アマチャ・ズルチャ

「アマチャ・ズルチャ」(深堀骨 早川書房 2003)

副題は「芝刈天神前風土記」。
カバーイラストは土橋とし子。
ハヤカワSFシリーズJコレクションの一冊。

短編集。
収録策は以下。

「バフ熱」
「蚯蚓(みみず)、赤ん坊、あるいは砂糖水の沼」
「隠密行動」
「若松岩松教授のかくも驚くべき冒険」
「飛び小母さん」
「愛の陥穽」
「トップレス獅子舞考」
「闇鍋奉行」

「こたつで読みたいバカバカしい本」というテーマで、「たら本」の主催をさせていただいたさい、「ほとんど積読(たまに読む)日記 」のcatscradle80さんが紹介されていた1冊が、この本。

じつに濃厚なナンセンス小説。
バカバカしさの航続距離が、とんでもなく長い。
このへんで着地するかと思うと、まだ飛んでいる。
K点はとっくに越えているのに、着地する気配すらみえないといった風。

短篇は副題のとおり、どれもひとつの街を舞台にしたもの。
簡単に全編の紹介を。

「バフ熱」
棟方志郎は謎の奇病「バフ熱」に冒されていた。
バフ熱はバフ貝を摂取することにより感染する病気。
そのうち「バフバフ」としかいえなくなって死にいたるという。
ところで、志郎には食用洗濯バサミの開発という悲願があった。
きっかけは、妻の「洗濯をしているとおなかがへる」というひとこと。
志郎は妻に支えられながら、食用洗濯バサミの開発に取り組む。

病気はほかにも、ポペ熱とかプハ熱とかがでてくる。
ポペ熱はポペパラガス、プハ熱は刺身によって感染。
と、まあ、外枠は夫婦の話で、場面場面は紋切り型といってもいいくらい。
けれど、病気や食用洗濯バサミといったキテレツな設定が強烈な異化効果を発揮している。
くわえて、展開の無軌道さには目を見張らされる。

「蚯蚓(みみず)、赤ん坊、あるいは砂糖水の沼」
田々口牛於は、帰宅途中、駅前のコインロッカーからため息のようなものを聞く。
スナックのマスターにその話をしていると、とある外国人が話に混じってくる。
「国際『物の霊性』研究学会日本支部長」レヂナルド・キンケイドと名乗るその男とともに、田々口はなにやらいわくありげな駅の器械室に侵入するはめに…。

著者の処女作だそう。
テーマ的に「どんがらがん」(アヴラム・デイヴィッドスン 河出書房新社 2005)に収録された、「さもなくば海は牡蠣でいっぱいに」に近いものがあり、あんなへんてこ小説と同テーマの作品が存在するのかと、読んでいる最中びっくりした。
けっきょくニアミスだったけれど。
著者は場面転換が巧みで、この作品でも、スナックでの会話から話されている内容のシーンへと、テンポよくいききする。
また、ラストのほのめかしかたもみごと。

「隠密行動」
「おっさん」からのよくわからない指示を実行することで暮らしているイモ健の物語。

ナンセンスな作風の本書のなかでも、いちばんナンセンス度が高い。
ここの作品を突破できず、本を投げ出したひとも多いのではないか。
意味不明な描写がつづいたあと、とんでもない展開になる。
著者はアクションシーンというか、モノの運動を描写するのも大変うまい。

「若松岩松教授のかくも驚くべき冒険」
キノコをこよなく愛する若松教授は、南紅殻町(みなみべんがらちょう)に採集旅行に。
宿泊先には、クーデターのため亡命したオッケペケ共和国国王が。
さらに、国王を狙う殺し屋があらわれる。

これもまあ、ストーリーだけ抜き出すと紋切り型。
ただ、ぜんたいにキノコまみれだったり、国王が整形マニアだったり、殺し屋の武器が扇風機だったりするところが、異彩を放っている。

「飛び小母さん」
自堕落な浪人生茂が祖父の家をたずねると、そこに見知らぬじいさんが。
食い逃げが捕まったところを、たまたま祖父に助けられ、家に居ついたという。
このにせじじい、連日ワイドショーを賑わせている空飛ぶ小母さんを追いかけているのだが…。

