遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『軍神の血脈 楠木正成秘伝』   高田崇史  講談社

2017-02-22 13:53:41 | レビュー
 鎌倉時代と室町時代のはざまに生じた「南北朝時代」というある種特異な時代に名を馳せた楠木正成という存在。時代の変遷に応じてその評価がまさに毀誉褒貶してきた人物である。楠木正成の謎を解くことが、早乙女修吉が襲われた事件の解明に直結するというミステリー小説である。歴史ミステリー好きには楽しめると思う。

 鎌倉時代末期に、後醍醐天皇の倒幕計画に楠木正成は加担する。笠置山の戦いで敗れた後醍醐天皇は隠岐に配流されるが、翌年隠岐を脱出する。足利尊氏や新田義貞も後醍醐天皇側に加わることで、鎌倉幕府は滅びる。「元弘の変」と称されるものである。後醍醐天皇は「建武の新政」を行うが、後醍醐天皇と足利尊氏が対立する形に進展する。楠木正成は一貫して後醍醐天皇側(南朝)につく。鎌倉幕府が立てた光厳天皇(北朝)を足利尊氏が支える形で南北朝時代が始まる。南北朝対立のさ中、「湊川の戦い」で楠木正成は敗れ自害したと言われる。南北朝の争いは、そののち後亀山天皇(南朝)の代で1392年に南北朝合一となり、北朝側の勝利に帰す。北朝の後小松天皇の代である。
 正成は南朝側に尽くしたために朝敵とされ、1559年に赦免嘆願を受け止めた正親町天皇の勅免で朝敵ではなくなる。江戸時代には、水戸学の立場・尊皇思想から、正成は忠臣と見直される。そして、明治以降は「大楠公」と呼ばれるようになる。また、各地で神として祀られるようになる。いわゆる「忠臣の鑑」であり、軍神と位置づけられていく。だが、第二次大戦後は、価値観の転換と中世史研究の進展の中で、楠木正成像の再検討が始まる。悪党の性格側面が強調すらされるようになる。
 そのように評価が二転三転する楠木正成の存在、その生き様における謎を中軸に据えて、早乙女修吉が命の瀬戸際に居る中での時間との闘いによる謎の事件解明ストーリーが展開する。史実の隙間に著者独自の仮説を織り込み、楠木正成像に新たな視点を投げかけていて、興味深い。

 ストーリーの構成は過去と現在がサンドウィッチ型になっている。プロローグとエピローグは、過去時点の場面描写である。湊川の戦いで楠木正成が自害し、その首を大森彦七盛長が足利直義の陣前に持参する。正成の顔を知るのは尊氏ただ一人。尊氏が首実検をするというストーリーが進展する。
 一方本筋は、国立能楽堂で早乙女修吉が「鵺(ぬえ)」という能の演目を観劇する場面から始まる。観劇中に、鵺を演じるシテが舞台上で、ドン、と足を踏みならしたその瞬間に、唐突で突飛な考えが、天から舞い降りてきたかのように、湧き出でてくる。修吉が心中に抱いていた南朝の大忠臣・楠木正成に関する疑問点が突然氷解するのである。だが、それは修吉を悲劇に陥れる原因になる。
 修吉はいつもの習慣としている散歩中に、何者かに襲われて、おそらくプッシュ型注射器を使ったと思われる筋注で、アルカロイド系毒物を打たれて危篤状態に陥る。毒物の成分は判明しない。神宮医大病院の集中治療室で処置を受けるが、半日持つかどうかの危険な状態になる。

 早乙女修吉は孫の早乙女瑠璃に、『太平記』を手渡しそれを読めという課題を与えていた。瑠璃が読み終えたら、修吉は自分が観能中に啓示を得た楠木正成に関する疑問点氷解の内容について話すつもりでいたようなのだ。事件発生後に、瑠璃はそうではないかと推察する。
 瑠璃という名前は修吉が名づけ親である。瑠璃自身は画数の多い難字の名前に辟易とした思いを抱き、その由来すら聞かされたことがない。瑠璃は冷たい祖父という思いを抱き続けてきた。
 その瑠璃が電話で祖父危篤の連絡を受け、病院に駆けつける。瑠璃は神宮医大病院の薬剤師である。
 駆けつけた病院で偶然に高校時代の同級生、山本京一郎に出会う。京一郎に声を掛けられたのだ。京一郎はフリーのライター。歴史作家になっていた。病院に骨折の治療に来ている担当編集者にゲラを直接渡しに来たのだという。
 瑠璃は京一郎が『太平記』を読んでいて、わりと得意な時代だと知る。そこで、瑠璃が京一郎に一人で考えるには時間がないので協力を頼む。ここから、謎解きストーリーが展開していく。

