「EQMM」 1957年7月号

「EQMM」1957年7月号(早川書房)。

縁あって古い「EQMM」を読むことができた。
50年近くまえの雑誌を読むというのは、なかなか感慨深い。

つくりは出版社がだしているPR誌によく似ている。
中綴じ130ページ。
裏表紙には三共株式会社という会社の、薬の広告。
(だるいのは病気のはじめ 綜合ビタミン剤ミネビタール)
あとの広告はすべて早川書房の出版物案内。
定価100円、地方103円。

表紙は「エラリイ・クイーンズ・ミステリ・マガジン」と題字のみ。
読者欄もなし。
いよいよPR誌のよう。

内容は短篇小説が10編と、コラムが3編。
最後に「編集ノート」と「八月号予告」。

さて、順番に内容を紹介しよう。
まずは「七月の雪つぶて」(エラリー・クィーン 森郁夫訳)。
宝石強盗ジム・クレイディのもと情婦、リズベットが証人席に立つかわりに無罪放免と警察の保護を要求。
モントリオールからニューヨークまで列車でやってくるリズベツトは、当然ジムに狙われる。
対するは、クイーン警部と探偵エラリイ。
列車消失トリックがあるけれど、どうということなし。

「二重露出」(ベン・ヘクト 三樹青生訳)。
神経学者マディが新婚旅行中、妻のフェリシアに射殺された。
そう仕向けたのは自分だというヒューゴー博士の話を「私」が聞く。
登場人物の心理を重視した作品だけれど、ちょっと、すじが込み入りすぎ。

「ついてきてごらん」(ヘンリイ・ネビル 井上一夫訳)。
ジャックがバス停で出会い、部屋に招いた女性ローラは警察に見張られていた。
引き出した5千ドルを、殺人をおかした夫のレイに渡そうとしているため。
「愛情のせいではありませんわ。はっきり何だとはいえないんですけど。いろんなものがからみ合わさってるのね。自尊心とか…」
というローラに、ジャックは惹かれていく。
ロマンティックな味わいのある佳品。

「望遠レンズ」
海外の探偵小説ニュース紹介コラム。
コラムはみんな無署名だ。
ことしのアメリカ探偵作家クラブ賞の最優秀賞は、シャーロット・アームストロングの”A Dram of Poison”だそう。
「毒薬の小壜」のことかな。

「やさしき兄」(デイヴィッド・アリグザンダー 中田耕治訳)。
クイーンと編集部の解説によれば、本年のアメリカ探偵作家クラブ賞の短篇小説賞をスタンリイ・エリンの「ブレッシントン計画」とせりあい、惜しくも受賞をゆずったという作品。

イエズス修道院の神学生ケヴィン・マッカティが、妹を自殺に追いこんだ幼馴染のやくざ、ロオリイ・オバノンに復讐する。
できるかぎりモラルを守り復讐を遂げるところが面白い。
クイーンいわく、「率直にいえば、センチメンタルな物語だ」。
しかし直球のセンチメンタルさ。

「クルミがどっかへいっちゃった」(マーティン・ガードナー 津川啓子訳)。
「わがEQMMは可能なかぎり多くの種類の短篇探偵小説を提供してきたが、ひとつのタイプを見のがしていたことに気づいた。うちの坊主どもはどんな探偵小説を読んでいるのかしらん?」
というわけで掲載された、児童向け短篇。
ヴァイオリンをかき鳴らすフクロおじいさんが、リス君のために消えたクルミをさがしだすお話。

「お金を千倍にする方法」(フランク・グルーバー 田中融二訳)。
グルーバーのコンビ・キャラクター、ジョニイ・フレッチャーとサム・クラッグのうち、サムだけが活躍する短篇。

取り立て屋の「わたし」(サム)は取り立て先で死体に遭遇。
同時に素っ頓狂な格好をした王子と出会う。
王子は「わたし」にひと捜しを依頼。
結果、「わたし」はとある詐欺事件と、もつれた男女関係に首を突っ込むことに。

