人文会ニュース 2009年5月号

「人文会ニュース 2009年5月号」(通巻105 人文会 2009)

人文会は、人文書を刊行している、20の出版社からなる集まり。
そこが年3回発行しているのが、この「人文会ニュース」。
裏表紙に載っている会員名簿をみると、現在、草思社は休会中。
人文会のホームページはこちら

本書は、2008年10月23、24日に渡りおこなわれた、「人文会創立40周年記念東京合同研修会」の特集号。
全国の人文会特約店のなかから、100店舗の書店、大学生協担当者をあつめて、「人文書の可能性を探る」と題しておこなった研修を再録した冊子だ。

冊子とはいえ、2段組で158ページ。
たいへんな濃厚さ、かつ充実ぶり。
業界とは無縁の門外漢が読んでも面白い。
非売品だけど、どこかで読めたりするんだろうか。
全体の印象をキーワードとしてあらわすと、「ネット」と「新書」と「読書ばなれ」といえると思う。

さて、内容は以下。

・「人文会創立40周年記念東京合同研修会について」
・「特別講演 教養主義の没落と人文・社会科学」 竹内洋
・「パネルディスカッション 人文会の40年と人文書の可能性」
・「ケーススタディ 人文書販売の現在と未来」
・「パネルディスカッション 人文書の最前線」
・「フリーディスカッション 人文書販売の未来をデザインする」
・「東京合同研修会参加者アンケート」

あと、巻末に「人文会会員社 新刊のご案内」がついている。
では、ひとつずつ紹介を。

「人文会創立40周年記念東京合同研修会について」 代表幹事 鎌内宣行(春秋社)
これは挨拶文。
人文会は2008年に創立40周年を迎えたそう。

「人文書の棚は常備品、いわゆるロングテールといわれる基本図書が中心ですが、時代に即した棚構成や展示法、フェア企画など棚担当者様のスキルが売上を左右するジャンルであり、人文会としても書店様との研修は大事な活動になっております」

「本誌をお読みいただき、当日の臨場感を少しでも感じ取っていただき、ご自分のお仕事に役立てていただければと思っております」

「特別講演 教養主義の没落と人文・社会科学」 竹内洋
関西大学文学部教授、竹内洋さんによる講演。
ひとことでいうと、若者が本を読まないという現状を述べている。
面白かったところをメモ。

「私は他の大学に行くと必ず学内の書籍売場に行きますが、本当に大学の文化度を表していますよね。一番ひどいところでは、教科書と漫画しか大学の生協にないんですよ。新書も置いてない」

「今、高学歴ワーキングプアといわれる院生問題がある。いつまでたっても職に就けない。そういう状態になると、論文をたくさん書かなければならない。だから今の大学院生は、ある意味では人文書、広い意味での教養の、本当の担い手のはずなのが、もう論文を書いて業績を作らなくてはならないから、自分のテーマの論文しか読まない。教養書や人文書を読んでいる余裕ないんですよ」

「人文・社会系から理系も含めて、現在17万人の専任大学教師は、人文書の偉大なるマーケットだと思うのですよね。しかし、先の大学院生と同じ状況がある」

「出版社の人も、今は持ち込み原稿がすごく多いと言いますよね。人文会の出版社だったらもう、断るほうが膨大な仕事になってるんじゃないかと思いますが、これも学位取らなきゃならない、教授になるには本がなきゃ駄目だとか、そういうプレッシャーがすごくあるわけです」

「これからの日本社会を考えるとき2つのモデルがあると思います。一つは衆愚社会。この衆愚社会になると人文系で生き延びるには、下流人文書を狙い目にする以外にないと思うんですね」

「もうひとつは、ヨーロッパ型の新階級社会モデルです。このモデルだと人文書は上流化するでしょう。中間文化の時代に人文書が売れていたというのは、中流人文書だったんだと思います。しかしこれからは、下流人文書でいくのか、上流人文書でいくのかっていう、極端にいうとそのどちらかでしょう」

「書き手のほうの責任ですけど、現代の人文書の書き方に問題があると思いますよ。専門書として書くのではなくて、パブリック・サイエンスとして書くのであれば、やっぱり書き方の工夫というものはあるんだろうと思います」

「皆さんの書店でも、佐藤優さんの本はよく売れているのではないかと思うんですが、彼の本ね、やっぱり読ませるんですよ。『私のマルクス』でも書いてあることは難しいんですよ。宇野弘蔵とかいっぱい出てきて。ところが何で面白いかというと、自分の体験が語られているのですよ」