空飛ぶ小母さんというのはナンセンス。
でも、飛ぶ原因はキャラクターの感情にもとづいている。
突拍子もない表現が感情にむすびついているという点、それまでの作品とはちがい一般小説に近い。

「愛の陥穽」
田々口牛於の母親、浅黄はマンホールのふたを「うすいさん」と呼び自宅に持ち帰る。
さらに、「うすいさん」に手編みのセーターなど着せる始末。
牛於と、父の耕作はとりあえず静観することにするが、そこへ下水道局マンホール担当課長と名乗る者があらわれ…。

例によって、牛於とスナックのマスターとの会話で話が進む。
この作品も一般小説風。
相手はマンホールだけれど。

「トップレス獅子舞考」
これは文字通り、「トップレス獅子舞」という架空の芸能に関する考証。

「闇鍋奉行」
江戸には4つの奉行があった。
寺社奉行、勘定奉行、町奉行、そして鍋奉行。
時は天保12年、東鍋奉行、田々口肥後守牛於は、老中水野越前守忠邦より、闇鍋奉行なる不逞のやからの討伐を命ぜられる。

本編に登場したキャラクターたちによる時代劇。
全作品の総仕上げのような、キテレツな作品。

さて、本書を読んでいて思い出したのは、内田百鬼園先生の小説群だった。
無表情で奇妙なことを語り続ける、不気味なナンセンスさ。
ただ、内田百鬼園先生の小説は、ひとつのイメージを語った短いものが多いけれど、本書の作品はみな長い。
文章のリズムも、会話のテンポも、場面転換のタイミングもうまいものなのだけれど、長くて、どことなく重いから、読み通すのに大変体力がいる。
もう少し軽くしてくれれば読むのが楽なのになあ、というのが率直な感想。

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水彩学

「水彩学」(出口雄大 東京書籍 2007)
副題は「よく学びよく描くために」。

著者は水彩画家。
英文学者出口保夫さんのご子息。

「水彩学」とは著者の造語。
「一介の絵描きが「学」などとは傲慢もはなはだしい」と、あとがきで著者は述べているけれど、そんなことはない。
油絵が主とすると、いつも従の位置に立たされている水彩画を正面にもってくることで、絵画の世界がどんなふうにみえてくるのか。
たとえば、著者はこんなことをいう。

「ゲーテ、ターナー、セザンヌ、カディンスキー、クレー、彼らが水彩描きであったことの意味はきわめて大きいと思うのです」

つまり、抽象画は水彩から生まれたのではないか。
道具がひとの思考や表現の幅を決定するということはよくあることで、水彩は油絵ではみえなかった表現の幅をひろげたのではないか。

「私見では、近代絵画の大きな特質のひとつとは、油彩の水彩化ということではなかったかという気がするのです」

息の長い文章で、できるだけ根本に立ち返って伸びていく著者の思考に立ち会うのは、大変スリリングだ。

本書は3部構成。
序論、歴史編、技法編。

ひとつの「学」を立ち上げるにはすることがたくさんある。
まず定義。
絵というのは要するに、顔料をなにかで溶いて、それをなにかに描いたもの。

この、最初の「なにか」はメディウムと呼ばれるそう。
メディウムはふたつの意味があり、ひとつは技法や材料のこと。
この絵のメディウムはなにかと訊かれたとき、油彩だとか、パステルだとかテンペラだとか答える。

もうひとつは絵の具の「つなぎ」の意味。
顔料を油で練れば油絵の具。
卵で練ればテンペラ。

つぎの「なにか」のほう、紙とかキャンバスとか板とか、絵の具がのせられるほうのことは、専門的には支持体と呼ぶそう。
つまり絵画とは、顔料+メディウム+支持体、という式であらわすことができる。

水彩のメディウムはアラビアゴム。
ここで冗談。

「顔料を油で練った絵の具で描かれた絵を油絵というなら、さしずめ水彩画はアラビアゴム画ということになります。もしくはゴム絵。しかしながら「ゴム絵のみずみずしいタッチ」「やさしいアラビアゴム画入門」ではまったくイメージが狂ってしまいますね…」

