遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『白土三平伝 カムイ伝の真実』 毛利甚八  小学館

2012-03-31 23:09:57 | レビュー
 ビッグコミックオリジナルで『家裁の人』の原作を担当した著者が本書を書いた。
 著者は1986年頃、28歳の時に初めて白土三平に会ったと記す。「恐ろしい人の前に来てしまった、と動転した。・・・・ガチガチに緊張したまま初対面の挨拶をした」そうだ。それ以来、白土三平に魅了されたということが、本書のはしばしに窺える。また、冒頭1ページと210ページに載っている和田悟氏撮影の白土三平の笑顔がすごくいい。
 本書は、著者が2005年から2006年にかけて『カムイ伝全集』刊行のためのプロモーション用に書いた14編の特集記事や他の各誌掲載の記事などに加筆修正を加え、書き下ろしも加えてまとめられたものである。
 つまり、二十有余年の著者と白土三平との関わりが、この一冊に結実したといえよう。
 
 本書を読んでから、本箱の片隅にひっそりと長く眠っていた『カムイ外伝』を引っ張り出し、まずその第1巻を何十年ぶりに改めて再読してみた。実に新鮮な感じである。
 この文庫本のあとがきに白土三平が、・逃亡者としての抜忍少年カムイだけを取り出して、「『少年サンデー』に読み切りふうに発表したのが、この『カムイ外伝』である。宣伝もふくめ、経済的にもよく本伝を支えてくれていたように記憶している」とさらりと記している。その意味が、今回本書を読んで理解できた。

 著者は序で、「白土三平(本名・岡本登)の生い立ちから現在までのライフヒストリーを核としながら、白土三平という創作者がマンガという表現方法を使って追求しようとしたものを探る試みである」と記す。「生い立ちから現在までを、御本人からの聞き書きをもとに」して、実際に白土の生まれ育った各地に足を運び跡づけをして、伝記部分がまとめられている。第1章から第5章までが、白土三平のヒストリー、伝記の記述であり、第7章が白土三平の現況の記述である。そして、第6章に、「外伝とカムイ伝、その第二部を読み解く」として、著者による作品論が挿入されている。
 
 本書の伝記を読み、白土三平の実像に初めて接する機会となった。その生い立ちを読むと、第1章の冒頭が「父ありき」で始まっているのだが、父親の生き方及び白土の生育環境がやはりその作品に大きく影響を及ぼしているのだな感じる。
 絵画を見るのが好きなのだが、白土三平の父・岡本唐貴という画家の絵を今までに見た記憶がない。プロレタリア文学として著名な小林多喜二の『蟹工船』は読んだことがある。必読書の部類のように受け止めていた。しかし、プロレタリア美術運動の画家については学生時代、教科書ですら読んだ記憶が無い。その展覧会を見た記憶も無い。(たまたま、知らないだけかも・・・・今回、ネット検索してみた。)
 特高警察に追われた父、警察の拷問がもとで脊椎カリエスにかかり力仕事のできない父の姿を見つめつつ、疎開先の長野で、父の思想的背景を隠す。そして、家族を支えるために岡本登は弟とともに、山野での「狩猟本能を甦らせ、鍛えて」いく少年時代を過ごしたという。当時の日本の戦時下の状況と重ね併せて考えると、なるほどと納得できる部分が多い。また著者は、「岡本唐貴の芸術生活を詳述するのには理由がある。白土三平の作品世界を構成している豊かな教養は、岡本唐貴の芸術生活から汲み出されたものが多いからだ」(p69)と記す。
 そういう背景がすべて作品の中に投影され、自然に生かされていったと理解できる。

 白土三平が、戦後、焼け跡の左翼少年としてスタートし、紙芝居の時代にその絵を描くことを手始めとし、貸本マンガの時代に入って行く。そこから初の長編マンガ『甲賀武芸帳』、そして『忍者武芸帳 影丸伝』が生み出されていったという。紙芝居からマンガの世界に移行していったのだ。白土の中に「食べるためだけではなくマンガで自分の考えを表現したいという欲望が芽生えて」(p92)いく経緯を本書で知った。この『忍者武芸帳 影丸伝』が白土にとっての最初の金字塔になる。
 本書でさらに、白土三平自身が金を出して雑誌「月刊漫画ガロ」を創刊し、そこで『カムイ伝』を世に問うという経緯も知った。その壮大な実験が、『カムイ伝』第一部を延々と掲載することを可能にし、併行して『カムイ外伝』を創造する契機になったのだ。