「パネルディスカッション 人文会の40年と人文書の可能性」
 司会 持谷寿夫(みすず書房)
 福嶋聡(ジュンク堂)
 菊地明朗(筑摩書房)
 橋元博樹(東京大学出版会)
  
これは回顧談と人文書の役割について述べたもの。
人文会は、書店の人文書担当者と長年研修会をおこなっているという。

「人文書は書店さんにとってもおそらく一番厄介な分野だうと思うのですが、本当にきちっと売るためには、そういう大変な作業が出版社側にとっても求められたのだと思います。そのための工夫が、今申し上げましたようなみっちりとやる研修であり、『人文書のすすめ』を5年おきに出すということだと思います」

と、菊地さん。
また、福嶋さんは図書館と書店をくらべてこんなことを述べている。

「図書館と書店というのは、本と読者の出会いの場であるという意味では同じだと思うんですが、ずいぶんと性格にちがいがあって、僕は図書館と比較した場合、書店というのは実験場であり、ラボラトリーであると考えています」

「図書館の選書というのは我々にとってみたら買い切り商品の仕入れと一緒で、そんなに冒険はできない。どうしてもそれまでに定評の高いものから入れていくということがあります。我々はもっと実験ができるんじゃないかと思います」

「書店というのは、少しずつ読者からお金をいただいて、それが最終的には出版社に還流し、印税となって書き手を支える。そういうようなプライドをもってもいいんじゃないかなというようなことを思います」

橋元さんは人文書の役割は公共圏をつくることだとしてこんなことを。

「無料の情報がどれだけネット空間に豊富に存在してもそのコンテンツを見るかぎりでは残念ながら、現状では文化の質を上げることにはなっていないと思うわけです」

「この状況のなかでは、書物の流通・販売にかかわる私たちが人文書を販売するということは、まだまだ大きな社会的な意味があるということだと思います」

つづいて、販売データの生かしかたについてのやりとり。
データは、要するに判断材料のひとつにすぎないと、お三方の意見は共通している。
福嶋さんが面白い話を紹介している。

「先日行われた図書館大会でも、創元社の加藤部長がおっしゃっていたんですけれども、最近は営業の方が、データ作りばかりに時間をとられてしまっている。実際に本をパラパラとでも見て、これはこういう本ですから是非、というような営業がだんだん減ってきた。こういうデータなんでぜひお願いします、という数字だけで書店にやってくるようになった、ということなのです」

また、橋元さんはこんなことも。

「ネット書店の仕入れはある種の過去のデータにしたがって、的確な数を発注しているという印象はあります。ただ、新刊にかんしては、やっぱりときとぎ仕入れを失敗していると思うんです。リアル書店と比較したネット書店の売り上げデータを見ているとずいぶん売り逃している新刊がたくさんあるんですよね」

「書店の仕入れというのは、けっして完全にデジタル化されることのない、書店員の重要な能力だと思います」

「ケーススタディ 人文書販売の現在と未来」
 司会 鎌内宣行(春秋社)
 吉田敏恵(紀伊国屋書店)
 池田忠夫(大垣書店)
 市岡陽子(喜久屋書店)
 鈴木孝信(あゆみBOOK)

これは各人文書担当者が、現場での創意工夫を述べたもの。
話が具体的で、素晴らしく面白い。
みんな面白いのだけれど、ここでは喜久屋書店の市岡さんの話をメモ。

「喜久屋書店倉敷店は、イオンモール倉敷のなかにあります。倉敷駅からはバスで6分。駐車場が4500台あり、車で来店されるお客様が多いです。商圏は東は岡山から西は福山くらいまで。北は県北の津山あたりからも来店されます。書店の広さは約420坪。漫画館が約150坪。合計570坪のワンフロアです。営業時間が10時~22時まで。社員7名を含め、全従業員38名で店を動かしています」

「書店の一日の来客数は、平日で約1300~1500名。祝祭日ですと2600~2800名くらいになり、売り上げもそれに準ずる額になります。一ヶ月の売り上げは約1億円です」

「ショッピングセンター内の書店ですので、強いジャンルは児童書や実用書です。しかしながら人文書をはじめ、専門書にも力を入れたいという思いがずっとあり、今年になり、取次様の協力もあり、医学書を置くことができました。歯科やリハビリの医書、また以前から常設している看護・介護書が好調であり、インショツプの書店において新しい挑戦になるのではと意気込んでいます」

「地方の土日中心の集客ということもあり、いわゆる世間で大きく売れている書籍については、大きく売れる土日にかけて商品をいかに確保できるかにかかっています。お客様の滞留時間は長く、書店内にカフェも併設しています」

