非情の日

「非情の日」(ジャック・ヒギンズ/著 村社伸/訳 早川書房 1984)
原題は“The Savage Day”
原書の刊行は1972年。
1975年刊行の「鷲が舞い降りた」まで、あと3年。

冒頭に、オリバー・ウェンデル・ホームズというひとが書いた文章が載せられている。
同じ文章は「テロリストの薔薇」にもあるけれど、訳文がちがっている。
両方、引用してみよう。

「非情の日」
《たがいに矛盾する世界を作りたがる二つの人間集団の中間にあって、わたしはなんの救済策も見出しえない。暴力を別として……。どの社会共同体も人々の死の上にあぐらをかいているようにわたしには思えるのだ。 オリバー・ウェンデル・ホームズ》

「テロリストに薔薇を」
《相反する種類の世界を造ろうとする二つのグループの人間が存在する場合、私は、力以外に解決方法はないと思う……いかなる社会も人の死を基盤に存立しているように、私は思える。 オリヴァ・ウェンデル・ホームズ》

さて。
本書、「非情の日」は、サイモン・ヴォーン少佐による〈わたし〉の1人称。
ヴォーンは、朝鮮戦争で英連邦軍少尉として勤務。
指揮官として勇名をはせたが、パトロール中に捕虜となり、中国軍に1年と少し抑留される。
その後、情報部に転属。
破壊的革命に対処する戦術を専攻。
マラヤ、ケニヤ、キプロス、ボルネオ、スーダンそのほかで任務につく。

冒頭、ヴォーンがギリシアの刑務所にいるところから物語はスタート。
叛乱軍に武器をはこんできて捕まったのだ。
そのヴォーンを、イギリス輸送軍のハリー・ファーガスン代将なる人物が訪ねてくる。
のちに長くシリーズ・キャラクターとなるファーガスンの、これが初登場かもしれない。

ファーガスンは、釈放と引きかえにヴォーンに仕事を依頼する。
「北アイルランドのIRA、つまりアイルランド共和国軍を片づけてほしいんだ」

現在、アイルランド紛争の収拾を困難にしているのは、IRAの内部分裂。
なかでも、フランク・バリー――のちに「テロリストの薔薇」にも登場する――ひきいる〈エリンの息子たち〉と称するグループがもっとも悪質。

ところで、5週間ほどまえ、ベルファストからグラスゴーに向かう夜間郵便船が、6人の男にシージャックされた。
首領の名前はマイケル・コーク。
通称〈小男(スモール・マン)〉。
現在、60歳にはなっているはず。

郵便船には、50万ポンド以上の値打ちがある金塊が積まれていた。
男たちは郵便船を奪い逃走したものの、翌早朝、ラスリン島付近でイギリス海軍の高速魚雷艇と衝突。
ただひとり生き残ったマイケル・コークは、郵便船をここぞと思う場所に沈めたあと、ゴムボートでストラモア付近に上陸し、すばやく姿をくらました。

しばらくして、ロンドンの武器販売業者、ジュリアス・マイヤーのもとに、コークの名前で取り引きの打診が。
マイヤーはそれをしかるべき筋に届けでて――。
というのが、現在の状況。

そこで、ヴォーンの任務。
マイヤーの代理人になりすまし、IRAと接触して、金塊の行方をつきとめてくれ。
もちろん、ヴォーンには選択の余地はない。
ファーガスンの提案を受け入れ、刑務所をでて、この任務につくことに。
それにしても、「刑務所からでるために任務を引き受ける」というパターンを、ヒギンズ作品は何度もつかっている。
「水中からなにかを引き上げる」という話もまたしかりだ。

出所したヴォーンは、武器販売業者マイヤーのもとへ。
2人はかねてからの友人。
ロンドンにある、マイヤー所有の倉庫で2人は再会。
ファーガスンもやってきて、今後の方針を確認する。

まず、ヴォーンは月曜日の晩、マイヤーの代理人としてベルファストでおこなわれる会議に出席する。
マイヤーは、ファーガスンとの連絡係を務める。

というわけで。
舞台は、テロが横行するアイルランドへ。
ベルファストの酒場で、ヴォーンはマイケル・コークの姪、ノラ・マーフィと、拳銃の名手である青年、ビニー・ギャラハーと会う。
いろいろあって、交渉が成立し、船で武器をはこぶことに。
ところが、第一回の引き渡し分をはこんでいる航海中、ちょうどブラディ水道を進み、目的地まであとわずかというとき、暗闇からイギリス海軍の高速魚雷艇があらわれる。
驚いたことに、その船に乗っていたのは、フランク・バリーとその一味。
どこかで、この取引を知ったバリーは、武器を横どりしにやってきたのだった――。