グルーバーの短篇ははじめて読んだけれど、長編とおんなじで、主人公は駆けずりまわっている。

「ぺいぱあ・ないふ」
海外小説紹介コラム。
探偵小説からはなれて、シオドア・スタージョンの「夢みる宝石」をとりあげている。
なんだか面白そうだ。

「あざみの綿毛」(H・C・ベイリー 深井淳訳)。
フォーチュン物の短篇。

「みすてり・がいど」
「第二講 探偵小説とはなにか」とサブタイトルがついている。
探偵小説の評論のよう。
探偵小説の世界には、昔の作品をもちだして、現在の作品を認めないひとがいる。
「どこの世界にこれほど古典万能な世界があるでしょうか」
ときて、新しいミステリの紹介。
「細い線」(エドワード・アタイヤ)という作品。
心理スリラーの傑作で、「この作品ほど、エピローグが重要な作品は、ちょっと類がないでしょう」とのこと。
まったく知らないけれど、有名なのかな。

「太鼓は鳴らなかった」(ベン・A・ウィリアムズ 小林力訳)。
「私」が旧友の新聞記者から聞いたという体裁の、西部人情話。
なにをするにも一緒の、ジャック・ミルズとバッド・ルウベル。
二人は、東部から帰ってきたばかりのジャニー・ロスにひと目ぼれ。
バッドは銀行、ジャックは鍛冶屋と、二人はこの町で仕事を見つける。

ここで語り手が顔をだしていう。
「これはいかにして二人の男にはさまれた女が、親友を敵同志に変えてしまうかといった物語ではない」
けっきょくジャニーはバッドをえらび、その後、ジャックの葛藤と献身がさりげなく書かれる。
読後感はまるで山本周五郎。
収録作中いちばん面白かった。

「貰いそこねた分け前」(スチュアート・パーマー、クレイグ・ライス 青砥一郎訳)。
ライスのマローン弁護士と、パーマーの女教師ヒルデガルド・ウィザーズがコンビを組んだ作品と、編集部解説。
マローン弁護士はともかく、ウィザーズ先生は聞いたことがなかった。

銀行強盗で服役していた変装の名人、役者のエディが刑務所を脱走。
マローンはエディの弁護人をしたが、エディはかくした金のありかをいわなかった。
エディはマローンとウィザーズのまえにあらわれ、マローンのとっさの機転でウィザーズは別人になりすますものの、金をとってくるはめに。
しかも金をとりにいった先では殺人が。
ずいぶんにぎやかな小説。

「金箔つきのげす野郎」(シリル・ヘアー 福島正実訳)
イギリスの作家。
米軍が駐留しているイギリスの田舎町が舞台。
プレイス警部補が現場のコテージにむかうと、そこには主人を殺された、つとめたばかりの召使いが。
召使いいわく、主人はアメリカから帰ってきたばかりで、あるアメリカ兵の恨みを買っていたというが…。
英語と米語のちがいから犯人が露見するという、渋い短篇。

「編集ノート」
編集後記。
書き手は都築道夫だ。
今月号で本誌も1周年とのこと。
そのことにふれているのが、この欄だけというのが、なんともつつましい。

田村隆一氏から編集をたのまれたとき、創刊号は校了間際、2号の原稿があつまりかけているといった状態だった。
「馬は走りだしていて、ぼくはそのあとから鞍を持って追いかけたわけだ」

というわけで、ぜんたいを通読したのだけれど、つくりはシンプルで内容は充実、分量もちょうどよく読んでいて楽しかった。

さて、本年はこれでおしまい。
では皆様、よいお年を。


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ポケットのABC

「ポケットのABC」(眉村卓 角川書店 1982)。

角川文庫の一冊。
SFショート・ショート集。

あとがきによると、昭和55年から57年にかけて、FM大阪の「男のポケット」という番組のために書いたショート・ショートをまとめたものの、前編。
後編は「ポケットのXYZ」と題したそうだけれど、こちらは未読。
著者は、ただショート・ショートを書いただけでなく、自分で朗読したらしい。

眉村卓さんの本ははじめて読んだ。
ラジオで読むためか、ほとんど一人称。
どの話も、素晴らしくこなれている。
また、ヴァリエーションが豊富。

「見えないたたかい」という話が面白かった。

「ぼく」は疲れていたので、地下鉄の優先席にすわってしまう。
うとうとしていると、目の前に老人が。
「ぼく」、老人のテレパシーを聞く。
(きみのように若い人は席をゆずるのが当然だ)
「ぼく」もテレパシーで抗議。
(くたくたなんだ、すわらせてくれ)
(何ををいうだ!きみは遊んできたんだろう)
「ぼく」と老人、超能力でたたかいあう。
車内にいる4、5人の超能力者たちが、それを感じとっている。
ほかの超能力者はみな老人の味方で…