「人文書の棚は合計で376段。冊数は1500冊です。私どものチェーン店のインショップ店のなかでも人文書の棚数は多いほうではありません。ですので、限られた場所でピンポイントでアピールし、また売れている書籍の周りに2、3点お薦めしたいものを絡めるなど、平台、棚にしても並べ方に連動性を、お客様の視線が途切れないように心がけています」

「人文書の売場は店の一番奥にあります。ですので、棚の現住所が人文書であっても、売りたい、売れると思った本は、入口付近の一等地で展開します。若い人にもっと人文書の売場まできてもらえるような工夫を、書店としても考えなければならないと感じています」

「事前に一冊しか仕入れていない本も、しっかり買っていただけるお客様もきてくださっています。面だししなくてもしっかり棚をみて買ってくれたひとがいる、書店員冥利に尽きます。このようなお客様を決して失望させないようにしなければならないと、気が引き締まる一瞬でもあります」

市岡さんが担当者として気をつけていることは4つあるそう。
ひとつは、季節感や時流にあった反応をする。
2つ目は、既刊本も面だしする。
場所がないといういいわけはせず、売れる既刊本は面だししてアピールする。

「人文会様をはじめ出版社様のご協力もあり、委託期間の過ぎた書籍も複数冊置き、そのあと返品を了承していただけることは、可能性を広げる上でとてもありがたいことです」

3つ目は、問い合わせ、反応のあった書籍を売り捨てない。
お客から問い合わせがあり、在庫がなかった本は、たとえ客注にならなくても、できる限り一冊入れる。

「そのような書籍が売れていくことが、高い確率で起こるのです」

また、小出版社や、インショップの店ではおいていないと思われる本、人文書のような専門書や堅い文庫もなるべく置く。

「そのような本が置いてあるとわかると、リピーターが増えると確信しています」

それから、棚に入れている本で、一週間に2、3冊売れている本が重要。
それ以上の売り上げが広がる可能性がある。

4つ目は、ジャンルの垣根を低くすること。

「私の店で仕掛けている山川出版の『詳説日本史図鑑』もトーハンさんの分類では人文書にはあがってこない書目です。山川出版社だと学参になるのかもしれませんが、内容や価格をみても学生だけではなく多くの方に手にとってもらえる書籍であり、当店でも話題書、人文、学参と複数箇所で展開しています」

「ふさわしいところであればどこでも売っていいというのは、展開場所やその周囲の本の選書に担当者の力量が問われるのではないかと思います」

さらに、市岡さんは、膨大な発刊点数になった新書のなかで、四六判のものを売っていくのは本当に大変だと感じていると話し、こんな指摘を。

「必要とされているジャンルだからこそ出版点数も多いのだと思いますが、新書の躍進の影に四六判の形で出版する意味を問われているような気がします」

これを受けて、司会の鎌内さん(みすず書房)もこんなことを。

「本当にこれ、なかなか難しいっていうか、我々四六判やA5判しかだしていない出版社と新書もだしている出版社と、どうやって上手く、こうつなげていくかっていうのは、非常にこれから課題になっていくんじゃないかなっていうふうに思っております」

…えー、なんだかずいぶん長くなってしまったので、後半に続きます。

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翻訳味くらべ「クリスマス・キャロル」に追加

翻訳味くらべ「クリスマス・キャロル」に、
「クリスマス・キャロル」(池央耿訳 光文社古典新訳文庫 2006)
を追加。

この訳で読めばよかったなあと、ちょっと思ったりした。


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馬鹿★テキサス

「馬鹿★テキサス」(ベン・レーダー 早川書房 2004)
訳は、東野さやか。
表紙CGはTOMOCHI GREATEST。
解説は杉江松恋。

このタイトルに、けったいなイラストの表紙。
どんなにバカバカしい小説なのだろうと手にとってみた。
読んでみると、バカバカしいことはバカバカしいのだけれど、思っていたほどではない。
というか、これくらいなら「馬鹿」をつけなくてもいいんじゃないかと思うくらい。

では、どんなストーリーなのか。
解説の杉江松恋さんが手際よくストーリーを要約されているので、それをちょっと手を入れて引用してみる。

人口900人の小さな町、テキサス州ブランコ郡の狩猟監視官ジョン・マーリンは、ある晩へんてこな通報を受ける。
鹿の着ぐるみを着た男が撃たれてけがをしているというのだ。
撃たれたのは野生生物学者のトレイ・スウィーニー。
生態調査のために着ぐるみを着て鹿の群れに近づいていたところ、間抜けな密猟者に撃たれてしまったという。

