遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『妖怪・憑依・擬人化の文化史』  伊藤慎吾[編]  笠間書院

2017-02-27 22:37:03 | レビュー
 「妖怪」「憑依」「擬人化」というキーワードを並列するタイトルに関心を持ち、読んでみた。最近の関心事項の一つ「妖怪」というキーワードからの触発である。

 本書の編者が「異類の出現するとき-本書の手引き」と題して冒頭に一文を書いている。その一文の最初に、明治時代に劇作家として名を馳せた小山内薫が少年時代に、芭蕉の名句「古池や蛙とびこむ水の音」とかけて「台所道具一つ」と読み解き考え物にしたという例を出す。そこから、認識のしかたに枷(かせ)をはめられていない子供には「観察・鑑賞よりも創造・表現の担い手として時代や社会的な制約を離れて得られる発想があるように思う」と述べる。この小山内薫少年の事例から論を展開し、「生き物を生き物としてだけではなく、それ以外の価値や性格を重ねていく。ここに人間の文化・社会に組み込まれた異類が立ち現れる」という。経験的な想像力を因として、さまざまな形に表現された結果、「生き物以上の性格付けがなされた異類が広まり、定着していく」と編者は捉えている。妖怪、憑依、擬人化という術語を個別研究領域と考えずに、その間にある関係性を考え、これらの背後にある文化的要素を読み解こうという試みが本書だとする。
 「異類」というコトバを、妖怪、憑依、擬人化の上位概念として位置づけて、これら3つの術語の観点を、タコツボ型の別々の研究分析分野とするのではなく、「ガラガラポンと、一緒くたにしてみて」関係性を考えて見ようという発想が本書の基盤になっているようだ。その立場が、アプローチとしてちょっとユニークでおもしろい。

 「あとがき」の冒頭に、本書の執筆者により温度差はあるがと編者は記す。それを私はその記述の仕方に学術的研究スタイルから教養書解説スタイルまでの幅があるという意味に捉えた。編者は本書を純然たる学術書、論文集のつもりで編集したものではないと断っている。執筆者が「それぞれの専門の立場から、一般読者に日本の<異類>をめぐる文化の面白さを伝えるという目的意識をもって書いたものである」という。
 コラムとしてまとめられている文は肩の凝らない教養知識スタイルの解説文であるが、設定テーマに対して論述された稿は、そう言われてもやはり、かなりやわらかめにわかりやすく書かれた論文という風に、一般読者視点では思ってしまう。学術書の論文にある硬さをあまり感じないのは事実である。「コラム」がたくさん入っているので、「論文集」ではないということなのかも知れない。一応ここでは「論文」というコトバを使う。

 本書は古代から近現代まで専門分野を異とする人々が、「異類の会」と称される勉強会に集い、50回にも及んだところで、論議の成果を分担してまとめたものという。
 編者が最初に総論として「異類文化学への誘い」を記す。
 そのあとに、「Ⅰ妖怪」「Ⅱ憑依」「Ⅲ 擬人化」という術語の観点から、三部構成で大変バラエティに富んだ論文とコラム記事がまとめられている。各部には4本ずつ、コラムが載せてある。やはり一般読者には、本書中の論文よりもコラムの方が読みやすいのは間違いない。

 読みやすいコラムの方から少し触れると、コラムの正式タイトルに対して、目次にはその省略形のキーワードが上に並記されている。どんな内容のコラムがあるか? キーワードを列挙しておこう。
 Ⅰ 妖怪 :「ねこまた」「くだん」「妖怪ウォッチ」「東方キャラ」
 Ⅱ 憑依 :「狐憑き」「馬の神の託宣」「犬神着き」「実話怪談・都市伝説」
 Ⅲ 擬人化:「花月往来」「近世擬人物」「妖怪擬人化」「擬人化コスプレ」
このキーワードを見るだけで、かなりバラエティに富む視点からコラム記事もアプローチされていることがおわかりいただけるだろう。

