「特攻兵の足跡をたどる」報道特集

今日のHBCの報道特集は「特攻兵の足跡をたどる」だった。別の作業をしながらの視聴だったが、昭和20年にいたる戦争の末期、悲惨な自爆攻撃ともいうべき特攻隊が組織され、この生き残って戦後活躍してきた人の苦難の歴史が特集されていた。 この特攻隊といういう日本軍の自爆攻撃に組み入れられた人たちは「これからの日本をになう」若者たちだった。爆弾を特攻機の腹に抱えて敵の軍艦に突入するというまさに末期的行為を、 . . . 本文を読む
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ウポポイに行く

ウポポイとはアイヌ語で、「民族共生象徴空間」の呼び名だ。場所は白老。今日、娘夫婦と一緒にここを訪問した。クルマで高速1時間半。 博物館の他に体験学習、交流、アイヌの生活や習俗、工房など多面的に学び体験することができるスペースだ。 北海道の各地にアイヌ民族に関係する物や伝説などが伝えられている。しかし案外に、アイヌ民族の歴史やいわゆる和人(日本人?)との関係などについては知られていないのではないか . . . 本文を読む
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札幌の桜、今が一番!

近くにある「桜の見所」は新川沿い。今が一番といえるのではないか、という感じだ。今年もこの周辺にライトアップの装置をして今日は夜桜を楽しむ人たちで賑わっていた。桜の写真も、ただ写せばいいというものでもないし、どういう構造で画像をつくればいいのか、分からないのがわが写真力だが、披露してみました。 . . . 本文を読む
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谷川俊太郎の詩「死んだ男の残したものは」

私の参加している「道新短歌の会」で、今日先生が紹介してくれた谷川俊太郎の詩を紹介しよう。私にとっても非常に懐かしい詩だった。ベトナム戦争の時に発表された詩。反戦の歌だ。ネットを開くと聞くことができる。 死んだ男の残したものは 作詞:谷川俊太郎 作曲:武満 徹 一、死んだ男の残したものは ひとりの妻とひとりの子ども 他には何も残さなかった 墓石ひとつ . . . 本文を読む
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千姫(徳川家康の孫娘)の人生など …3

昨日、書き漏らしていたので補足。秀頼と死別して次いで本多平八郎(忠刻・ただとき)の妻になった、と記したが、この二人に女の子と男の子が生まれている。男はすぐ死んだが、娘の勝姫はその後池田光政という「名君」の正室となった。そして血筋からいえば、この池田光政と勝姫の子孫が徳川最後の将軍慶喜までつながるという。 だからといって、これは豊臣家の血筋があったというわけではないが、妙な流れだったと言えるかも知れ . . . 本文を読む
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千姫(徳川家康の孫娘)の人生など(澤田ふじ子「千姫絵姿」から)…2

1615年の「大坂夏の陣」で豊臣家は滅亡。この落城の時に、戦火の中、秀頼の妻だった千姫を、命がけで助けたのは坂崎出羽守だった。この人は、もえさかる城の火の手を見た徳川家康が言った「誰かこの戦火の中、わが孫を助けてくれぬか。もし助けてもらえるのであれば、わが孫を妻としてあげてもいい」との声を真に受けて「よしそれならあのすてきな女性をもらえるのであればこの命なんで惜しんでいられようか」と、文字通り命を . . . 本文を読む
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千姫(徳川家康の孫娘)の人生など(澤田ふじ子「千姫絵姿」から)…1

また少しの昔話。子どものころ、私が暮らしていた田舎の祖父母のウチは、いつか記したことがあるが、昔の雑誌「日の出」とか「家の光」などとともに、蓄音機などもあった。これにレコードを乗せて回転させると歌などが聞こえる。その後このレコードをSP盤と言った。戦後この他にLP盤とかドーナツ盤などもできたが。 当時の流行歌、東海林太郎とか藤山一郎などのレコードがあったが、同時に当時のじいちゃんたちが好んでいた . . . 本文を読む
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三浦綾子作 「銃口」3(戦後、竜太先生は教壇にもどる)

 1941年8月に、竜太は仮釈放された。そしてこの年の12月8日、日本は米英に対する宣戦。真珠湾攻撃。日本中大興奮という状況下で、竜太は結婚を約束する。そして小学校(当時は「国民学校」だったが)の先生だった彼も42年2月に招集された。(当時小学校の教師は招集猶予されるケースがあったが)。恋人だった芳子は北見の伯母の葬儀のために留守。大吹雪で帰って来れない。「ぼくと君の間は清かった。それがせめてもの . . . 本文を読む
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札幌にも桜が近いが、大戦も近いのではの心配

札幌の西区に住む私のウチの近くが新川通りの桜並木。今、桜の木々の花のつぼみは飛び立とうという気合い充分の感じだ。来週早々にはそれを見ることができるだろう。 しかしウチに帰ってテレビをつけると例のウクライナ戦争の状況。ロシアが所期の思惑通りに戦争を進めることができなくて、それで退却するというのはなく逆により総合的大規模にウクライナへの攻撃を強めるという。だから、世界の情勢はサクラどころではない。明る . . . 本文を読む
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三浦綾子作 「銃口」2(昭和10年代。日中戦争から太平洋戦争へ。学校現場へも戦争の足音が)

 新米の小学校教師北森竜太は21歳。旭川の近くの炭鉱の町の幌志内小学校に勤務。この町には浴場はあるが銭湯がない。初給料は55円。  おりから日中戦争が始まっている(1937年)。学校教育は軍国主義の傾向をどんどん強めていった。  例えば、子どもの、教師たちに対する礼は身体45度の角度をもつこと、校舎の前に天皇、皇后などのご真影(写真)を納めておく小さい堂である「奉安殿」への拝礼と宮城(皇居) . . . 本文を読む
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