遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『花祀り』  花房観音  無双舎

2013-09-03 12:06:04 | レビュー
 先般読後印象を記した『おんなの日本史修学旅行』の著者のデビュー作を読んだ。
 この本、2011年4月の出版。2010年に本書掲載の「花祀り」で第1回団鬼六賞大賞を受賞したそうだ。団鬼六といえば、知る人ぞ知る・・・・だろう。文学界ではやはり特異な位置づけなのだろう。官能小説、人間のセックス欲望にずばりターゲットを当てたジャンルなのだから。昔、ちょっと覗いた程度で、ずっと遠ざかっていた。

 本書の著者の上掲エッセイ本を読み、奥書でこの本を知り、第1回大賞ということなので、どんな内容かという興味から手に取ってみた次第。団鬼六氏が2011年5月6日に永眠されたとか(遅ればせながら知った・・・・)。鬼団六氏の最晩年に、団鬼六賞が始まったということなのだろう。

 さて、本書はタイトルの受賞作である「花祀り」とこの作品にメンバーの一人として登場する高名な僧侶という設定のエロ坊主を主人公とした小品「花散らし」の2作が本書に収録されている。後者の短編は秀建という坊主の成り上がりプロセスと性嗜好への目覚め、その性嗜好を満たすに至るまでのお話。秀建の人間性が描かれていておもしろい。こんな坊主、探せばいそうな・・・・気にもなる。

 ということで、受賞作「花祀り」はもちろん、ズバリ官能小説だ。このジャンルの本は読んだ数が少ないので、比較基準を明確に持っていない。読後印象としては、それほどどぎついエログロでもない。描写が巧みであるということか。応募数が何本あっての大賞かは知らないが、大賞に選ばれるだけあって、ちゃんとストーリーに筋が通っていて読ませる展開になっている。
 
 「花祀り」は京都が舞台である。プレリュードにあたる書き出しが次の数行である。

 「和菓子は、男を悦ばす女の身体に似ている。
  餅や求肥、寒天に餡に団子、どれも舌触りや感触が柔らかで、香りは淡くて品がある。こんな官能的な食べ物はない--
  和菓子を味わうように、私の身体を舐める『老舗』の主人はそう言った。」

 主人公は31歳になったばかりの桂木美乃。京都を去り、東京都内のカルチャーセンターで和菓子を教えたり、創作和菓子制作も手がける売れっ子になってきている。その道で名を売り始めている存在。その美乃が京都でどういう生き方をしてきたのか、なぜ、東京に離れたのか。そして、再び・・・・という流れである。
 北陸の田舎町から京都の大学に通いはじめ、老舗和菓子屋「松吉」で売り子のアルバイトを始める。それが、和菓子を作る方に興味が湧き、大学卒業後、本格的にその老舗の主人の下で和菓子職人の修業を始めるのだ。それがそもそもの始まり。アルバイト時代から「松吉」の主人、松ヶ崎藤吉は厳しく技術と「心」を教え始め、普通の大学生だと足を踏み入れることのない世界(お茶屋遊び、有名人との交流の場)も体験させる。しかし、これはいわば、表の世界への誘い。
 
 この松ヶ崎藤吉は一流の和菓子の匠であるが、「性という人間に至福を与える快楽の殉教者であり、それのみを絶対的に盲信し崇拝している男」(p175)でもあったのだ。
 菓子職人の道を歩み始めた美乃に松ヶ崎は言う。「お祝いをせなあかんな」そして、大人の世界を学ばねばだめと語る。「大人の世界で一番大事にされとるもん、わかるか?それは、粋、や。そして粋には艶がいる。あんたに一番欠けているもんは、それや」(p40)と。美乃の尊敬する師匠が美乃に「大人の世界を見せる」と言うのだ。それが性の狂乱、セックス・プレイの世界への誘いだったのだ。
 松ヶ崎が主宰する隠れ家での性の供宴。一流の大学教授、世に名を知られた有名人の説法上手で有名な僧侶、高名な茶道家、呉服屋の主人・・・・など。その家に集うのは松ヶ崎の眼鏡に叶う一流人ばかり。だがそこで繰り広げられるのは様々な性行を持った人々の集団セックスプレイ、いわゆる変態的性嗜好という次第。美乃は師匠松ヶ崎に処女を捧げ、性の快楽を知り始める。エロ・グロ取り混ぜたセックス・プレイの始まりということになる。

