1分で読める小さなお寺の法話集

子育て、人材育成に関する法話を実話と歴史から紐解いて書いております。

【住職の法話。考え方を少し変えるだけで、苦しい人生が、楽しい人生に】 どのような職種の世界でも、生きていくという事は、大変な事にて。今日は、ある極道さんの話を一席。

2023-06-15 09:47:11 | 法話
【 7月15日投稿分】

この7月は、任侠道を歩いた男性の7回忌。現在、わが寺の納骨堂で永眠(行年53歳)を。思い出話に一席、お付き合い願えましたら、彼の供養にもなろうかと。

この任侠男性が10歳の時、両親に連れられて、わが寺に。それが縁で彼は、先代(拙僧の父)を尊敬の対象に。高校2年までは、東大合格間違いなし、と言われた秀才の彼だったが、母親からの過度の勉強押し付けでブチ切れ、高校を中退して単身、大阪へ。そこで暴走族に絡まれ、大勢相手に大立ち回り。その時に初めて『自分は喧嘩が強かったんだ』と知る事に。気付けば、暴走族の総長に。町の名前を書くとわかる人もいるだろうから、控えておきますね。彼の名が知れ渡ると、任侠界がスカウトに来て、極道の道へ。それから先は、裏社会で生きる事に。が、3ヶ月に1度は必ず、拙僧の父に会いにわが寺へ。その拙僧父が他界し、葬儀の時、会場の外で立ったまま、会場内に入らない彼を「何しとる。入らんかい」と誘い入れると、700人の会葬者の最後尾に立ったまま参列を。棺桶の中に花入れが始まると、拙僧に「俺もいいですか」と。1番最後に花を供えながら、棺桶にしがみ付いて、大泣きを。出棺のドラが鳴り終わるまでは、会場にいた彼だったが、いつの間にか姿が見えなくなっていた。

父(先代)の死後は、拙僧が彼の相手をする事に。その後も彼は必ず、3ヶ月に1度は、わが寺に。4ヶ月も、5ヶ月も、間が開くと「また、刑務所に入ったかな」と。推察通り、刑務所から手紙が。その手紙がですたい、文章内容といい、使用している漢字といい『この男、ほんとに頭が良かったんだろうな』というもの。このパターンが4度あった。但し、逮捕の理由はいつも同じ。同業者間での抗争。「お寺に参拝出来なくなるから、恐喝、薬は、絶対にやりません」と彼は捕まる度に、拙僧の父や拙僧に獄中から手紙を。

彼が48歳の時、電話で拙僧に「親分の許しが出たので、足を洗って、東北大震災の作業に行きます。有限会社を立ち上げたいので、会社の名前を付けてもらえませんか」と拙僧に。その1年後、東京オリンピックの話が優先となり、震災作業の予算が削られ、その煽りが他所(よそ)から来た人達に。作業員を50人以上抱えていた彼は、給料の支払いで首が回らなくなり、苛立ちから毎夜の深酒で肝硬変に。その彼から「仕事がうまくいかなくなって、2年粘りましたが、住職、すいません。ここで頑張ると約束したのに、もう限界です」と泣きながら電話がきました。その時にはもう、目をやられて、あまり見えない状態に。その頃、拙僧の2つ年下の従兄弟も震災作業に東北へ。その従兄弟が「博ちゃん(拙僧の事)、こっちでは、最も危険な場所で作業してる多くは、任侠界の人達だよ。事情を知らん人達が、訳もわからずにピンハネ問題で騒いでいるが『じゃ、そんな危険な場所で、あんたらは働けるのか。働きに来てくれるのか』と言いたいよ」と腹を立ててた従兄弟の顔が、今でも脳裏に。

その1年後、音沙汰のなかった彼から電話があり「今、両親のいる沖縄の病院に入院してます。今、全く目が見えてません。医者は、いつ死んでもおかしくないと。現在、私の世話を代わる代わるカタギの友人達が、本土からわざわざ来てくれて、有難いです。実は、お願いなんですが、俺は檀家じゃないが、親父様(拙僧の父)の横で眠りたいから、金剛寺の納骨堂に入れてもらう事は出来ませんか。住職、今度、人間に生まれ変わる事を許してもらえるなら、次は極道にはなりません。一生懸命に勉強して、世の中の為に尽くしたいと思います」と。これが、最後の彼との会話になりました。今現在、彼はわが寺の納骨堂で永眠を。

【死を迎えるにあたり】

1人の知らない男性から手紙が届いた。「どれだけ後を追おうと思ったか。あれからもう30年に。子供達は大変優しくしてくれました。だけど、家内を失ったこの穴が埋まる事は。1年前に全身癌の診断が私に。この事は一切子供達には。やっと、やっと家内のところへ。自ら命を絶ったら、家内は決して私の事を許してくれないでしょうから、この日まで我慢をしておりました。やっと、大手を振って、家内のところへ逝けます」と、ほんとに嬉しそうな文面で。

続けて、しみじみとこの男性が「思い返せば、あと1年で定年という時に、仕事ばかりで夫らしい事は何も、の私に対し、何1つも不平不満を言わず、両家の両親の世話から、子供ら4人の子育てまで。その疲労が蓄積し、とうとう乳癌に。家内は最期の最期まで、笑顔を絶やさずに。学生時代に知り合って、40年。これから夫婦の時間が、という時に。私の時間はその時から止まっております。家内の葬式は行いましたが、私の心の中では、家内の葬式はまだ、行ってはおりません。『私の葬式の時、一緒に家内の葬式もして下さい』と密かに、菩提寺のご住職には頼んでおります。それと、私の葬式には、さだまさしさんの『道化師のソネット』を流してくれ、と子供達に。私と家内の思い出の曲なんです。『笑ってよ、君のために。笑ってよ、僕のために』のフレーズ、いつ聞いても、涙が」と。

次回の投稿法話は、7月20日です。






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