本書は、ヒギンズの初期の作品から「鷲は舞い降りた」にいたる、橋渡し的作品といえるだろうか。
1人称による斜にかまえた口ぶりや、思わせぶりなだけで不必要な描写も依然としてあるけれども、ともかく話はてきぱきと進むし、なにより最初から最後まで、金塊さがしという目標につらぬかれている。
意想外の出来事が次つぎと起こり、尻尾まであんこが詰まっている感じで、最後まで飽きさせない。

このあと、武器はバリー一味に奪われてしまう。
が、対戦車砲から撃針をはずしていたことで、バリー一味をうまく出し抜く。
撃針は、2回目の輸送のときにもってくる予定だった。
その2回目の輸送だが、こんなことが起きるのでは値を吊り上げざるを得ないと、ヴォーンは切りだす。
マイケル・コークが金塊をもっているという噂は聞いている――と、話は進む。

本書で、もっとも印象的なキャラクターは、拳銃の名手であり、理想主義者である、ビニー・ギャラハーだ。
ビニーは、目的が正しければ暴力も正当化されると考えている、バリー一味のような連中を憎んでいる。
作中でこの議論に至ったとき、ビニーはこういう。

《「ちがう、ぼくはそれには反対だ」ビニーが静かに言った。「別な方法があるはずだ、絶対に。さもなければ革命にはなんの意味もない」》

ビニーのような皮肉をいわないキャラクターのおかげで、語り手であるヴォーンと役割分担がはっきりした。
それだけ物語は明瞭になった。
それに、ヴォーンは任務についている軍人だから、アイデンティティに悩むことがない。
そのことも、作品に読みやすさと安定感をもたらしている。

後半、ファーガスンがフランク・バリー一味に捕まってしまう。
あのファーガスンがと思うと、ちょっと面白い。
ラストは、「廃墟の東」風。
少々、小細工を弄しすぎたきらいがある。

表紙の挿画は、おなじみの生頼範義。
ブラディ水道を航行中、高速魚雷艇があらわれた場面だろうか。
緊張感があり、素晴らしい挿画だ。




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テロリストに薔薇を

「テロリストに薔薇を」(ジャック・ヒギンズ/著 菊池光/訳 早川書房 1991)
原題は“Touch the Devil”
原書の刊行は1982年。

3人称多視点。
主人公は、マーティン・ブロスナン。
プロテスタントの、アイルランド系アメリカ人。
作家志望で、プリンストン大学で英文学を専攻。
思うところあって、ベトナム戦争に志願。
空挺レインジャー部隊の軍曹となる。

プロローグは、1968年のベトナム。
カメラマンとして戦場にとびこんだアン―マリイ・オーディン――父はイギリス人、父はフランス人の、大富豪の娘――の乗っていたヘリコプターが撃墜され、アン―マリイは外に投げだされる。
絶体絶命のなか、あらわれたのがブロスナン。
アン―マリイはブロスナンに助けられる。

舞台は変わり、現在のパリ。
イギリスの国防情報本部DI5第4課のエージェント、ジャック・コーダーは、国際テロリスト、フランク・バリイと接触。
今回の標的は、フランス大統領を極秘訪問中のイギリス外相キャリントン卿。
仲間として計画に加わったコーダーだったが、けっきょくバリイに勘づかれ、殺されてしまう。

コーダーの上司、第4課の責任者、ファーガスン准将は首相に経過を報告。
バリイは元IRA。
1972年、第4課創設時、ファーガスンはヴォーン少佐をバリイの組織に潜入させ、その結果バリイは重傷を負った。
(これは「非情の日」のストーリーだ)

が、バリイは逃げおおせ、いまでは国際テロリストとして活動。
その背後ではKGBが暗躍している。

首相からバリイの排除を命じられたファーガスンは、部下である補佐官のハリイ・フォックスと対策を練る。
ハリイ・フォックスは2年前まで近衛騎兵連隊の大尉代行を務めていた人物。
ベルファストでの3度目の勤務のさい、爆弾で左手を失う。
30歳。

ファーガスンは、1972年に、バリイがリーアム・デヴリン、マーティン・ブロスナンと写っている写真をみて、あるアイデアを得る。
陸軍を除隊したブロスナンは、博士号をとるためにダブリンのトリニティ大学にいった。
1968年、ベルファストにあるおじの教会を訪ねたブロスナンは騒乱に巻きこまれ、その後IRAに参加。
参謀長のデヴリンのもとではたらくようになる。

が、1975年、デヴリンの指示で武器購入の交渉のためにフランスを訪れたブロスナンは、仲介者が警察の情報提供者であったために、そこで逮捕。
そのさい、警官2人を負傷させ、ひとりを射殺。
現在、地中海にある孤島、ベル・アイルで終身刑に服している。

