泉飛鳥塾

「古(いにしえ)の都・飛鳥」の原風景と共に、小さな旅で出会った風景等を紹介したいと思います!

聖徳太子ゆかりの寺院 「河内三太子(かわちさんたいし)」(野中寺・中の太子)

2017年05月25日 21時09分28秒 | 歴史

大阪府羽曳野市にある「野中寺(やちゅうじ)」は、「聖徳太子」ゆかりの寺院であり「河内三太子(かわちさんたいし)」と称される寺院の一つです。

このお寺は、この地域を支配していた王辰爾を祖とする船・津・白猪らの百済系渡来氏族で、 その中でも有力であった船氏が、一族の繁栄と守護を願って650年頃建立したと推定 されている古刹です。

今回は、聖徳太子ゆかりの寺院「河内三太子(かわちさんたいし)」(野中寺・中の太子)について紹介したいと思います。

「野中寺(やちゅうじ)」は、聖徳太子と蘇我馬子の建立と伝えられ「中の太子」と呼ばれています。

境内には、塔や金堂など飛鳥時代の伽藍の跡が残っており、国指定の史跡になっています。方丈や勧学院(府指定文化財)などは、江戸時代に律宗の学問所が設けられたときの建物です。

このお寺には、白鳳期の弥勒菩薩半跏像(重要文化財)・鎌倉時代の地蔵菩薩立像(重要文化財)のほか、ヒチンジョ池西古墳石棺(府指定文化財)や歌舞伎・浄瑠璃の演目「お染久松」の主人公である、お染・久松の墓など見所がたくさんあります。境内庭園のサザンカは府の天然記念物に指定されています。

このお寺の見所は何と言っても、「塔心礎」です。基壇の中央に心礎を置き、その四方に12個の礎石を配しており、他の寺院の塔に見られる四天柱礎は存在しなかったようです。

「塔心礎」は、径71cmの円孔があり、その周囲に半円形の支柱孔を三つもち、上面に亀の彫刻が認められます。円孔の内側には方形の舎利孔があり、塔跡の調査で「庚戌年正月」の記念名平瓦が出土しているので、650年頃には塔が設立されていたことがわかりました。

残されている「塔心礎」の円孔の形が、明日香村にある「橘寺」に残る塔心礎円孔にそっくりなので驚きでした。また、亀の彫刻が、とても素晴らしかったです。

「野中寺」は、聖徳太子建立48寺院の一つとされています。朱塗りの仁王門を入った境内には、かつての大伽藍の礎石が残っています。

飛鳥時代のロマンを感じることができる「寺院」でした! 

                                

 

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