じっさい超能力の話なのか、それとも「ぼく」のひとりずもうなのかわからないところがミソ。

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一生に一度の月(承前)

続きです。

デビューしてまもないころ、小松さんは、「読売新聞」の大衆文芸時評で、吉田健一さんにほめられた。
これはとても大きいことだったらしい。
横田順彌さんとの対談のなかでも、「猫の首」の巻末についている年譜にも、そのことにふれている。
「足をむけて寝られない」と小松さん。

で、どんなふうにほめられたんだろうと思い、「大衆文芸時評」(垂水書房 1965)を引っ張りだして読んでみた。
昭和37年7月の欄。
とりあげられたのは「オール読物」に掲載された作品、「紙か髪か」。

「…描写が卓抜だといふのはこの作品全体に就いて言へることで、我々は読み終わって文句なしに楽しまされたのを感じる」
「これは将来が期待できる作家である」
「もし世界中に紙がなくなつたらといふ前提から出発して…現代の世界に起こる変化が余りにも的確に語られていて…次々に描かれていくことがあたえる印象の緊密な連絡の仕方に、滞ることがない想像力の動きを見る」
「この頃の何小説でもこれは稀なことであつて、それは要するに、我々が作者とその夢を分かつといふことなのである」
「小松左京といふ名前は今まで聞かなかつたやうに思ふが、ここに新たに一人の小説家が登場した」

激賞されている。
今回読んだ本のなかには、この「紙か髪か」は収録されていなかった。
残念だ。

それにしても、新人をこんなにほめるのは、勇気のいることではないだろうか。
この「大衆文芸時評」にとりあげられた作家は、ほとんどが現在まで名が知られているひとたちばかり。
ものすごい批評眼。

閑話休題。

小松さんは処女長編となる「日本アパッチ族」の前半をを、デビュー以前に書き上げていた。
横田さんとの対談で、小松さんいわく、
「結婚したての女房の嫁入道具のラジオを、質で流しちゃって娯楽がないんで女房のために書いていたんだ」

このエピソードにからめて、「一宇宙人のみた太平洋戦争」で解説を書いている、土屋裕さんが面白い指摘をしている。
小松さんが「日本アパッチ族」の前半を書いたのが、昭和32年。
「SFマガジン」の創刊が、昭和34年。
この創刊号に載ったシェクリイの「恐怖の報酬」を読んで、小松さんは「眼がひっぱたかれたような気持ちになった」。

そこで土屋裕さんはこういう。
「すなわち、小松さんはSFの存在を知るまえからSFを書いていたのです」

内容の話はほとんどしなかったので、すこしだけ。

「一生に一度の月」
これはアポロの月面着陸と、SF仲間との麻雀で九連宝燈であがったことをかけたもの。
英雄的宇宙飛行士と、しがないSFの対比。

エドモンド・ハミルトンの「プロ」(「反対進化」(東京創元社 2005)所収)も、おなじ趣向の話だった。
SF作家の愁いは東西変わらずと思ったり。

「一宇宙人のみた太平洋戦争」
これは宇宙人がみた、という枠組みをつかっただけの歴史エッセイといっていいもの。
ほかも、歴史ものはいくつかあるのだけれど、どれも密度が高い。
情報がつまっている。
この傾向が、後年の、大状況をえがいた長編につながるのかもしれないと思ったけれど、読んでないのでわからない。

ぜんたいとして、才にまかせて書きまくっているという感じ。
文体のひきだしも多い。
そして、どの作品も最後まで読ませる力があるのがすごい。


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一生に一度の月

「一生に一度の月」(小松左京 集英社 1979)。
「まぼろしの二十一世紀」(小松左京 集英社 1979)。
「猫の首」(小松左京 集英社 1980)。
「一宇宙人のみた太平洋戦争」(小松左京 集英社 1981)。

