ナボコフの文学講義、ナンジャモンジャの木、小説家のマルタン

去年の秋から冬にかけて、ディケンズの「荒涼館」を読んだ。
面白かったのだけれど、なにしろ大長編だから、いまひとつ全体が見渡せない。
なにかいい解説書を読みたいと思っていたところ、ことしに入って「ナボコフの文学講義」が文庫で出版された。
素晴らしいタイミングだ。

「ナボコフの文学講義 上下」(V・ナボコフ/著 野島秀勝/訳 河出書房新社 2013)

上巻
・編者フレッドソン・バワーズによる前書き
・ジョン・アプダイクによる序文

・良き読者と良き作家
・「マンスフィールド荘園」ジェイン・オースティン
・「荒涼館」チャールズ・ディケンズ
・「ボヴァリー夫人」ギュスターヴ・フロベール

・付録(「荒涼館」と「ボヴァリー夫人」に関するナボコフの試験問題の見本)
・解説 池澤夏樹

下巻
・「ジキル博士とハイド氏の不思議な事件」ロバート・ルイス・スティーヴンソン
・「スワンの家の方へ」マルセル・プルースト
・「変身」フランツ・カフカ
・「ユリシーズ」ジェイムズ・ジョイス
・文学芸術と常識
・結び

・訳者あとがき
・新装版訳者あとがき
・解説 沼野充義

本書はタイトル通り、ナボコフが亡命先のアメリカの大学で教えていた、文学講義の講義録。
解説で、池澤夏樹さんも沼野充義も書いているけれど、ナボコフ先生は小説にたいする姿勢がじつにはっきりしている。

「小説はお伽噺だ」

と、いいきる。
小説はつくりものなのだ。
だから、どんな風につくられているか、ていねいに読んでいかなくてはいけない。
作品がどう構築されているか、注意深く点検する必要がある。

「なによりも細部に注意して、それを大事にしなくてはならない」

作品は作品自体を味わうもので、それ以外は扱うに価しない。
一般論や、イデオロギーや、抽象的な議論で作品を裁断するのは愚の骨頂。

さらに、小説はどこで読めばいいか。
「背筋で読め」と、ナボコフ先生はいう。
ぞくぞくとした戦慄が走る背筋で読め。

「本を背筋で読まないなら、読書なんかまったくの徒労だ」

この断言。
細部への愛着。
作品以外のあれこれを考慮しない潔癖。
これは自らも創作するひとが書く批評の特徴だろう。
だから、批評家の批評よりも、創作者の批評のほうが面白いのだ。
というのは、あんまり一般化しすぎだろうか。

さて。
本書を手にとって、まず読んだのは、もちろん「荒涼館」の章。
あの長大な作品を、よくこう手際よく扱える。
その手さばきに、すっかり感心。
細部と全体の照応など、教えられてはじめて気がついた箇所がたくさんある。
おかげで、より細かく作品を味わえた気がする。
それに、ナボコフ先生もディケンズが好きなのが嬉しい。

「出来ることなら、わたしは毎授業その五十分の時間を静かに黙想し、精神を集中して、ディケンズを賛美することに費やしたい気持ちである」

「荒涼館」の章を読んだあとは、「ボヴァリー夫人」の章を読んだ。
「ボヴァリー夫人」は細部を愛しやすい小説だろう。
ナボコフ先生は、「…食卓の上では、蝿が飲みさしのコップを伝って這いあがり、底に残っている林檎酒に溺れてぶんぶんと羽音を立てていた。…」という「ボヴァリー夫人」の一文に、こんな注釈をつけている。

「訳者たちは「這う」と訳しているが、蝿は這いはしない、歩き、そして手をこする」

いやあ、細かい。
このあとは、カフカの「変身」。
「荒涼館」「ボヴァリー夫人」「変身」は読んだことがあったので、なるほどと思いながら講義を読んだ。
でも、「ユリシーズ」と「スワンの家の方へ」は読んだことがない。
おそらく今後も読むことはないだろう。
そう思って、ナボコフ先生の講義を読了。

