kaeruのつぶやき

日々のつぶやきにお付き合い下さい

100年一区切り。

2022-08-01 21:54:57 | 「がん」を読む

「100年一区切り」とは1世紀ということになりますが、ここでは昨日の本の話の続きで中川医師の書かれたことで、こう書かれています。'

このページは2018年12月9日の前、自分の膀胱にがんを発見する前に記した部分です。それでは12月9日以降ではどうかかれているか、

(以下p 134・135から)

もっと生きて世の中を見てみたい
 前述したように私は、酒のリスクが高いことは重々承知しながら、酒をやめようとは思いません。 人生を豊かにするため、私には酒が大事 (笑)だからです。 膀胱がんの危険因子である水溶性の化学物質(略)やその他の毒物は、膀胱に集まります。そうは知りつつ、やはり酒をやめる気にはならず、実際、退院してからもすぐに飲んでいます。(略)
コーヒーも好きなのでやめません。「美味しいもの」は口にしたいのです。
 それと同じく、人生を豊かにしたいという理由で、私は体を大切にしていくつもりです。前に述べたように、「体はせいぜい100歳までもつように使い切ればいい」という前提ではありますし、(略)体の調子が維持されればあらゆることを楽しめる……。

 人には病気や死を見たくないという本能があります。 今回の膀胱がんを通して私自身も身をもって経験しました。 人はやはり「弱い」と。その一方で、人はそうした志向を言語や論理で乗り越えていける立場にある、つまり「がんの練習」はできるのだとも、依然として思っています。 人それぞれの立場でできることはたくさんあるのですから。病気や死を避けるのは生き物として自然なことだけれど、同時に、人間はそれを乗り越えることができる、ということです。

 ここの部分で「がんの練習」と言われています。中川さんはこの本で第二章を書かれていますが、その章の冒頭で〝「死の練習」をしない日本人〟という節を設け、「死の練習」には〝がんは一番「いい病気」です〟と、〝がんは「死の練習」を可能にし、生を完成させるのに最も適した病気だと〟言うのです。要するにがんは「最も生を完成させやすい病気」だということです。

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『がんから始まる生き方』

2022-07-31 03:13:40 | 「がん」を読む

 『がんから始まる生き方』というこの本は読み応えのある本ですが、

かなりの部分が未読のままになっていました。

一昨夜知人からのメールに身内が膀胱癌になり入院することになったが、其方は如何ですかとあり、「当方の膀胱癌は今年で4年目を迎えています、3年前・2019年の7月検査手術時抗がん剤の服用がありましたが、翌月の切除手術の結果〝今後は3ヶ月おきに膀胱鏡(カメラ)でチェック〟でいいことになり、今年に入ってチェックも半年ごとに、6月に無事済み次は年末です」と返しました。

こう「つぶやき」ながら3年前の「つぶやき」に目を通してみるとこの経過がどれほど有難いことであったか、その時期末期がんで逝った娘のことと重なり思いは深まります、その経過を通じて「がんから始まる生き方」の意味を見つめ直さねばと思いました。

この本の半分も読んでいないのに「読み応えのある」というのは、このなかの中川医師の書かれた部分がそう感じさせたのです。養老孟司、柏木博、中川恵一の諸氏によって成った本ですが、私の関心は中川さんに集中しました。年齢の若さもあります、養老さん1937年生まれ、柏木さん1946年、中川さんは1960年です。医師でそれも放射線治療専門医としてがん治療に当たっていた方です、その人が2人に呼びかけこの本の出版を図りました。そして執筆の途中で自らが膀胱癌に罹ったことを知ったのです。

この本の「はじめに」は中川さんが書かれていますが、その部分は、

〝さらに、原稿が出来上がろうとする頃、私自身が膀胱がんに罹患していることがわかりました。晴天の霹靂でした。こんどは私ががんの当事者になったわけです。このことは第2章に追加する形で詳しく述べてあります。なお第3章の鼎談の時点では、私は自分が抱えたがんに気づいていません。がん判明の前と後で、「がん専門医」の私の考えが変わったのか、変わっていないのかを見ていただく好機と考え、そのままにしてあります〟

「はじめに」は2019年6月と記されています。私がこの本を買ったのは2021年3月ですが、本屋でがん関連のものを探していて手にとり、この年と月を見て自分が「(膀胱癌に)やられた!」と感じた時期に出版された本だ、という思いもありました。

