全思考が自己中心母親に「道歌に『手を打てば、はい、と答える、鳥逃げる、鯉は集まる、猿沢の池』が。「何、それ」と。「奈良の池辺り宿で、手を打てば客室係は呼ばれたと。鳥は驚き、鯉は餌が貰えると。1つの音で立場違えば、これだけの受け止め方が。未熟だった頃の自分を思い出して子育てを」と。
知人息子に2人目の子が。初めて婚活で、だった事を。「この低給料では。水増記載を」と主催者が。対し「これでも、という方で」と。当時息子33歳、奥様38歳。『それでか』と。「独身姉を。何とかせい」と前に。「何の努力も。自分の人生くらい自分で何とかせにゃ。何でも人頼り。両親も悪い」と。
知人男性が「住職。昨夜、高校生の息子から『僕が生まれた時、まず何を思った』と。『責任かな』と。だが心中では『夫婦仲が悪かった親は結局離婚。気を遣いながら生きてきた自分の様な思いだけは絶対に』と。お陰で私達夫婦は円満。が『何不自由なく、我慢もさせず』は。今、試行錯誤で子育て中」と。
37年前学生時代、縁あったサラ金の方が「例えば家のローンだが、銀行が支払い可能と判断し融資を。それを滞る。お金にルーズ、浪費から。そんなだらしないのがわしらのとこへ。で、貸したお金をもまた。そんな人間は丸裸に。人間は裸でこの世に。やり直させるには丸裸にしてやるが一番の近道や」と。
他寺25歳副住職が「檀家はお参りに来るが『境内を掃除して帰ろう』なる者など殆ど」と。「何故、そんな事を」「参拝者が『いつ来ても落ち葉だらけ。いつ掃除を』と。頭に」と。「春秋は落葉。30分で元の木阿弥。その知識ない者が文句を。それにいちいち腹を。檀家は参拝する人、君は迎える人」と。