1分で読める小さなお寺の法話集

子育て、人材育成に関する法話を実話と歴史から紐解いて書いております。

【住職の法話。考え方を少し変えるだけで、苦しい人生が、楽しい人生に】 親が作った家庭環境の中で、その親が育てる。親に似た子供が育つ確率が高くなるは、当たり前かな。

2023-01-28 18:35:10 | 法話
保育士女性が拙僧に「偶々初めて住職のSNS 法話を目に。そこに興味深いお話が。その話とは、私と同業の女性から、住職への返信メール。その女性が『保育園内で、4歳の男の子2人が大喧嘩を。仲裁に入った6歳の男の子が、そのくらい喧嘩すれば、もうスッキリしただろ。あとはスパッと仲直りしろ、と。その言葉で、4歳の男の子2人は、何もなかったかの様に仲直りを。それを見て、私が仲裁に入ってたら、どうなっていただろうかと。恐らく、この様な対応は出来なかっただろう、と思う。喧嘩になった訳を両者から、根掘り葉掘り聞き出そうとしたでしょう。そうなれば、男の子は2人共が自分の正当性を言い合って、更に大喧嘩に。火に油を注ぐ結果に。まさに、この6歳の男の子は神対応を。勉強させられました』という話。保育士勤務の中で、私には今まで、こんな話の経験は」と、この保育士の女性が。

この保育士の女性に拙僧「当時、この仲裁に入った6歳の男の子の話を聞いた時に拙僧、ある仏教説話が頭に浮かびました。毒矢に射られた王様が『手当は後でいい。犯人を見つけ出せ』と。対し、有能な家臣が『まず、毒矢を抜いて治療しなければ、命を落としますぞ。犯人は後で見つけ出せばいい事』と。まさに、この家臣は『清水の次郎長偉いじゃない。大政、小政の声がする』ですね。この説話は、政治でも、医療現場でも、教育現場でも、家庭でも『まず何を優先して、対処しなければならないか』を考えさせられる、良き教訓話。この仲裁に入った6歳の男の子が、まず喧嘩を止めるを優先した事で、冷静になった4歳の男の子2人は、お互いに非を認め合って仲良くなったと、法話の中のあなたと同業の保育士の女性が話しておられましたよ。子供の世界は大人の世界と違い、判断を鈍らせる『忖度』という邪魔が、少ないですもんね」と。

更に、この読者保育士の女性が「今1つ、法話の中に驚いた話があります。定年間近の保育士女性(住職のお寺の檀家さん)の話。その女性が『保育園内で2歳児同士が喧嘩を。止めに入ると、片方の男の子が私に、包丁で刺すぞ、と。びっくりしましたが、そんな言葉を2歳の子供が、知ってるはずが。迎えに来る両親を見ると、なるほど、と。恐らく、家庭の中でそんな言葉が、飛び交っているんだろうな』という話です。この話の様な経験は、私にも多少はあります。保育の仕事をしておりますと『子供を育てる(取り巻く)環境作りは、家庭内に限らず、国全体においても、非常に大事である』を、つくづく思い知らされます」と。

その筋の専門家が「人間は、15歳までの育ちを土台に、16歳から20歳までの間に、考え方が確立する」と。この見解を耳にした時、そう言われてみれば、昔の女性は、20歳までに結婚をされる方が少なからず。考え方が固まらない内に嫁がれていたから、他家の環境に順応出来たのかな、と。この拙僧の憶測だが、檀家の婆様達に話すと「住職よ。近からず遠からず、だよ」と言われた。中学生まで、この国が義務教育と定めたは、そうした意味合いもあるのかな、と。因みに、樹木希林さんが「女性はなるべく若い内に結婚を。分別が付いたら、結婚など出来ん」と。この考え方には、賛否両論ありましょうが、色々考えさせられる言葉である事には、間違いないですよね。




