1分で読める小さなお寺の法話集

子育て、人材育成に関する法話を実話と歴史から紐解いて書いております。

【住職の法話。考え方を少し変えるだけで、苦しい人生が、t楽しい人生に】 今日は、過去の法話を、臨時法話として投稿を。

2023-06-28 07:18:00 | 法話
【この法話は、昨年10月21日に投稿したものですが、供養と納骨堂に関する考え方を、問うてこられる読者が結構におられますので、再度、この法話を。7月施餓鬼盆、8月盂蘭盆、9秋のお彼岸と続くからですかね。臨時法話】

読者が「毎日投稿される法話を読み始めて3ヶ月程になりますが、住職はお寺に勤めて、何年程になりますか」と。「約40年、ですかね」「今と昔で大きく変わった点は、何ですか」「やはり1番は、看護協会から講演に何度か呼ばれた時、方々の大病院の看護師さん達が、病院で他界の親の遺体を『いらん』と、引取拒否する子供がいる、と聞かされた事ですかね」と。

対し、この読者が「えっ、それって本当の話ですか」と。「病院側が親の遺体を受けに来ない子供に電話をすると『要らん』と返事を。人がそう動くには、必ず、そう動くだけの理由があります。捨てられる様な事をした親なのかも。だが、子供が引き取らねば、病院、福祉が、後の始末を。死んだ人間が自力で歩いて、火葬場には行けない。家庭問題、親子喧嘩に第三者は何の関係もない。例えどんな理由があろうと、他者に迷惑(費用、手間)を掛けて、平気でいる子供の人間性を疑いますよね」と。

更に「他にも、病院から直接火葬場に向かい、遺骨をそこに捨ててくる子供や、遺骨は一応持って帰るが、住所、氏名が記されてある埋葬許可証を抜いて、電車の中や、家庭ごみ収集場所に置き捨てる子供も。それも少ない数ではない。ある自治体では2017年度、身元が判明の捨て遺骨51柱の内、引き取りに来たは1柱だけと。ここまでとは言わずとも、これに近い事例は、拙僧の耳に幾つも。子供や孫が祖父母に対するそんな親の行動を見て、命の尊さを勉強出来るはずがない。ある中学生が『人間死んだら、ゴミ処理と一緒か』と放った言葉には衝撃を覚えました。何か、悲しいですよね。だけど、拙僧の今回のこの話は、こうした問題のほんの一部に過ぎません。お寺側(住職)の責任問題も当然、問われています。人間関係が希薄になってきたも、こうした事が要因の1つになっているのかな、と思わん事も。また、機会があれば、おいおいこの話を」と、この読者に。

【追伸、こんな事例も】

檀家が住む分譲マンションで、1人暮らしの老人(男性)が孤独死を。檀家が曰く「福祉の人が子供に連絡すると『葬式はそっちでやって、遺骨だけを持ってこい』と、その福祉の人に命令口調で。その3ヶ月後、その老人の息子家族が、分譲マンションに何食わぬ顔で引っ越して来た。マンションの住人は皆、事情を承知。が、悪びれもせず、こちらから挨拶しても、挨拶を返す事は一切なし」と。似た様なケースを拙僧、何度か耳に。

以前、こうした法話を投稿すると、親に酷い仕打ちをした子供の方を、擁護するメールを送ってよこしてきた人達が。どうも、その人達の反論の内容を聞いていると、これに似た様な事を親に対して、しておったようで。人間は、人に言われて腹が立つ時は、自分に身に覚えがあるから、なのかな。人間は皆、事情を抱えております。事情の塊が人間であるに、間違いはありませんが、正当化するにも、限度というものが、ありますよね。