私は中川さんの執筆部分を読み終わってから全体に目を通そうと思っていた筈です。いまページをめくってみるとほぼ中川さん部分から全体へという頃他の本に紛れ込んだままになっていました。これを機に読み直しをしようと思います。執筆者の一人・柏木博さんが昨年12月に逝去されています、そして迎える八月は娘・直美の三周年忌でもあります。

娘が全身転移のがんを抱えながら我が家に身を委ねに来たのが、2018年12月中旬でした、

ちょうどその頃中川医師が、(本のp109)

「(この本の第2章の)原稿をまとめたあと、そろそろ見直そうかとしていた2018年12月9日のことでした。〜自分の肝臓を超音波(エコー)で定期チェックしていたところ––––。

 膀胱にがんを発見したのです。それだけではありません。告白しますが、私は自分の検査結果から、がんを見落としていたのです」

と書かれています。

 

娘の子たち、石垣島の孫の2人もそれぞれの夏休みでのひとときをジジババに会いに行くと言って来てます。ひと晩ふた晩でもゆっくりさせたいと部屋の片付けをしているなかで、この本が出てきました。

「生き方」などと正面から問いかけられるのも「がん患者」だからかも知れませんし、養老さんが「がんをタブーから外す、ほかの病気と同じ」と言っているし、何より85歳になっている身です。「生き方めいた」つぶやきを、孫にとも言わず誰彼を頭に置いてとも言わずに呟いていこうかと思います。

 

 

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「逗子葉山がん患者会」のこと

2020-09-18 20:56:21 | 「がん」を読む

葉山新聞社の山本勝哉氏が呼びかけて設立された「逗子葉山がん患者会」ですが、その山本氏の「思い」が記されているのがこの「偶感」です。

昨日もこの「偶感」が話しの中心のひとつになり、がんに対する姿勢は「どう生きるか」だということが共通の理解となり、患者会の基本になったかと思います。

「偶感」の全文を記しておきます。

偶感 末期がんを告知されて一年 山本勝哉

 がんを告知された。胆管がん。ステージ4で、リンパに達しており、切除手術は出来ないし部位から考えて放射線も不可能という。私はステージは10まであると思っていたが、4が最高だという。つまり末期がんなのだ。治療は、抗がん剤又は、緩和ケアーだとのこと。緩和ケアーとは、結局は死ぬのだが、死ぬまでの痛みや苦しみを和らげるというもの。抗がん剤も、がんを消すことは出来ない。まさにがんは不治の病。余命について医師は云わなかったし、私も問わなかった。私ががんを告知され3ケ月後、弟が死んだ。私と同じ胆管がんであった。

 生が有限であり死は必然だと云う冷厳な真実が突き付けられた。この冷厳な事実を冷静に考えなければならない。そして、受け身としてではなく、積極的に立ち向かわなくてはならない。死の受容などという暖味な態度であってはならない。

 死の苦しみは肉体的と精神的なものである。肉体的苦しみの多くは痛みであり、それは麻酔などの発達で緩和できる。では、精神的苦しみはどうか、それは、自己の存在が無になるという云う喪失感である。無宗教者である私は、その喪失感から脱却する道を、自己の存在の歴史化に求める。それは、人類史であれ、世界史であれ、日本史であれ、地域史であれ、家族史であれ、さらに特定のジャンル史であれ、何でも構わない。

 がんを告知されて、がんで亡くなった方、がんを治癒された方、治療中の方などの話を聞くことが多くなった。そうした中で「もういい」と、がんの治療を諦め、亡くなった方々が意外と多いのに驚く。そうした方々は、「もう充分に生きたから」とか、「やり残したことはない」という幸せな方々もいれば、抗がん剤の副作用の苦しさに耐えかねた方々もいる。

 がんは不治の病とも言われる。実際、手術や放射線による切除も、再発の脅威が残る。まして、私のように手術や放射線が出来ない場合、抗がん剤に頼るしかない、抗がんではがんは消滅しない。担医師は、「私たちの理想は、山本さんが死ぬまで抗がん剤を打ち続けることです」という。抗がん剤をやめる時は死ぬ時である。治療とは、治癒までの事と考えていた私にはこれも衝撃であった。

 さらに、抗がん剤に対してやがて、がんの方に耐性が出来てしまい、抗がん剤が効かなくなると云う。そうしたら、今の医学では打つ手がないという。

 がんの治療は闘いである。毎週通院し、採血をし、長時間待って、医師の診察を受け、血液に抗がん剤を投与する。三ヶ月毎のCT検査では、造影注射がある。痛い。闘病とはうまく言ったものだ。コロナは、葉山ではいまのところ、四人だが、がんは二人に一人がなるという、がんこそ、早く特効薬が出来て欲しい。

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がん患者会の集まりがあった今日ー去年の9月17日のブログが。

2020-09-17 19:10:57 | 「がん」を読む
 
敬老の日ー116歳

このブログで紹介したこの人、 昨日の「しんぶん赤旗」潮流で、きょうの潮流/「死ぬ気がせん」。116歳、世界最高齢と認められた福岡… こちらは、週刊新......
 

