原発問題

原発事故によるさまざまな問題、ニュース

【フクシマ見聞録】福島県民健康管理調査は0歳児は含まれていない。幼ければ幼いほど、被曝の影響は強く出る ※24回目の紹介

2016-10-31 22:00:57 | 【フクシマ見聞録】

1876to1945さんのツイート(2013年10月01日~)を順に紹介します。24回目の紹介

【フクシマ見聞録】

福島県民健康管理調査は0歳児は含まれていない。

幼ければ幼いほど、被曝の影響は強く出る

Akira Tsuboi@1876to1945さん 2013年10月29日のツイートから

福島行-「野菜をください-」自分は野菜を売っている二人に言った。
紫色。暗紫。黒いような色。じゃがいも。

日傘の下、手のひらに収まるおのおの個性の違う芋をいくつも手に取り選んだ。
唐辛子。赤。緑。こぶりな茄子。

どうするということもない。選んで買っていった。-

 

-「ちゃんと食べてくださいね、」自分の同郷同級の女が言った。

「土はセシウムがついてるとおもいますんで」
自分が選ぶ野菜を痩せた訛りのない男がふくろにゆく。

最後、個数を数えるためシートの上にあける。
表情のちがう小さな野菜が転がる。

「ええと、唐辛子が4つ、、、」男が数えた。-

 

-この一月前、2013年8月20日。福島県が福島医大と連携して
進めている福島県民健康管理調査の中途結果を公表していた。

2011年当時18歳以下だった児童の全対象36万人中、
およそ52%にあたる19万人が調査され、その結果を公表したのだった。-

 

-16人が、癌および癌疑いとして新たに発見された。
累計で、甲状腺に癌および癌の疑いのあるこどもが44人となっていた。

3.11がもたらした被曝の一つのめやすとして挙げられる
この調査が18歳以下の児童が対象になっていると新聞は書く。-

 

-だが、この調査には0歳児は含まれていない。

ふくしま共同診療所の医師たちがおりに触れてこのことに触れるのだが、
あまりにからだが小さなこと、超音波が像を結ぶまでからだを
じっとさせていられないこと、この二つのことがあって、調査できないのだという。-

 

-自分が見た朝日新聞デジタルの記事にはそのことは、書かれていない。

新聞が書く18歳以下、という言葉は間違いではない。
だが、0歳児は含まれない、ということも併記しない限り、
その記事を読んだ側に思わせる事は実態とは異なってくる。

幼ければ幼いほど、被曝の影響はつよく出る。-

 

-その点からすると、福島県民健康管理調査の結果は、
その背景に手付かずにされてある領域がやはり深刻に憂慮されなければ
いけない事態にあるということになる。”誤りではないが、実態ではない”

事故直後に当時の枝野幸男大臣がテレビ画面で言ったこともこの式にあてはまる。-

 

-2年を経過した今現在でも公器に乗って流れてくる情報はこの式に貫かれている。

破綻なく、いかに多くの人間を錯覚させるか。

その式の根底にはそんな意図があるのだろう。

だが、福島の子供の癌の状態は、そんな浅はかな意図を凌駕しはじめている。
まだ健康管理調査は52%しか終わっていない。-

 

-いかに日本のテクノクラート達が言いくるめようとしようが、
彼らの側からの調査結果だ。潰しようがない。

彼らの行動原理からすると、隠すしかない。

(煮詰まってるな-)どうするのか自分が思っていたところに、
特定秘密保全法なるものが浮上してきた。-

 

-41万件あると言われる秘密に、この調査結果が入るのか、自分は知らない。
しかし、入らなければ寧ろ不思議に思う。話がずれた。-

 

 ※次回に続く

 2016/11/1(火)22:00に投稿予定です。 


【告発!検察「裏ガネ作り」】偽装された支出伺い書や領収書を実際にみたことはあるんですか ※16回目の紹介

2016-10-31 22:00:00 | 【告発!検察「裏ガネ作り」】

*『告発!検察「裏ガネ作り」著者 三井 環 を複数回に分け紹介します。16回目の紹介

口封じで逮捕された元大阪高検公安部長の「獄中手記」~

----------------

**『告発!検察「裏ガネ作り」』著書の紹介

3 検察「裏ガネ作り」の実態 P51~

(前回からの続き)