【わが寺での納骨堂契約】

読者が「住職は檀家さんには、大変厳しそうですが、納骨堂の契約の時もやはり、厳しいのですか」と。「別に、普通通りにしていたら、何も厳しい事は言いませんよ。ただ、わが寺の納骨堂契約書には『金剛寺の納骨堂は、要らない物を置かせる場所、要らない物を捨てる場所、に非ず。姥捨山の如き扱いをしたら即、遺骨は突き返す』の文言が記してあります。過去に2家、突き返した家が。数日後『2度とこんな事はしませんから』と、その家の人達がお寺に。対し、拙僧『他の家は家族で参拝してきて、先祖に声掛けを。あなたの家だけだよ、ほったらかしているのは。本堂に上がって、手を合わせい、とまでは言わん。せめて、祖父母や親に声掛けを。この家の故人達を皆、知ってるから、気の毒でならん』と。すると、その後は毎月、納骨堂に参拝を。どんな心で来てるかは知らんですよ。『あの坊主、うるせえ。行っときゃ、文句ねえだろ』かもしれません。ところが、毎月行き出すと、今度は行かないと気になり始めます。習慣付けさせるが、住職の役目にて。手を合わせて、頭を下げるという習慣は、特に、幼児、子供にとっては、非常に大事な事。これで、命の尊さと命の流れに対する感謝が、身に宿っていきますもんね」と。

次回の通常法話は、6月30日になります。




【住職の法話。考え方を少し変えるだけで、苦しい人生が、楽しい人生に】 一昨日も、中学校の先生がお寺に。教育現場の実態を赤裸々に。教育現場が崩壊しない様に、何か手を打つ必要が。

2023-06-22 08:35:20 | 法話
【6月25日投稿分】

大津市の中学2年生男子が、いじめによって自殺を。それがきっかけで『いじめ防止対策推進法』が成立して、今年で10年に。その中学生の父親が先日、テレビで「あれから10年。いじめ問題はなんの進展も。わが子の死を無駄にしてもらいたくない」のニュアンスの言葉を涙声で。

2021年に認知した『いじめ』について、児童1000人当たりの件数を毎日新聞が調べたところ、33自治体の間で、約30倍の差(いじめ件数)がある事が判明したと。これは『認知したいじめ』が少ない自治体では『いじめ』が見逃されているのではないのか、と専門家が。

『いじめ防止対策推進法』が出来た頃、今から約10年程前ですかね、東京から「死にたい」と言う13歳の男の子を連れて、両親が拙僧のところ(寺)へ相談に。話の流れから、この子の父親が「住職は、転校しろ、と言われるが、次の学校でも『いじめ』にあったら、どうするんですか」と。「また、転校すればいい」「更に、次の学校でもいじめられたら」「安息地が見つかるまで、何度でも転校すればいい」「それじゃ、こいつ(自分の息子)は、何に対しても逃げる様な人間に」と父親が。「あなたの息子が自殺した後に、そんな言葉をその時に、また出せますかい。拙僧は『逃げろ』と言ってる訳じゃない。『自分の命を守りな』と言ってるだけ。何度注意をしても、そのいじめっ子達に聞く耳などはない。自分がいじめの対象になって、辛い思いをしないとわからん。人は教えられても、身に付かん。人は気付かにゃ、身に付かん。こんな『いじめ』をしてくる人間に、自分の命(人生)を代償にしてまで、付き合う必要などない、と言ってるだけですよ。人間は1度死んだら、2度と生き返ってはこれませんよ」と、この父親に。

その3ヶ月後、この13歳の男の子から嬉しそうに電話があり「次の学校で幸せな学生生活を送っています」と。父親は拙僧に相談に来た後、東京に帰って、即、転校手続きをとり、自分は1人東京に残り、母親と息子さんを他地域の学校へ。その父親も電話に出てこられ「息子の変わり様を見て、転校をさせたは正解であった、と思いました。有難うございました」と拙僧に。