今日「逗子葉山がん患者会」の最初のあつまり、5人参加者80歳代の女性が2人50歳代の女性が1人、男性は私と呼びかけ人の山本さん、この集まりについては明日に。

今日は去年の17日に「つぶやき」ましたブログがgoo blogから送られて来ましたので、上の「続きを読む」をクリックして下さい。この116歳の田中カ子(カネ)さん、

は元気なのだろうかとWikiで見てみました、これです。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E4%B8%AD%E3%82%AB%E5%AD%90

なかに書かれてあることですが、「117歳の誕生日(1月2日)の時点で手押し車を押しながらの歩行が可能である」そうです。今でも元気で21日の「敬老の日」には元気な姿を見せてもらいたいものです。

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2019年の最終日に

2019-12-31 22:23:00 | 「がん」を読む
2019年、我が生涯を通じて一番大変な年でした。最後に「つぶやき」にコメントを寄せていただきながら失礼していましたお詫びのコメントを送らせていただきます。

 ワイコマさんへ、「ふるさと」は10月17日でした「元気に」は11月19日、本当に大変失礼しました。10月は丁度中学の同級会で上田に行き鉄橋を見てきた頃でした。一番威勢のいい男が胃癌を患い手術して一滴の酒も飲まず、それでも元気に振る舞っていました。自分も癌だとは言えずに帰って来ました。11月は三ヶ月目の検査で「怪しいところがあります、手術しましょう」と予想外のことを医師から言われた後で、全体として何かを振り返ることが鬱陶しく「コメントを頂いているなー」と思いつつ、見ることもせず来ていたのでした。
 娘の介護の日々のある時、木曽の旅での夜食会の雰囲気が浮かんできたり、メロディ橋でのひと時が思い出されたりして、何となく自分を慰め励ましていました。何となくというのが一番良い状況なのかも知れません。
いまだんだんとそういう気持になって来てます、お心遣いありがとうございます。



まりもさんへ、
コメントありがとうございます。ラジオの音声が即座に文字化する。それも無料で素人でも可能なのですから、面白い時代です。これを例えば正確に文字化し「向井明美のたびたび記」などと名付けて写真などと共に、ブログやFacebookなどにアップしたら面白いだろうと思います。


ちどりさんへ、
スマホにブログ仲間旅をアップしたよ、と連絡を頂いていましたが気持が振り返りませんでした。我が儘なことです、ご了承下さい。
二月からの川柳教室、期待してます。ちどりさんは川柳の天才だったのではないでしょうか、能ある鷹は爪を隠すとか、地に埋もれていた黄金が世の荒波に洗われ爪に磨きがかかったというわけです。
それにしても紅雀さんの馬力、午年生まれ? 薩摩オコジョは何を食べているのでしょう?


陽子さんへ、
秋元不死男は好きなというより信頼する俳人です。その特集だというので手にとって捲っていたら「紅雀さん、俳人に?」と思って読みました、そして買いアップしました。こちらが元気を貰っています。二月からの川柳教室、期待しています。
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がん世代。

2019-09-18 21:35:28 | 「がん」を読む

同年齢の知人が私の癌についてたずねながら、自分も癌の手術を受けたのだとメールを送ってきました、2日前のこと。今日は中学生同級会の案内にこの種の話がのっていて、同級会常連のなかでも一番頑丈そうな彼が……、と思わされ、手術後の彼と飲み交わすためにも必ず出る、と返信しました。

久しぶりにこの本を開きました、

そしてこのページ、

このページについては、ここで「つぶやき」ました。

https://blog.goo.ne.jp/kaeru-23/e/bf924ff5bf14273d538628c3abaed02d

この本を通じて癌については少しでも理解したいと「つぶやき」続けてきたのですが、ここからアップすることに躊躇しました。やはり「死」です。

当時私は娘の死は避けられないという思いと、娘もその頃石垣島に戻った自分の娘に「さよなら」とスマホで口にしていました。それを妻がたしなめていたり、我が家の内で生と死が交差していた時期です。

我が身の生死については、直面できたのは生です。知人の場合は転移の状況からいけば死の姿を見た、という思いです。それだけに当面する課題の達成に向け懸命さが伝わってきます。10月から11月にかけて、催しを組んでそれへの参加を!と伝えてきてます。もちろん「行く!」と返信しました。