 高松地検時代に吉永検事総長を接待したと書かれているんですが、吉永検事総長はどういう目的で高松にきたのか、覚えていますか。

「この場合は確か巡視、公式な巡視だったと思います」

ー巡視というのはどういうことなんですか。

「総長は全国各地、各地検、高検を計画的に順々に巡視しますので」

ー接待した具体的な場所を、覚えていますか。

「吉永総長は喜代美山荘です」

ー接待費用は、毎回若干異なると思うんですけれども、1回につき大体どれくらい使われていましたか。

「2次会に行くかどうかによって違ってきますけれども、多いときで30万ぐらい、少ないときで10万くらいです」

ー偽装された支出伺い書や領収書を実際にみたことはあるんですか。

「これは高知地検時代に着任当初見たことがあります」

ーどこで、どのような機会に見ましたか。

「公安事務課だったと思いますけれども。よく昼の時間に顔を出しますので、その時だと思います」

 ※続き『告発!検察「裏ガネ作り」』は、

2016/11/1(火)22:00に投稿予定です。 

 

告発! 検察「裏ガネ作り」


10月30日(日)のつぶやき

2016-10-31 02:26:07 | つぶやき

10月29日(土)のつぶやき

2016-10-30 02:30:00 | つぶやき

10月28日(金)のつぶやき

2016-10-29 02:28:11 | つぶやき

10月27日(木)のつぶやき

2016-10-28 02:29:25 | つぶやき

【フクシマ見聞録】親御さんで「チェルブイリと同じ症状がでている」という方がある ※23回目の紹介

2016-10-27 22:00:16 | 【フクシマ見聞録】

1876to1945さんのツイート(2013年10月01日~)を順に紹介します。23回目の紹介

【フクシマ見聞録】

親御さんで「チェルブイリと同じ症状がでている」という方がある

Akira Tsuboi@1876to1945さん 2013年10月27日~28日のツイートから

福島行-
玄関の外へ出ると、自分は並んでいる団体の人間とそれぞれ話していった。
日傘をだして、テーブルひとつ置いて形ばかりのブースを作っている。

男たちが有機野菜の野菜ジュースを売り、コーヒーを売っている。
たばこの危険性を訴えるテーブルで、フェアトレード関係のコーヒーー豆を売る。-

 

-大きな日傘の下、奥に大麻の色々な効能を実践してひろめる団体がいる。
おなじ日傘の下、たまねぎ、色々な芋、なす、測定した野菜を並べている夫婦。

乳酸菌の男性。ハッピーアイランドというNGOが、色々な小物を売っている。
自分はそれぞれの人間と話し(たばこをやめるよう言われた)-、

 

-野菜を並べている夫妻の元へ行った。自分が育ちは会津、喜多方だと伝えると、
その妻が同郷だと言い、話を聞いてゆくと同学年、喜多方の育ちの良い方の
こどもがゆくコースを辿ったことを聞いた。

夫婦の足元にシートが敷かれていたように思う。
その上に、じゃが芋、唐辛子、なすなどが転がされていた-


-名を思い出せないさまざまな芋(手のひらに収まるほどの大きさが多い)に、
感慨を覚えた。3.11後、国や、行政、医療、専門家、マスメディア、司法、
警察は動かなかった。動かない、なら自分たちでやる。

そうした市民による営みが、その銀河のほとりという場所に集まってあった。-

 

-新潟へこどもを送り、水を調達した話にわかるように、それまでおそらく
お互い接触のなかった市井人が急場に際して力を合わせてゆく。

それが、郡山の被曝に対する動き方の性格だった。
政治色を廃し、市井人の連携のなかでうごいてゆく。

その点で、郡山の運動は福島の運動と距離をおいている。-

 

-距離を置く、というとやわらかく聞こえるが、その方向性を
一貫させるなかでの人の動きは、熾烈なものがあった。

そのあたりは福島市での見聞のなかで書いた。
しかし、双方のやりとりに熾烈なものがあったことを知るにつけ、
双方が語る印象と個々の実態はまた異なったものであろうとおもっていた。-

 

-自分一人として、これまで聞いた印象とは別に話を聞きたかった。
郡山の活動は、こどもを日本各地に保養させ、移住させるネットワークを発達させている。

自分が絵について話をする機会に、東京でそうしたこどもの受け入れを
されている方が来たことも一再ならずあって、その広がりというもの--

 