拙僧のところ(お寺)へ、これまでに来られた自殺相談者は少なからず。が、相談に来る人は、まだ生きていたい、という気持ちが。よって、その行為に至った人は運良く、拙僧が相談を受けた中にはいなかった。相談が出来る相手が『いる、いない』だけでも、大きく結果が違ってくる様な気がしますね。但し、拙僧の範疇(相談を受けた)に限った事ですが、自殺に至った、自殺まで至らなかった、数十人の内の大半が、いじめではなく、親子(家庭内問題)関係にて。因みに、外国では、いじめっ子の方を転校させる方策が、取られている国もあるとか。何故か、どうしてか日本は、被害者よりも、加害者の方を擁護する傾向が。ただ単に、幸せな人生を望んでいただけの人の命を、死ななくてもよかった人の命を、そんな人の将来(未来)の全てを奪ったのに。

教育委員会から依頼を受け、拙僧、講演に呼ばれた事が何度か。その時、参加の教諭陣に「わが寺の檀家に、先生(同僚)達からのいじめを受け、精神疾患となり、休職して長期入院した男性が、2人。『いじめはするな』と生徒を指導している先生達が、先生間でいじめを。2019年に起こった『神戸市の教師いじめカレー事件』は、まだ、記憶に新しいですが。まさか、この会場にそんな先生は、おらっしゃれんとは思いますが。報道で『いじめ』の事件がある度に、校長先生(学校関係者)が『いじめがあってるとは知りませんでした』なる釈明が。いやいや、それは如何なものかな。拙僧は若い頃に毎年、お寺で3泊4日の夏休みの林間学校を、数百人の子供達を相手に。その短い期間でも、いじめが行われているは、結構認識出来ますよね。いじめられている子供から、大人にモールス信号(目で訴え)が必ず発せられてますから。報道で発表される『いじめ』で自殺された子供さんの遺書には『先生に何度話しても、真剣に僕(私)の話を』の言葉が度々。人は、長い人生の中で、人から必死に助けを求められる事って、そんな度々ある事ではないですよね」と先生達に。

続けて、拙僧「大半の先生は恐らく、真剣に子供達と向き合う教育熱心な先生ばかりかと。が、昨今、聞くところによると、先生達があらゆる面で、精神的、肉体的に、追い込まれているとの事。わが寺の檀家で先生をしている50代男性が『住職、先生によっては、2年も、3年も、1年間1日も休みがなかった、という先生も』と。『クラブの顧問ですか』と問うと『はい。高校では既に、クラブ活動の指導者は外部の人が。ところが中学では、まだ、先生が担当するが主流。クラブ活動以外でも、業務が多過ぎて、帰宅時間が22時、23時になる先生達も。この過酷な職場環境で、精神をやられる先生もおれば、家庭を崩壊させた先生も。おまけに、理不尽な文句を言ってくる、モンスターペアレンツなる親の対応も。私の知人教諭には、1日に何度も、酷い時には夜中まで、自宅の電話にギャーギャー文句を言ってくる親がいて、遂に精神疾患となり、休職に追い込まれました。いじめを黙認するは、そりゃ、いかん事ですよ。が、先生達は精神的に、いっぱいいっぱいの状態なんですよね。国は早く、仕事の分担化に着手しなきゃ、教育現場そのものが崩壊する事に。近頃では、先生という職業に若者が魅力を感じなくなり、競争率(教諭志願者)も低下を。どの職業でもそうでしょうが、競争率が3倍前後になると、質が落ちる。どうにかならんもんか、と様々思案しながら、頭を抱えております』と、檀家で教員をされている男性がそんな事を」と、この講演で先生達に。

【追伸】
わが寺の檀家の中には、保育士の免許を取得しておりながら、他種の仕事をしている人達が。理由は様々なれど、日本全国にそんな人が、30万人もいるとか。ある代議士に拙僧『教員免許と保育士の免許を統一(一貫に)して、小学生の担当も出来れば、幼児の担当も出来る様にしてはどうですか。幼稚園、保育所を新たに設立の話が出た途端に、煩くなる、と住民から反対の声が。なれば、最初から子供の声が聞こえている小学校に、設けたらどうですか。少子化で教室が余ってるんだから。昨今は世の中が物騒だから、兄弟がおれば、登下校も安全だし。これは、大雑把な提案ですが、一考してみる価値は。『異次元の少子化対策』の声もあがってるようだし」と進言させてもらった事が」と。

