っています。

私らの住まいの近所が支線の終点で

電停名は撫松路(ぶしょうろ)でした

撫松路駅の次の駅が春光国民学校前です

戦時中の小学校は何故か、国民学校と呼ばれて

いました…

電停、春光国民学校前の次の

駅が、満映前(まんえいまえ)です

満映とは満洲映画協会の略称で

親父はここへ勤めていました…

満映の看板スターは李香蘭(りこうらん=山口淑子)

でした。





厳寒の登校時の注意

2019年10月29日 23時31分18秒 | Weblog


厳冬の登校では、頭も寒いので

防寒帽を必ず、かぶって行きます

道は広いのですが舗装はされて

いません…

道の所々に馬糞が落ちています

当時、新京では荷物を運ぶのに

マーチョと呼ばれる、二輪馬車が

使われていました。馬車はラバが

曳いています。ラバはロバに似た

小さな馬?でした…

私の登校の道にラバの馬糞?が

あちこちに落ちています…

私にはその馬糞が石のように見えたので

思わず、足で蹴ってみました。

… … …

その糞は厳寒でカチンカチンに

凍り付いていて、びくともしません

私のつま先に激痛が走りました

… … …

ラバの尻を離れた糞は落下すると

寒さで地面に凍り付いてしますのです。




ドアノブに素手で触れてはダメ

2019年10月27日 21時57分39秒 | Weblog


小学生、三年の私が初めて経験する

厳寒の満洲の話をもう少し…

新京の冬の訪れは小雨降る

秋の朝が、いつの間にか雪に

変わっていて、その日の昼から、突然

冬に突入する大陸性気候に

驚かされました

その最初の雪が地面で凍って

春まで溶けません。そして、

その雪の上に次の雪が凍り付いて

いきました…

… … …

それから、素手で

厳寒のドアノブに、絶対触っては

いけないと親父に厳命されました

その他、金属の手摺、露出した金具などに

素手で触れると指先の湿気で瞬間に

凍り付いてしまう…と。

… … …

朝、登校時に道を歩いていると

顔や手袋をした指先、靴の上から足が寒いと云うより

痛い感覚に襲われました





三寒四温(さんかんしおん)とは?