-を実感するとともに、こどもを実際に被曝地から移動させ、
身を休ませることを実現していることは、動かせぬ事実としてある。

後年、この3.11後の被曝に市井人が動かぬ行政とは別に力を寄せ、
こどもを守ろうと受け入れたということは、やはり大きく語られる類のことと思う。-

 

-先日、自分の絵を展示してくださっていた三軒茶屋KENさんで、
京都で福島からの避難民を受け入れ、彼らにその体験、思うところを話させ、
ラジオに載せる活動をされている方が講演をされた。

彼も、このこどもを逃すネットワークと連携をとっていて、多くのことを話されていた。-

 

-先日、自分の絵を展示してくださっていた三軒茶屋KENさんで、
京都で福島からの避難民を受け入れ、彼らにその体験、思うところを話させ、
ラジオに載せる活動をされている方が講演をされた。

彼も、このこどもを逃すネットワークと連携をとっていて、多くのことを話されていた。-

 

-講演後の小さなパーティで、彼に聞いた。彼の話したことの背景に、
語りづらい要素して健康被害があるのか。ようするに健康被害があるのか、と聞いた。

親御さんで「チェルブイリと同じ症状がでている」という方があるのだという。
しかしそう言われても-

 

-チェルノ’自体の症状がわからないため、手をこまねくしかない。
自分は、福島からの避難、移住民に対して医療的なサポートはあるのか、と聞いた。

彼は、そう聞かれて、こども被災者被曝者支援法のことを語り、
「支援法をこころ待ちにしていた親御さんがすごく多かった。-

 

-「支援法のなかには、被曝医療をきちっとやってゆくことが
 書かれてあったので。」と言った。
 
現実としてはその法律は、その理念とは別に実現されておらず、
これからの実現もほぼ危ぶまれている。

移住したひとびとは、福島県の調査からもれているだろう、
と自分が言うと、「もれています」-

 

-と言った。こどもを全国各地に逃してはいるが、医療からのサポートが今現在、
やはり欠けているのだった。-

 

 ※次回に続く

 2016/10/31(月)22:00に投稿予定です。 


【告発!検察「裏ガネ作り」】証人調書から『検察の関係者の名前を、いくつか挙げてください』 ※15回目の紹介

2016-10-27 22:00:00 | 【告発!検察「裏ガネ作り」】

*『告発!検察「裏ガネ作り」著者 三井 環 を複数回に分け紹介します。15回目の紹介

口封じで逮捕された元大阪高検公安部長の「獄中手記」~

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**『告発!検察「裏ガネ作り」』著書の紹介

3 検察「裏ガネ作り」の実態 P50~

(前回からの続き)

以下はこのときの証人調書のほんの一部を、私がこれまでに述べた内容との重複部分をできるだけ避けてまとめたものである。

ー(原告代理人坂野弁護士以下同)あなたが高知地検の次席在職中、実際に調査活動費を使って接待した検察の関係者の名前を、いくつか挙げてください。

「大分前のことで、ほとんど忘れておるんですけれども、この陳述書に書いておりますように、思い出した分だけですけれども、現在の頃安名古屋高検検事長、当時の秋田最高検事、当時の木村高松高検検事長、当時の藤永高松高検検事長、当時の寺西高松高検次席検事、当時の安部高松高検刑事部長です」

ーこれはあなたが今覚えている範囲ということですね。

「はい」

ーこの方たち以外の方も接待した記憶があるということでしょう。

「はい、これは、ほんの一部です。この記憶があるのは」

ー高松地検次席在籍中に接待した者の名前は陳述書に書いてあるとおりですね。

「ええ、そうです」

ーそこに、接待する側として高松高検検事長と次席検事、高松地検検事正と次席検事と書いてあるんですが、これはどうして高検が入っているんですか。

「高検所在地の地検の場合には、大体高検と地検と合同で接待する場合が多いわけです」

ー高松地検の場合は両方あるからということですね。

「はい」


 ※続き『告発!検察「裏ガネ作り」』は、

2016/10/31(月)22:00に投稿予定です。 

 