【住職の法話。考え方を少し変えるだけで、苦しい人生が、楽しい人生に】 子供からの疑問は、軽視出来ない事が結構にあります。素直な心を忘れた大人にとっては、非常に参考になるものにて。

2023-01-26 12:37:36 | 法話
【 臨時法話。檀家の子供と今日、以下の会話を。ある意味、危機管理の法話に。子供の疑問には、ほとほと感心します 】

檀家の仏壇参りに伺うと、そこの家の子供ちゃんが「昨日の雪、凄かったね。高速道路や電車が10時間以上も立ち往生を。閉じ込められた人達、辛かっただろうね」と。対し、拙僧「人間が大小便をしないでいいなら、ご飯を食べんでいいなら、睡眠をとらなくていいなら、随分と様々、人間の動きは違ってくるだろうけどね」と返すと、この子供ちゃん、暫く黙った後に「テレビの天気情報で『不要不急の外出は控えて下さい』とあれだけ注意してくれてたのに」と。「自分だけは大丈夫、という自信があるのか。まだ、大丈夫だろ、という油断があるのか。今、やらなきゃならん、大事な用事があるのか。どれかだろうね」「じゃ、立ち往生状態になっても仕方がない、と覚悟して動いてるって事なの」「さあ、それはわからん。ただ、みんな、何かしらの事情を抱えてるから、ある程度は、覚悟の上、かもね」「覚悟の上なら自己責任、文句は言えないよね。だけど、JR のお偉いさん、電車停止したを謝ってたよ。自然災害なのに、何で謝るの。凄い違和感があった。閉じ込められた人達も大変だけど、交通機関側の会社も大変だね」と。

このツイッター法話を読まれた読者が「住職はこれ、この国の危機管理(防衛)に絡めた話として、投稿されたんでしょ」と。「自然災害は、人間の力じゃ、どうしようもないよね。ただ、子供達の目から見て、疑問(不思議)に思う大人の行動って、結構にあるみたいですよ。『世の中の仕組みを、何も理解してない子供が、偉そうな事を言うな』では、思慮深い人材を、育成する事は出来ないかな」と。

次回の法話は、1月30日投稿となります。




【住職の法話。考え方を少し変えるだけで、苦しい人生が、楽しい人生に】 わが寺が、年の初めに水子供養法要を行なっている理由。この法要は、様々な意味合いを含む供養にて。

2023-01-24 05:21:29 | 法話
30年程前から、わが寺では1月に水子の法要を。当初は200人以上参列していた檀家さんも、昨今では100人以下に。参列者が減少した理由は、非常に明確にて。水子さんがおられる檀家さんが、この世から旅立って逝かれた事と、結婚しない、彼氏、彼女がいない若者、が増加した事が、要因の1つなのかな、と。

昭和23年7月から、母体の生命、健康を保護する為の法律『母体保護法』が。所謂、中絶が合法化に。この法律が施行されて、時代背景もあって、昭和の時代だけで、数千万人の赤子が中絶されたとの事。令和に入ってからも、年間に約15万人が中絶されているとの事。拙僧のお寺にも、数年に何組かの若いカップルが、中絶した水子供養の依頼で足を運んで来られる。その中には、2度、3度の者も。供養する理由の大半が『祟られたら、怖いから』との事。そのカップル達に拙僧「満年齢は生まれた時を0歳とするが、数え年は懐妊と同時に命と考え、10月10日を経て生まれてくる事より、生まれた時を1歳とする。自分は産んで育ててもらっておきながら、我が子は闇から闇に。確かに、人がそうするからには、そうするだけの事情がある。事情の塊が人間だからね。が、自らで我が子の命を奪っておきながら、今度は化け物扱いかい。中絶された赤子は恐らく、そこまでの寿命なんだとは思うが、せめて『祟られたら、嫌だから』の心じゃなく、親としての心を手向けなさいや。親を祟る水子も、子供を祟る先祖も、おらん。失礼な心を、愚弄する心を、持ったらあかん」と。厳しく言って聞かせるは、同じ過ちを繰り返させない為。人間は受けた恩を、失敗した事を、覚えてるうちは、同じ過ちはしないもの。が、忘れた途端にまた、同じ過ちを。わが寺が年の初めに水子法要を行うは『忘れちゃならんものは、忘れちゃならん』を心に刻む込み事も目的の1つ。無論、流産(授かりたいのに、失った赤子)は別義だが。こうしたご縁で、生きる姿勢がガラッと変わった我が子(中絶カップル)を見て親が『牛に引かれて善光寺』で、わが寺の檀家になったも、数例。