 この官能世界に松ヶ崎の指示で浸されることになる一方で、和菓子職人の技と心を修業する美乃が、ある段階で京都を離れる決意をする。東京で名前が売れ始めたころ、カルチャースクールの生徒で美乃に敬服し憧れている春菜由芽が、美乃に自分の結婚の話を告げる。それがきっかけとなり、美乃は由芽を京都見物に誘う一方、松ヶ崎に再び連絡をとるのだ。ストーリーが思わぬ形で展開をしていく。
 そして、最後の展開がこれまた意外なものとなる。

 表の世界と裏の世界。仕事の世界と性の営みの世界。ある意味これが人間というコインの裏表か。どちらの世界にも、いろいろあるというところ。

 本書中の興味深い文をご紹介しよう。コインの表と裏の両面をとりまぜて・・・。

*古いものをバカにして切り捨てる人もいるけれど、やはり千年以上残されているものには、普遍の価値があるのだ。消費されず残されるもの。その価値を忘れては大衆に好まれるものは作れない。 p96
*一見、対照的にも思える和と洋を調和させている街、それが京都よ。京菓子もそうなの。京都の和菓子というのは柔軟で、粋なものなら何でも採り入れ調和させている。だから凄いの。 p98
*嫉妬と上昇志向と憎悪、そして劣等感。私のエネルギーは、そこにしかない。
 それらを植えつけたのは松ヶ崎という男の存在だと思っている。そうやって様々なものを美乃の中に刻み込み、支配し、しかも自分を愛さなかった松ヶ崎を、恨んでいた。 p102
*セックスの快楽というものは、五感で感じるものだ-性器の結合だけではない、匂い、触感、視覚、全身の感覚を研ぎ澄まし享受し、味わうのだ。京菓子を味わうのと同じなのだ。そのことも美乃が松ヶ崎から教え込まれた。 p131
*場所や主催者は違えど、昔からこういう場所はあったのだと、松ヶ崎は言っていた。
 欲の深い者達が集い秘密と快楽を共有し、人脈を広げ繋がりそれぞれの仕事に活かしていく。そして彼らが国の政治を、文化を、宗教を動かしていくのだ。  p140
*花と花が触れ重なり、絡み合い、密を溢れさせ香りを漂わせ音楽を奏でていた。
 -それは、まるで、花の祀り華やぎの如く-   p142
    → この一節から、本書タイトルが採られたのだろうか・・・
*女は、怖い生きもんやぁ、性の快楽を享受し、委ねると、ここまで変わるもんなんやなぁ-秀建だけでなく、その場に居る男達が、美乃から漂う魔を帯びた空気に囚われ、怯えを感じながらも、股間を熱くさせ疼かせていた。
 松ヶ崎はんは怖い男や-けど、このお嬢はんも負けへんかもしれんなぁ、これからますますおもろいことに、なるやもしれんなぁ。まだまだ、えらいことになりそうやわぁ-。 p183


 伊藤整の翻訳の出版にあたり、チャタレー事件として最高裁まで争われたあの『チャタレー夫人の恋人』。無修正版の刊行は1960年だったという。20世紀前半と比較すると、性の開放、性描写の自由化はまさに隔世の感あり、というところか。
 ここにも、時代の大きなうねりがある。もともと、一時期、性観念に対する閉塞期があっただけということなのかもしれないが・・・。
 数多のAVを見、AVレビューも手がけるという著者、性への実体験を踏まえた上での小説の創作・妄想の世界への飛翔はどのあたりからなのだろうか、そんなことが気になる。こういう隠された秘密の場所、サロンは現実にも存在するのか、想像世界なのか・・・・


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こんな語句をネット検索してみた。一覧にしておこう。

団鬼六 オフィシャルサイト
団鬼六賞とは :「悦」
団鬼六 :ウィキペディア

官能小説 :ウィキペディア
エログロ :ウィキペディア
エロティシズム :ウィキペディア
Eroticism  :From Wikipedia, the free encyclopedia
Sexual arousal :From Wikipedia, the free encyclopedia
vagina   :From Wikipedia, the free encyclopedia
エロティシズム博物館  (Sogo Hirakawa氏のブログ記事)
サディズム :ウィキペディア
マゾヒズム :ウィキペディア
Sadomasochism :From Wikipedia, the free encyclopedia

チャタレイ夫人の恋人 :ウィキペディア

マルキ・ド・サド :ウィキペディア


著者のブログ: 花房観音 「歌餓鬼抄」
 
こんな特設サイトを見つけた。
花房観音『女の庭』特設サイト|Webマガジン幻冬舎


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