現場は、元ロビイストで、現在、鹿育成の大牧場を経営しているロイ・スワンクの地所。
さらに、意識をとりもどしたトレイは、鹿のバックが不審な躁状態になっていたとマーリンに告げる。
じつは、バックは、もともとマーリンの親友フィル・コルビーが飼っていた鹿。
スワンクがコルビーの牧場を買収したとき、一緒に取り上げられてしまった鹿だった。
マーリンは、バックを証拠物件と称してスワンクの牧場から連れだす。
そして、事件を調査するうちに、牧場を舞台にした犯罪を突き止める――。

というわけで、本書は鹿牧場を舞台にしたミステリ。
トリッキーな人物と、ツイストがかかったストーリーが展開が魅力だ。
…と、いいきりたいところなのだけれど、いまひとつ面白くない。

記述方法は、3人称多視点。
視点がころころ入れ替わる。
視点が変えられるのは、それだけ筆力があるからだともいえるし、ひとつの視点を押し切るだけの筆力がないからともいえる。

また、場面展開はいささか軽やかさに欠ける。
瞬間風速的に面白い場面は多々あるのだけれど、それがうねりを起こしていない。

ストーリーはツイストがかかりつつもありがちな展開。
主人公マーリンは、事件の調査中、美女と仲良くなり、悪漢のために2人して閉じこめられたりする。
また、悪役スワンクは、事件の推移により、コロンビアからビジネス・パートナーというか殺し屋が乗りこんできて、主導権を握られてしまったりする。

でも、ありがちな展開は悪いことではない。
小説の大部分はありがちなものだ。
ありがちなことが気になってしまうところがまずいので、それは作者の声が作品のすみずみまでいき渡っていないためだろう。
読んでいて、うまく物語の波に乗れないのだ。

(でも、ひょっとするとこの不満は、たんに読み手であるこちらの資質の問題かもしれない。べつの読者がうまくこの小説を楽しめるということは、おおいにありえることだ。そんなひとがいたら、とてもうらやましい)

作者は、面白くしようとがんばりすぎて、声のとどかないところまでストーリーを散らかしてしまったんじゃないかと思う。
だれか別のひとが翻案をしたら、より面白くなるかもしれない。

解説によれば、本国では、自然を舞台にしたところと、トリッキーな人物が多々あらわれるところから、カール・ハイアセンの作品とくらべた評が多かったそう。
でも、ハイアセンの作品が「馬鹿★フロリダ」と名づけられていないなら、この作品もこのタイトルをつける必要はなかったんじゃないかという気がする。

辛い評価をつけてしまったけれど、本書は決してつまらなくはない。
とくに、間抜けな密猟者2人組みの描写は、痛々しくもバカバカしい。
本書のなかで、断然光っている。

でも、もっと面白くなりそうなのにそうはならない。
そこがもどかしかった。

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年刊推理小説・ベスト20

「年刊推理小説・ベスト20 1962年版」(荒地出版社 1961)
編者はブレッド・ハリデイ。
1962年版が、1961年に出版されるのは妙な気もする。
でも、奥付ではこうだった。

この本は図書館で借りたのだけれど、ぼろぼろもいいところ。
背の部分はテープで補修してあった。
これでも、捨てないのだからたいしたものだ。

さて、収録作。

「編者まえがき」 ブレッド・ハリデイ
「価値の問題」 C・L・スイーニイ
「引退」 ケネス・J・マカフリー
「安全殺人」 ケネス・ムーア
「殺し屋」 ジャック・リチィ
「あとは野となれ山となれ」 リチャード・M・ゴードン
「まちがった本番」 スチュアート・ビアス・ブラウン
「マクガリーと映画館強盗」 マット・テイラー
「死の床を作れ」 バッブス・H・ディール
「鎧の死」 ブライアス・ウォルトン
「銀行へどうぞ」 ヘンリー・スレッサー
「脅迫状」 ジェイ・フォルブ、ヘンリー・スレッサー
「一九九〇年の殺人」 C・B・ギルフォード
「殺人者は翼をもたない」 アーサー・ボージズ
「秘密の箱」 ボーデン・ディール
「倫理の問題」 ジェームズ・ホールディング
「暗い帰り道」 ボール・W・フェアマン
「燻ぶる心」 ドゥ・フォーブス
「すてきな治療」 ログ・フィリップス
「張りこみ」 トマス・ウォルシュ
「殺人方法」 タルメージ・ボウェル

うーん、知らない名前ばっかり。
全体に、短篇というよりショートショートといいたくなるような短い作品が多い。
すべての作品には、編者フレッド・ハリデイによる前説がついている。
それでは、簡単にひとつずつ紹介していこう。

