遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『龍安寺石庭を推理する』 宮元健次  集英社新書

2011-12-10 00:50:03 | レビュー
 11月14日に著者の『京都名庭を歩く』について書いた。この中に本書のエッセンスが記されている。要約としては一歩進展した記述だったかもしれない。
 この本を読んで興味を深め、2001年8月に出版されていた本書を読んでみる気になった。『名庭』に要約されていた見解が、本書ではどのように論述されているのか。

 著者は、序章でまず龍安寺の全体配置図を概観し、龍安寺庭園が脚光をあびるようになった時期が東京オリンピックから大阪万国博覧会にかけてのあたり(1964~1970)だと指摘している。1975年に英国のエリザベス女王が訪れ、この石庭を絶賛したことが石庭ブームへのトリガーになったとする。石庭を囲む築地塀の高さの不思議さに着目した後、「自然を模倣したわかりやすさは微塵もない」。白砂と石だけで「何かを表現しようとしている潔さがすべて」という。「その反面、漠然としてとらえどころのない、非常に飛躍した象徴的造形となっている」この庭園についてはいまだ定説が確立していないとし、独自の仮説を本書で提示するに至る。

 著者は「造営年代の解明」→「造形意図の解明」→「作者の解明」という組立で、先人の研究書を取りあげ、その成果を踏まえたうえで、そこに残された問題点を指摘する。「西欧手法」という独自視点から、問題点の総合的解決に挑戦している。
 本書で主に取りあげられた先人の研究は次のものである。
 大山平四郎著『龍安寺石庭-七つの謎』(講談社・1970年)(原本は竜安寺と表記)
 明石散人・佐々木幹雄著『宇宙の庭-龍安寺石庭の謎』(講談社・1992年)
 その他諸説にも言及していく。

 作庭説には様々あるようだ。1450年作庭説、文明年間(1469~87)作庭説、1499年作庭説など。著者は文献を引用しながら逐次問題点を指摘していく。そして、著者は豊臣秀吉一行が龍安寺を訪れ、和歌を詠んだときに庭の絲桜しか注目していないという事実と1619(元和5)年に金地院崇伝が、天下僧録司と呼ばれる禅宗寺院を統轄する最高職に就き、檀徒制度などの諸制度を改革した事実に着目している。この寺院制度改革の結果、方丈南庭で晋山式などの儀式を行う必要性がなくなり、それによってはじめて、鑑賞用庭園が造られるようになったと指摘する庭園史家・福田和彦氏の説を重視する。
 さらに、1791年に描かれた『龍安寺方丈平面図』他2件と1681年の黒川道祐著『東西歴覧記』との間で、方丈の間数の記録に差異がある点を詳細に考察する。1797年の龍安寺の火災による方丈焼失にも言及している。そこから、1681年から1797年の間に方丈が立て替えられたか、改築された可能性に論及している。
 そして、考察の結論として、筆者は江戸作庭説を主張する。
 先人の研究に依拠しながら、研究書に引用された文献などを利用して、様々な作庭説を論破していくプロセスがおもしろい。先人の研究成果が縦横に活用されている。

 造形意図の解明に著者の新規性が発揮される。それが「西欧手法」という視点の導入だ。
 石庭の配石について、いろいろな説があるという。虎の子渡しの配石説、「心」の配石説、七五三配石説、扇形配石説、そして、石庭に借景が必要だったのかどうか。各説を解説した後で、筆者は問題点や矛盾を指摘している。そこで自説展開の舞台が整う。
 著者は、キリシタン来日以来、日本の建築と庭園にキリシタン建築や庭園手法が導入されてきた事例を取りあげていき、西欧手法の可能性を浮かび上がらせている。このあたりの展開は巧みである。
 西欧の整形式庭園の手法、パースペクティヴ(遠近法)、黄金分割比の手法に着目する。石庭が江戸期作庭とすれば、ヨーロッパのルネサンス・バロック期に重なるという。
 そして実測図を使い、石庭に黄金分割比が当てはまり、配石もこの黄金比の手法で引かれた線上に置かれていることを解明していく。また、石庭の砂面に傾斜が付けられている点にパースペクティヴの効果を生む発想が取り入れられており、石の大きさにもパースペクティヴの手法が考慮されていると論じている。序章において、方丈からの鑑賞者にとって「築地塀の巨大さが、庭園空間をますます非凡なものにしている」と指摘しているが、借景技法についてこの章で著者自らの見解を直接的には論じられていない。
 「造形意図の解明」の後半は、なぜか二つの御所や桂離宮における西欧手法の導入にかなりページが費やされている。西欧手法を強調したいため?いや、実はこれが作庭者解明の伏線になっていくのだ。

 筆者は最後に作庭者の解明に挑む。作庭者については何と100種を超える意見があるとか。しかし、「造営年代の解明」で筆者が推定した造営年代、1619~1681年という約60年間に作庭可能な人物が絞り込めるとして、ばっさり大半の諸説を切り捨てる。残る「小太郎、清(彦)二郎」説と「金森宗和」説を批判的に検証する。両説の問題点を指摘した上で、論点整理として、筆者は作庭者の条件を5項目列記する。
 1.1619~1680年に作庭 2.西欧手法が用いられている 3.借景の手法 4.石庭、庭園のエキスパート 5.禅宗関係者による作庭、という5条件である。
 それに合致する人物として筆者は「小堀遠州作庭説」を展開する。この最終章における諸説の分析・批判、自説の確立のための枠組み設定とその論証過程は前章までの集大成でもあり、読み応えがある。
 「遠州は幕府の作事奉行のほか、伏見奉行あるいは河内奉行にあって外国使臣の接待を重要な任務としていたことはあまり知られていないが、そのような機会に西欧の情報を得たとしてもまったくおかしくないのである」と説く。遠州が西欧手法を伝えられた可能性が高い環境に居た人物として、様々な角度からの証拠を提示している。さらに第三章の末尾で、遠州の造営を手助けした職人たちを列挙している。
 同章末に、遠州作庭の可能性として上記5条件に遠州が合致する点を要約して本書をまとめている。