すべて集英社文庫。

「映画というのは演技のドキュメンタリーだ」
と、いったのはだれだったか。
たしかにそうだけれど、ミもフタもないことをいうなあと思ったことをおぼえている。

おんなじことはすべての表現にいえるだろう。
時間がたつと、ドキュメントの側面が強くなる。

今回挙げた本は、すべて小松左京さんの短編とショート・ショート集。
いっぺんに読んで、ドキュメントとしての面白さを味わうことができた。
これらの本自体、当時の単行本未収録作品をあつめたもので、ドキュメントの性格が強い。

「一生に一度の月」には、各章に「ショート・ショート対談」と題された、横田順彌さんとの対談がついている。
小松さんが執筆当時の話をしていて、これが面白い。

最初の章にまとめられたのは、「団地ジャーナル」に掲載されたショート・ショート。
昭和37、8年ごろ。
筒井康隆さん、眉村卓さんと三人で、交代交代書いたそう。

掲載誌にあわせて、舞台は団地。
これにかぎらず、小松さんはつねに掲載誌にあわせた書きかたをしている。
これは別の章の話だけれど、横田さんがこんなことを。
「ぼくはここのが一番おもしろい。といっても内容ではなくて、ものすごく依頼主にあわせている。注文がきてるなって感じがよくわかるんですよね」
さすが、同業者らしい見かた。

さて、「団地ジャーナル」掲載のころは、SFなんてだれも知らない。
そこで第一作はあえてSFっぽくせず、おいおいSFらしさを出していった、と小松さん。

でも、個人的にはこのSFっぽくない第一作がいちばん面白かった。
「向かい同士」というミステリ。

向かい同士の男女が惹かれあう。
それぞれ夫と妻がいる身。
たがいに、「夫を愛してる」「妻を愛してる」といいながら逢瀬をかさねる。
そしてある温泉宿で、ふたりは告白しあう。
妻は病気、夫は出張といっていたが、じつはそうではなかった。
「きみのご主人は僕の妻をうばった」
「いいえ、あなたの奥さまが、わたしの夫をとったのよ」

最後にもうひとつどんでん返しが。
省略が効いていて、抜群のうまさ。

このときの原稿料が税込み3千円。
「当時としちゃずいぶんいいほうだった」

この本には、「朝日新聞」に書いたショート・ショートもおさめられている。
昭和45、6年に書いたもの。
最初に「朝日新聞」がいってきた原稿料は、1枚5千円。
しかも600字。
7500円にしかならない。
クレームをつけて、1本3万円くらいに折り合いがついたそう。

当時、小松さんと星新一さんは、ショート・ショート一篇3万円以下では書かないという協定を結んでいたという。
10年で物価が相当変わったことがよくわかるエピソードだ。

…えー、長くなりそうなので、続きは次回に。

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マジカル・サンタクロース・バス・ツアー

昔描いた絵をアップ。
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堀口大学「蝉」

「日々の非常口」を読んでいたら、イナゴの佃煮の話がでてきた。
最近は食べていないけれど、これがなかなか美味しいのだ。

中学生のころ昼食はお弁当で、あるときイナゴの佃煮が入っていた。
なに食べてるのと、となりの女の子に訊かれ、見せたら驚かれてしまい、教室は騒然。
しかたなく、何匹か食べ残したことを思い出した。