告発! 検察「裏ガネ作り」


10月26日(水)のつぶやき

2016-10-27 02:27:40 | つぶやき

【フクシマ見聞録】同行の女性は、2011年3月11日後の事故初期の異常事態を思いだして笑った ※22回目の紹介

2016-10-26 22:10:18 | 【フクシマ見聞録】

1876to1945さんのツイート(2013年10月01日~)を順に紹介します。22回目の紹介

【フクシマ見聞録】

同行の女性は、2011年3月11日後の事故初期の異常事態を思いだして笑った

Akira Tsuboi@1876to1945さん 2013年10月25日のツイートから

福島行-
隣にふたりの女性、そのいずれかの子と思われる男の子が座ると、
主催の女性はその二人を指して

「あの、昨日の郡山駅前の行動とか、いつもiwjの人たちがお伝えしてて、
そのハッピーアイランドの人たちが来てます。
覗いて挙げてください」と自分に言って話を向けた。
隣の女性が会釈する。-

 

-”ハッピーアイランド、というのは何-”

「震災直後に、いろいろと避難所とかに各地から送らてきた支援物資があつまりすぎて、
ということがあったんですけど、それから始まったんです。-

 

-「それが落ち着いてからはこどもたちの保養ツアーとかをやったり、
いろんな福島のこととか理不尽なことをみんなでかんがてもらおうってことで
IWJさんと一緒にコラボしながら発信しているそういう感じです。-

 

-「私たちはもともと、よさこいを踊る踊り子隊だったんです。
(自分は仕事場で老人たちの運動のためによさこいを歌うのではじめを歌う)そうそれ。

鳴子をもって踊る、盆踊りみたいな、けっこうはげしい踊りです。
一曲踊るとぜーはーぜーはーしちゃう。」目の前のこどもが、メニューを決めたようで-

 

-(ベジ麻婆茄子ください)もうひとりの女性が店員の女性に伝える。
こどもがいると、あまり過去のことを踏み込んで聞きづらい。

”物資が集まりすぎて、というのはどういった状況だったんでしょう”

自分は聞ける範囲で聞いた。
「その時はまだ、混乱のうちのなかで、、(場所は?)須賀川です-

 

-「メジャーなところにはドバっとあって、、避難所とかでも交通機関が良いところ、
郡山だとビックパレット福島、ありますよね、ああいうところにはどばっと集まったんです。
けど、あの時はほんとに近くの公民館に集まるとか、いろんなところに避難所が点在してたんです。-

 

-「須賀川のとなりの鏡石とかは、震災があった時なんかは、
ひとり一箇所に一枚座布団が敷けないないぐらいぎゅうぎゅうにいたのにもかかわらず、
毛布一枚なかった。それで学校の体育館も被災してしまって、
しょうがなくて、しかもそういう救援物資も全然届かなくて、、。-

 

-「最初は見回りで回ってたんですけど、そういう所に寒かったんで毛布を届けたりだとか、
あと水が、、、。水道がもう汚染されているかもしれない。

新潟からご好意でタイヤが沈むくらいの水を集めていただいて、わたしどもで運んだりとか。
新潟から運んだんですよね」同行の女性に確認するように言う-

 

-「そう、子供たちを乗せて、行って、それからがら空きになったところに
(水を)たんまりいれて、、、(わらう)」

同行の女性は、2011年3月11日後の事故初期の異常事態を思いだして笑った。

”車はどのくらいの大きさだったんですか”
「あれは、、、RVRだな。あん時は。そうだな?-

 

-「(うん、と隣の女性が相槌)あん時はRVRにこどものっけて、新潟着いて、
はやくすっ飛んで帰ろうとしたら、”水載っけてかえれ”、って。(笑い)」話を聞くと、
なにか戦争の始まりのようなのことのような印象を感じる。
他者の話として捉えるのだが、その思いは自分にもあり、-

 

-突如ふりかかった動乱のなかで多くのことを見、駆けずり回ったことを思い出す。

”須賀川市でそうしていち早く放射能に対して反応できた方たちというのは多かったのでしょうか”

3.11直後「カクバクハツ、ガ起キルカモシレナイトミンナ言ッテルヨ」
伝えてきたドイツ国営放送で働いていた女を-

 

