絵は描かないが、美術館はわくわくする。
しかし、本日の六本木の美術館では、普段と心持ちが異なっていた。
タガイト チカハルの遺作を観に来たのだ。
三重県の旧制中学を出て、警視庁の鑑識課に勤め、夜学で中央大学に学んだ。
戦時は海軍の鈴鹿飛行場にて、軍務に就く。
そして戦後、紀伊半島の山地特有の棚田で、米作りをしながら、美術教師として教職を全うした。
生涯、自己の価値観を貫いた画家といえる。
元妻の父上である。イメージとしての画家然とはしていない。名誉欲なし。
桃崎という地に住んで、桃ぢいの愛称でたくさんの孫を愛し愛されていた。
画業において、大きな賞を受賞しても、テレビ出演依頼などは居留守で断る。(最近の映画で観たような)
昨年、97歳で他界。所属し最晩年まで出品し続けた、自由美術展において、追悼コーナーが設けられた。自由美術はかつて都美術館が会場であった。国立新美術館に移り何年も経つが、都美術館の旧食堂で、義父とライスカレーを食べた思い出がのこる、上野に足が向いてしまったのだ。