「編者まえがき」
「年刊推理小説ベスト20」は、本年度からブレッド・ハリデイが編者になり、それ以前の15年間は、デイヴッド・C・クックがその任にあたっていたそう。
それから、EQMM誌から一編も採っていないのは、そこに発表された作品の相当量が、同誌によって年2冊出版されるアンソロジーに収録されるためだと断っている。

「価値の問題」C・L・スイーニイ 田中小実昌訳
若くきれいなワイフをもつ〈わたし〉の山荘に、ワイフの愛人があらわれる。
将来有望な新進ピアニストで、ハンサムで、年もワイフと同じくらい。
話をするために、かれを山荘に呼んだのは〈わたし〉。
若いピアニストは、奥さんはあなたと別れる決心をしていると〈わたし〉にいう。
そこで、〈わたし〉はこんなことをいう。
「わたしたち三人のうち、きみにだけ、解決をせまられた問題がない。きみは得するだけで、失うものはないんだ。わたしの気持ちとしては、不公平だと思うな」
そして、〈わたし〉はピアニストの片手に手錠をかけ、もういっぽうの輪を落とし戸を引き開けるための輪にかけて…。

たんなる復讐ではなく、相手に解決をせまるためのシチュエーションをつくるところがミソ。

「引退」 ケネス・J・マカフリー 山下諭一訳
引退を決意した殺し屋ジョージ・フランケルの物語。恋人に指示をだし、ボスとなごやかに会談し、尾行を巻いて恋人と落ちあうが…。

「最後のオチが非常によくできている」とハリデイはいっているけれど、いやーどうだろう。

「安全殺人」 ケネス・ムーア 北村太郎訳
44歳で恰幅のいいレミイは、トニイ・スペノから殺しの依頼を受ける。
相手は、以前トニイと仲間だったジョーイ・キーナー。
ジョーイは、トニイを拳銃でねらったが、それは失敗し、現在警官が血眼になってさがしている。
ジョーイが警察につかまれば、トニイの悪事もばれてしまい大変まずい。
しかし、ジョーイが殺されれば、疑われるのはトニイに決まっている。
そこで、呼ばれたのがレミイ。
レミイは、トニイから教わったジョーイの隠れ家にむかい、トニイを倒すが…。

これも殺し屋もの。
こっちのほうがオチがうまい。
まさかこうくるとは。

「殺し屋」 ジャック・リチィ
妻にさしむけられた殺し屋と対峙する〈わたし〉の話。
この作品は、「動かぬ証拠」というタイトルで、「ダイアルAを回せ」(ジャック・リッチー 河出書房新社 2007)に所収されている。
「ダイヤルA…」を読んだときには、そう気にとめなかったけれど、今回この本で読んでみたら感銘をうけた。
短編集で読んだときは印象が薄いけれど、アンソロジーで読むと印象が強くなるということがあるのかもしれない。
そして、ここでも〈わたし〉がとても若い妻をめとったことが問題の発端になっている。

「あとは野となれ山となれ」 リチャード・M・ゴードン 北村太郎訳
不仲のキングとクイーン、そしてアナーキストの執事が織り成すストーリーの合間に作者が顔をだしては茶化すという、おふざけ小説。
探偵の趣味が脳外科手術というが可笑しい。
なぜそんなことをするのかという問いに、探偵はこうこたえる。
「好きなんだ。くつろいだ気持ちになるのさ」

「まちがった本番」 スチュアート・ビアス・ブラウン 田中小実昌訳
すべてに退屈している脚本家のアーチゃーは、書いた脚本どおりに宝石店盗難を実行する。
一般小説のような味わいの作品。

「マクガリーと映画館強盗」 マット・テイラー 河合悦之助訳
私服刑事マクガリーは、頻発する映画館強盗の警備のために、警部の命令で映画館の宣伝係をするはめに。
宣伝係というのは、かかっている映画にまつわる仮装をして、そのへんを歩くというもの。
スカートをはいてスコットランド人になったり、北極の人狼になったりしながら、マクガリーが強盗の襲撃を切望していると…。

フレッド・ハリデイの前説によれば、このダン・マクガリーと恋人キティは過去20年間に渡って雑誌に掲載されてきたシリーズ・キャラクターだったとのこと。
ストーリーは軽く、こなれていて安心して楽しめる。
完成度の高い読み物だ。

「死の床を作れ」 バッブス・H・ディール 鷺村達也訳
片方は妻が非常に美しく、もう片方は夫が非常に美しいという、2組の夫婦に激発した事件をあつかった作品。
検屍官の妻の視点から、2組の夫婦についての関係が語られるという、女性作家らしい味わいの一編。
ハリデイの前説によれば、作者は本書に収録されたボーデン・ディールの奥さんとのこと。