序論の第2章は、「絵の学びについて考える」。
著者は、水彩画を教えるひとでもあるから、この問題は切実なのだろう。
しかし、これはややこしい。
西洋画が日本に入ってきて、現地の先生に教えてもらおうと現地にいったら、現地の先生はわけがわからなくなっている最中だったという経緯が、日本の西洋画にはあるから、学ぶさいに必要な評価のモノサシが、社会レベルでわからなくなってしまっているという、とんでもないややこしさがある。

つねに根本までもどって粘り強く考える著者は、ここでも美術教育の祖、フランツ・チゼックまで立ちもどり、それが日本に移入されたさい、どんなねじれが起こったのかを突き止めようとしている。

この章の、ラスト近くのことばは美しい。

「水彩というものを、いまという、近現代なる時代の果てに甦ってきたメディウムであるとするなら、おそらく私たちはそれとともに絵の描き方を思い出している最中なのです」

つぎが歴史編。
ここは3章に分かれている。
「私的美術史」、「明治水彩史」、「英国水彩史」の3つ。

「私的美術史」は、著者の来歴を語ったもの。
これがすこぶる面白い。
この本を読むひとは、ここから読むのも手かと思う。

本物そっくりに描けないことに泣き出した幼稚園のころの思い出から、芸大を志すまで。
芸大の予備校に通うも、そこはゴミ袋をかぶせた石膏像にとり組まされたりするような、じつに不思議な世界。
けっきょく三浪ののち芸大をあきらめる。
レゲエ・バンドでドラムを叩いてその日暮らしをしていたところ、父上からロンドンで下宿の話が。

下宿先は、倫敦漱石記念館。
たまたまそのとなりの地区が、ジャマイカ移民が多く住むブリクストンというところ。
その話に乗り、管理人兼掃除夫という名目で記念館に。

ロンドンでは、レゲエに浸かり、また西欧絵画巡礼の旅と称してイタリア、スペイン、フランスなどの主要美術館をまわる。
そこで思ったのが、「やっぱり絵はいい。絵が好きだ」。
ノートパッドを買ってきて、水彩で色を塗ってみる。

「なにを描くわけでもなくただ色を塗ることがこうも喜ばしいものかと思いました」

…このあたり、読んでいて落涙を禁じえない。
ストレートで芸大に入っていたら、この本も書かれることはなかったろう。

最後は「技法編」。
教えているのは、写実水彩。
ここからこの本を読んで、著者のものの考えかたになれていくのもありかも。

まず、絵の具や紙といった画材の説明から。
実体験をまじえて懇切丁寧に書かれている。
つぎに、「基本技法」がきて、そのつぎは色彩の原理を語った「基本原理」。
で、つぎは「デッサン」。

とまあ、なかなか水彩画を描くにいたらない。

「筆者の考え方は、なにかひとつのものを十全に描けるのであれば(そこに原理の理解が伴っているのであれば)なんでも描けるというものです」

「松の木の描き方はこうで、バラの花はこうで、透明なガラスのコップはこう描きましょう、という「型」ではなく、写実の原理に沿って、じっさいの観察に基づきなんとか工夫を重ねていくほど大切なことはないのです」

とにかく基礎をつくる、というのが著者の方針。
技法編は、この著者のことばに見あった教えかたといえるだろう。
それだけでなく、このことばは、この本を全体をつらぬいている原理のように思える。

本書は図版も多数。
ただ、図版が小さいのが難。
でも、この本の性格からいって、大きい版にはしにいくだろうから仕方のないところか。

「鮭」の絵で有名な、高橋由一の子猫を描いた水彩画にはびっくりした。
脂っこい「鮭」とちがい、水彩で描かれた子猫はふわふわしている。
こんな絵も描けたんだと思った。


さて、以下は余談。
手元に、「これ1冊で、ミネラルと野菜とお肉と、モスのことにうんとくわしくなれる本」、という冊子がある。
モスバーガーが配っていたパンフレット。
いまみたら1997年につくったよう。

薄っぺらい本が好きなのと、この本のつくりがきれいなので、ずっと手元にもっていたのだけれど、このパンフレットの絵を描いたのが、出口雄大さん。
今回、「水彩学」の著者略歴を読み、あれを描いたのはこのひとかあとはじめてわかった。
10年越しでつながった感じがして、嬉しかった。