先日1月22日の日曜日、わが寺では水子の法要が。その時、法話で「10年でも、20年でも、この世に生存していたら、様々な人達が覚えてくれていて、心を手向けてくれますが、水子さんに限っては、親が忘れてしまったら、誰も供養(心)を。今年も1月初めに、水子さんに関係する相談が。不思議とこの時期(水子法要前後)、この様な話がお寺に。偶然だとは思いますが。供養と言えば以前、この様な話が。檀家の子供(20代男性)が『婆ちゃんに俺、あの世なんて、先祖なんて、ほんとにあるのか。なんで、見えもせん、聞こえもせんのに、そんなものを信じるんだ、と聞いたんですが。住職はどうよ』と。『じゃ、あの世もない、先祖もおらん、という証拠を君は持ってるんかい』『いや、ない』『お互いに証拠がないんなら、自分の主観を押し付けるのは、やめたらどうだい。婆ちゃんにとってみたら、産んで育ててもらった恩を、命を繋いでもらった恩を、供養という形で返しているだけ。第三者から、とやかく言われる筋合いはないわい、大きなお世話たい、と思っとりゃせんかな』と。『そう思ってるんだ、婆ちゃんは』『かな』と。これ、考えさせられる話でしょ」と、法要参加者に。

10年程前、四国巡拝である若者と遭遇。彼が「あんた住職か。世の中には、勘違いしてる連中が多過ぎると思わんですか。銀行は、一般人がお金を預けてやってるから、運用して飯が食えてんだろ。医者は、一般人が病気になってやってるから、高額な給料を貰えてるんだろ。警察は、犯罪を犯す人間がいるから、仕事があるんだろ。あんたら坊主(住職)は、一般人が死んでやってるから、お布施が入るんだろ。少しは感謝しろってんだ。日本国の事をボロカスに言う奴がいるが、他の国と比べてみろや。至れり尽くせりのの恩恵を受けておきながら、何の不満があるんや。してもらって当たり前が、当たり前になったら、感謝の心がなくなるわい。欲は叶えば、エスカレートするばかりや。国も国民に対し、してやり過ぎの姿勢を改めた方がいい。過保護では、人材は育たん」と。この若者の怒りを聞きながら『ほう、ほう、久々におもろい人材に遭遇したわい』と黙って聞いておりました。この若者に対し、突っ込みどころは、満載ではありましょうが、いつも言ってる様に、否定から入ったら、得るものは何もないですもんね。受け取り方次第では、この若者の言葉、自身の反省材料に。

 
次回の投稿法話は、1月30日になります。


【住職の法話。考え方を少し変えるだけで、苦しい人生が、楽しい人生に】 人の一生は重荷を負うて遠き道を行くが如し。急ぐべからず。不自由を常と思えば不足なし。及ばざるは、過ぎたるより、勝れり。

