絵本が目をさますとき

「絵本が目をさますとき」(長谷川摂子 福音館書店 2010)

本書は、絵本についての評論集。
いや、評論という言葉はふさわしくない。
絵本について考えた本くらいがいいかもしれない。

この本は、図版の大部分がカラーで紹介されている。
文章と図版のバランスがよく、素敵な編集なのだけれど、索引がないのが惜しい。
仕方がないので、紹介された絵本をつまみ上げてみた。
ただ、絵本以外の本ははずしたし、絵本でもあんまり古いものははずした。
それから、著者の絵本もはずした。
だいたい紹介順になっているので、絵本に詳しいひとがみれば、本書の構成が察せられるかもしれない。

内容も濃い。
特に後半が濃いので、ぜひ触れたい。
でも、それは次回に──。


「くだもの」(平山和子/作 福音館書店 1981)
「バルンくん」(こもりまこと/作 福音館書店 2003)
「おつきさまこんばんは」(林明子/作 福音館書店 1986)
「おおきくなったら チェコのわらべうた 「こどものとも年少版」通巻33号」(ヨゼフ・ラダ/絵 内田莉莎子/訳 福音館書店 1979)
「こっぷこっぷこっぷ 「こどものとも0、1、2」通巻7号」(かいじょうゆみこ/文 渡辺恂三/絵 福音館書店 1995)
「たまごのあかちゃん」(かんざわとしこ/文 やぎゅうげんいちろう/絵 福音館書店 1993)
「おだんごぱん」(瀬田貞二/訳 脇田和/絵 福音館書店 1966)
「おおさむこさむ」(瀬川康男/絵 福音館書店 1972)
「三びきのこぶた」(瀬田貞二/訳 山田三郎/絵 福音館書店 1967)
「どろにんぎょう」(内田莉莎子/文 井上洋介/絵 福音館書店 1985)
「きつねとねずみ」(ビアンキ/作 内田莉莎子/訳 山田三郎/絵 福音館書店 1967)
「かばくん」(岸田衿子/文 中谷千代子/絵 福音館書店 1966)
「おおきなかぶ」(A.トルストイ/再話 内田莉さ子/訳 佐藤忠良/絵 福音館書店 1966)
「おやすみなさいコッコさん」(片山健/作 福音館書店 1988)
「てぶくろ」(エウゲーニー・M・ラチョフ/絵 うちだりさこ/訳 福音館書店 1965)
「おおかみと七ひきのこやぎ」(フェリックス・ホフマン/絵 せたていじ/訳 福音館書店 1967)
「三びきのやぎのがらがらどん」(マーシャ・ブラウン/絵 せたていじ/訳 福音館書店 1965)
「ぐりとぐら」(中川李枝子/文 大村百合子/絵 福音館書店 1967)
「ぞうのババール」(ジャン・ド・ブリュノフ/作 矢川澄子/訳 評論社 1987)
「がちゃがちゃどんどん」(元永定正/作 福音館書店 1990)
「ぬればやまのちいさなにんじゃ」(かこさとし/作 童心社 1978)
「いないいないばあ」(松谷みよ子/文 瀬川康男/絵 童心社 1967)
「ごろごろにゃーん」(長新太/作 福音館書店 1984)
「もこもこもこ」(谷川俊太郎/作 元永定正/絵 文研出版 1977)
「あそぼうよ」(五味太郎/作 偕成社 2001)
「めんどりのルイーズ」(ジャネット・モーガン・ストーク/作 いずみちほこ/訳 セーラー出版 1998)
「とりかえっこ」(さとうわきこ/文 二俣英五郎/絵 ポプラ社 1978)
「にゅーするする」(長新太/作 福音館書店 1989)
「キャベツくん」(長新太/作 文研出版 1980)
「つきよ」(長新太/作 教育画劇 1986)
「あかいはなとしろいはな」(長新太/作 教育画劇 1996)
「きゅうりさんあぶないよ」(スズキコージ/作 福音館書店 1998)
「ひつじかいとうさぎ 「こどものとも」通巻234号」(うちだりさこ/再話 すすきこうじ/絵 福音館書店 1975)
「すいしょうだま」(スズキコージ/作 ブッキング 2005)
「大千世界のなかまたち」(スズキコージ/作 福音館書店 1985)
「どんどんどんどん」(片山健/作 文研出版 1984)
「おなかのすくさんぽ」(片山健/作 福音館書店 1992)
「ふくろにいれられたおとこのこ」(山口智子/再話 堀内誠一/絵 福音館書店 1982)
「つるにょうぼう」(矢川澄子/再話 赤羽末吉/絵 福音館書店 1979)
「しろいむすめマニ」(稲村哲也/再話 アントニオ・ポテイロ/絵 福音館書店 1992)
「ねむりひめ」(フェリクス・ホフマン/絵 せたていじ/訳 福音館書店 1963)
「とんことり」(筒井頼子/文 林明子/絵 福音館書店 1989)
「あさえとちいさいいもうと」(筒井頼子/文 林明子/絵 福音館書店 1982)
「いもうとのにゅういん」(筒井頼子/文 林明子/絵 福音館書店 1987)
「わたしとあそんで」(マリー・ホール・エッツ/作 よだじゅんいち/訳 福音館書店 1968)
「くまのコールテンくん」(ドン=フリーマン/作 松岡享子/訳 偕成社 1975)
「海べのあさ」(ロバート・マックロスキー/作 石井桃子/訳 岩波書店 1978)
「サリーのこけももつみ」(ロバート・マックロスキー/作 石井桃子/訳 岩波書店 1986)
「しょうぼうじどうしゃじぷた」(渡辺茂男/作 山本忠敬/絵 福音館書店 1966)
「あんぱんまん」(やなせたかし/作 フレーベル館 1979)
「ノンタンぶたんこのせて」(キヨノサチコ/作 偕成社 1976)
「ちいさなうさこちゃん」(ディック・ブルーナ/作 石井桃子/訳 福音館書店 1964)



