初心者の老人です

75才になって初めてVISTAを始めました。

映画スタジオとテレビスタジオの違い

2018年07月31日 22時51分18秒 | Weblog


映画スタジオとテレビスタジオの

違いについてもう少し…

もっとも大きな違いは

セットを照らす照明器具の配置です






映画スタジオではセットの上に

平台を渡してそれに

1台、1台取り付けて行きます

それに対して、テレビスタジオでは

横に長い照明バトンが天井から

何本かのワイヤでぶら下がっています






まず、照明バトンをスタジオの床面まで

下ろして、一つの照明バトンに

4台から6台の照明器具を取り付けて

ワイヤを巻き上げて、所定の位置に

セットします





テレビスタジオの照明スタイルは

演劇の芝居小屋からきたようです

演劇ホールのみならず

音楽ホール、シンフォニーホール

などの照明も照明バトン方式です



照明バトンの上下は最初、

ロープを手で巻き上げていましたが

いつからか、電動モーター巻き上げに

なって、配電盤のスイッチで上下が

できるようになりました








映画スタジオとテレビスタジオ

2018年07月30日 22時27分15秒 | Weblog



松竹、大映、東映撮影所は京都の

都心から少し離れた太秦(うずまさ)に

ありました。

同じ映像を扱う、テレビ局の大阪テレビ

毎日テレビ、関西テレビ、讀賣テレビ

それにNHK大阪は大阪市内、都心に

ありました…



私は京都から京阪電車で大阪都心へ

通勤するようになりました。

私にとって初めて大阪の繁華街の

梅新(うめしん)の近く、堂島(どうじま)の

テレビ局へ通勤するようになりました。

とりあえず、通勤服としてスーツを誂えました






同じ映像の仕事をする映画撮影所のスタジオと

テレビ局のテレビスタジオは構造が違っていました

映画撮影所のスタジオの床は土ですが

テレビスタジオの床はリノリューム張りでした

ラジオスタジオにテレビカメラを

持ち込んだようでした











映画とテレビ

2018年07月29日 22時28分59秒 | Weblog


動画は街の映画館へ出掛けなければ

見ることができませんでした

動画を見るには、市電か市バスで

街の映画館へ行かなくてはなりません






その映画(動画)に対して新しく

始まったテレビジョンも動画を

扱います

しかも、テレビは放送局から

電波を使って家庭の茶の間に

動画を送ってきます…





私は少し長いあいだ、映画館へ

行かないと、動画に飢えて

無性に映画館へ行きたくなりました

それが、テレビの出現で、

動画に対する飢えが癒やされるように

なりました…








背広はオーダーメイドで

2018年07月28日 22時26分54秒 | Weblog



私は大阪テレビへ転職しました

京都・銀閣寺道バス停から市バス

で京阪三条駅へ出て、そこから

京阪特急で天満橋駅(大阪)へそして

大阪市バスで大江橋へと通勤距離が

大幅に変わりました…

京阪特急で大阪へ通勤するようになって

通勤服として一応スーツが必要になりました

不思議なことに、神戸のO田洋服店が

テレビ局に出入りしていました…





テレビ・リハーサル室で、私のサイズを測って

作る「注文服」オーダーメイドでした。

当時は、既製服(レディメード)が

徐々に始まったばかりでした

街のあちこちに靴屋さんがあって

革靴もオーダーメイドが主流でした






たしかカッターシャツ(Yシャツ)も

百貨店でオーダーメイドで販売していました

お中元やお歳暮で貰った仕立券付きカッターシャツの

生地を百貨店へ持っていくと、採寸して仕立てて

貰うのが主流でした…









みゆき族

2018年07月27日 22時46分36秒 | Weblog



世の中の職人たちの格好、スタイルが

徐々に変わっていく中、自由な考え方や

行動を示す若者群が現れました

東京・銀座の「みゆき通り」に

たむろしていたことから「みゆき族」と

云われていました…






そして「みゆき族」は、独自の

ファッションを流行らせました

青を基調とした

「アイビーファッション?」が

現れました…





アイビーファッションを

ブランド名「VAN」として

石津謙介(いしづけんすけ)が

ヴァンジャケット社をおこします

ヴァンジャケットの製品は「みゆき族」に

歓迎されました…

当時、若者ファッションの最先端を

行く会社としての人気は大変でした






当時の私は、京都から大阪へ通勤して

いました…

京都・河原町通り三条の東側に

ヴァンジャケットの店があって

私もその店で「アイビールック」の

シャツを何着か購入しました











見かけなくなったスタイル

2018年07月26日 22時52分00秒 | Weblog


カツドウ屋の格好は独特の

スタイルですが

街中でときどき見かけた

そば屋の出前もちの格好も

なつかしいスタイルでした





私がよく見かけたのは

添付写真のように見事な

ものではなく、もつと少ない

ざるそばを片手で持ち上げて

