kaeruにとって「川柳の原点という場所」は鹿児島県鹿児島市西伊敷三丁目5-7ですが、江戸時代に遡るとここだというのです。
ここは何処かというと、
昨日孫達を見送った京成上野駅の側でした。
この何やら鳥のようなものは、
アヒルなので、その下に
羽のある いいわけほどは あひるとぶ 木綿
とあります。
川柳というとその名を遺した柄井川柳の名前が先ず挙げられますが、呉陵軒可有(号木綿)ごりょうけんあるべしとはどういう人か、こちらをクリックして見て下さい、https://ja.m.wikipedia.org/wiki/誹風柳多留
柄井川柳の友人であった呉陵軒可有が川柳の選集を出すことを思い立ち、『誹風柳多留』を出版したことが川柳が今日までに繋がる元になったと評されます。
「思い」をどういう形で広く発信するか、江戸時代では出版物が大きな役割を果たしていました。現代でも出版物の役割は変わりませんが今日的な物として放送があり、インターネットがあります。ブログなどもその一翼を担っています。
「てんがらもんラジオ」のゲスト席に座った者としての感想は、放送、インターネット、ブログというまことに現代性豊かな発信源に支えられている「てんがらもんラジオ 川柳教室」はアヒルどころか出水のツルの群れの様な飛翔力を持っていると言っても、まさかとは言えないでしょう。
そのとき 確かに私の頭の中は グルグルうごくみたい・・・だからこれでいいのだぁ~。
歳相応に籠っていたらこの世の時間に
おいてけぼりだから つなぎ合わせ 張り合わせの5.7.5.
フィギュアスケート見入ってましたよ。
素晴らしい 羽生結弦選手ほれぼれしますね。その根性と努力する姿勢に感動しました。
コミュニケーションが発達して
社会が成り立っていますが、その
根幹である言葉、これが意外と
難しい、民族によって言葉も違い
地方によって更に表現も違い、
でも五・七・五の世界では俳句も
川柳も書物を通じて全国共通の言葉と
その役割は大きなものがあります
言葉は伝達手段でもあり時には諸刃の剣にもなります。
私のこの頭脳にもう少し味噌があったら
常々愚かな青春を悔いてます
若者よ早い時期に沢山学びなさい
いう例はないでしょう。どれだけ鍛えて
も歳相応の体力になる、自然の法則です。
昔は数少ない年寄りですから遊び仲間お
喋り仲間の周りに居ない、となると体力
がついていかないとか話が合わないとか
で引き籠るわけです、そして眠るがごと
永眠するわけです。
所が現在日本社会でその存在は量的には
かなりの水準です、あとはそれに相応し
く発言し地元でも日本中でも世界へもそ
の勇姿を示すことでしょう。
歳相応に動くことが社会から期待されて
いることです。
であれこれ励んでいたわけで、方言なん
かまったく関係なかったのでしょう。
文化の中心が都としての京都であったり
江戸であっても五七五や五七五七七の世
界では何処でも誰でも分かる言葉が行き
届いてわけで、日本の統一はこの分野で
いち早くなされていたのでしょう。
それはやはり言葉のリズムが日本社会で
共有されていたのでしょうか。日本語の
魅力といえるのでしょう。
あとは余分な呟きです、聞くに及ばず。