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時間エージェント

「時間エージェント」(小松左京 新潮社 1975)

カバー、下川勝。
解説、星新一。
新潮文庫の一冊。
短編集、収録作は以下。

「四次元トイレ」
「辺境の寝床」
「米金闘争」
「なまぬるい国へやって来たスパイ」
「売主婦禁止法」
「時間エージェント」
「愛の空間」

「時間エージェント」はタイムパトロールの連作もので、8話収録。

「第1話 原人密輸作戦」
「第2話 一つ目小僧」
「第3話 幼児誘拐作戦」
「第4話 タイムトラブル」
「第5話 地図を捜せ」
「第6話 幻のTOKYO CITY」
「第7話 ジンギス汗の罰」
「第8話 邪馬台国騒動」

小松左京さんの短篇の特徴に、冒頭の主人公をすっかりおいてけぼりにして、社会的なアクションとリアクションを積み上げ、大論説を張るというものがあるように思う。

解説の星新一さんにいわせれば、
「私の作風はどちらかというと閉鎖的で自己の小宇宙を作りあげたがる傾向を示しているが、彼のは逆に開放的で、周囲の殻をぶちこわし、とめどなく広がる傾向を持っているのである」

本書では、「米金闘争」「売主婦禁止法」「愛の空間」がそのたぐい。

「米金闘争」は、三文作家が細君から「予定納税」について聞かされ、逆上するという話。
作家は税金の起源についてしらべ、いよいよ腹を立てて納税を拒否。
税務署員と執行吏が差し押さえにくると、社会科の勉強になると子供のクラス全員をよび、万国旗や花火で盛大にお出迎え。

その後、山奥の過疎地の水田を二束三文で買いとり、農家の届けをだし、補助金は高利でまわす。
コメは買って、政府に売り、逆ザヤをもうける。
業界関係のいいところにのし上がり、生産者米価を上げろと運動。
ついに公務員の給料はコメで支払われることになり、アジア経済圏ではコメ本位が樹立…。

縦横無尽の博識によるほら話。
小松左京さんの面目が躍如としている。

「時間エージェント」は、「007シリーズ」の形式を借りたタイムパトロールもの。
主人公〈ぼく〉の1人称。
失業していたぼくは、ひょんなことから「時間管理局20世紀日本東京支部」に採用されてしまう。
所長はマリという美人。
それから、各支部を統括している、“彼”とだけ呼ばれる老紳士。
ぼくはマリといちゃいちゃしながら、“彼”からの任務を遂行する。

小松さんの博識と饒舌を生かすのに、この形式はふさわしい。
とくに、毎回趣向を変えているのには感心する。
“彼”から指示がくるときもあれば、ぼくが気絶から目覚めるというスリリングな発端もある。
不動産売買をめぐる未来の地図の話もあれば、詭計によって第三次大戦を回避する話もある。

タイムパトロールものというと、ほんとうの歴史はこうだったというようなストーリーが多いような気がするけれど、それは「第7話 ジンギス汗の罰」の1作のみだ。

また、描写も堂に入ったもの。
江戸時代を舞台にした、「第2話 一つ目小僧」での、吉原からの帰り道の描写はこう。

「入谷田圃――といっても、わかるまい。現在は、あの浅草六区の映画館の立ち並ぶあたりから、四区、五区のあたりが、そのときはまだ、一面の田圃で、張ったばかりの水に月が映え、気の早い蛙が鳴きかけていた」

また、江戸時代にいったさいのマリのスタイル。

「所長は黄八丈をスラリと着こなし,黒繻子の帯に素足に塗り下駄、髪は櫛巻きで、珊瑚玉の簪(かんざし)をさした水茶屋スタイル」

この描写が妥当かどうか、判断できる知識はこちらにはないのだけれど、まったく、見てきたようなことを書く。

6話でマリがいなくなってからドタバタ調が強まり、8話で終わってしまったのはいかにも残念。
それでも、充分に楽しめた。

最後に、「愛の空間」にふれよう。
これは、すごくへんてこな話なのだ。

仕事帰りの帰り道、彼は路上のもやもやしたものに出会う。
そいつのなかを通り抜けると、風景が一変し、なにもかもが性的な様相を呈すことに。
しかも、そいつは増殖し、ついには地球全土をおおう「空間」となる。
……

