昨日の手術は先月の場合より倍以上の時間がかかりました。手術前日麻酔科の医師から麻酔に時間がかかるとの説明、それによると膀胱の脇を通っている神経(名前を言われましたが忘れました)に関係しているようです。
麻酔に時間がかかるといっても20分くらい多くなる、とのことでしたので前回の倍以上2時間超えはやはり手術に要した時間だったのでしょう。前回と今回の違いは時間だけでなく、何よりも切除されたものの違いです。
前回、手術後見せてもらったのは、まさに細かい肉片でかなりの量が浮いていました。今回はガラリと変わって、ゴミ屑のように黒く細かいものが前回と比べたら3分の1もないでしょう。妻が医師から聞いたのでは三ヶ所から切除したそうです。一ヶ所は前回の跡、あとは別のところから。さて、これが何を意味するのか、後日主治医から説明があり今後の治療方針も話されるわけです。
ところが薬剤師さんが返してくれたお薬手帳に薬について一種類しか記入されていません、薬剤師さんも「今日はありません」と。これを勘違いして薬が必要では無くなった、と思ったのです。妻にそういうと「違うでしょう、後で主治医の先生から説明があるでしょう」と。
患者本人がどんなに「良い結果」を望んでいるものか、どんなことも「良い結果」に結びつけたいか、あらためて娘が「良い結果」「治りたいにつながる情報」にひかれていったかに心痛むのです。
膀胱という臓器についてどれほど知っているか、ましてやその脇を通っている神経などに関心を向けるのは我が身の命に関わるようになっているからです。それでさえ聞いた名前も忘れてしまう。
それでも「良い結果」を現実のものにするためには、医師の知識と経験に依拠し、そこから得られる情報を正確に理解する自分の努力です。そこが楽観的になったり悲観的になったりしやすい、それだけに身近な者の支えが抜かせません、先ほどの妻のひと言のように。また、ワイコマさんからのコメントで伺えるのは、支える人の存在の大切さです。
そう思うと娘が闘病に困難を抱えた様子が分かってきます、望んで選んだことではあるが、夫の理解をこえた治療法、治療に専念できる状況ではなかったと言わざるをえません。