投稿写真は、子供SOS の1つです。他にも相談所は多数あります。

次回の投稿法話は、6月30日です。




【住職の法話。考え方を少し変えるだけで、苦しい人生が、楽しい人生に】 この世の中に「これ、正解」はない。今の自分にとって、正解か否かだけ。その正解も、知識、知恵、経験が増せば、変わっていく。

2023-06-16 20:21:45 | 法話
【6月20日投稿分】 拙僧が長文法話を投稿する理由。

拙僧の法話読者の中には、次の様な問い掛けをされる方が、定期的に何人かおられます。「何故、ご住職さんは、長文の法話を投稿されるのですか。映画などを倍速で見たり、音楽のイントロの長いを嫌う為、作曲家は数秒にして世に出している、そんな何でもが短時間傾向にある昨今において」と。「早足で歩けば、そりゃ、目的地には早く到着出来るでしょうが、足元が疎かになって、躓いたり、転んだり、大事な物を見落としたりと。が、ゆっくり歩いたら、早足で歩くよりは、危険を避ける事が出来、大事な物の見落としも少なくて済むでしょ。 そういう事かな」と。

続けて、拙僧「SNS への法話は、10年以上毎日、投稿してきましたが、初めのうちは、ツイッターの140字だけを投稿。中には『これは、140字の俳句ですね。しっかり深読みしないと、理解するは難しい』と有難くも、拙僧が望んでいる読み方をされる読者も少なからずおられましたが、フォロワーが1万人を超えてくると、140字の言葉足らず表現が、読者の勘違い(読み違い)を招き、それが不平不満、文句、誹謗中傷となり、自己中心的な私見(悪口、陰口を含)を引き出す結果に。『これじゃ、あかん。これは、拙僧の罪』と、ある時期からある程度、理解しやすいよう、長文に」と。

更に、この法話読者に「長文にした理由には他にも。拙僧の法話読者には、小中高生が少なからずおられ、つまり『体の不自由な人が住みやすい家は、健全者だったら、もっと住みやすい』って事ですかね。これは、わが寺の宮大工棟梁(現在99歳)が、拙僧に放った言葉です。長文と言っても、この長さだと5分もあれば。が、読めば5分の、このSNS 投稿法話でも、直に語れば1時間は時間を要します。という事は、この5分で読める法話の中に、多くの含み言葉があるという事にて。この含み言葉を読み取って『この文章は、こういう事を言ってるんでしょ』と、メールを打ってくる小中高生が、偶におられます」と。

更に、この法話読者に「先日、読者の中学生が『SNS の中では頻繁に見ますが、投稿者の意見に対し、文句を言ってくる人が数多に。この文句言いの人達って、何なの。俺が同調出来るものを載せろ、って言ってるの。自分の考えだけが正しい、とでも思ってるの。こんな人達って、相手を目の前に置いても、同じ文句が言える人達なの。それとも陰口専門の人達なの』と拙僧に問い掛けを」と。

続けて、この法話読者に「この中学生に拙僧『以前、テレビで、生物学の池田清彦先生が、日本人は根に持つタイプが多い。セロトニンという心を平らにする物質が、日本人には少ない。多い、普通、少ない、で分けると、日本人の約62%が、少ないタイプ、だと言われてたよね。拙僧は、ツイッター、Facebook、Instagram、ブログに、同じ法話を投稿させてもらっているが、話が長い、と言ってくる人は、数万人の読者の中で、千人単位で2人か、3人。10年以上毎日、法話を投稿してきましたが、長い、と言ってこられたは、その間に数人ぐらいかな。その方々には大変申し訳ありませんが、長い法話がわかりやすい、と望まれている人もおらっしゃるんで、長い、と思われる人は、拙僧の法話を無視していただくしかないですね。こう言えば、長いと思っていても黙ってる人間もいるぞ、と言ってきそうだが。シーソーは、どちらかが上がれば、どちらかが下がるもの。万人が納得出来るものなど、この世には何もないもんね。人間は大なり小なり、自分にとって都合が良いか、悪いか、で是非の判断をするからね。わが心と折り合いを付けてもらうしか、ないかな。人がそう動くには、そう動くだけの理由があるよね』と、この中学生に話しましたが」と。