 各部の構成は、まず「総説」が語られ、その後に論文とコラムがサンドイッチ型に交互する。論文だけでいえば、妖怪分野2本、憑依分野2本,擬人化分野3本と、合計7本の論文が含まれている。目次を見ると、論文は「前近代から現代へ」「現代から前近代へ」といういずれかのアプローチ・スタイルで語られていることが示唆されている。最後の一論文だけは「西洋の擬人化事情」という視点での分析である。尚、これらのフレーズは論文のタイトルのところでは明示されていない。各論文の読後印象を簡略にご紹介する。(紹介にあたり、見出しは目次スタイルで明示する。)

総論 異類文化額への誘い
 アニメ映画『風の谷のナウシカ』から語り始められ、中世の文献から現代のコミックスまで分析の材料は幅広い。そして、「動物の物語と職業」「アニマル・コミュニケ-ション」「前世・転生譚」「動物との共生」「人間との関わり方」の視点から語られている。人間に対する異類であり、「異類として表現された実在/非実在の動物は人間から離れて存在しない」と結論づけている。三部構成の中に収められた論文は、異類が日本の精神文化を映し出す鏡になっているのだと言う点を論じているとする。各著者の名を敬称略で付記する。

  Ⅰ 妖怪
◎総説 描かれる異類たち -妖怪画の変遷史  板倉義之
 現在の妖怪ブームを通覧し、古代社会から御霊や物の怪の実在が信じられてきた点に遡る。それが絵画として造形化されるのは中世の絵巻物の製作からだと各種絵巻を列挙して論じていて、どの絵巻をみると良いかが良くわかる。江戸の言い回しに「野暮と化け物は箱根から西」というのがあるという。初めて知った。化け物は子供だましな存在という共通理解が近世に江戸で成立していたと説く。そして、『画図百鬼夜行』(鳥山石燕)あたりから化け物が「分類」と「パロディ」の対象に変遷していくとする。「妖怪」という語は、明治の井上円了が「妖怪学」を提唱して、そこからできた用語だということに触れている。戦後に妖怪が再発明されたという経緯が簡潔に記されていて、流れがつかみやすい。

◎前近代から現代へ 変貌するヌエ  杉山和也
 平安時代末期の源頼政によるヌエ退治という話は、謡曲「鵺」にもなり、有名である。『万葉集』にヌエを詠み込んだ歌があるというのを、この論文で初めて知った。鳥としてのヌエのイメージがどのように変容し、妖怪「ヌエ」が生み出されたかが跡づけられていておもしろい。分析に取り上げられた古典の書名を挙げておこう。『古事記』『万葉集』『堤中納言物語』『山家集』『今昔物語』『平家物語』『十訓抄』『太平広記』などであある。
 親しむべき鳥ヌエが不吉な忌むべき鳥という認識に転換し、鳥としてのヌエから妖怪としてのヌエが創造された経緯が分析されている。後者の転換点の要因を著者は「頼政ヌエ退治説話が様々に語られて行く中で、頼政の武勇を強調する脚色が多分に付された結果であると考えられる」と結んでいる。原文を挙げて変容プロセスを分析していくところが興味深い。

◎現代から前近代へ ゆるキャラとフォークロア -ゆるキャラに擬人化される民間伝承                  板倉義之
 ”滋賀県大津市の「ひこにゃん」”と単純誤植があるのが、ゆるい校正でいただけないが、「ゆるキャラグランプリ2014」出場キャラのリストを4ページにわたって載せているのがまずおもしろい。著者はゆるキャラが民俗事象、フォークロアの擬人化としての設計と捉える。「擬人化は、一目でそれと分かるような象徴を提示することにより、登場人物にある属性を付加する表現技法である」と定義づける。ゆるキャラがどのように発想されて設計されたか、それが成功した要因を探っていて興味深い。
「ゆるキャラの作られ方をつぶさに読みこむことで、作り手や送り手たちが何をその伝承の本質的な部分であるとみなしているかを読み取りうるはずである。つまりゆるキャラは、郷土の歴史や文化そのものの擬人化といえるのだ」と結論づける。何となく直観的に楽しんでいるだけのゆるキャラも、日本文化の表現技法の一つなんだと、納得する。ゆるキャラを通じて、自然に各地の郷土史や文化に触れているんだ・・・・・。

