1876to1945さんのツイート(2013年10月01日~)を順に紹介します。22回目の紹介
【フクシマ見聞録】
同行の女性は、2011年3月11日後の事故初期の異常事態を思いだして笑った
Akira Tsuboi@1876to1945さん 2013年10月25日のツイートから
福島行-
隣にふたりの女性、そのいずれかの子と思われる男の子が座ると、
主催の女性はその二人を指して
「あの、昨日の郡山駅前の行動とか、いつもiwjの人たちがお伝えしてて、
そのハッピーアイランドの人たちが来てます。
覗いて挙げてください」と自分に言って話を向けた。
隣の女性が会釈する。-
-”ハッピーアイランド、というのは何-”
「震災直後に、いろいろと避難所とかに各地から送らてきた支援物資があつまりすぎて、
ということがあったんですけど、それから始まったんです。-
-「それが落ち着いてからはこどもたちの保養ツアーとかをやったり、
いろんな福島のこととか理不尽なことをみんなでかんがてもらおうってことで
IWJさんと一緒にコラボしながら発信しているそういう感じです。-
-「私たちはもともと、よさこいを踊る踊り子隊だったんです。
(自分は仕事場で老人たちの運動のためによさこいを歌うのではじめを歌う)そうそれ。
鳴子をもって踊る、盆踊りみたいな、けっこうはげしい踊りです。
一曲踊るとぜーはーぜーはーしちゃう。」目の前のこどもが、メニューを決めたようで-
-(ベジ麻婆茄子ください)もうひとりの女性が店員の女性に伝える。
こどもがいると、あまり過去のことを踏み込んで聞きづらい。
”物資が集まりすぎて、というのはどういった状況だったんでしょう”
自分は聞ける範囲で聞いた。
「その時はまだ、混乱のうちのなかで、、(場所は?)須賀川です-
-「メジャーなところにはドバっとあって、、避難所とかでも交通機関が良いところ、
郡山だとビックパレット福島、ありますよね、ああいうところにはどばっと集まったんです。
けど、あの時はほんとに近くの公民館に集まるとか、いろんなところに避難所が点在してたんです。-
-「須賀川のとなりの鏡石とかは、震災があった時なんかは、
ひとり一箇所に一枚座布団が敷けないないぐらいぎゅうぎゅうにいたのにもかかわらず、
毛布一枚なかった。それで学校の体育館も被災してしまって、
しょうがなくて、しかもそういう救援物資も全然届かなくて、、。-
-「最初は見回りで回ってたんですけど、そういう所に寒かったんで毛布を届けたりだとか、
あと水が、、、。水道がもう汚染されているかもしれない。
新潟からご好意でタイヤが沈むくらいの水を集めていただいて、わたしどもで運んだりとか。
新潟から運んだんですよね」同行の女性に確認するように言う-
-「そう、子供たちを乗せて、行って、それからがら空きになったところに
(水を)たんまりいれて、、、(わらう)」
同行の女性は、2011年3月11日後の事故初期の異常事態を思いだして笑った。
”車はどのくらいの大きさだったんですか”
「あれは、、、RVRだな。あん時は。そうだな?-
-「(うん、と隣の女性が相槌)あん時はRVRにこどものっけて、新潟着いて、
はやくすっ飛んで帰ろうとしたら、”水載っけてかえれ”、って。(笑い)」話を聞くと、
なにか戦争の始まりのようなのことのような印象を感じる。
他者の話として捉えるのだが、その思いは自分にもあり、-
-突如ふりかかった動乱のなかで多くのことを見、駆けずり回ったことを思い出す。
”須賀川市でそうしていち早く放射能に対して反応できた方たちというのは多かったのでしょうか”
3.11直後「カクバクハツ、ガ起キルカモシレナイトミンナ言ッテルヨ」
伝えてきたドイツ国営放送で働いていた女を-
-出国させた。事務所は赤坂のTBSのビルにあり、女とともにそのロビーを通り過ぎてゆく時に、
番組ごとに分けられ無数の娘たちが満ちて座っているのにぶつかる(地震で交通が止まっていた)。
あの時に見た黒い頭の群れに、なにか防空壕、の印象を持った。女性は言った。-
-「-うごけた、というより、、、なにも考えずに動いてたかたら。うん。”こども逃がしたいんだけど”
って言われて”ああ新潟、、、じゃあ、乗ってく?”みたいな感じだったから、
それに対してなんか迷いなんていうのはなんにもなかった。
でも、普通に動けない親御さんたちもいるし、行けない、-
-「でもこどもだけでも行かせたい、というのはあるじゃない。
”じゃあ、こどもらだけでも乗ってけ”みたいな。でもあん時のさ、
載せってって新潟着いたらさ、あの、公園でさ、ゲートボールやってんだよ。
それ見てさ、こどもたちが”ここは、、、”なんつったっけかな、、、-
-「もう何事もなかったような感じなわけ。でも全員こっちはマスクとかしてがっちりしてて、
こんななってるわけ。はじめて子供たちがそれ見てぽろっと言ったのが
『ここ、マスクはずしてもいいぞ-』って。
-なすきらいなの?最後にとっとくタイプか?」-
-少年のもとに運ばれた麻婆茄子のうち、少年はなすだけをスプーンでより分けている。
「なすも食べねえとだめだよ」女性は言う。
”昨日の郡山駅までの行動は参加者は自分を抜いて二人だけでした。
罵倒され、瓶が飛んでくる。なかなか厳しい印象をもちました。
駅前の参加者は減っているんですか”-
-少年に茄子を食べさせようとしているので、隣の女性に聞いた。
「元から気にしている人たちはふつうに自然に来ますけど、、、
でもかたくなに来ない人もいますね。
ツイッターとかああいう場で発言しても、こう、、、叩かれるときはありますね。-
-「気軽に自分で”どうなの”って、疑問形で書いたことに対しても、
なんかこう、頭ごなしに”そういうことをいってるから(復興が進まない、ほどの意だろう)”
って言われる時もありますね。
ほんとに気持ちをゆるした人同士でないと話ができない。-
-「気にしているひとは多いんだけど、でもそれがおおっぴらに言えない。
結局、こう、じぶんたちで首締めてるんですよね-」
ふいに、子供用ピアノの音がする。軽く、稚気そのもののような音。
少年が目の前にある小型のピアノをいじりはじめた。
「-あの帯直すのにどのくらいかかるんでしたっけ」-
-隣の女性が動向の女性に言う。じぶんはベジ麻婆茄子と味噌汁を食い、金を払い、
民家の外へでた。乳酸菌の男性と遇会する。
やはりひとり、乳酸菌をすすめるブースをやっているのだと言った。-
※次回に続く
2016/10/27(木)22:00に投稿予定です。