2019年10月25日 23時01分35秒 | Weblog


満洲、新京の冬は中途半端では

ありません。真冬になると

朝の気温が-10℃ぐらいに

なります…

日によってはさらに気温が下がって

-20℃になります。

寒い-10℃と厳寒の-20℃の割合は

一週間のうち、比較的温かい-10℃の日が

4日ほど、そして厳寒の-20℃の日が

3日ほどあります。

つまりこの冬のリズム?を

三寒四温(さんかんしおん)と

云っていました…

… … …

近頃、日本の天気予報でも

この三寒四温の言葉をよく聞きます

きっと、満洲から引き揚げて来た人が

云い始めたと私は考えていますが。

… … …

これに比べて温暖な京都の冬?を過ごしてきた

私にはこの厳寒の満洲の厳しい気温には

震え上がっていました…

この厳寒の-20℃の朝の

登校時には、私の口から出る息が

マツゲや眉毛に薄らと白く霜が

付くようになります…




厳冬に氷結する窓ガラス

2019年10月22日 22時16分00秒 | Weblog


初めて満洲に渡った私たちの

秋の失敗にすっかり懲りていました

そして極端というか、季節が激変する

大陸性気候に油断がならないと

思うようになっていました

いよいよ、冬になってきました。

私たちにとって満洲の冬は初めてです




冬の朝、各部屋の暖房のラジェターが

カキーン、カキーンとパイプを金槌で

叩いたような音がして、スチームが通り出します

フト窓ガラスを見ると、窓に付着した水分が

凍って、花模様に見えます。

毎日の寒さの具合によって

色んな模様が描かれます。

私には厳寒も氷結する窓ガラスも

初めてでした…





新京の住まいは住宅公団スタイル

2019年10月21日 19時00分09秒 | Weblog


私が住んでいた新京には

個人の住宅は一切ありません

四階建ての丁度、日本の住宅公団の

ような建物が並んでいました

私らの住まいは

公団住宅のテラスハウスのような

ものでした…

… … …

冬の住宅への集中暖房の工場が

町の外れにありました…

工場の横に燃料の石炭が

小高く積まれていました

その工場の横に今のスーパーマーケット

のような市場がありました。

町にはこのスーパーマーケットだけで

個人商店は一切ありません。

… … …

戦後日本ので始まった

公団住宅やスーパーマーケット方式は

すでに満洲では始まっていました。






各部屋のラジエターが暖かくなる

2019年10月18日 21時48分28秒 | Weblog



満洲、新京の住まいの冬の朝です

布団の中で眼が覚めると、やがて

鉄のパイプを金槌で叩くような

「キーン、キーン、コキン、ガーン」と

遠くから音が聞こえてきます

各部屋に置かれたラジエターに工場から

熱湯が地下に配置されたパイプを通じて

送られてきます…。

真冬で、すっかり冷え切った地下パイプの中を

熱湯が通るのでパイプが膨張して

音が響くのです。

… … …

私が布団を出て、服を着るころには

各部屋、台所、手洗いは、ラジエターで

すっかり温かくなっています。




冬は温水暖房

2019年10月17日 21時04分32秒 | Weblog


満洲の家は厳寒の冬に備えて

各部屋の二重窓は新聞紙を細く切った

テープで窓の隙間を目張りしました。

日本の家屋は廊下のガラス戸

でしたから、すきま風があります

暖をとるには火鉢でした。

満洲の家は新聞紙の目張りで

密封状態ですから一酸化炭素ガスを

出す火鉢は使えません…

厳寒の満洲では石炭を焚くペチカか

温水暖房が暖房でした…



満洲のわが家は温水暖房でした

各部屋にはラジエターがついています。

ラジエターは部屋だけでなく、台所、

風呂、手洗いにもついていました。

町の外れに大きな煙突のある、ボイラーの工場?

があって、ボイラーの水を石炭で湧かします

その、熱湯を地下パイプで各家庭へ送ります




各部屋の窓は二重窓

2019年10月16日 21時44分30秒 | Weblog



母親は早速、炬燵を用意してくれて

温かいうどんを食べさせてくれました

ここ満洲の気候は、日本の優しい気候とは

全く、違うことがよく判りました…

ここで、新京の住居の

構造を思い出してみます…



住まいは4LDKの平屋でしたが

窓が、日本のガラス戸とは違い

各部屋の硝子窓は、全部、二重窓です。

秋が来ると、新聞紙を巾10センチぐらいに

切って、テープを作ります…

メリケン粉を水に溶いてそれに

石鹸の破片を混ぜて糊を作ります

糊を塗った新聞紙のテープを

ガラス窓の隙間に目張りとして貼っていきます

… … …

メリケン粉の糊に石鹸を混ぜるのは

春になって、目張りの新聞紙のテープを

窓から剥がしやすくするためです。




満洲の秋から冬へ

2019年10月14日 21時01分16秒 | Weblog



京都の秋は、秋雨から始まって

徐々に初秋に入っていきます

木々の紅葉が深くなって初冬へ

向かいます。

それが、ここ満洲では

午前中が秋、下校時の

午後は、冬になっているのです

… … …

私は登校時は、小雨降る中、

素足に高下駄を履いて行きました。

それが、下校時の道は、雪が積もって

素足に履いた高下駄が雪の中に沈んで

なんとも、冷たいこと、冷たいこと

あまりの寒さ、に泣きながら

家へ帰りました…

母親は「何も知らなくてゴメン、ゴメン」と

云ってくれましたが、母親も満洲の

大陸性気候がこんなに激しいとは知らなかった

のですから…

私はスゴいところに、やってきたなあと思いました