続けて「この時、この中学生からこんな質問もありました。『住職の法話ですが、バズった事はあるんですか』と。『1度だけあったよ。ツイッターに法話を書いていると、勝手にタブレットの画面が変わって、あなたの投稿は今バズっています。日本で25番目に多く見られています、の表示が。数字を見てみると、数時間で450万回に』『日本人の30人に1人は見てるって事じゃん』と、この中学生が。この時初めて、これをバズるというのか、と拙僧。まあ、これは余談ですけどね」と、この法話読者に。

更に、続けて法話読者に「拙僧が16歳の時、わが寺の法要に導師としてお越しになられた高僧が『法話は、子供でもわかる様に話さなきゃ、駄目なんだよ。子供でもわかる法話なら、大人だったらもっと深くわかるはず。その大人が子供並みの理解力では、困るがな。話の内容がわかっている人、その分野に知識ある人、そういう人達に話をするは、結構に楽なんだよ。語句の細かい説明や、この言葉はこういう意味を含んでいる、などの説明を省く事が出来るから、話す時間も短縮出来る』と、当時16歳の拙僧に。この高僧の言葉が、今でも拙僧の耳に残ってるんだよね」と。



次回の投稿法話は、6月25日です。




【住職の法話。考え方を少し変えるだけで、苦しい人生が、楽しい人生に】 どのような職種の世界でも、生きていくという事は、大変な事にて。今日は、ある極道さんの話を一席。

2023-06-15 09:47:11 | 法話
【 7月15日投稿分】

この7月は、任侠道を歩いた男性の7回忌。現在、わが寺の納骨堂で永眠(行年53歳)を。思い出話に一席、お付き合い願えましたら、彼の供養にもなろうかと。

この任侠男性が10歳の時、両親に連れられて、わが寺に。それが縁で彼は、先代(拙僧の父)を尊敬の対象に。高校2年までは、東大合格間違いなし、と言われた秀才の彼だったが、母親からの過度の勉強押し付けでブチ切れ、高校を中退して単身、大阪へ。そこで暴走族に絡まれ、大勢相手に大立ち回り。その時に初めて『自分は喧嘩が強かったんだ』と知る事に。気付けば、暴走族の総長に。町の名前を書くとわかる人もいるだろうから、控えておきますね。彼の名が知れ渡ると、任侠界がスカウトに来て、極道の道へ。それから先は、裏社会で生きる事に。が、3ヶ月に1度は必ず、拙僧の父に会いにわが寺へ。その拙僧父が他界し、葬儀の時、会場の外で立ったまま、会場内に入らない彼を「何しとる。入らんかい」と誘い入れると、700人の会葬者の最後尾に立ったまま参列を。棺桶の中に花入れが始まると、拙僧に「俺もいいですか」と。1番最後に花を供えながら、棺桶にしがみ付いて、大泣きを。出棺のドラが鳴り終わるまでは、会場にいた彼だったが、いつの間にか姿が見えなくなっていた。

父(先代)の死後は、拙僧が彼の相手をする事に。その後も彼は必ず、3ヶ月に1度は、わが寺に。4ヶ月も、5ヶ月も、間が開くと「また、刑務所に入ったかな」と。推察通り、刑務所から手紙が。その手紙がですたい、文章内容といい、使用している漢字といい『この男、ほんとに頭が良かったんだろうな』というもの。このパターンが4度あった。但し、逮捕の理由はいつも同じ。同業者間での抗争。「お寺に参拝出来なくなるから、恐喝、薬は、絶対にやりません」と彼は捕まる度に、拙僧の父や拙僧に獄中から手紙を。