2023-01-17 13:50:23 | 法話
法話の読者達が時折「SNSに投稿出来ない話って、ありますか」と問い掛けをしてきます。対し、拙僧「結構にあるよ。投稿したら、間違いなく炎上する様な話が。炎上する様な話は、語句の1つ1つを拾っても危ない物ばかり。だけど、そんな話の方が間違いなく面白いし、教訓も沢山あるんだよね。檀家さんや知人の中にも『私が死んだら、本やSNS に書いてもいいよ』と許可を得ている話も幾つかあります。実に面白い話。その人より拙僧の方が長生き出来たら、の話だが。世に出るかどうかは、その人達との長生きが勝負。そういえば『太閤(秀吉公)とは、長生きが勝負』と言っていた家康公の教訓『人の一生は重荷を負うて、遠き道を行くが如し。急ぐべからず。不自由を常と思えば不足なし。心に望み起こらば、困窮したる時を思い出すべし。堪忍は無事長久の基、怒りは敵と思え。勝つ事ばかり知りて、負くる事を知らざれば、害その身にいたる。己を責めて、人を責めるな。及ばざるは、過ぎたるより勝れり』は、今でも日本人にとっては、良き教訓かな。

更に、読者達が「そんな炎上必至話は、封印してるんですか」と。「してないよ。1対1の相談を受けた時に、例題として使ったり、お寺の法要の時に使ったり、講演会の講師で呼ばれた時に使ったり、と。そういう場所では、活字や録音で残らないから、切り取られて、好き勝手に演出されて、別の話にならないでしょ。思う存分、話をしてるよ」「会場で文句や非難は出ないの」「全く出ないよ。SNSの『陰口言いたい放題』と違って、皆、面と向かって話を聞いている状況でしょ。余程の意見(建設的意見を含んだ)を持たない限り、参加者は軽々な言葉は発せないよね。発した途端に、他の参加者から『何言ってんだ。読解力はないのか』と白い目で見られ、超恥ずかしい思いを大衆の面前でする事になるからね。神妙な顔して皆、聞いてるよ。結局、炎上話というは、人がやったリアルな体験話でしょ。いつ、自分に降り掛かってくるかわからん内容だもんね。皆、興味津々で聞いておられるよ」と。

更に、読者達に「昨今、世の中は『コンプライアンス』が超過激時代になり、1人1人の主観が無造作に飛び交い、自分の考えと違う意見が出ようもんなら、陰口のツール(SNS)を使って、言いたい放題。その大半が自分の心の中で、処理出来る物、折り合える物、ばかりなのに。これって、損をしてるよね。非常に面白い話(昨今の世相の流れでは、炎上必至話)が、聞けない状況(社会)を自分らで作り上げて。恐らく世の中には『これ、面白い話なんだが、煩い連中がいるから、話しをするは、やめとくか』と、封印している人達が山ほど、おられるのではないかな。日本は今、どこを向いても、自分達で自分達の手足を縛って、動けなくしている状況。国(政治)も、国民の顔色ばかりを気にして、やらなきゃならん議題(憲法改正を含)が停滞状態に。何かあってからでは遅いのだが」「ねえ、住職。1つでもいいから、その炎上話とやらを、聞かせてくれないかな」と。「そうね、じゃ、軽めのやつを」と。

読者に「これは、40年以上前の話。当事者も年齢的に、もうこの世にはおられないだろうから、まあ、いいかな。拙僧が学生時代にバイト先で縁あった、金貸業の方々から聞いた話。その人達が『水は、高い所から低い所へと流れていくが、お金は、低い所から高い所へと流れていく。利子の低い銀行から借りて、それが滞って、サラ金へ。それが更に滞って、高利の闇金へと。結局、お金にルーズな人間達が、わしらの所へやって来る。そういう連中は時間が経てば、借りとる事すら忘れよる。よって、最後の最後は、痛い思いをしてもらって、保険金か慰謝料で回収する。娘がいたら、風俗で泣いてもらう。人間は裸で生まれて来たんだ。やり直させるには、丸裸にしてやるが、1番てっとり早い』と言われていたよね。現在の金貸業の事情は拙僧、あまり知らないが、当時の拙僧の知る金貸業のその人達は、結構、温情があった印象がある。この様な話を、お金にルーズで、サラ金に手を出し続ける、檀家、知人に、話して聞かせる事が、今でも頻繁にある。ここでは、君ら(SNS)に生々しい話は出来ないが、お金をなめたら、大変な事になるという事だけは。この様に、世の中を甘く見てる姿勢もまた、この国の『平和ボケの1場面かな』と、感じる事が多々ある様な気がする」と読者達に。