類話が思いうかばない。
世界中、どの言語でもこんな話は書かれたことがないんじゃないだろうかと思うほど。
もし、「世界へんてこ小説アンソロジー」なる企画があったら、ぜひとも入れてほしい奇想小説だ。


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メディチ・マネー

「メディチ・マネー」(ティム・パークス 白水社 2007)

訳は北代美和子。
副題は「ルネサンス芸術を生んだ金融ビジネス」。

メディチ家が銀行業で産をなしたというのは、知識としては知っていたけれど、具体的にどうもうけたのかは知らなかった。
それを教えてくれたのが本書。
簡潔な、ほとんど箇条書きをつなげたような文章で、100年弱のメディチ銀行の歴史をしるしている。

こういう、ぶっきらぼうな文章は好きなのだけれど、あらかじめこの時代の知識がない者にとっては、ちょっときつかった。

さて、メディチ銀行はどうやって巨万の富を得たのか。
そもそも、当時、教会は利子というものを認めていなかったという。

「1179年、ラテラノ公会議は高利貸がキリスト教徒として埋葬されるのを拒絶した」

「1478年、ピアチェンツァで高利貸が教会の敷地内に埋葬されたあとに滝のような雨が降ったとき、町民は遺骸を掘り起こし、それを掲げて通りをねり歩き、絞首刑のまねごとをしたあと、ポー川に沈めた」

こういう逸話が、読んでいて面白いところ。
で、利子でないなら、いったいなにでもうけたのか?
「為替(カンピオ)取引の技法(アルテ)」だという。

たとえば、ここに1000フィオリーニ必要としている男がいたとしよう。
利息を要求できないのだから、銀行はこの男に金を渡すいわれはない。
そこで男は為替取引を提案。

男は銀行に対し1枚の為替手形(カンビアーレ)を振り出す。
内容は、つねの例のとおり、ロンドンにおいてポンド・スターリング銀貨で返済するというもの。

男は、ロンドンにいる代理人を通じて、スターリング銀貨で銀行のコルレス(外国への送金や為替取引、業務代行契約を結んだ銀行)先に支払う。
あるいは、銀行の事務員が男の代理人のところに請求にいく。

ところで、両替商組合は、ある金融中心地から別の中心地への全行程に要する最長期間を想定していた。
フィレンツェからロンドンまでは90日。
為替が「つねの例のとおり」というのはこのこと。

そして、為替レートは、手形ブローカーが日曜祭日をのぞく毎日、屋外で商人や銀行家と会合をもって決定した。
だれかの建物内で会合をもつことは、その人物の支配権を認めることになるので許されない。

現在のレートは1フィオリーノ、40イングランド・ペンス。
男は、3ヵ月後に支払うようロンドンの代理店に指示。
銀行のコルレス先は4万ペンスを集金する。

さらにここがミソなのだけれど、銀行はロンドンで同額の貸付を希望する現地の客をみつけるよう指示をだす。

その客――イタリアに運ぶことで高値で売却できることを見込み、コッツウォルズで羊毛を購入するのかもしれないその客――は、3ヵ月後フィレンツェにおいてフィオリーノで返済することを申し出る。

こうして新たな為替手形がもう1枚書かれる。
ポンドの価値が高いので、レートは1フィオリーノ、36ペンス。

3ヶ月後、すべてが計画通りにいけば、銀行は4万÷36=1111フィオリーニを集金する。
6ヶ月間で、最初の貸付銀行は、11パーセントの利益を上げる。
年利にすれば22パーセント。

メディチ銀行はこの種の取引を何百件となくおこなったという。

……と、まあ、「為替取引の技法」を要約してみた。
でも、正直なところ計算に弱い身にはさっぱりだ。
金持ちになるひとはやることがちがうなあと感心するばかり。

ところで当然、この「為替取引の技法」もけっきょく高利貸しなのではという疑問が浮かぶ。
しかし、通貨レートが激変すれば、損失が生じる可能性もあることから、神学者たちは高利貸しではないと決定。

ただし、同一人物が2枚の手形を振り出す「空手形」は邪悪な振る舞いに。
「空手形」も、通貨レートに対するリスクはあるのだけれど、これを認めると客が望んでいるものは貸付であり、為替取引でないことが明らかになってしまう。
著者いわく、「動機は重要だ」。