同級生の場合はどうなのだろう、顔を突き合わせ互いに語り分かりあい何ができるか見えてくるでしょう。

何れにしても人生も収穫の秋です。

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膀胱内はがん畑

2019-09-05 22:16:56 | 「がん」を読む

昨夜は美味しいものを食べ久し振りに飲み喋りあいましたが、それが一日前だったという感じがしないのです。その最中は、以前と同じ感覚で楽しく、かつかなり突っ込んだやりとりもあり刺激的だったと思います。

ところが、こうして昨夜のことを思い起こしていてもどこかでかなり以前のような感じがしているのです。気持ちの背景に病む娘と共に暮らした期間と、自らのがん治療の体験痕跡が20時間ほど前の記憶にもフィルターをかけてくるのかと思います。

昨日の昼間には主治医から手術の結果と今後について説明がありました、前回と同じように図付き説明でしたので、それを写しておきます。

前回では定期的に抗がん剤の注入が想定されていました、

(前回のメモより)

今回の結果、その必要がなく三ヵ月ごとにチェックしていく、ほぼ五年間続けて再発がなければ……、ということです。ここには書いてませんが膀胱癌は再発しやすいのだそうです。

ネットの情報もそう書かれています、それで今日のタイトルにしました。生えてくる草は雑草ではなく毒を持つ草です。仮にチェック過程で再発が見つかれば直ちに「切除」ということになるのでしょう。

そのような可能性を抱えていることは、負の部分であると同時に生命との直接的関わりで自分の存在を意識し続けていくことでもあり、積極的な意味を持つことです。昨夜の俳句についての話でも、表現すべきことは自分の存在感だという話が思い出されます。

三ヵ月ごとのチェックで癌の存在の有無を確認にしていく様に、自分自身の存在を自分の内面として掌握できるか、掌握し得るほどの実態として形成し得るのか、癌の存在が突き付けてきた課題に答えていく80歳代初盤から中盤へと向かうことになった様です。

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2019年8月最終日に……。

2019-08-31 23:32:58 | 「がん」を読む

娘を看取り我が身において二回目の手術をした2019年の8月を終えるにこの記事は嬉しい、

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190831-00579985-shincho-life

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がんと川柳

2019-08-30 21:59:35 | 「がん」を読む

これは8月18日に「がんと俳句」としてつぶやいたもの、

https://blog.goo.ne.jp/kaeru-23/e/d9d1c8d15e92f81de65526ffeae761a4

今日は川柳です、

https://www.m3.com/open/iryoIshin/article/670018/

 

のなかに膀胱がんの人の一句、

多分この「がん川柳」は()で括られるものでしょう。

     五・七・五読んだ私も膀胱がん

kaeruも「てんがらもんラジオ」の川柳教室に投句しました、

お題「伸びる」             妻笑顔命が伸びるがんの俺

折込句「や・つ・こ」     病む俺に辛さ見せない恋女房

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膀胱の面白さ

2019-08-24 20:43:34 | 「がん」を読む

膀胱に腫瘍、それが癌だと分かって一気に我が身のなかで膀胱に注目が集まっています。私は健康だ!と決めつけていた七十歳代中ごろまでは、例えば血圧の数値にも関心をもっていませんでした。

同年齢同士での話に出てくるそういう関連の話のなかに入れず、脇での聞き役でした。ところが心臓に難ありと分かり薬を毎日飲むようになって少し認識が変わってきたところでした。

そして今回の事態へ発展です、健康とか身体などにわか勉強で今日もベットでネット巡り、そこで見たのがこれWikipedia の「膀胱」、

魚類には無い膀胱が哺乳類に出来てきたのは、尿や便を垂れ流しにしていたら強いものに食われてしまう、それを避けるためなのでした。

もちろん長い歳月を通じて消化管の一部分が袋状になって膀胱に発展していったのでしょう。一言で「長い歳月」と言います、どのくらいの尺度を頭に置いたらいいのだろう。

その参考なるのがこの本です、

たまたま図書館から半月前に借りておいたもの(この写真はネット)ですが、目次もここで分かります、

この目次の下の方に、

「ヒトの体には五億年の記憶がある」とあります。

これを知ったからと言って我が身の癌がなくなるわけではありませんが、癌の住みついた膀胱について知っておくことは、癌との付き合いをしていくうえでかなり大事なことだと思います。借りてある本の返済日が明日ですのでもう二週間借りておこうと思いました。

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