片手で自転車に乗っている姿でした





昔の、街中は交通量も少なく、歩いている人も

のんびりしていたのでしょう…

その後、出前品運搬機(でまえひんうんぱんき)を

オートバイに取り付けたものが現れて

壮観なそば屋の出前もちはなくなりました






それから昔の大工さん、指矩(さしがね)を

使い、手入れの行き届いたカンナから

シューッと長いカンナくずが飛び出るのが

好きでしたが





現在の建売住宅は工場で用材を切りそろえて

あって、建築現場では大きなクレーンに用材を

吊り下げ、組み合わせて出来上がりです…











カツドウ屋のスタイル

2018年07月25日 21時48分08秒 | Weblog


昨日は、カツドウ屋の、

照明部さんのことを記しましたが

今日は、カツドウ屋の服装、

スタイルについて…






季節によって多少は変わりますが

シャツにジャンパー姿です

ズボンの後ポケットには

台本を丸めて入れています

そしてベルトにはタオルを下げています

必ず帽子を被っています

もし、無帽でスタジオ内をうろつくと

スタッフの誰かに注意されます

無帽のスタッフがセットで仕事を

していて、天井から照明器具(ライト)が

落ちてくれば、怪我をするというのですが…






この格好は、助監督、照明さん

録音部、小道具、大道具さんに共通の

スタイルでした

私がいたころのスタッフのズボンは

まちまちでしたが、ジーンズが流行って

いれば、きっと帽子にジーンズにシャツ、

台本、タオルのスタイルになったでしょう

そして、この格好は一撮影所だけでなく

全国的なカツドウ屋スタイルでした…











真夏の映画制作で

2018年07月24日 22時44分05秒 | Weblog


今夏の日本は連日の猛暑日です

猛暑日のなか、仕事をする人は

大変です…

時代劇映画を制作する現場も

大変でした…





映画制作にはスタジオと

ロケーションの撮影から

出来上がります…

時代劇に出演する俳優さんは

まず、カツラを着けますし

ストーリーによっては厚着の

冬の衣装を着なくてはなりません

猛暑のロケーションも大変でしたが

スタジオのセット撮影に迫力がありました

昔は、スタジオにエアコンはありません

密閉されたスタジオ(サウンドスタジオ) で

タングステン電球でセットを照らします。

タングステン電球は効率が

悪いので、セットはもの凄く暑くなります






セットを照らすライトはスタジオの天井に

配置されています。そのライトを操作する

照明部さんのまわりは灼熱の地獄です

夏になると、スタジオの入口に

氷を入れた麦茶と塩を積み上げた、ざるが

用意されます

スタジオに入ってきた照明部さんはまず、

塩を一つかみ口に入れて麦茶を飲んで

天井に上がるか、天井で仕事をしていた

照明部さんはときどき、下りてきて

塩をつまんで麦茶を飲んで上がっていきました











女優さんの卵?

2018年07月23日 22時40分29秒 | Weblog


四条大宮発の嵐電(らんでん)が

朝のラッシュアワーで

太秦(うずまさ)駅、帷子ノ辻(かたびらのつじ)駅

まで、カツドウ屋でほぼ満員になる話を

もう少し…






嵐電車両には東映、大映、松竹の

それぞれどこのカツドウ屋さんはわかりませんが

電車内で一目見るだけで身体から

カツドウ屋の雰囲気があふれています

当時は、職業による雰囲気が

なんとなく感じられましたが

最近の勤め人は、その人がどんな職業か

サッパリ感じられなくなってしまいました





嵐電車内のカツドウ屋さんにまじって

女優さんの卵というか、撮影所の

俳優部に所属する若い女の子が乗っています

その若い女優さんの卵?のなかには

スタイルも良く、なかなか可愛らしい女の子が

います。

こんな可愛い魅力的な女の子がどうして

売れないのかと思ったことが度々ありました…

… … …

添付写真は、太秦撮影所の時代劇の

オープン・セットです…











撮影所への通勤電車、嵐電

2018年07月22日 22時10分34秒 | Weblog


私が撮影所へ通い始めた頃は

まだ、テレビの影響は受けていません

京都四条大宮駅発の嵐電(らんでん)は

撮影所への通勤電車でした…

嵐電とは四条大宮発→嵐山行き、

京福電鉄(けいふく)の通称です








嵐電(らんでん)の太秦(うずまさ)駅では

東映、第2東映、大映撮影所の映画人が

ドッと下車していました。

次の帷子ノ辻(かたびらのつじ)駅では

松竹のカツドウ屋さんが大勢下ります





映画関係者を普通、映画人といっていましたが

身内ではお互いをカツドウ屋と呼んでいました

映画は最初、サイレント映画(無声)でスタート

しました。そして映画のことを活動写真と

呼ばれていました。活動写真に携わる人を

カツドウ屋と呼ばれていました





撮影所は三社とも京都郊外にありました

毎朝の京都の勤め人は郊外から京都市内に

集まってきますから、撮影所に通うカツドウ屋さんは

それに逆行して郊外の撮影所に向かうことになります

四条大宮発の嵐電車内は、カツドウ屋さんで一杯でした