  Ⅱ 憑依
◎総論 憑依する霊獣たち -憑き物、神使、コックリさん-   今井秀和
 動物が神の使いとなる一方で、生きている動物の霊が人間に取り憑くということがよく言われてきた。特に、狐がよく引き合いに出される。この論文では、「狐憑きの歴史」「稲荷信仰と狐憑き」からまず分析され、様々な動物の憑依について論を進めていく。恒常的に人に憑く狐にも種類があるというのがおもしろい。「コックリさん」というコトバは伝聞で知っていたが、それは「明治期、心霊学におけるテーブルターニングという降霊術の一種が輸入され、日本で『告理』と名付けられ」たことに由来するそうである。それがまもなく「コックリさん」になったという。「コックリ」に「狐狗狸」という漢字を当てるようにもなったという説明を読み、おもしろいと思う。もう一点、「娯楽としての憑依信仰の要素」という側面の継承についても触れていて興味深い。

◎前近代から現代へ 狐憑き -近世の憑きもの・クダ狐を中心に 佐伯和香子
 この論文では、「狐憑き」のうち、近世のクダ狐の事例を中心に論じられている。この論文で、「クダ狐」というコトバを初めて知った。「クダ狐は、長野県伊那地方を中心に、神奈川県や千葉県などの関東地方にまで広がりをみせた動物」だという。古代・中世に遡って、狐憑きの現象の記述文献を例示して、分析説明がなされる。古代以降、人々が狐憑き、クダ狐に様々に関心を抱き、影響を受けてきた状況がわかる。クダ狐の姿絵まで紹介されていておもしろい。
 狐が特定の家筋にまとわりつくという考え方が歴然としてあったようだ。その狐持ちが「ヲサキ狐」の狐持ちについて記録されていて、クダ狐と同類の認識があったという。さらに、狐持ちが富をもたらすという側面と、忌み嫌われる災いをもたらす側面との両面で事例があるというのは興味深いところである。「クダ狐落としの方法」まで記された書物があるようだ。狐持ちとみなすことで差別の対象とすることは問題だが、なおその問題が残っていると論じている。一方で、「管狐」をかわいらしいキャラクターに変容させる現象が平成になって、マンガやゲームにみられるという。この面白い分析で論を終えている。

◎現代から前近代へ ペットの憑霊 -犬馬の口寄せからあぺっとリーディングまで
                  今井秀和
 犬や猫などのペット動物が現代の日本では「家族の一員」として扱われていることは、犬・猫ブームからもわかる。この論文では、ペットの准人間化に伴う様々な現象が観察されている。「死後の世界を信じる人々の間ではペットの葬送はもとより、死んだペットの魂の行方も重大な関心事なのである」という側面から江戸期のペット文化を論じ、動物の口寄せという巫女たちの行為に論及する。江戸期にもいろんなことが行われていたことがわかって、おもしろい。そして、現代はアニマル・コミュニケ-ションとかペットリーディングという用語に変身して、古来の憑依信仰が変容しながら継承されている側面がある点に触れている。精神文化の基盤の無意識な継承というものが文化には根強くあるのかもしれないと思う。千年経とうが、根っ子部分は簡単には断絶、消滅せず、時代に併せて変容した形で見えるだけなのかも・・・・。そんな思いを抱かせる。