「鎧の死」 ブライアス・ウォルトン 神谷芙佐訳
デ・カルブ大佐の私用秘書であり、かれのヨーロッパ甲冑コレクションの管理者である、小男のモリス・スレイター。
大佐が亡くなり、市の管財人であるスカドモアがコレクションを処分しはじめたことに憤ったスレイターは、スカドモア殺害をたくらむ。

本書のなかでは長めの一編。
スレイターの奇妙な殺害方法と、その末路が印象的。

「銀行へどうぞ」 ヘンリー・スレッサー 関保義訳
ファースト・セントラル銀行出納係のジョージ・ビッケンは、銀行強盗がくるのを待望していた。
というのも、もしそんな事態が起こったら、残金を着服して罪を強盗に着せるつもりだったのだ。
ある日、ついに強盗がきて、ジョージは計画を実行に移すのだが…。

ユーモラスな語り口と皮肉な結末。
さすがヘンリー・スレッサーはうまいなあ。

「脅迫状」 ジェイ・フォルブ、ヘンリー・スレッサー
引退した警官ジョーが警部にだす手紙と、ジョーの妻であるマーサが母親にだす手紙とで構成された書簡体小説。
引退したジョーのもとに、出所した犯罪者から脅迫状が届く。
報復にくると考え、ジョーは犯罪者のもとへ話をつけにいくが…。

これまた、技巧を凝らした皮肉な結末の一編。

「一九九〇年の殺人」 C・B・ギルフォード 稲葉由紀訳
未来の、徹底的な管理社会で起こった殺人を扱った作品。
個人は国家の財産なので、殺人は国家反逆罪にあたるという論法が面白い。

「殺人者は翼をもたない」 アーサー・ボージズ 関保義訳
ある海岸で資産家の退役陸軍将校が殺された。
足跡と凶器につかわれたステッキから、犯人は被害者の甥ラリイに疑問の余地はない。
しかし、ラリイはエイダー警部の姪ダナの婚約者だった。
エイダー警部とダナの頼みで、〈わたし〉、検屍官のジョエル・ホフマン博士は独自の調査を開始する。

…という、密室状況下の海岸での殺人をあつかった、本書中唯一の本格もの。
しかも、足跡のトリックという、大時代な物理トリックがつかわれている。
驚くようなオチではないけれど、古風さが楽しい。

「秘密の箱」 ボーデン・ディール 中江克己訳
トミーの母親とその恋人が殺された。
パパとママは離婚したこと、ママはマークさんと仲がよかったこと、銃声を聞き、しばらくして居間にいくと、ママとマークさんが倒れていたことなどが、トミーの説明により明かされて…。

8歳の男の子が警察に電話をかけ、事情聴取を受けるという、臨場感抜群の一編。
オチが弱いのは仕方ない。

「倫理の問題」 ジェームズ・ホールディング 中江克己訳
殺し屋のマヌエルは、ある依頼を受けて現地へ。
カメラマンのふりをしてターゲットに近づくが、予想外なことに相手は女の子。
しかも、海で溺れたマヌエルは、その女の子に助けられて…。

じつに気持ちのよい殺し屋もの。
舞台設定などが細かく、徹底的に抽象化して書くジャック・リッチーとは対照的だ。

「暗い帰り道」 ボール・W・フェアマン 中桐雅夫訳
別人と間違えて誘拐されてしまった、盲目の少女の脱走劇。
本書中、もっとも長く、もっとも読み応えがある作品。
長いだけあり、視点が少女、その叔父、その雇い主、誘拐犯などと変わっていき、サスペンスを盛り上げる。

ハリデイの前説によれば、本編は最初ポール・ダニエルズという仮名で、「マイク・シェーン・ミステリ・マガジン」に発表されたが、作者は「エラリー・クイーンズ・ミステリ・マガジン」の編集長という有利な立場をかくすために仮名を用いたとのこと。
本書では実名をだしてくれたとハリデイは記している。

「燻ぶる心」 ドゥ・フォーブス 鮎川信夫訳
ナイトクラブの火事によって、俳優の夫を失った女優のジーナ。
世間の目を逃れて別荘におもむいたところ、火事の真相を知る男があらわれ…。

これまた女性作家による、女性心理を扱った一編。

「すてきな治療」 ログ・フィリップス 山下諭一訳
精神科医メルヴィン・フォッグの患者、ウォルター・マイアーズはじつは強盗。
マイアーズは強盗することにより、メルヴィンの無意識の願望を成就してやる。