 この小説の構想は、ダン・ブラウンの小説、ハーバード大学教授のロバート・ラングドンが、ある種のヒント、キーワードを手がかりに史実を結び付けて謎解きでローマ市内や、特定の都市内を駆け巡るといういくつかのストーリー展開に通じる側面がある。
 瑠璃はアルカロイド系の毒物の正体を解明し、危篤状態の祖父を生還させるためにも、祖父が事件発生前の直近に瑠璃に与えた『太平記』についての課題。そこに含まれた謎を解明する必要があると判断する。修吉は瑠璃に「楠木正成に関する部分を読んでおけ」と言っていたのである。
 この小説では、いくつかの手がかりから、東京都内とその周辺を京一郎のジープで駆け巡り、謎の究明をするという展開になる。時間との勝負の中でのこの駆け巡りがおもしろい。関東にある名所・史跡と楠木正成の関わり探索という歴史ミステリー側面がまず興味深い。

 その謎解きのスタートラインとなる情報がある。ベースは『太平記』の楠木正成に関わる内容だ。それに加えて2つの情報を瑠璃は入手する。
1.瑠璃が病院に駆けつけたとき、父の功が瑠璃に名刺ほどの大きさの紙が印刷されたコピー用紙を示す。そこには「楠木」という名前をデザイン化したような形が描かれていた。南という字を中にして両側に木という字が結合した形である。祖父のシャツのポケットに名刺大のその紙が入っていたという。これが何を意味するのか? 瑠璃は楠木正成との関連が?とドキリとする。
2.瑠璃は京一郎のジープに乗り、マンションに『太平記』を取りに戻る。マンションから出て来たところを、瑠璃は一人の男に飛びかかられる。危ういところを京一郎が助ける。『太平記』を受けとった京一郎がパラパラ本とページをめくっていると、一枚のメモ書きがハラリと落ちた。それは修吉の書いたメモだった。
  『辨財天 - 瑠璃。
   増長から持国
   神- 国 - 霊。正成の顔は・・・・・』

 これらを手がかりにして、瑠璃と京一郎は、東京を駆け巡る羽目になる。
 
 京一郎は、結婚して四国の今治に住む姉の千裕に電話連絡をして大森彦七盛長についての調査を頼む。姉は大学で日本史を専攻し、大学院まで行っている。この姉の知識と行動力が大きなサポ-トになっていく。

 大正15年生まれの祖父修吉は、自ら志願して神風特攻隊員となった。だが、特攻直前、紙一重の所で終戦を迎えたという経験をしている。

 この小説の興味深いと私が思うところをいくつか列挙しておきたい。
1. 著者の立論、仮説自体のおもしろさ。それとともに、南北朝期の後醍醐天皇、楠木正成、足利尊氏らに関する史実の側面が学べること。

2. このフィクションの設定で、実在するさまざまな名所・史跡が駆け巡られる。瑠璃と京一郎が訪れた場所を結んでいくと、おもしろい図形が現出する。
 この小説自体を横に置いたとしても、その描き出された図形がおもしろい。そこには、もともとそうする設定を誰かが意図したという背景があるのだろうか? 

3. 楠木正成の旗指物「非理法権天」について、京一郎の解釈だとして、おもしろい解釈を最後に付録のようにして書き込んでいること。
  
4. 瑠璃と京一郎の東京での駈け巡りが、副産物として、読者には史跡案内、観光案内的な情報源にもなること。これはダン・ブラウンの小説の副産物と同じ次元での読者へのおまけと言える。

5. 主人公である瑠璃の名前の由来が解き明かされること。また、瑠璃からみた祖父との関わりかたが、実は祖父自体の理由から全く別の解釈状況が生じてくること。そこには祖父の孫に対する愛情があり、祖父の自制心の発露だったことが最後にわかるという次第。
6. 観阿弥の出自について、楠木正成の血脈と関わる可能性の論議を紹介していること。

 最後に、このストーリーのメインは、瑠璃の部屋の固定電話の呼び出し音が午前7時前に鳴り、3時間弱しか寝ていない瑠璃をたたき起こすところから始まり、午後3時前後までの時間との闘いでもある。その間の謎解き駆け巡りストーリーである。
 この現在と過去のストーリーの関わり方と終わり方を楽しんでいただくのがよいだろう。著者の仮説提起が余韻としてのこる。まさに「秘伝」なのだ。
 
 ご一読ありがとうございます。

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補遺
楠木正成 :ウィキペディア
楠木正成 :「コトバンク」
あの人の人生を知ろう ~ 楠木 正成 :「文芸ジャンキー・パラダイス」
後醍醐天皇 :ウィキペディア
後醍醐天皇 :「コトバンク」
足利尊氏  :ウィキペディア
足利尊氏  :「コトバンク」
大森盛長  :ウィキペディア
大森彦七  :「コトバンク」
大森彦七  :「常に此の 磐に滿津る 文字なり」 
大森彦七道に怪異に逢ふ図  :「妖怪図鑑」
湊川神社の由緒 :「湊川神社」
湊川神社  :ウィキペディア
四條畷神社 :「玄松子の記憶」
四條畷神社 :ウィキペディア

鵺 曲目解説 :「鐵仙会」
能「鵺」全文現代語訳  :「立命館大学能楽部」

菊水作戦 :ウィキペディア
沖縄戦の神風特攻隊 1945 Kamikaze :「鳥飼行博研究室」
神風特攻隊 第二御楯隊の編成と出撃 :「海軍飛行場 香取航空基地」
第二御楯隊の碑  青木泉蔵氏  :「なにわ会」

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