  Ⅲ 擬人化
◎擬人化された異類  伊藤慎吾
 冒頭に、童話の「猿蟹合戦」を擬人化の典型例としてとりあげている。これは誰にもピンとくる好例である。そして、擬人化された異類を歴史的に捉えるためには、「譬喩・たとえ」という側面と「霊魂観」の側面を主要な要素として押さえておくことが必要として、この2つの側面について論及していく。仏典、説話集、物語文学、絵巻・絵画などを縦横に事例として引用し、分析が為される。「物の精は妖怪の一種ではなく、擬人化キャラクター」として捉えていく。そして、「擬人化キャラクターは、<たとえ>が具体化した架空の存在」であり、「物語世界という文脈で存在することを論じている。それに対し、「妖怪は原則として現実に存在するものとして描かれる」。この峻別をなるほどと思う。
 「目に見えないものを視覚化する擬人化表現は近世に至ってようやく盛んになっていく」と分析し、神格化ではなく人格化の流れを読み解いている。
 江戸時代に「医術車輪書」という書で、病と薬が擬人化して合戦しているテーマが展開されているそうだ。それが、形を変えて、現代の医薬品や洗剤のCMで日々擬人化されたものが放映されている点を指摘している。本質部分は変わっていない擬人化の表現内容を、今風なアレンジで見せているにすぎないというのが良く分かってくる。
 また、末尾は興味深い指摘で締めくくられている。これは指摘だけにとどまっているのだが。引用しておく。「また現代は2000年前後に<萌え擬人化>の動向が大いに開拓されていき、児童文化を中心とした擬人化表現の展開とは異なる領域が現れてきた」と。

◎前近代から現代へ 擬人化された鼠のいる風景 -お伽草子「隠れ里」再考
           塩川和広
 お伽草子『隠れ里』そのものを知らなかったので、まずはそのこと自体から興味深く読んだ。中世以来、食べ物を荒される鼠害に人々がどれくらい困っていて、その鼠を擬人化した物語をうみだしたかを面白く読めた。擬人化された鼠について、著者は動物そのままの姿と人間と動物の中間にあたる異形の姿との2つの図像で描き分けている部分に着目して論じている。そして、『隠れ里』では、鼠害と福という鼠の持つ二面性からこの草子を描こうとしたところに特徴があると分析している。「描かれた異類の世界は、人間の社会から独立したものではなく、むしろ両者が地続きである」と結論づける。
 お伽草子の読み解き方、分析のしかたとして、興味深い。

◎現代から前近代へ 物語歌の擬人化表現 -意識とコミックソングのはざまで-
           伊藤慎吾
 物語歌には様々ある。童謡「ぞうさん」や「七つの子」を皮切りにして、一人称語りで擬人化された歌謡曲に触れていく。歌謡曲でとりわけ多いのは鳥に例えるケースだという。「譬喩表現としての異類」として「小鳩」を歌詞に登場させた歌謡曲などが例示される。もう一つ、「キャラクターとしての異類」の事例として「およげ!たいやきくん」の歌詞内容が「一人称語り」として分析されていき、おもしろい。
 「一人称語り」と対比する形で、「対話形式」に論及されていく。そこで平安時代後期の『梁塵秘抄』の歌に言及されて行き、前近代の擬人化表現に及んでいくことになる。「問いかけ」「問答体」「叙事的形式」というタイプの違う擬人化表現の分析がされる。これらが前近代と現代の事例を対比させながら論じられるので、読みやすくかつわかりやすい。
 そして、ふたたび「たいやきくんのぼやき」に戻って行く。擬人化表現のもつおもしろみがよくわかる論文だ。
 「コミックソングは世代を越えて楽しめるものである。しかも荒唐無稽さをむしろ前面に出しているものだから、異類の物語歌はこのジャンルにおいて引き継がれていくことになる」と結論づける。しかし、一方「コミックソングはアニメやゲームの歌との境界が曖昧になってきているように思われる」という点に着目してもいる。