彼が48歳の時、電話で拙僧に「親分の許しが出たので、足を洗って、東北大震災の作業に行きます。有限会社を立ち上げたいので、会社の名前を付けてもらえませんか」と拙僧に。その1年後、東京オリンピックの話が優先となり、震災作業の予算が削られ、その煽りが他所(よそ)から来た人達に。作業員を50人以上抱えていた彼は、給料の支払いで首が回らなくなり、苛立ちから毎夜の深酒で肝硬変に。その彼から「仕事がうまくいかなくなって、2年粘りましたが、住職、すいません。ここで頑張ると約束したのに、もう限界です」と泣きながら電話がきました。その時にはもう、目をやられて、あまり見えない状態に。その頃、拙僧の2つ年下の従兄弟も震災作業に東北へ。その従兄弟が「博ちゃん(拙僧の事)、こっちでは、最も危険な場所で作業してる多くは、任侠界の人達だよ。事情を知らん人達が、訳もわからずにピンハネ問題で騒いでいるが『じゃ、そんな危険な場所で、あんたらは働けるのか。働きに来てくれるのか』と言いたいよ」と腹を立ててた従兄弟の顔が、今でも脳裏に。

その1年後、音沙汰のなかった彼から電話があり「今、両親のいる沖縄の病院に入院してます。今、全く目が見えてません。医者は、いつ死んでもおかしくないと。現在、私の世話を代わる代わるカタギの友人達が、本土からわざわざ来てくれて、有難いです。実は、お願いなんですが、俺は檀家じゃないが、親父様(拙僧の父)の横で眠りたいから、金剛寺の納骨堂に入れてもらう事は出来ませんか。住職、今度、人間に生まれ変わる事を許してもらえるなら、次は極道にはなりません。一生懸命に勉強して、世の中の為に尽くしたいと思います」と。これが、最後の彼との会話になりました。今現在、彼はわが寺の納骨堂で永眠を。

【死を迎えるにあたり】

1人の知らない男性から手紙が届いた。「どれだけ後を追おうと思ったか。あれからもう30年に。子供達は大変優しくしてくれました。だけど、家内を失ったこの穴が埋まる事は。1年前に全身癌の診断が私に。この事は一切子供達には。やっと、やっと家内のところへ。自ら命を絶ったら、家内は決して私の事を許してくれないでしょうから、この日まで我慢をしておりました。やっと、大手を振って、家内のところへ逝けます」と、ほんとに嬉しそうな文面で。

続けて、しみじみとこの男性が「思い返せば、あと1年で定年という時に、仕事ばかりで夫らしい事は何も、の私に対し、何1つも不平不満を言わず、両家の両親の世話から、子供ら4人の子育てまで。その疲労が蓄積し、とうとう乳癌に。家内は最期の最期まで、笑顔を絶やさずに。学生時代に知り合って、40年。これから夫婦の時間が、という時に。私の時間はその時から止まっております。家内の葬式は行いましたが、私の心の中では、家内の葬式はまだ、行ってはおりません。『私の葬式の時、一緒に家内の葬式もして下さい』と密かに、菩提寺のご住職には頼んでおります。それと、私の葬式には、さだまさしさんの『道化師のソネット』を流してくれ、と子供達に。私と家内の思い出の曲なんです。『笑ってよ、君のために。笑ってよ、僕のために』のフレーズ、いつ聞いても、涙が」と。

次回の投稿法話は、7月20日です。





【住職の法話。考え方を少し変えるだけで、苦しい人生が、楽しい人生に】 日本は本来、神国。そこに仏教が伝来を。先祖を大切に思う心を持つ日本人と、仏教の教えがマッチしたんでしょうね、