【追伸】
前回、1月20日に法話を投稿、と言っておりましたが、明日は仕事の事情で投稿出来そうにないので、今日、投稿させて頂きました。次回は、1月25日に投稿させて頂きます。また、今日の投稿写真は、誰が書かれたかは知りませんが、受け取り方によっては、考えさせられる風刺画ですよね。批判(反発)の目で見るか、平和ボケの戒めとして見るか、は、人それぞれにて。







【住職の法話。考え方を少し変えるだけで、苦しい人生が、楽しい人生に】 投稿写真は、今は亡き、会社の会長さんから寄贈された達磨大師。拙僧の爺様(明治生まれ)にそっくり。檀家さんにも愛されております。

2023-01-16 06:41:27 | 法話
読者70代男性が「住職のお寺に『これは』という彫刻などは、ありますか」と。「拙僧が個人的に気に入っている物はありますよ。もう亡くなられましたが、某会社の会長さんから『私のお気に入り、これをお寺に寄贈する』と頂いた『達磨大師』の彫刻ですかね。わが寺の宮大工棟梁(現在98歳)が『これは、柘植(つげ)の根じゃないかな。この大きさの根は珍しいぞ』と。この達磨さんは、肩から上の彫刻(添付写真)で、手足がないので、身体の不自由な檀家さん達が『あなた様も私と同じく、不自由をながらも頑張っておられるのですね』と、親近感を抱かれて、頭やお顔を撫で回して、心身の健全を願っておられます。お陰で達磨さんは、テッカテカ、の、ツルッツル。

因みに、彫刻と言えば、わが寺の本堂入り口の龍神(縦70センチ、横300センチ)を彫られた彫刻師さんが『わしはただ、楠(材木)の中に埋もれてあった龍を、丁寧に掘り出しただけじゃよ』と言われておりましたね。この言葉には深みがありますよね。人間も国もあらゆる組織も、その中にあって掘り出せてない物(気付いてない物)が、まだ、沢山ありそうですもんね。宝の持ち腐れにするか、しないかは、自分次第かな。

掘り出し物と言えば、こんな話も。もう50年以上前の事ですが、拙僧の父が住職だった頃、60歳過ぎの檀家男性が父に「先日、偶然、離婚した元妻の姿を街で見かけ、悪いと思いましたが、その後を付けて彼女の家まで。古いアパート住まいで、とても裕福な暮らしには。その後も何度か、元妻の家へ行き、遠くから彼女の姿を。どうも、今でも独り身の様で。私達の離婚原因は、子宝に恵まれなかったこと。妻は責任を感じ、自分から身を引いて。その後、親戚中から『再婚しろ』と採算言われましたが、とうとう私も独身のままで、今日まで。再会以来、頭から元妻の事が離れなくて。『迎えに行こうか』と、何度も考えましたが『この人(妻)の人生に、もう、私は登場しない方がいいのではないか』とも。住職(拙僧の父)は、どう思われますか」と。「奥様には、新たな家族はおられないんでしょ」「はい」「じゃ、迎えに行かれたら、どうですか」と。「受け入れてくれるでしょうか」「さあ、どうでしょうね」と父が。結果は、今、同じお墓の中で眠っておられます。調べる手立てがない時は、子供が授からないは、一方的に女性の責任と決め付ける理不尽な時代があったですもんね。この様な類似の話は、拙僧の時代でも、何度か相談を受けました。

次の投稿法話は、2月15日です。投稿写真は、わが寺の達磨大師。