「族長の秋」「エレンディラ」「トレース・シリーズ」

いつものことながら、4月は大変な忙しさだ。
更新もままならない。
本は少しだけれど読んでいる。
それについて簡単にメモを。

「族長の秋」(ガルシア=マルケス/著 鼓直/訳 集英社 1994)
この本はずいぶん前から手元にあった。
でも、その改行のない真っ黒なページに恐れをなして、いままで読んでいなかったものだ。
今回、なんの気なしに読んでみたら、おお、面白い。
会話が地の文にとりこまれていて、だれがなんの話をしているのか最初はわからないのだけれど、それに慣れるとぐんぐん読める。
毎日寝る前に少しずつ読み進め、最後は読み終えるのが惜しいくらいだった。

内容は、ひとことでいうと独裁者小説。
死んだ大統領について、さまざまな語り手が物語るという形式。
これがわかっているだけで、この小説はぐんと読みやすくなる。

大統領に固有名詞があったかどうかは忘れてしまった。
同じ場面が何度もくり返される構成は、「予告された殺人の記録」(G・ガルシア=マルケス/著 野谷文昭/訳 新潮社 1997)を思い出させる。
話が時系列で進んではいかないので、大統領がどうやって権力を握ったのかいまひとつわからない。
どうやって権力を維持しているのかは、いよいよわからない。
でもまあ、権力というのはそういうものかもしれない。

語り口の密度は大変高い。
卑小で、壮大で、愚行に満ち、痛ましいほど猥雑なエピソードがとめどなく語られる。
1994年版の文庫本で読んだのだけれど、いまは表紙に牛の写真がつかわれた新装版が出版されているよう。
牛の表紙のほうが、この作品にはふさわしいかもしれない。
ところで、この作品は独裁者小説だから、独裁国家では発禁の憂き目をみたりしているんじゃないだろうか。

「エレンディラ」(G.ガルシア=マルケス/著 鼓直/訳 木村栄一/訳 筑摩書房 1988)
「族長の秋」が面白かったので、まだ読んでいなかった「エレンディラ」も読んでみた。
本書は短編集で、収録作品は以下。

「大きな翼のある、ひどく年取った男」(鼓直/訳)
「失われた時の海」(木村栄一/訳)
「この世でいちばん美しい水死人」(木村栄一/訳)
「愛の彼方の変わることなき死」(木村栄一/訳)
「幽霊船の最後の航海」(鼓直/訳)
「奇跡の行商人、善人のブラカマン」(木村栄一/訳)
「無垢なエレンディラと無常な祖母の信じがたい悲惨な物語」(鼓直/訳)

面白かったのは、「この世でいちばん美しい水死人」と最後の「エレンディラ」
本書は短編集だけれど、本書のほぼ半分は、最後の「エレンディラ」で占められている。
だから、「エレンディラ」の印象ばかりが鮮烈に残るのも仕方がない。

「エレンディラ」は、その長いタイトルが内容をよくいいあらわしている。
大きな屋敷で、ほとんど祖母の召使いとして暮らしていたエレンディラは、ある日ロウソクをつけたまま眠ってしまう。
その結果、屋敷は焼失し、祖母に大きな借金を負うはめになり、祖母の命じるままに男たちにその身を売ることになる。

次つぎとエピソードが続いていく物語的な展開。
おかげで、悲惨なことが書かれていても、読み進めなくなるような思いはせずにすむ。
読み終えて残るのは、善悪やモラルのことではなく、抗いがたい運命のようなものだ。

「この世でいちばん美しい水死人」は、ある寒村に流れ着いた水死体が、村に活気をあたえる物語。
女たちは水死体をきれいに洗ってやり、服をつくろい、エステバーンという名前なのではないかと語りあう。
男たちは、別の村の者ではないかと近くの村をまわる。
どこの村の者でもないとわかり、村人たちは立派な葬儀をあげる。

固有名詞がない、「エレンディラ」よりもより物語風の短い作品。
自分はこういう話が好きなのだなとつくづく思う。
短篇小説は、一度にひとつのことしかいえないけれど、物語だと多くのことがいっぺんにいえる。
そんな気がするのだけれど、どうだろう。

「トレーシー・シリーズ」も読んだ。
これは、保険調査員デヴリン・トレーシーを主人公とするシリーズ。
全6作。

「二日酔いのバラード」(ウォーレン・マーフィー/著 田村義進/訳 早川書房 1985)
「伯爵夫人のジルバ」(1986)
「仮面のディスコーク」(1986)
「豚は太るか死ぬしかない」(1987)
「のら犬は一生懸命」(1988)
{チコの探偵物語」(1989)
「愚か者のララバイ」(1990)

内容は軽ハードボイルドといったらいいだろうか。
そもそも、軽ハードボイルドということばはまだ生きているのか。

主人公のトレースはなんでも茶化し、軽口ばかり叩いている酔っ払い。
保険会社の社長が友人で、おかげで調査の仕事をもらっている。
といっても、本人にそれをありがたがる気持ちなどさらさらない。
直接トレースの担当をするウォルター・マークス副社長は、トレースのことがいまいましくてならない。
別れた妻とのあいだに2人の子どもがいるが、会うのを極度に恐れている。
いまは、日本人とイタリア人のハーフであるチコとラスベガスでともに暮らしている。
チコはブラック・ジャックのディーラーで、パートタイムの娼婦。
負けん気が強く、頭が良く、大食漢。

――といったところが基本設定。
ストーリーは、ほぼセリフで進んでいく。
あと、トレースが録音する調査報告。
トレースはハードボイルドの主人公らしく、あちこち走りまわる。
せっせと報告を録音するが、いまひとつ真相に至れない。
それを、恋人のチコが見事にあばく――というのが、毎回のパターン。

とにかく全編軽口ばかり。
それがいい。
ただただ楽しく読むことができる。
最初に読んだのがシリーズのどれだったか忘れてしまったけれど、すっかり気に入った。
ところが、古本屋でシリーズをさがしても、なかなかみつからない。
ひと昔前は、どこにでもあったような気がするのに。
でも、このたび最終巻をみつけて、ぶじ読み終えることができたものだ。

とはいえ、いま書名をならべてみたら、読んでいないものがありそうな気がしてきた。
なにしろあんまり軽いから、どのタイトルがどんな内容だったかおぼえていられない。
ひょっとしたら、読みそこねているのもあるかもしれない。

特筆しておきたいのは、最終巻の訳者あとがきだ。
シリーズを読んできた読者にたいし温かい、素晴らしい訳者あとがき。
訳者あとがきに傑作はないと思ってきたけれど、これはそれをくつがえす、名訳者あとがきだった。


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