-出国させた。事務所は赤坂のTBSのビルにあり、女とともにそのロビーを通り過ぎてゆく時に、
番組ごとに分けられ無数の娘たちが満ちて座っているのにぶつかる(地震で交通が止まっていた)。

あの時に見た黒い頭の群れに、なにか防空壕、の印象を持った。女性は言った。-

 

-「-うごけた、というより、、、なにも考えずに動いてたかたら。うん。”こども逃がしたいんだけど”
って言われて”ああ新潟、、、じゃあ、乗ってく?”みたいな感じだったから、
それに対してなんか迷いなんていうのはなんにもなかった。
でも、普通に動けない親御さんたちもいるし、行けない、-

 

-「でもこどもだけでも行かせたい、というのはあるじゃない。
”じゃあ、こどもらだけでも乗ってけ”みたいな。でもあん時のさ、
載せってって新潟着いたらさ、あの、公園でさ、ゲートボールやってんだよ。
それ見てさ、こどもたちが”ここは、、、”なんつったっけかな、、、-

 

-「もう何事もなかったような感じなわけ。でも全員こっちはマスクとかしてがっちりしてて、
こんななってるわけ。はじめて子供たちがそれ見てぽろっと言ったのが
『ここ、マスクはずしてもいいぞ-』って。

-なすきらいなの?最後にとっとくタイプか?」-

 

-少年のもとに運ばれた麻婆茄子のうち、少年はなすだけをスプーンでより分けている。
「なすも食べねえとだめだよ」女性は言う。

”昨日の郡山駅までの行動は参加者は自分を抜いて二人だけでした。
罵倒され、瓶が飛んでくる。なかなか厳しい印象をもちました。
駅前の参加者は減っているんですか”-

 

-少年に茄子を食べさせようとしているので、隣の女性に聞いた。
「元から気にしている人たちはふつうに自然に来ますけど、、、
でもかたくなに来ない人もいますね。

ツイッターとかああいう場で発言しても、こう、、、叩かれるときはありますね。-

 

-「気軽に自分で”どうなの”って、疑問形で書いたことに対しても、
なんかこう、頭ごなしに”そういうことをいってるから(復興が進まない、ほどの意だろう)”
って言われる時もありますね。

ほんとに気持ちをゆるした人同士でないと話ができない。-

 

-「気にしているひとは多いんだけど、でもそれがおおっぴらに言えない。
結局、こう、じぶんたちで首締めてるんですよね-」

ふいに、子供用ピアノの音がする。軽く、稚気そのもののような音。

少年が目の前にある小型のピアノをいじりはじめた。
「-あの帯直すのにどのくらいかかるんでしたっけ」-

 

-隣の女性が動向の女性に言う。じぶんはベジ麻婆茄子と味噌汁を食い、金を払い、
民家の外へでた。乳酸菌の男性と遇会する。

やはりひとり、乳酸菌をすすめるブースをやっているのだと言った。-

 

 ※次回に続く

 2016/10/27(木)22:00に投稿予定です。 


【告発!検察「裏ガネ作り」】裏ガネ告発の手紙を紹介「私は検察庁に副検事として勤務していた者です・・」 ※14回目の紹介

2016-10-26 22:00:34 | 【告発!検察「裏ガネ作り」】

*『告発!検察「裏ガネ作り」著者 三井 環 を複数回に分け紹介します。14回目の紹介

口封じで逮捕された元大阪高検公安部長の「獄中手記」~

----------------

**『告発!検察「裏ガネ作り」』著書の紹介

3 検察「裏ガネ作り」の実態 P49~

(前回からの続き)

 私は11月に入ってから急に社会との隔たりが近くなったように感じていた。それは、2日前には接見禁止が全面解除され、家族や知事らとの交通権も得て、ようやく並の刑事被告人となったことと、今回の証人尋問を受けることによってである。

 実は、私は私の初公判より1か月程前の6月10日に、仙台市民オンブズマンの原告代理人の弁護団と接見して事情聴取を受けていた。つまり、証人出廷を前提にした証人打ち合わせに応えていたのだ。

 また、公安部長在任中の13年の夏頃に、大阪市内のホテル日航で、密かに仙台市民オンブズマン代表の小野寺信一弁護士と庫山恒輔事務局長とお会いして、調活費流用の手口などを説明したことがある。この事実だけでも、私が「自分の犯罪を免れんがために調活費疑惑を盾とした」などと、一部メディアが当初いかに見当違いの記事を流していたかを証明できるというものだ。