「マンスフィールド・パーク」と「ジキル博士とハイド氏」の講義は読まずにとってある。
たぶんいつか両作品を読むと思うからだ。
両作品を読み終わったあと、ナボコフ先生の講義は読むのがいまから楽しみで仕方がない。

あとは、メモ。
「なつかしい時間」(長田弘 岩波書店 2013)という本を読んでいたら、「ナンジャモンジャの木」というのがでてきた。
井伏鱒二の「在所言葉」という本に書かれているらしい。

「名称不詳の木にナンジャモンジャの木というこの名称を与えるしきたりがあるのだろうか」

このナンジャモンジャの木と呼ばれているのは、甲州天神峠と塩山にある木。
どちらもナンジャモンジャの木と呼ばれているけれど、同じ木ではなかったようで、井伏さんは上のような感慨をもらしている。

で、たまたま、「股旅新八景」(長谷川伸 光文社 1987)を読んでいたら、またナンジャモンジャの木がでてきた。
この短編集の第2編、「頼まれ多九蔵」のところ。
このナンジャモンジャの木があるのは、銚子街道神崎宿(こうざきじゅく)。

「神崎三百軒といってな、繁昌している宿だ。川向うは押砂河岸といって、安波大杉神社へ参詣のものは、神崎から渡し舟で渡るのだ、神崎明神様の森というのは、もうやがて見えるが、大小二つの山があるところから、雙ヶ岡ともいうのだ。高いところに御神木がある。門前には、なんじゃもんじゃの樹というのがある」

と、おそらく船頭が多九蔵に説明している。
週に2度もナンジャモンジャの木に出くわしたので、メモをとっておきたくなった。
それにしても、長谷川伸はずいぶん調べて書いたんだろうなあ。

それから。
「史談蚤の市」(村雨退二郎 中央公論社 1976)という本をぱらぱらやっていたら、マルセル・エーメの名前がでてきてびっくりした。
この本は歴史および歴史小説についてのエセー。
エーメの名前がでてきたのは、最後の「小説の悲劇的結末」という文章。
どうしても作中人物を殺さずにはいられない、エーメの「小説家のマルタン」の一節をこんな風に引いている。

「このマルタン先生の考えによると、「人生は死の外に結末はない――そして死は明らかに悲劇的結末だ」そして「深く考えてみれば人生そのものが悲劇的である」という観念が小説の悲劇的結末をとらざるを得ない基礎になっている」

で、著者はこのマルタンの考えに異議をとなえているのだけれど、文章が不明瞭でなんだかよくわからない。
まあ、それはともかく。
こんなところにエーメがあらわれるとは思ってもいなかったので驚いたものだ。


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さらに「なんじゃもんじゃの木」 (タナカ)
2013-08-13 21:29:09
「半藤一利と宮崎駿の腰ぬけ愛国談義」(文芸春秋 2013)を読んでいたら、また「なんじゃもんじゃの木」がでてきた。
場所は千葉県香取郡神埼町というから、長谷川伸の「股旅新八景」と同じ場所だろう。

「利根川を上って押砂というところに行くと、川沿いの小高い丘に赤い鳥居が見えてくるんです。これが神埼(こうざき)神社といいまして、境内に「ナンジャモンジャの木」と呼ばれる御神木の、楠の大木があったんです。利根川にザブーンと飛び込んで水ごりして上がり、「ナンジャモンジャの木」の下に立つと、一人前のボートマンになれるという言い伝えが東大ボート部にはありまして(笑)。みんなして一斉に飛び込んだりしましたよ」

と、半藤一利さんは語っている。
それにしても、ボートで隅田川から利根川に出て、2泊して銚子までいき、そしてまた2泊して帰ってきたというのだから、なんとも大変なことだ。
 
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