皮肉のきいたユーモア・ミステリ。
いささか皮肉が効きすぎてわかりにくいか。

「張りこみ」 トマス・ウォルシュ 山下諭一訳
とあるアパートの部屋に入りこんだ泥棒をとり逃がすへまをしたハラハン刑事。
おそらく泥棒はその部屋に盗品をかくしており、またくるにちがいない。
そこで、失恋3週間目のハラハン刑事は、魅力的な姉妹の部屋で張りこみをすることに。

ミステリ的状況は、緊張感やアクションシーンをつくりだすためだけに存在するという、かぎりなく恋愛小説に近いミステリ。

「殺人方法」 タルメージ・ボウェル 宇野利康訳
オレンジの先物取引に手をだして無一文になった〈ぼく〉。
大学時代の友人マーテイ・ジェイナスにさそわれて、マーテイの妻ペリと船長のラルフ・コーソンとともに、マーテイの船で魚釣りの航海に出発。
しかし、途中船が難破して、マーティンは行方不明になり、残り3人は孤島に漂着。
そこで、ペリをめぐって〈ぼく〉とラルフはあらそいはじめる…。

冒頭で犯人を割り、なぜそんなことになったのかが語られるタイプの小説。
タイトルについて考えさせられる。

さて。
本書から好みを選べば、一番は「暗い帰り道」。
あとは、「殺し屋」、「マクガリーと映画館強盗」、「鎧の死」といったところ。
それにしても、「暗い帰り道」はサスペンス抜群で、じつに面白かった。

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国立国会図書館月報2009年12月号

国立国会図書館月報の2009年12月号に、長尾真館長と松岡享子さんの対談が載っていたのでメモ。

戦前の文庫活動は男性のほうが多かったのか!
びっくりだ。

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月刊「たくさんのふしぎ」2010年2月号についてのメモ

月刊「たくさんのふしぎ」2010年2月号『おじいちゃんのカラクリ江戸ものがたり』に、喫煙シーンが頻繁にえがかれていると、NPO法人日本禁煙学会から指摘がなされた。
これについて、出版社と日本図書館協会の対応がHPに載っていたのでメモ。

・日本図書館協会
「タバコ礼賛「たくさんの不思議2010年2月号」の不当性について」へのお答え

・福音館書店
書店様へのお知らせ 『おじいちゃんのカラクリ江戸ものがたり』について

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盗まれた美女

「盗まれた美女」(ジョナサン・ラティマー 新樹社新社 1950)

訳は葉山しげる。
ぶらっく選書の一冊。

「ぶらっく選書」は背表紙にある文言。
裏表紙には「Black選書」とあって、丸善みたいなフクロウのマークがある。
タイトルの「盗まれた美女」も、そう書いてあるのは背表紙だけ。
表紙には「the Lady in the morgue」と英語で表記されている。
作者名も表紙では英語表記のみ。
ペーパーバックっぽくみえないこともないけれど、絵がいまひとつなので、そうみるには努力を要する。
当時はこういうのが格好よかったのかもしれない。
装丁は城所昌夫。

原書は1936年刊。
この本の初版は昭和25年(1950)。
手元にあるのは再販で、昭和30年のもの。
古本屋で、50円で買った。
(ちなみに、国会図書館で検索してみたら、さすが、ちゃんともっていた)。

早川書房から、「モルグの女」というタイトルの、同じ作者の本が1979年に出版されている。
たぶん、内容は一緒だろう。

さて、ストーリー。
舞台はシカゴ。
深夜の死体公示所に、何人かの男たちがいる。
男たちは、死体公示所の監視人と、新聞記者たち、それに主人公の私立探偵ウィリアム・クレーン。
記者やクレーンがここいるのは、昨晩はこびこまれた身元不明の美女のため。
美女の知りあいが、だれかやってこないかと待っているのだ。

そのうち、退屈しのぎに記者2人とクレーンはゲームをはじめる。
あらかじめ肌の色をきめておき、死体の入った戸棚をつぎつぎと開けていって、ポイントを競うという、趣味の悪いゲーム。
身元不明の美女の戸棚も開ける。
アリス・ロスという名前で、安ホテルで自殺していたということ以外、なにもわからない。

すると、客がきたのでゲームは中断。
客は、美女の知り合い。
美女が思っている人物かどうか確認しにきた。
そこで、死体置場にまたもどってみると、監視人は死亡しており、美女の死体は消えている。
一体なにが起こったのか?