 当日の法廷は非公開で、裁判官は清水千恵子判事で原告代理人は、坂野、山田、斎藤3弁護士。被告(仙台高検検事長)指定代理人は、内上、町田、中村、翠川ら4法務省局付検事や仙台地検検事。それに書記官、速記官らである。

 尋問は原告代理人の左官お弁護士の主尋問から始められた。それは、6月10日に事情聴取をされたことから始まり、検事履歴、主に担当した事件名(大阪での重信房子逮捕などを含む)などに続き、高知、高松地検次席時代に直接関与した調活費流用の実態を陳述するように求められた。

 ※続き『告発!検察「裏ガネ作り」』は、

2016/10/27(木)22:00に投稿予定です。 

 

告発! 検察「裏ガネ作り」


10月25日(火)のつぶやき

2016-10-26 02:30:04 | つぶやき

【フクシマ見聞録】個別測定に応じる仕組みが作られない。金がないのか。金はあるが出さないだけ ※21回目の紹介

2016-10-25 22:01:31 | 【フクシマ見聞録】

1876to1945さんのツイート(2013年10月01日~)を順に紹介します。21回目の紹介

【フクシマ見聞録】

個別測定に応じる仕組みが作られない。

金がないのか。金はあるが出さないだけ

Akira Tsuboi@1876to1945さん 2013年10月23日のツイートから

福島行-

テーブルに座ると、目の前に反原発関連、福島関連、
自然健康関連のチラシ、書籍が雑多に置いてある。

8人がけのテーブルでひとり腰掛けてあたりを見ていると、
「きゅうりとか食べてくかい、これきゅうりと味噌はサービスですからね
」と女性が声をかけてきた。

主催の女性だった。-

 

-小柄で、頭に手ぬぐいをしている。闊達な印象のその女性に

”そうなんです。この水は飲んでいいんですか”

テーブルごとにおいてある小瓶の水について聞く。

なんとかと銘が貼ってある小瓶だった。

「いいですよどうぞ。全部おいしい水。
なんでここはわかったんですか」聞かれる。-

 

-自分は前日であった郡山駅前でのこと、そこで知り合った方から聞いたこと、
食べ物に困ってきたことを話した。

「そうでしたか。ここでは測定しますんでね」

”いくらくらいで食べ物出してるんですか”

「500円の定食からあるんです、お昼しか営業してないんですけど。
一番豪華なのは1050円。-

 

-「あとはこんなのやってますから食べていってくださいね。」

日常で提供するメニュー案内を自分に渡す。金-。

野菜を買い、この測定所に出して測る。
ひとつの野菜の値+1500円。

JAの測定というものがそこにどう絡むのかと電話で聞いてみると、
出荷している農家しか受けつけないという。-

 

-スーパーで買った一般の人間の持ち込みは受け付けない。

いずれにせよ、自分が買った野菜そのものが実際に
安心できるものなのか調べるとなると、最低でも1500円の金がのしかかってくる。

これはきつい。目の前に、ベジ麻婆ナスと味噌汁が運ばれてくる。
風評、というが、測って安全ならば食う。-

 

-自分が食う食材そのものが安全ならば。

だが、二年をたってもその個別測定に応じる仕組みが作られていない。

金-。金がないのか。そんなことはないだろう。

五輪誘致の金。東電。国。金はあるが出さないだけだ。

個別測定できる仕組みが限られている以上、不安感を消すことはできない。-

 

-内部被曝の問題がある以上、わからないものは安全とはちがう。
いかに無理線で押し込もうが、そのことは変わらない。

おろかしい無理押しが、世の中を暗くする。
だから、そこは単純に食材を測ってみる。

測って、人に出せる料理を出す。
そうして出せる食材、料理はある。-

 

-しごく明快な話だ。しかしこの明快なものが少ない。

脇に立っている主催の女性の闊達さ、明るさはそんなところから
来ているのだろうと思う。

また、自分をはじめに誰何したあたりに若干の警戒のようなものを感じ、
なにか不憫なものを感じた。

”安心して食べられる、というのはいいですね”自分は言う-

 

