初心者の老人です

75才になって初めてVISTAを始めました。

親父とカメラ散歩

2017年02月26日 22時42分59秒 | Weblog


香里団地の思い出を追いかけていると

元気だった親父と二人でカメラをもって

出かけたことを思い出しました



親父がある日、「行こう…」というので

ついていきました。

家を出て東を見ると大文字の送り火の

如意ヶ嶽が目の前に見えます



親父はずんずん東の方へ歩いて行きます

まず銀閣寺へ入りました

… … …

親父のカメラは、ローライコードⅢ型

レンズはF3、5、75㍉、クスナー(シュナイダー)で

私は、バルナック・ライカDⅢ、F3、5、50㍉

コーテッド・エルマー(沈胴型)でした

… … …

銀閣寺で撮りおわった親父は、

隣の法然院(ほうねんいん)へ

行こうと、歩いて行きます



法然院を出て西へ向かうと

哲学の道へでます。

哲学者、西田幾太郎がよく

散策したので、名付けられたそうです



哲学の道は、疏水の横の細い道(地道)で

静かな風景でした。

人出で身動きの出来ない今の

京都からは想像できない静かさでした









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2 コメント

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囂々たる水量 (在豪大阪人)
2017-02-27 04:44:27
素晴らしい 思い出話を 拝読。
杜撰な私にも記憶がよみがえりました。
戦争が激しくなる前です。疎水沿いに知り合いの別荘があり 幾度か親に連れられて訪問しました。
大阪のコンクリートに覆われた町から 一辺に緑豊かで手入れの利いたお庭を拝見。まだ国民学校の低学年にも「いいなぁ」。
疎水 おっしゃる通り地道でした。それに 轟々と水量ゆたかな流れが恐ろしかった記憶があります。
資料的価値もある写真。有難うございます。
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戦時中の京都 (keidate1)
2017-02-28 22:52:37
在豪大阪人さま。私が満州にいるときなのでしょうね。戦時中の日本は大変だったようですね。
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