 もう一つ認識を新たにしたことは、この「月刊漫画ガロ」が数多の一流漫画家を生み出す母胎となり、彼らに発表の場を与えたことだ。後に『子連れ狼』(原作・小池一夫)でブレークする小島剛夕が『カムイ伝』の下絵とペン入れに携わっていた時期がある。小島剛夕、つげ義春、水木しげる、永島慎二、滝田ゆうその他、多数の漫画家が白土三平と関わり、「ガロ」を作品発表の場とし、そして大きく羽ばたいて行ったという事実である。漫画家による漫画家のためのすごい実験が続けられ、それなりに一世を画していったというすばらしさである。
 昭和という時代のマンガ界において、白土三平がいかにその重要な一翼を結果的に担っていく役割を果たしたのかということを、本書で知ることになった。

 『カムイ伝』は白土により三部作の形で構想されている。著者は『カムイ伝』第一部の内容と経緯を白土の伝記の中に織り交ぜて語っている。この第一部について、ネット検索してみると、松岡正剛氏が、「『カムイ伝』全15巻」という題でかなり詳細にその筋の展開と内容を論じている。そして、第二部については、本書で筆者が作品論としてその内容について論じている。読んでいて大変参考になる。また、田中優子氏が『カムイ伝講義』を上梓され、江戸学研究の視点から論じておられる。
 この三部作、まだ未完である。これからどうなるのか・・・・

 第6章の作品論では、3つの観点で著者は論じている。
 1つは、『カムイ外伝 第二部』や『カムイ伝 第二部』の中で、白土が千葉・内房での漁師の生活、海の民俗から学んだことをどのように作品に反映させているかについて例示する。作品を描きながら、白土が自ら学んだことを作品に取り入れて行くプロセスを分析している。
 2つめは、『カムイ伝 第二部』の前半に隠されたテーマとして”教育”という視点が内在するという。これもいくつか例示して、その教育論の展開を分析している。
 3つめは、白土作品をどのように読み進めることができるかについての一つの提案である。
 尚、これ以外に、白土が神話伝説シリーズを作品化していった点に触れている。ただ、この部分は単に作品紹介に留まり、著者自身の作品論としての展開はない。白土と文化人類学者の山口昌男の対談の内容掲載にとどまる。白土と山口の対談内容は短いが面白いものになっている。
 本書の主たる狙いが伝記にあるからだろうが、作品論としてはほんの導入部にとどまり、白土の生き方と作品の関わりを考える材料として提示しているだけである。著者による作品論と称するには、改めて本格的に論じていく必要があると思う。
 
 本書とネット検索で松岡正剛氏の論評を読み、気になった点が一つある。本書の伝記では、岡本登少年と家族が、疎開先として長野県の小県郡中塩田村(現・上田市八木沢)の蚕室に一旦入居し、「昭和19年の冬、中塩田村から上田の東北にある小県郡長村(おさむら)(現・上田市真田町)へと住まいを移した」(p57)と記されている。松岡正剛氏は表記の小論で、「その岡本一家が戦時中の1944年、長野県の真田村に疎開したのだ。」と記している。長村は通称、真田村と呼ばれてもいたのだろうか・・・・

 本書を読み印象に残る点をいくつか要約して記しておきたい。白土三平を知るための材料にもなる。

*「知らない土地に行くということは、いろんなことに適応しなきゃならないということだった。その土地の方言を覚え、馬鹿にされないために実力をみせなきゃいけない。・・・毎日、緊張していた。」 p42-43 (←白土氏の発言引用より)

*ペンネーム、白土三平の「白土」は長野の旧制中学にいた軍人・白土牛之助の名前だという。「軍国教育を笠に着て生徒に威張り散らしていた教師たちがいざ出征の時に意気消沈するなか、晴れ晴れとした表情で戦地に向かっていった将校」である「白土牛之助の運命に対する清冽な覚悟」への共感からだという。 p44