アーサーさんもイナゴの佃煮が好物らしい。
「ぼくにとってはどんなスナック菓子よりも、イナゴの佃煮のほうが後を引く」

話はイナゴの英語名、grasshopperへ。
イネ科の草をgrassといい、イナゴはそこをhopする。

日本語で「アリとキリギリス」とか「アリとセミ」とかいう話は、英語では「The Ant and the Grasshopper」が一番ポピュラーなのだそう。

アーサーさんは、自身のアリの観察にもとづいて、この有名な話の後日談をつけ足している。

イナゴは行き倒れ、それをアリの一匹が嗅ぎつける。
仲間に知らせ、みんなでイナゴを解体して巣に搬入。
ますます豊かな冬ごもりになったとさ。

でも、「アリとキリギリス」とか「アリとセミ」の話を聞いて、いつも思い出すのは、堀口大学の詩、「蝉」だ。

タイトルの下に、
「ラ・フォンテーヌのは寓話
 さてこれはわたくしの愚話」
と、ことば書きがついている。
こういう詩。

蝉がいた
夏ぢゅう歌いくらした
秋が来た
困った 困った!
(教訓)
それでよかった

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日々の非常口

「日々の非常口」(アーサー・ビナード 朝日新聞社 2006)。

アメリカ生まれの日本語詩人、アーサー・ビナードさんのエッセイ集。
朝日新聞に連載されたものをまとめたもの。

話題は当然ことばについてのものが多い。
掲載紙を反映してか、社会派な時事ネタも。

ひとつのエッセイで話題がひとつということがなく、三つにも四つにも広がっていく。
サービス精神がとても旺盛。

読むとわかるのだけれど、アーサーさんはじつにフットワークが軽い。
書道をやり、謡いをやり、俳句をつくる。
ラジオのパーソナリティーをやり、都内を自転車でこぎまわる。
地元の図書館では、毎年サンタ役を。

あるとき、近所の神社の節分会にでかけたら、若いお母さんが、「あら、サンタさん」。
正体が露見してしまった。

英語で秘密をもらすことを、”spill the beans”というそう。
豆をこぼすという意味。
まさか節分会で、自分の秘密がこぼされるとは。

また、都内を自転車で駆けめぐるアーサーさんは、よく拾いものをする。
警察の「拾得物預り書」はもう馴染み深い書類。

いつも「権利放棄」に署名をし、連絡先を相手に教示してもいいという欄にマルを。
でも、お礼の電話をもらったことは一度もない。

で、ためしに権利を放棄しないでみた。
数日たって、担当の警察官から、「落とし主に返しました」の電話。
追って「拾得物変換通知書」の葉書も届いた。
でも、落とし主からはなにもなし、とアーサーさん。

これは落とし主のかたがたにも、すこし同情してあげたい。
外国の名前のひとが日本語の達人とは、そう思わないもの。

それにしても、エッセイがグチっぽくならないというのは、特筆すべき美点。

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知恵の悲しみの時代

「知恵の悲しみの時代」(長田弘 みすず書房 2006)。

著者は詩人。
また、本にかんする著作も多い。

この本は、大戦中に出版された本を取り上げ、紹介したもの。
有名でない本がほとんど。
でも、著者は紹介の名人。
一冊の本のありようを、ですます調で、おごそかに、魅力的に語る。

しかしまあ、目配りが広い。
たとえば、木村荘太の「林園賦」(建設社 1935)という本。

木村荘太は武者小路実篤の「新しき村」の旗揚げにくわわったひと。
のちに千葉成田に移り住み、戦時中は望まれて成田図書館(いまの成田山仏教図書館)に勤めた。
未整理だった2万冊余の漢籍と、山をなして放っておかれていた洋書を読んで整理することに、ひたすら心を注いだとのこと。

このあと、カッコしてこう書いてある。
(成田市広報なりたによる)

広報にまで目をとおしているらしいのだ。
しかも、広報を資料として遇し、きちんと記している。

さて。
著者がこの「林園賦」を取り上げたのは、この本に収められた「マルクス アウレリウスの回想」という文章にふれるため。
木村荘太にとって、マルクス・アウレリウスは、戦後の「自省録」とは、おもむきの異なるとらえられかたをされていたらしい。

「わたし自身は、ただ未来しかなかった昭和の敗戦後にでた明晰な神谷美恵子訳によって、マルクス・アウレリウスにはじめて親しんだ世代に属しますが、木村荘太が「林園賦」でふりかえっているマルクス・アウレリウスの眼差しは、その先に未来のない時代を見ているように曇っています」

紹介された本のなかに、自分が読んだことがある本があるとなんとなく嬉しい。
この本では「書物」と、幸田露伴の「雪たたき」だけ読んだことがあった。

「書物」(森銑三 柴田宵曲)という本は1997年に岩波文庫におさめられて、読んだのはこれで。
でも、著者はこの本も当時公刊されたものを手にとっている。
戦後の版でははぶかれている部分を指摘している。

戦時色の強い本も紹介されている。
「週報」という、当時、内閣情報部がだしていた広報誌。

その昭和18年11月3日号には、「地下資源探索の手引き」という記事が載っているそう。

「…金属資源は兵器の主体であり、基礎でありまして、これがなくては、あらゆる兵器工場は立ちどころに生産不能に陥るのでありますから…
いざ鉱石が発見された場合は最寄の鉱山監督局へ以下の要領でお知らせください…
なほ又聞き等の場合は、自身で現場を突き止めた上で通報されたいのです…」

