「拝観」 と 「参拝」 の違い、みなさんは意識して使い分けていますか。
実は、先般あるお寺さんに安置されている仏さまを、知人が 「拝観」 したいとお願いした時に、そのお寺の和尚さんから諭されたお話なんです。
『仏さまを拝まれる時には、 「拝観」 と言ってはいけません。』
『私らお坊さんの中では、 「拝観」 という言葉を聞いただけで、その人の信心の心を疑います。』
『やはり、ここは 「参拝」 とか、 「お参り」 が、正しい言い方ですよ。』
このお寺さんは、臨済宗妙心寺派です。
和尚さんも言ってみえましたが、 「拝観」 という言葉を気にする和尚さんと、気にしない和尚さんとがいるそうではあるのですが。
ちなみに、東大寺や唐招提寺、興福寺など有名寺院のホームページを見てみると、いずれも “ 拝観のお知らせ ” など、 「拝観」 という言葉を使っています。
くだんの和尚さんも、有料で寺院めぐりをさせているお寺さんでは、いざ知らずとも言ってみえました。
でも、なるほど、そう言われるとそういうことかと改めて言葉の持つ意味合い、ニュアンスの違いに気がついたわけです。
念のため、2つの言葉の違いを辞書で調べてみました。
「拝観」 とは、神社、仏閣やその宝物などを “ 謹んで ” “ 観覧 ” すること。
そして、 “ 謹んで ” とは、敬意を表してうやうやしく物事をするさま。
“ 観覧 ” とは見物すること、 “ 見物 ” とは、催し物や名所旧跡などを見て楽しむこと。
結局、 「拝観」 は、 『神社、仏閣やその宝物などを、敬意を表してうやうやしく見て楽しむこと』 ということになるのでしょうか。
一方、 「参拝」 とは、社寺、特に神社に “ お参り ” して “ おがむ ” こと。
“ お参り ” とは神仏を拝みに行くこと、 “ おがむ ” とは、神仏などに、手を合わせ、頭を下げて祈ること。
結局、 「参拝」 は、 『社寺、特に神社に行き、神仏などにを手を合わせ、頭を下げて祈ること』 ということになりそうです。
「拝観」 に含まれる 『見物』 という語意を、和尚さんは気にしてみえたのですね。
実は、先般あるお寺さんに安置されている仏さまを、知人が 「拝観」 したいとお願いした時に、そのお寺の和尚さんから諭されたお話なんです。
『仏さまを拝まれる時には、 「拝観」 と言ってはいけません。』
『私らお坊さんの中では、 「拝観」 という言葉を聞いただけで、その人の信心の心を疑います。』
『やはり、ここは 「参拝」 とか、 「お参り」 が、正しい言い方ですよ。』
このお寺さんは、臨済宗妙心寺派です。
和尚さんも言ってみえましたが、 「拝観」 という言葉を気にする和尚さんと、気にしない和尚さんとがいるそうではあるのですが。
ちなみに、東大寺や唐招提寺、興福寺など有名寺院のホームページを見てみると、いずれも “ 拝観のお知らせ ” など、 「拝観」 という言葉を使っています。
くだんの和尚さんも、有料で寺院めぐりをさせているお寺さんでは、いざ知らずとも言ってみえました。
でも、なるほど、そう言われるとそういうことかと改めて言葉の持つ意味合い、ニュアンスの違いに気がついたわけです。
念のため、2つの言葉の違いを辞書で調べてみました。
「拝観」 とは、神社、仏閣やその宝物などを “ 謹んで ” “ 観覧 ” すること。
そして、 “ 謹んで ” とは、敬意を表してうやうやしく物事をするさま。
“ 観覧 ” とは見物すること、 “ 見物 ” とは、催し物や名所旧跡などを見て楽しむこと。
結局、 「拝観」 は、 『神社、仏閣やその宝物などを、敬意を表してうやうやしく見て楽しむこと』 ということになるのでしょうか。
一方、 「参拝」 とは、社寺、特に神社に “ お参り ” して “ おがむ ” こと。
“ お参り ” とは神仏を拝みに行くこと、 “ おがむ ” とは、神仏などに、手を合わせ、頭を下げて祈ること。
結局、 「参拝」 は、 『社寺、特に神社に行き、神仏などにを手を合わせ、頭を下げて祈ること』 ということになりそうです。
「拝観」 に含まれる 『見物』 という語意を、和尚さんは気にしてみえたのですね。
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