とはいうものの、1435年、コジモ・デ・メディチがフィレンツェの政界で支配的地位についたさい、このような為替取引を禁じる法律はすみやかに廃止されたという。

私見では、この本のいちばんの見どころは銀行と教会との関係。

教会はいまの目でみると偽善のかたまりのようで、世俗世界と非常な緊張関係にあった。
そして銀行家は、キリスト教への帰依と世俗の名声という、相対立する欲求を解決する必要にせまられていた。

そのもっとも効果的な解決方法が、芸術と建築。
矛盾がルネサンスを生み、人文主義を生んだということらしい。

「美と真実という道徳的価値を、だが教会の教えとは独立してもてる世俗のスペースという考えかた。空手形で取引しながら「正直」であることを目指す銀行家がこのような考えかたを熱望しないはずがない」

「それは、こんにちわれわれが生きているスペースだ」

…もっとこの時代のことに詳しければ、この本をより楽しめたのになあと思うと、われながら残念。

訳者の北代美和子さんは、あとがきで与党に対する大手銀行の政治献金について触れている。
この15世紀のフィレンツェの物語を、一気に現代日本と結びつけ、読む気をそそらせる素晴らしい訳者あとがきだ。


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たらいまわし本のTB企画第41回「私家版・ポケットの名言」

たらいまわし本のTB企画
通称「たら本」。

第41回目の主催者さんは、ソラノアオの天藍さん。

今回のお題は「私家版・ポケットの名言」

「本の海から掬い上げた、「打ちのめされた」一言、「これがあったからこの本を最後まで読み通した」という一行、心震えた名文・名訳、名言・迷言・名台詞、必読の一章…、そういった「名言」をご紹介くださったらと思います」

「たら本」では、あの本どこだーと部屋中さがしまわるはめになるのだけれど、今回はいつもにもまして本が見つからない!
最初に思いついたのは、カー先生の「三つの棺」(ジョン・ディスクン・カー 早川書房 1979)。
かの有名な「密室談義」について書きたかったのだけれど、見つからなかったのでパス。
うーん、無念だ。

次に思いついたのが、田村隆一の詩。

「言葉なんかおぼえるんじゃなかった」

「帰途」というタイトルの詩の冒頭。
このあとこうつづく。

「言葉のない世界
意味が意味にならない世界に生きてたら
どんなによかったか」

だれしも一度はこういうことを思うんじゃないだろうか。

この詩も手元には見当たらず、図書館で「詩人からの伝言」(リクルートダ・ヴィンチ編集部 1996)を借りて確認した。
この本は語りおろしのエッセイ集。
ざっくばらんな田村さんの語り口がたいへん楽しい。
長薗安浩さんもまとめ上手。

この本をぱらぱらやっていたら、鉛筆で線が引いてある箇所を見つけた。
図書館の本にこんな無法をしてはいけない。
でも、線を引きたくなる気持ちもわかる名言。
せっかくなので、ここに参加してもらおう。

詩の誕生について語った章で、田村さんはC・D・ルーイスを引用しながら、こんなことをいっている。

一篇の詩の「種子」が、詩人の想像力を強く打つ。
「種子」は体内に入り、だんだん成長する。
いよいよひとつの詩を書きたいという欲望に駆られて、詩が誕生する。
つまり、詩はレトリックで生まれるんじゃない。

「詩人の感情の歴史を抜けて飛び出してくるものが、詩なんだ」

つぎは絵に描いた「幸田露伴」(筑摩書房 1992)。
「ちくま日本文学全集」の一冊。
この本に収められた「突貫紀行」の、冒頭の一節。

「よし突貫してこの逆境を出でむ」

この文句はおぼえてしまって、ときどき口ずさむ。
まるまる一文を引用すると、こう。

「身には疾(やまい)あり、胸には愁いあり、悪因縁は逐(お)えども去らず、未来に楽しき到着点の認めらるるなく、目前に痛き刺激物あり、慾あれど銭なく、望みあれども縁遠し、よし突貫してこの逆境を出でむと決したり」