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父と息子のフィルム・クラブ

「父と息子のフィルム・クラブ」(デヴィッド・ギルモア 新潮社 2012)

訳は、高見浩。

16歳の息子が学校を辞めることにした。
で、映画評論家であり本書の書き手である父は、一緒に週に何本かの映画をみることを息子に提案した。
本書は、その後3年間ほどの、息子と一緒に映画をみつづけた日々をえがいたノンフィクションだ。

ただ、映画をみて語りあったことばかりが書いてあるのではない。
映画以外のことが数多く書かれている。

まず、なぜ父親は息子と一緒に数多くの映画をみることができたのか。
著者にちょうど仕事がなかったからだ。
そのころの窮状、焦燥が語られる。

それから、学校をやめた息子は、家に引きこもったりはしない。
ガールフレンドが次から次へとできて、彼女たちとの関係の悩みを、この年頃の少年としては信じられないほどの率直さで父親に打ち明ける。
本書の舞台は、カナダのトロントだけれど、そこはこういう風土なのだろうか。
それとも、息子のジェシーがひと並みはずれて素直なのか。

著者の家族関係も、なかなかややこしい。
息子のジェシーは、前妻のマギーとのあいだにできた息子だ。
で、著者はいまティナという女性と結婚している。
マギーとは、離婚したものの、信頼関係がそこなわれたわけではない。
息子のジェシーと3人で海外旅行にでかけたりするし、ジェシーのことをともに話あったりする。

著者は、いまの妻であるティナに、私の息子のためにきみの貯金をとり崩してくれと頼むのを、身勝手すぎると感じている。
かといって、ティナとジェシーの仲が悪いというわけではまったくない。
印象として、登場人物たちは日本の本にでてくるひとたちとくらべて、より孤立していて、より距離が近いという風にみえる。

さて、映画の話だ。
映画をみる前に、著者はみどころをジェシーに説明する。
そのおすとわけに預かれるのが、この本を読む楽しみのひとつ。
たとえば、著者がヒッチコックのベストワンだと考える「汚名」をジェシーにみせるときの、みどころの説明はこんな風だ。

「リオ・デ・ジャネイロのナチス一派の邸宅の中の螺旋階段、その長さはどれくらいか? それを降りるのにはどれくらいの時間がかかるか?」

なぜ、そんな説明をしたのか。
映画をみたあと種明かし。

「最後のシーンの螺旋階段は、最初にみたものより長いんだ」

なぜ、ヒッチコックはそんなことをしたのか。
もちろん、サスペンスのため。

また、映画の選びかたそのものも面白い。
「だれに推薦しようと絶対悪い結果をもたらさない映画」という、「レイトショー」(1977)とは、一体どんな映画なのだろう。

駄作中の駄作として、本書で何度か言及される、ポール・バーホーベンの「ショーガール」はぜひみてみたい。

見終わったあと、「すごく根性がすわった監督だね、彼は!」とジェシーが声をあげる、ルイ・マル監督の「好奇心」もみてみたい。

ルイ・マル監督といえば、この本に「42丁目のワーニャ」の名があげられていたのはうれしかった。
この映画をほめるひとに会ったことがないけれど、個人的に好きな映画なのだ。
芝居のリハーサルを映画化するというアイデアが、「ワーニャ伯父さん」という芝居の内容と重なって、全体に素晴らしい効果をあげていると思う。

こんな風に、自分が好きな映画がとりあげられていると、なんだか嬉しい。
でも、史上最高の映画のひとつだと個人的に思う「お熱いのがお好き」をみている最中に、ジェシーに電話がかかってきてしまったのは残念だった。
ガールフレンドからの電話で、ジェシーの心はかき乱されて、映画どころではなくなってしまった。

とまあ──。
いろんな楽しみがある本だけれど、いちばんの魅力は、著者の父親としての愛情深さだろう。
ジェシーのドロップアウトを認めた著者は、自身の判断にしばしば思い悩む。

「私はただジェシーを、ドアや出口のない井戸に放り込んだにすぎなかったのだとしたら? この子が結局ろくでもない雇用主にしかめぐり会えず、次から次にろくでもない仕事についたあげく、無一文で酒びたりの日々を送るようになってしまったら? 結局私が彼を追いやったのはそんな人生だったとしたら?」

(話がそれるけれど、著者が人生の敗残者となったジェシーを想像するとき、ジェシーがタクシードライバーをしているのが面白い。このあいだ読んだ「ブルックリン・フォリーズ」もそうだったけれど、タクシードライバーには、そんなマイナスイメージが染みついてしまっているようだ)

全体として。
本書は男の泣き言が率直に書かれている。
その率直さがいい。
だから、男が読むぶんには面白いと思う。

けれど、女性が読んだらどう思うのか。
そこがちょっとわからない。

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