-「ここは測ってますんでね。-私はもともと農家で、
自分とこできゅうりとか作って売ってたんですけど、あの幸いに、
その汚染がだいぶこの辺は少なめだったんです。

それは良かったなあなんて思うんですけど、生物関係の除染だなんていうことで、
もう震災直後から微生物とか撒いてもらったんですけど-

 

-「(EM菌とかいいますね)そう、、EM菌とか、光合成菌とか、
それ以外でもなんとかまあ、、、もう菌はずいぶん撒いてもらったんですけど、
なにが効いたかわからないんですけど」

”それは農業関係のひとが分解するのを研究してたひとたちが来て、ということですか”-

 

-「うん、そういう人たちが、やっぱり除染の効果を出したかったんですね。

それでデータも数字で測ったみたいなんですけど、わりとここらへんの線量が
高くなかったから思うようにデータがはっきり出なかったんです。

でもいろいろやってってくれたおかげで、ほんとにあの、雑草の種が、、、-

 

-「雑草って言っても薬草にもなるんですけど、蓬とか杉菜とか
アスパラの茎とかもう測っても出ないんで、だからここの畑の作業も
今年からまたやっと再開、はじめたんです、いろいろデータ取りながら」

”福島全県から来ますか”

「県外からも来ますね。わたしもけっこうどこでもこういう話ししてるんで-

 

-「外国の方も福島来た時に、ここを探してとか紹介されていらっしゃるんで
国際色豊かですね。私たちは3.11以前から気を配っていたんですけど、
それ以降土はあきらめなくちゃなんないかなと思ってたんですけど。

徐々にね、地に足つけてすこしずつやってくしかないかなと思ってます。」-

 

-女性は言った。そのあとにもその日やってきてヘンプカー
(麻の効能を伝える活動をしているらしい)の話をし、
自然エネルギーの話などをした。脇に女性二人。

その子どもがテーブルに座ってくる。-

 ※次回に続く

 2016/10/26(水)22:00に投稿予定です。 


【告発!検察「裏ガネ作り」】裏ガネ告発の手紙を紹介「私は検察庁に副検事として勤務していた者です・・」 ※13回目の紹介

2016-10-25 22:00:00 | 【告発!検察「裏ガネ作り」】

*『告発!検察「裏ガネ作り」著者 三井 環 を複数回に分け紹介します。13回目の紹介

口封じで逮捕された元大阪高検公安部長の「獄中手記」~

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**『告発!検察「裏ガネ作り」』著書の紹介

3 検察「裏ガネ作り」の実態 P48~

(前回からの続き)

 なお、私が担当していた部分は、領収書の偽造で、当時依頼された文書と領収書などを持っています。私には名前が2つあったのです。その名前も特定できますので、当時、私が勤務していた検察庁をお調べいただければ真実が明るみに出ると思います。

 ご連絡いただければ、更に詳細な話と証拠書類をご提供いたします。

 なお、検察用に勤務したいたことを証明するものも同封いたしました。 敬具>

というものである。

 高橋氏は、昭和49年に検察事務官として採用された。仙台地検、仙台高検を経て平成3年に副検事選考試験に合格し、米沢区検、鶴岡区検の副検事を務め、平成8年3月に退職するまで、約20年にわたって検察庁に勤務していた。その間、約10年余りにわたって調活費を使った裏ガネ作りに直接、関与していたという。

 この調活裏ガネ問題については、仙台市民オンブズマンが調査・追及しているが、情報公開に応じない仙台高検を相手取って同オンブズマンは、文書不開示の処分取り消しを求める行政訴訟を起こしている。実はこの裁判に、高橋氏と私は証人として出廷している。高橋氏は実際に法廷で証言したようだが、私は大阪拘置所に拘留中だったので、仙台地裁裁判官の出張尋問(14年11月7日)という形になった。

 出張尋問は午後1時30分から、拘置所内の特設法廷で行われた。ある年配の刑務官によると「ダイコウ(大阪拘置所)では、こないな例はないんと違うか。わしは経験しとらんが・・・」と、いうことだった。

 ※続き『告発!検察「裏ガネ作り」』は、

2016/10/23(水)22:00に投稿予定です。 

 

告発! 検察「裏ガネ作り」


10月24日(月)のつぶやき

2016-10-25 02:26:40 | つぶやき