北海道余市の電信局に勤めていた露伴は、文学の夢やみがたく、20歳のとき故郷東京にむかい突貫する。
それがこの紀行文。
余市から船で函館にいき、青森に。
東京に直行するには先立つものがたりなかったし、見聞を広くするには、「陸行にしくなし」。
で、青森から郡山まで歩き、そこから列車。
東京に着いたときは、余市を出発してからひと月ちょっとたっていた。

たいへんな旅だったのだろうけれど、若さのためか、文語体のためか、どこかしらのんきな感じがただようところが好ましい。
それにしても、文語と名言はよく似合うなあ。

いま、「自己鼓舞型名言」ということばを思いついた。
「突貫紀行」もそうだけれど、自分で自分をはげますことば。
これは、名言の王道かもしれない。

そこでつぎは、「自省録」(マルクス・アウレーリウス 岩波書店 2007)。
なにしろ、ローマの皇帝が書いたのだから、王道中の王道だろう。
…と、思ったのだけれど、本が見つからない。
泣く泣くパス。

代わりといってはなんだけれど、

「私がさがすと必ずない」

という名言を思い出した。
山本夏彦さんの名言。

山本夏彦さんは、牛のよだれのようにおびただしい名言を書きつけたコラムニスト。
その数多い著作からは、「ダメの人」(中公文庫 1994)を挙げよう。
それにしても、すごいタイトルだ。

ダメの人というのは、世の中すべてをダメとムダと観ずるひとのこと。

「ダメの人は、自分がダメであることを自慢しない。それは我にもあらずダメなので、どう考えてもダメなのである」

山本夏彦さんは、コラムニストのくせにときおり物語調の文を書く。
それがどれも滋味あふれるもので、「ダメの人」もそのひとつ。
少年のころ、ダメの人に会いにシナにおもむいたが会えず、かわりにダメの人の言行録をもらってきたという趣向で、名言を書きつらねている。

「――とかくこの世はダメとムダ」

このことばに、山本さんはこんな解説をつけている。

「世間はムダをよくないもののように言うが、そもそも私がこの世に生まれたこと、私が生きていること、私が何かすること、またしないこと、一つとしてダメとムダでないものはない」

「私の存在そのものがムダだというのに、どうしてそのなかの区々たるムダを争うことができよう」

かと思えば、こんな名言も載せる。

「――ダメだダメだと言う奴なおダメだ」

どっちなんだよ!と、いいたい。
まあ、名言というのは平気で矛盾しているものかもしれない。

さらに山本さんはダメが流行ることまで考えた。
「それが流行とあれば、人はどんなことでもする」
そこで、こういう名言を記す。

「――ダメを気どってもダメ也」

じっさい山本さんが危惧したとおり、ダメが流行る時期というのはある。
なんという慧眼だろう。

フィクションの名セリフもとり上げたい。
ふと、「ハルーンとお話の海」(サルマン・ラシュディ 国書刊行会 2002)を思い出したので、これを。

この本は、子どもに読まれない児童書という感じの、寓話的なファンタジー。
ハルーンのお父さんは王国一の語り部。
けれど、ハルーンが「ほんとうでもないお話がなんの役にたつ?」といったために、お父さんは物語する力を失ってしまう。
お父さんの物語る力をとりもどすため、ハルーンはひょんなことから出会った水の精モンモとともに、「お話の海」へと旅立つ。

本来、「お話の海」は、色とりどりの「お話の海流」が生き生きとからまりあっているところ。
しかし、「お話の海」は闇の勢力により、死滅させられそうになっていた。
その惨状をみたモシモは、思わず声をあげる。

「おれたちが悪いんだよ。おれたちが海を守らなくてはいけないのに、ろくに守らなかった。海を見ろよ、見ろよ! 最古のお話を見ろよ。朽ちるがままに放っておいた。ぜんぜんかまわなかった。こんな汚染が始まるずっと前からだぞ。……」

訳者、青山南さんによるあとがきによれば、この本はラシュディが潜伏生活中はじめて書いた本だそう。
ラシュディの体験が反映しているとして、この本の冒頭に掲げられたエピグラフを青山さんは引用している。
青山さんにならって、最後にエピグラフの一節を記しておこう。

「読んでくれ、故郷のきみたちのもとに連れていってくれ」


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