2023-06-15 09:28:41 | 法話
【7月5日投稿分】

先日、投稿させてもらった法話「病院側の度々の通達に対し、子供が親の遺体を『いらん』と言って、引き取り拒否をしたと言う話。恩を受けた人の通夜葬儀に出席しない人の理由が『この人(故人)からは、もう、何もしてもらえないから』という話。他界された人を24時間、病院に置きっぱなしにして、直接火葬場に連れて行き、遺骨はそこに置き捨てる話。その話に対し『葬儀をしないのは、日本人が貧乏になったからではないですか』という意見を拙僧に送ってきた読者の男性がいた。

対し、拙僧、その読者の男性に間接的に法話で「北九州のわが寺に、1人の若い男性が来て『ここのお寺で納骨堂の契約を。実は、北九州に住み着く事になって、菩提寺が遠くなったので』と。『菩提寺はどこですか』と尋ねると『山口県で、北九州から車で1時間半のところです』と。『その菩提寺には、どれほどあなたの家は、世話になってるんですか』『恐らく、100年以上ではないかと 』『そうですか。拙僧は年に何度も、関西、東海、関東へ檀家参りに伺っておりますが、遠いと感じた事は1度もないですよ。葬式にも現地へ赴きますしね。あなたが遠いと思うは、距離ではなく、心の問題と違いますか」と。

続けて「そりゃ、あなたを受け入れた方が拙僧も助かりますよ。どこのお寺も今は、維持していくは大変な状態にて。檀家が増える事は有難い話です。が、あなたの話を聞けば、菩提寺を変更する必要のない話ですよね。100年も先祖が世話になっているお寺に対し、後ろ足で泥をかける様な事を、拙僧があなたにさせる訳にはいかない。これ、どう思われますか』と問うと、何かに気づかれた様で、山口の菩提寺を離檀するをやめられました。葬儀をしなくなった理由をあなたは『日本人が貧乏になったから』と言われましたが、果たしてそうでしょうかな。拙僧はこれまでに、本当にお金を持たない人の葬儀を、1000円で請け負った事が、数回ありました。そのご家族の故人を敬う気持ちが尊いものだったから、ですね」と間接的に法話で、この読者男性に。

【こんな疑問を中学生が】
読者の中学生が「住職は松尾芭蕉の『閑かさや、岩に染み入る、蝉の声』って詠んだを知ってるよね」と。「ああ、知ってるよ」「山形県(出羽国)の立石寺に参詣(1689年7月13日)した時に詠んだ句だけど、友人との間で『この蝉は、何蝉か』で討論になったんだ。住職は、何蝉だったと思う」「そんな疑問を持ったのか、君らは。ほう、素晴らしいな」と。

この中学生が「兎に角、住職の見解を聞かせてよ」と。「この句を芭蕉が詠んだは、初夏の頃だろ。なら『クマゼミ』や秋ゼミの『ツクツクホウシ、ヒグラシ』は消えるよな。残るは『ニイニイゼミ、アブラゼミ、ミンミンゼミ』かな」「僕らもその結論になった。それから先がなかなか」「そうだよな。時代、時代の気象変動によって、生態系が変わるもんな。拙僧の子供時代は、九州でミンミンゼミは鳴かなかったもんな。が、数年前の夏から鳴き出したんだ。こうなったら、松尾芭蕉本人に聞くしかないで」「そらそうだ。なら、住職。芭蕉さんに聞いとって。僕らより先に逝くでしょ」と。

芭蕉の『閑けさや、岩に染み入る、蝉の声』の何蝉論争は、斎藤茂吉の解釈が発端で勃発したものだそうで。斎藤茂吉さんは『アブラゼミ』と言ったが、小宮豊隆(漱石門下)が「岩に染み入る、とくれば、声は細く澄んでいて、糸筋の様な印象が。なれば『ニイニイゼミ』だったと考える方が自然かと」と。

次回の投稿法話は、7月10日投稿分。