*長野に疎開した12歳の岡本登少年は、父の思想を知られないようにするという秘密を抱いて生活していた。「国家とそれに対決する個人」という重すぎるテーマが日常生活に組み込まれていたのだ。 p51

*愛国心鼓舞のために、宣伝将校が「このなかで幼年学校に行きたい者は手を挙げてみろ」と怒鳴ったのに、手を挙げず、見咎められると「はい、絵描きになります」と「正直に時代を超越した答え」をしたという。 p55

*『忍者武芸帳 影丸伝』の結末部で影丸のセリフ「われらは遠くから来た。そして遠くまで行くのだ・・・・」。これは全共闘の合い言葉として使われるようになっていった。
 白土は、「あのセリフはゴーギャンの絵の題名から思いついたんだ」という。 p101

*胃潰瘍を患い、昭和42年頃から、一種の転地療法として房総半島に滞在するようになる。やがて、自宅もアトリエもそちらに移す。漁村の暮らしは、白土には初めて見る世界。「白土は持ち前の好奇心を発揮して、さまざまな釣りや漁法を研究し、漁村に残された料理や生活技術に親しみ、漁師たちの生き方を観照するように」なり、「好奇心と探究心を海の民俗に向けていく」。  p127,131

 本書を通じて、白土三平の実像の一端を知ることができた。
 そして改めて、彼の作品を読んでみようという刺激を得ることになった。
 今手許にある『カムイ外伝』の再読から初めてみよう。そして、さらに白土ワールドへ深く入り込む機会を作っていこうと思う。


ご一読ありがとうございます。

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 本書を読み、そこから関連項目をネット検索し、さらに波紋を広げてみた。

白土三平 :ウィキペデイア
岡本唐貴 :ウィキペデイア
岡本唐貴の絵1
同2、 同3、 同4、 同5、 同6

忍者武芸帳 :ウィキペデイア
カムイ伝とは :小学館
  白土三平 画業50年記念出版のPRサイト 
  白土三平の知性、カムイ伝・外伝の歴史というページもあります。
カムイ伝 :ウィキペデイア
カムイ外伝 :ウィキペデイア

『カムイ伝』全15巻 :「松岡正剛の千夜千冊」

『カムイ外伝』予告編 :YouTube
カムイ外伝 :「シネマトゥデイ」
カムイ外伝 - 忍のテーマ -  by Joie :YouTube
カムイ外伝(kamui gaiden)OP ED :YouTube
サスケ(sasuke)OP ED :YouTube
サスケ 忍者の世界では常識は通用しない :YouTube

白土三平ファン・サイト
 このサイトに作品一覧のページがあります。単行本一覧のページも。
    
カムイ伝講義 田中優子さん :asahi.com「著者に会いたい」
カムイ伝から見える日本(前編)(中編)(後編)(総集編):小学館
 
カムイは、今もどこかに潜んでいる :田中優子氏

特別高等警察 :ウィキペディア
陸軍幼年学校 :ウィキペディア
国民勤労報国協力令 :ウィキペディア
国民勤労動員令 :ウィキペディア
アッツ島の玉砕の画像検索結果

在日韓国人・朝鮮人 :ウィキペディア
  :ウィキペディア
非差別 ← 問題 :ウィキペディア

独鈷山 :「日本百低山」

矢部友衛 :「ING」
長野勝一 :ウィキペディア

四方田犬彦 :ウィキペディア
 正岡正剛氏の小論から、『白土三平論』(作品社 2004年)を上梓と知る。
立花 隆  :ウィキペディア
 「白土三平の読書(2)」に『天皇と東大』『マオ』が出てくる。
柄谷行人  :ウィキペディア
 「白土三平の読書(2)」に『世界共和国へ』が出てくる。
佐木隆三  :ウィキペディア
 「白土三平の読書(2)」に『小説 大逆事件』が出てくる。
大逆事件  :ウィキペディア
佐野眞一  :ウィキペディア
 「白土三平の読書(2)」に『阿片王 満州の夜と霧』が出てくる。

小島剛夕  :ウィキペディア
小池一夫  :ウィキペディア
つげ義春  :ウィキペディア
水木しげる :ウィキペディア
永島慎二  :ウィキペディア
滝田ゆう  :ウィキペディア


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