一方、リーアム・デヴリンは1975年、独立運動から正式に引退。
現在は、母校であるトリニティ大学英文学部の准教授をしている。
61歳。
デヴリンが引退するにあたっては、ブロスナンの逮捕がきっかけだったのではないかと、ファーガスンは踏んでいる。

で、ファーガスンのアイデアだが――。
ファーガスンとハリイ・フォックスは、SASの第22連隊司令部を訪問し、リーアム・デヴリンの拉致を依頼。
トニイ・ヴィリアーズ大尉がその任務を担当。
負傷しながらも、デヴリンをロンドンに連れてくる。

ファーガスンはデヴリンに、ブロスナンに会いにいくように頼む。
寛大な処置と引きかえに、バリイを殺害する気はないか。
打診してほしい。

ファーガスンは、ブロスナンのいとこ、ノーラ・キャシディが、バリイによって麻薬漬けにされ、けっきょく死んだことをデヴリンに告げ、ヴィデオもみせる。

ところで、バリイとデブリンとブロスナンの3人が写っている写真を撮ったのは、アン―マリイだった。
このときの、IRAについての記事で、アン―マリイはピュリッツァ賞を受賞。
デヴリンは、「ヴォーグ」の仕事でロンドンにきていたアン―マリイと会い、現状を話す。
すると、彼女はデヴリンに同行するといいだす。

さて一方。
フランク・バリイは、パリのソビエト大使館文化担当官、その正体はKGB大佐であるニコライ・ロマーノフから、次の仕事を請け負う。
西ドイツが開発した超小型ミサイルが、来週イギリスにはこびこまれる。
空軍の旧飛行場に降りたち、トラックで陸軍のロケット実験場にはこばれ、そこで専門家などにその性能をみせる。
このミサイルを、ひとつ入手してほしい。
この申し出を受けたバリイは、イギリスの湖水地方に潜入する――。

タイトルの、「テロリストに薔薇を」とは、マーティン・ブロスナンがIRA時代、敵である北アイルランド派遣軍司令官のオフィスの机の上に薔薇を置いて去ったというエピソードに由来している。
ブロスナンは、ほかに当時のアルスタ首相と北アイルランド担当相の机の上にも一輪置いた。
「われわれは、そのことを新聞に知られないよう、機密扱いにしなければならなかった」と、ファーガスン。

上記のようなブロスナンのIRA時代のことは、登場人物たちのセリフによってしか語られない。
デヴリンの履歴についての説明も、すべてファーガスンがハリイ・フォックスに語ることでおこなわれる。
読者への情報提供は、セリフによってするのがいいと決意したようだ。

この作品の登場人物、ファーガスン、デヴリン、トニイ・ヴィリアーズ、ブロスナンなどは、ほかのヒギンズ作品にも参加している。
この作品あたりから、登場人物をつかいまわし、ヒギンズ・ワールドが明確化していくと考えていいだろうか。
本書の悪役、フランク・バリイもセスナまで操縦するのだから、のちのシリーズ・キャラクター、ショーン・ディロンの前身のようなものだ。

ストーリー展開は、よく考えるといささか腑に落ちない。
なぜ、わざわざデヴリンをアイルランドから拉致してこなければいけないのか。
なぜ、アン―マリイは同行を申しでるのか。
少々根拠が薄弱かと思うのだが、読んでるあいだは気にならない。
作戦を練る場面は長く、実行はあっさりと書かれたストーリーは、多視点でテンポよく進み、つながりの悪い部分を意識させない。

このあと、デヴリンの訪問をうけたブロスナンは、ファーガスンの「寛大な処置」を待たず、自力で脱獄をこころみる。
一方、ミサイル強奪に成功したフランク・バリイは、ロマーノフにさらなる金銭を要求する。
ブロスナンも、バリイも依頼者のコントロールの外にでる。
そして、ラストは急展開。
「テロリストに薔薇を」というタイトルが効いてくる。

文庫の解説で権田萬治さんは、「テロリストに薔薇を」というタイトルは原題よりずっといいと書いている。
では、原題の“Touch the Devil”はどんな意味があるのか。
作中でデヴリンが説明してくれる。
アイルランドの古いことわざに、「悪魔に触れたら、手が放せない」というものがあるそう。
意味を訊くファーガスンに、デヴリンはこうこたえる。

《「あんたは充分承知しているはずだ。あんたもわたしも、そこにいる若者(ハリイ・フォックスのこと)も、刑務所のマーティンも。フランク・バリイも。わたしたちはもはや止まることができない、そうだろう? 引き返せない。われわれ全員、くだらない葬儀屋だよ、つねにどこかの哀れなやつを棺で運び出している」》


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