毎日、暑いことの「作文」、恐縮ですが…

今日は風も吹いていて、予報でも30度を超えないということだったので、少し過ごしやすくなったか、と思い1.5キロほどのスーパーに買い物に行った。往復約4,000歩だったが、ウチに帰ってきたら汗だく。すぐにシャワーをつかい、今休息しているところ。 高齢者は…という声はよく耳に入る。だから無理をせず動こうという気持ちだ。しかしこの「無理せず」という語がよく使われるが、どの程度が「無理」なのか、はっきりし . . . 本文を読む
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8月の終わりに思う

9月の秋が近づいている、と先日記したが、暑く照りつける太陽が沈むと急に涼しさを感じさせられる。8月も明日で終わりだ。北海道の9月はやはり秋の月。四季の中で一番好きなのは秋。   日本の政治も、どういう方向に動くのか。岸田首相の政治方向(特に東西対立の中でどういうイニシアテイブを発揮しようとしているのか)がスカッとしない。 国内政治も、この物価高騰の動きが続くことに対してどうして強力なテを打とうとし . . . 本文を読む
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ジャニーズ問題に思う

私はこの種の業界についてはほとんど知識がない。しかし最近話題になってい「ジャニーズ事務所の元所属タレントなどから前社長による性被害の訴え」が相次いでいる問題をついて、ちょっと情報を集めると、「21世紀の今の時期にこんな問題があるのか。しかもタレントを擁立している事務所のボスが代わる代わる若いタレント候補の男の子を性的対象として処遇していたとは」言葉も繋がらない。 情報をいくつかまとめると、 「ジ . . . 本文を読む
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夏から秋への感じ

今日27日の10時過ぎだったろうか、札駅近くの店で少しの買い物をし、JRにのって我が町の駅に着いた。突然、烈しい雷雨に見舞われた。駅の待合室で待つことになったが、この30分前後の間に雷雨は、数年間で最もスゴイものだったのではないだろうか。隣にいる娘に頼んで駅までクルマで迎えを頼むという非常手段をとらざるを得なかった。札駅近くのコンビニで安い傘を買ってこれで間に合うだろうと思っていたが、さにあらず… . . . 本文を読む
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札幌北斗高の77年卒業のクラス会

1977年に卒業した生徒たちが、昨年に続いて今年も「クラス会」を開いてくれた。当時の札北斗は女子高で一クラス48人中10人が参加してくれた。昨年に続いての開催。昨年よりも一人増えていた。 当時の高校生活のこと、その後の40数年後のことなど、家庭、仕事、子育てなど多岐にわたる。当時、私もまだ40歳代前半で、髪も豊かにあって、若々しい教師だった(と讃えられた)。すでに死去した仲間は2人とのこと。元気 . . . 本文を読む
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暑い、暑い、北国が南に移動したような

北海道は、日本の北部にある、いわば北国だ。それが年々、少しずつ南下しつつある。そして今年は一挙に赤道直下に移ったような感がする昨今だ。 「観測史上最も…だ」は聞き飽きた感じだ。とは言っても…。 私のウチは居間にはエアコンをつけてあるが、その他の部屋にはない。だから夜は、暑くて寝苦しい。そんなことを言ってもムダだ。来週になると少し気温は低くなると言うからもうちょっとの辛抱だ。 昔から詩人は言 . . . 本文を読む
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私立高校の生き残る一番の道は「甲子園」と「東大」?

高校野球の頂点である「甲子園」大会(第105回全国高校野球選手権記念大会)の最終日(23年8月23日)の決勝で、慶応が8対2で仙台育英を下して優勝した。 慶応高校は、横浜市にある、今時珍しい男子高校。 私は決勝戦をテレビからつかず離れずの位置で見ていた。どっちが勝てばいい、などとは思っていない。仙台育英が小さくない差で負けたのは残念だった。もっと接戦であれば、と思っていたが。 仙台育英は昨年の . . . 本文を読む
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暑さで体調不良になる

猛烈な暑さで、高齢者の私も体調をこわすという事態になり、通院する羽目になった。暑さが続き、夜も汗びっしょりになって睡眠不足になり、少々日常の暮らしができないという状況になった。近くの個人医院に行った。そこの先生はろくに事情もきかないで勝手にある薬を調合してくれた。薬の説明もないから、暑さ対策の薬だろうと思い自宅でしらべたら、便秘用だと分かって驚いた。この医院のサイトには、患者さんと十分話し合って満 . . . 本文を読む
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日本史の始まり③(原始、女性は太陽だった)

「原始、女性は太陽だった」といったのは、平塚らいてう(ひらつか らいちょう・思想家・1886.2.10~1971.5.24)が、明治44(1911)年、発刊した文芸誌「青鞜」の創刊号にかかげた歴史的宣言だった。 私は平塚らいてう氏の思想を紹介するのではなく、彼女のこの宣言文を活用したいと思い紹介した。日本のもともとの神は「天照大神(あまてらすおおみかみ」でこの神は女神だった。この神が日本国をつくる . . . 本文を読む
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日本史の始まり②(平和を維持するためには女王が一番)

既述したように、私たち「日本人」の祖先は、旧いところでは4万年前後前から3万年以上の時間をかけて大陸から流れ込んできた。この詳細な分析を、人類学者の皆さんが精密に行っている。 朝鮮半島から西日本へ、またオホーツク方面から北海道へ(例えばアイヌ民族とされる人たち)などがルーツになるのだろう。そして今から2500年前後以前から、まず北九州方面から米づくりをはじめだした。この「文化」が北上するにつれて . . . 本文を読む
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