 龍安寺石庭は、江戸時代に小堀遠州により作庭され、そこには西欧の手法が応用された借景式庭園だという新しい仮説が如何に論証されていくか。そこを読み込んで行くのが本書のおもしろさだと思う。同じ文献と、さらに蓄積された先人の研究成果や発見情報を加えて、どんな切り口・視点から分析されていくのか、そのプロセスが興味深い。

 一点、心残りなのは第3の条件についてである。
 第二章「造形意図の解明」の「二 借景の庭」は、大山氏の指摘事項でまとめている。「借景を得てはじめて鑑賞しうる石庭が、外景との関係が樹木に遮られて孤立し、そのため、当時の代表的知識人の多くが解釈に苦しんだのではないか」という指摘だ。ここでいう「当時」とは、この指摘が『槐記』1729(享保)年の条に記された内容に対する推定なので、その頃をさす。この所で、著者はこの大山説に批判を加えていないので、間接的に同意するということだろうか。
 そして、この巻末要約のところで、借景の手法を「江戸時代になって再び流行させたのは遠州であった」と述べているだけである。再び流行させたという点を本書で詳述してはいない(私の読み方に見落としがあるのかもしれないが・・・)。
 遠州が石庭に借景技法を積極的に活用していたとしたら、黄金分割比の手法による石庭の配石、つまり西欧手法の導入と借景はどういう意匠・作庭概念として繋がるのだろうか。このあたりについて、筆者の見解を読んでみたかった。
 
 いずれにしても、石庭に臨んで自分で観察し、諸説を想念しながら、著者の仮説を当てはめて感じてみないとだめだろうなと思う。
 地元に住んでいても、なぜか未だこの庭を訪れたことがない(名所になりすぎ観光客が多いという先入観と、いつでも行けるという気持ちから行きそびれている)。
 次は現場でまず見て、思いをめぐらすことにしよう。

 付記
 大山氏の『竜安寺石庭 七つの謎を解く』(講談社・1970/11/16・第1刷)
 七つの謎と大山氏の見解
 1.独立庭園か借景かの謎 :借景式抽象庭園の地割り様式
 2.神秘的な布石の謎   :七五三型式で扇型形状配石、呂律の石組み
 3.石庭面積の謎     :方丈の変転の結果
 4.作庭意図の謎     :7個の中央の一番小さい石を中心点として回転する
              ”動的状態”の一齣を表現しているもの
 5.作庭時期の謎     :1537年ごろと推定
 6.作者の謎       :西芳寺(苔寺)住職 子健
 7.石庭の手本の謎    :常栄寺本堂北面の平庭 ”三山五岳”の配石 雪舟創庭

 書棚にひっそりと眠っていた本。いつか読もうと買ったままだった。何時買ったのやらも記憶にないはるか昔・・・。宮元氏の説を読んだ刺激でふと思い出し、急遽要点を拾い読みした。これを機会に精読してみよう。比較検討・重ね読みを始めたい。


ご一読、ありがとうございます。

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本書から脇道にも入って・・・、以下は、龍安寺関連情報を検索したまとめです。

龍安寺のHP
石庭その他、すばらしい写真がみられます。ちょっと、戸惑わせる工夫がありますね。
ここでは、石庭について「四つの謎」として説明しています。

龍安寺 :ウィキペディア


龍安寺の画像


知られざる物語 京都1200年の旅
2011年12月13日放送 「美しき名庭・龍安寺に隠された謎」 BS朝日


京都もうひとつの歴史 「京都・中国・アメリカ 龍安寺石庭の謎を追う!」

京都の謎 龍安寺石庭 奇跡の地球物語 2010.4.18 

龍安寺石庭  (偶然見つけました。大山平四郎氏の説が底本と推測します。)


京都シルヴプレ 龍安寺 吾唯足知 :Tolliano Rive Droite

京都龍安寺(吾唯足知) :YouTube 動画

吾れ唯だ足るを知る エッセイ 玄侑宗久 :中日新聞/文化面(12面)2009年3月22日

我唯足るを知る──禅の教えとあるアメリカ人 :「まりの想い」(勝井まり氏)

ファイル:Ryoanjitemple.JPG :ウィキペディア

今月の禅語 知足 <遺教経> :~朝日カルチャー「禅語教室」より~


京都デジタルミュージアム  :京都府
「京都文化交流コンベンションビューロー」→「京都迎賓館に生きる伝統的技能」をたどると、9項目に「作庭」についての動画があります。


石庭  :「京都一番乗り」サイトから

龍安寺 石庭と枝垂れ桜 :「京都を歩くアルバム」サイトから

京都龍安寺の紅葉  壁紙写真


「アイ・トラッカーを用いた竜安寺石庭における視線解析」王雲氏修士論文

「Visual Page Rankによる龍安寺石庭解析」 論文オープンアクセス先

「龍安寺石庭における視覚的不協和について」 芸術科学会論文誌から


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