このあと警官がやってきて、当然クレーンは疑われたりするのだけれど、なんとかいい逃れる。
それから、クレーンはがぜん忙しくなり、アリス・ロス嬢が自殺したというホテルの部屋を調べたり、そしたら警官がやってきたので隣の部屋に逃げこみ、美女と同衾したり、アリス・ロス嬢は自分の妹かもしれないという金持ち青年の話を聞いたり、同じくアリス・ロス嬢を別のだれかと勘違いしている2組のギャングに狙われたり…。
同僚2人も合流し、かれらと軽口を叩きながら、クレーンはシカゴの町を奔走する。

3人称クレーン視点。
ジャンルとしては、軽ハードボイルドというところだろうか。
個人的には、右往左往小説とよんでいるもの。
たとえば、フランク・グルーバーの「ゴースト・タウンの謎」(創元推理文庫 1999)のような、登場人物たちが、本人もきっとわかっていないと思われるほど、あっちにいったりこっちにいったりする小説のことだ。

ただでさえ、意味不明なほどうごきまわってわかりにくいのに、加えて訳文が古くて飲みこみにくい。
仕方がないのでメモをとりながら読んだ。
訳文が古いのは、たとえばクレーンがギャングに脅かされるところ。
ギャングはクレーンに、「拳銃の鞘を革紐で括りつけた胴っ腹」をみせる。
これはたぶん、ホルスターに入れた拳銃をみせたんだと思う。

ほかにも、「乳当」はブラジャーのことにちがいないとして、「分類別電話案内」とはタウンページのようなものだろうか。
また、「美容室の毛髪電気乾燥機から流れでる風のように暑いムッとする大気」とは、「ドライヤーからでる風のように暑いムッとする大気」という意味か。

さらに、文章はときどきこんな風になる。
「ウィリアムズは試験的に酒を味わった」
…翻訳は、この50年でとても進歩したのだと実感。

ストーリーは途中、ずいぶん右往左往するけれど、ラストはちがう。
関係者全員が一堂に会し、クレーンが推理を披露して犯人が捕まる。
軽ハードボイルド調なのに、ラストは大時代な本格探偵小説のよう。
軽妙さと謎解きがいい具合に混ぜあわさっている。
これが、本書のいちばんの魅力だろう。

この本、古本屋で買ったといったけれど、扉のところに丸をした優の字が書かれていた。
元のもち主は満足できたよう。
それを知り、こちらも嬉しいかぎりだ。

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明けましておめでとうございます

明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。

と、いいながら、「ことしの一冊たち」に書き忘れていたことを追加。

まず、昨年、大好きだった「発作的座談会」シリーズが、「帰ってきちゃった発作的座談会」(本の雑誌社 2009)をもって終了したこと。
椎名誠さんのあとがきによれば、終了する理由は「年をとってバカ話ができなくなったから」。
さみしいかぎりだ。

もうひとつ。
昨年、「老師と少年」が文庫化されてびっくりした。
しかも、文庫には解説者が3人もいる。
この本には解説はいらないんじゃないかと個人的には思うのだけれど、どうだろう。
ともあれ、文庫化されて手に入りやすくなったことはめでたい。

さて、年末年始はこんな本を読んでました。
「風雲児たち」16巻(みなもと太郎 リイド社)
「神々の角笛」「妖精郷の騎士」(ハロルド・シェイ・シリーズ 早川文庫)
「考えなしの行動?」(ジェーン・フルトン・スーリ+IDEO 大田出版 2009)

いつものことながら「風雲児たち」は面白い。
今回は〈安政の大獄〉。
こーゆーことが重なって安政の大獄って起こったんだとか、水戸藩は自業自得だよなあとか、村田蔵六と福沢諭吉のやりとりは面白いなあと思いながら読了。

「神々の角笛」と「妖精郷の騎士」は、主人公のハロルド・シェイが、神話や物語の世界を旅するコメディ・シリーズの1巻目と2巻目。
1巻は北欧神話の世界にいったものの、主人公がひどい目にあうばかりで、あんまり面白くなかった。
でも、2巻で、「妖精の女王」の世界にいくと、がぜん面白くなる。
3巻目、「鋼鉄城の勇士」はこれから読むところ。

「考えなしの行動?」は、なんでもない写真から、人間の行動を読みとり、かつ隠されたニーズをさぐりだすという、観察術の本というか、頭の体操の本というか、そんな本。
翻訳者の森博嗣さんによれば、「デザインの本」。
こういう本は一瞬で店頭から消えるにちがいないと思い、みつけるとあわてて購入した。
万人向けではないけれど、こういう本は大好き。
それにしても、バターをスティックのようにして、フライパンにひく方法は考えもしなかったなあ。

相変わらず、脈絡なく本を読んでいますが。
ことしも週一回くらいのペースで、更新していきたいと思います。
どうぞ、よろしく。


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