「この期に至ってなお」と、著者は、ほんのすこし語気を強めている。

それにしても、当時の本を直接読んでも、こんなふうに味わえるとはとても思えない。
それがこうも興味深い本に変身するのは、著者の強い批評性のためにだろう。

また60年ほどたって、似たような企画が立てられたときには、この本を入れてほしいと思う。

…と、いうようなことをきのうの夜書いたのだけれど、投稿に失敗。
文章はパー。
いやあ、泣きながら寝ましたよ。

接続の調子が悪いときに文章を書いてはいけませんね。
しかたないので、書き直しました。

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紹介文の書き方

本の紹介文を書くようになると、紹介文というのが気になってくる。

紹介文には、まず書誌データが必要。
だれが、いつ書いたのか。
人間にたとえれば、履歴のようなもの。

それから内容の紹介。
要約のポイントはひとそれぞれちがうだろうけれど、なるべく客観的に書く。
これだけでも、相当むつかしい。

さらに個人的見解をふりかけて完成。

そんなようなことを考えていたら、いま刊行中の「ヘルマン・ヘッセ全集」(日本へルマン・ヘッセ友の会・研究会/編集 臨川書店)のパンフレットを読んで、そうとはいいきれないかも、と思い直した。

このパンフレットの、「推薦のことば」を書いているのは三人。
池内紀、小塩節、萩尾望都の各氏。

池内紀さんはさすがのうまさ。

ヘッセの作品のタイトルはほとんど固有名詞。
なのに、日本語訳のタイトルはずいぶん情緒的。
いままでヘッセは感傷的に受け入れられすぎたという内容のことを書いて、こう続ける。

「新しい全集によって、ようやく本来のヘルマン・ヘッセがあらわれるにちがいない」

これと対照的なのが萩尾望都さん。
自分とヘッセとのかかわりを熱っぽく語る。

「私はヘッセを読んで自分の乾きに気づいた。そして、満たされていった。自分は無為の存在だと、もう思わなくても、良いのだ」


萩尾さんは(あるいは発注者は)、ほかのおふたりとのコントラストを考えたのかもしれない。
それにしても迫力のある文章。

こういうことは、ヘッセのような高名な作家だからできることだろう。
でも、ひょっとすると紹介文というのは、こんな風に、熱をつたえられればいいのかも。
作者や作品に、よほど心酔していなければできないワザではあるけれど。


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エルシー・ピドック、ゆめでなわとびをする


「エルシー・ピドックゆめでなわとびをする」(エリナー・ファージョン作 シャーロット・ヴォーグ絵 岩波書店 2004)。

カテゴリーを考えるのは面白い。
かってにアンソロジーを考えたり、リストをつくったりするのとおんなじ。

ひとつのカテゴリーが引力になって、ぐるぐる作品があつまって、星雲をかたちづくるようになるといいのだけれど、たいていそうはいかない。
ろくに思いつかず、ひとつふたつの作品がくるくる回るだけになってしまう。

さて、そこで「エルシー・ピドックゆめでなわとびをする」だ。
ファージョンの短編を絵本にしたもの。
これが、なわとびをあつかった、素晴らしい絵本なのだ。

ケーバーン山のふもとで生まれたエルシー・ピドックは、生まれながらのなわとび名人。
その評判は妖精たちの耳にも入るほど。
エルシーは「なわとび師匠」のアンディ・スパンディに見込まれて、三日月の晩、眠りながら、なわとびのあらゆる秘術を学ぶことに。
それから長い年月がたち、新しい領主が山に工場をつくるといいだして…

もし「なわとびアンソロジー」が編まれたら、ぜひ入れてほしい傑作。
でも、なわとびにまつわる話なんて、これひとつしか思いつかない。

この絵本は、短編を絵本にしたものだから、絵本にしては字が多い。
また、物語を読む年ごろでは、体裁が絵本なので手にとられにくいだろう。

こんなに素晴らしいのだから、なんとかこの物語をよろこぶひとのもとに渡ってほしいと思う。




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