◎西欧の擬人化事情 西欧の擬人化表現と日本漫画の影響  伊藤信博 
 西欧で日本の漫画に人気が出ている。『陰陽師』を筆頭にして、少年漫画を中心に人気がでているという。だがそこには「人間と『不思議なもの』が一つの世界の中で、一緒に活動したり、『争う』物語が多かったりする」という特徴が見られると分析する。
 そこから、中世キリスト教社会における擬人化の表現について、池上俊一著『動物裁判』(講談社現代新書)や『日々の賛歌・霊魂をめぐる戦い』(ブルディンティウス著・創文社)、『西洋中世の罪と罰』(阿部謹也著・弘文堂)などの本を題材として、読み解いていく。そして、西欧の民話、物語、神話から事例を引用し、「狼のイメージと先行宗教」を見つめ、読み解いている。
 「西欧を理解する『鍵』は、万能の神の存在や神が創造した森羅万象の頂点に立つ人間の『罪』の意識である」とし、中世西欧の擬人化されたものをキリスト教社会の規範・規律との関係で読み解く必要性、あるいは先行宗教、つまりギリシャ・ローマの多神教的世界との関係で読み解く必要性を語っている。
 逆にいえば、その関係性で擬人化を考える故に、発想の枷がそこに生じているとみなしているようである。だから、彼らの常識、世界観の基準外にある日本の漫画に人気があるのだと言う。「現代と交差しながらも、同時多発的な、過去やまたは別の世界と調和して描いている、異国情緒溢れる日本の作品が、人気になるのは、当然のことと感じるのである。」と。
 この最後の指摘は、「本書の手引き」冒頭にあった小山内薫少年の「古池や」と掛けて「台所道具一つ」と解くという謎掛けに連環していく接点があるように思う。
 既存の制約から離れる発想という接点である。

 本書を読み、「異類」という上位概念で、妖怪・憑依・擬人化をひとくくりにした発想が、この領域を豊かにしていく契機になる気がした。文化の基盤は連綿と継続し継承され、その表象のしかたは、時代の好みと連動して変容していくようだ。「文化」という概念のおもしろさはそこにあるのかもしれない。
 形を変えた「異類」はどんどん生まれてくるのではなかろうか。

 各論文の著者名をご紹介した。コラム記事の執筆は論文執筆者が兼ねているが、コラム記事だけを執筆された著者をご紹介しておきたい。「ネコマタとその尻尾の描写の変遷」(毛利恵太)、「『くだん』が何を言っているかわからない件」と「犬神系の一族」(永島大輝)、「『花月往来』の魅力-花と月の合戦-」(北林茉莉代)の諸氏である。

 最後に、本書では「参考文献ガイド」が簡単なガイダンス付でまとめられている。
 さらにもう一つユニークなのは、「異類文化史年表」が作成されていることである。なんと21ページに及ぶ年表で、たぶん類例は無いだろうと思う。『日本書紀』に出てくる土蜘蛛から始まり、古典書、絵画、小説、マンガ・・・などに異類が出現した時期のオンパレード年表なのだ。ここだけ読んでもおもしろいのではないか。

 ご一読ありがとうございます。
 
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補遺
井上円了  :ウィキペディア
妖怪学  井上円了 :「青空文庫」
井上円了の妖怪学  三浦節夫氏   論文
鳥山石燕  :ウィキペディア
百鬼夜行 3巻拾遺3巻 :「国立国会図書館デジタルコレクション」
妖怪うぃき的 妖怪図鑑  ホームページ
百鬼夜行  :ウィキペディア
ゲゲゲの鬼太郎  :ウィキペディア
憑依  :ウィキペディア
憑依  :「コトバンク」
イタコ :ウィキペディア
憑依体質の人に共通する12の特徴  :「セレンディピティ」
憑依現象と徐霊について  :「霊性進化の道-スピリチュアリズム」
擬人化の人気まとめ一覧  :「NAVERまとめ」
擬人化  :ウィキペディア
萌え擬人化  :ウィキペディア

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