「伝記物語」「こわれがめ」「紫苑物語」「昔には帰れない」

最近忙しくて、ヒギンズ作品の要約がつくれない。
要約をつくるのは、あれでなかなか時間がかかるのだ。
ヒギンズ作品のメモとりも、もう後半にさしかかってきていて、あとはショーン・ディロンものがほとんどだから早く終わらせたいのだけれど。

というわけで、今回は最近読んだ本のメモでお茶をにごしたい。
まず「伝記物語」(ホーソン/著 守屋陽一/訳 角川書店 1959)
100ページもない本。
忙しいときにちょうどいい。
ちなみに奥付をみると、この本の定価は50円だ。
古本屋で100円で買ってしまった。

内容は、ホーソーンの児童向けの作品。
目の病気にかかった男の子のために、お父さんが世界の偉人の話をしてくれるというもの。
男の子のお兄さんと妹も、それからお母さんも、みんな一緒にお話を聞く。
お父さんが話をしてくれる偉人は次のようなひとたち。

画家のベンジャミン・ウェスト。
ニュートン。
サミュエル・ジョンスン。
オリヴァ・クロムウェル。
ベンジャミン・フランクリン。
クリスティナ女王。

文章はですます調。
子どもたちは親に敬語をつかう。
ちょっと教訓めいたお話が、なんとなくなつかしい。
森銑三の、「おらんだ正月」(岩波文庫 2003)を読んでいるようだ。
サミュエル・ジョンスンだけが前後篇で、力がこもっている。
最後、男の子の目がよくなったりするのかなと思ったが、そんな甘いことは起こらなかった。

「こわれがめ」(クライスト/作 手塚富雄/訳 岩波書店 1977)
これはドイツの名高い戯曲。
ときどき戯曲が読みたくなる。

《喜劇に乏しかったドイツでは、レッシングの「ミンナ・フォン・バルンヘルム」、フライタークの「新聞記者」と並べて三大喜劇といわれてきた…》

と、解説の岩淵達治が書いているように、この作品は喜劇。
なお、この文章は、《傑出した喜劇的個性を持つという意味では、ハウプトマンの「ビーバーの外套」が最もこの喜劇に近いと思う》と続く。

この喜劇は、法廷劇のかたちをとっている。
深夜、娘の部屋に忍びこんで、かめを割ったのはだれか?
ということが、法廷で徐々に明かされていく。

これはすぐわかることだから書いてもいいと思うが、このかめを割った犯人は、じつは裁判官をしている村長のアーダム。
自分が犯人の訴訟を、自分が裁き、しかし話をそらそうとしてもしだいに追いつめられていくという過程が喜劇を生む。
読んだあと、娘がさっさと真相を話していたら、話はすぐすんだのにと思わずにはいられない。
それにしても、アーダムはろくでもないやつだ。

解説にはクライストの生涯が書かれていて、これが作品よりも面白い。
時代に小突きまわされたあげく、矢尽き刀折れて身をほろぼす。
クライストには短編もある。
これも、そのうち読んでみたい。

「紫苑物語」(石川淳/著 講談社 1989)
講談社文芸文庫で読んだ。
「紫苑物語」「八幡縁起」「修羅」の3篇が収録されている。
「紫苑物語」は、古代を舞台にした殺伐としたファンタジーというか、幻想小説というか、そんな作品。
特筆すべきは、その文章。
内容よりも、その文章の力でのみ、作品が成り立っているようにみえる。
速度があり、柔軟で、よくしなる、芝居っ気たっぷりのその文章は、たとえばこんな感じ。

《その夜、館は宴たけなわのおりに、突然ふり落ちた光もののために風雨もろともに炎となって、一瞬に燃えあがり燃えつくし、そこにいたかぎりのものは人馬ことごとく焼けほろびた。》

ふり落ちる、燃えあがる、燃えつくす、焼けほろびるといった、動詞に動詞をかさねた書きかたが速度感を生んでいるようだ。
こんな文章で書かれた作品は、なににも頼らず、宙に浮いた球体のようにみえる。

「八幡演技」は、木地師の神が、世が移り変わるにつれ、武士の神となる、そのいきさつを書いたもの。
「修羅」は、応仁の乱ころを舞台にした歴史小説。
登場人物たちは、一条兼良の蔵に押し入ろうとする。
この作品を読んでいたら、神西清の「雪の宿り」を思いだした。

「昔には帰れない」(R・A・ラファティ/著 伊藤典夫/訳 浅倉久志/訳 早川書房 2012)
ときどき、ナンセンスな作品も読みたくなる。
そんなとき、ラファティの作品に接するのはたいへん楽しい。

本書は短編集。
第一部と第二部に別れている。
そのちがいは、伊藤典夫さんの解説によればこう。

《第一部はすべてぼくが気に入って訳した作品で、ラファティとしてはシンプルな小品を集めた。ただし、”シンプル”というのは、ぼくの個人的な見解であって、ほかの方々がこれらを読んでどんな印象をもたれるかはわからない。第二部はちょっとこじれてるかなあと思う作品と、浅倉さんの長めの翻訳でかためた。》

たしかに、第一部の作品のほうがわかりやすい。
また、伊藤さんと浅倉さんの、嗜好のちがいも興味深い。

《ぼく(伊藤さん)には、ディックの良さがさっぱりわからなかった。》

本書のなかで気に入ったのは、まず冒頭の「素顔のユリーマ」。
あんまりぐずで頭が悪いので、なんでも発明するほかない少年の話。

《アルバートは計算のほうもからきし駄目だった。自分のかわりに計算する機械をまたひとつ作るほかなかった》

という、なんともひとを食った愉快な作品。
その次の、「月の裏側」はミステリ雑誌に載るような小品。
ラファティはこんな作品も書いたのかとびっくり。

その次の…と書いていったらきりがない。
第二部では、「大河の千の岸辺」と、「1873年のテレビドラマ」が、どちらも視覚的な作品で面白かった。
いやもちろん、ほかの作品も面白い。
どの作品も、ラファティの奇想にただついていくほかない。
なんだかよくわからない作品を、ただただ読んでいくのは、それだけで楽しいことだと思うのだが、どうだろうか。


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漫画 吾輩は猫である

心理学者の河合隼雄と、詩人の長田弘が、子どもの本について語りあった、「子どもの本の森へ」(岩波書店 1998)という本がある。
その本のなかに、以下のような一節がある。

長田 (…)夏目漱石の『吾輩は猫である』というのも、ぼくにとっては二つあるんです。一つは、もちろん夏目漱石の『吾輩は猫である』で、「吾輩は猫である。名前はまだない」という有名な一行から始まる。もう一つは、昭和の初めの新潮文庫ででた近藤浩一路(畫)という『漫画吾輩は猫である』で、その始まりは「吾輩は猫である。名前は無い」。漫画のうほうは「まだ」がないんです。

河合 持っておられるんですか?

長田 はい。右頁は全頁、簡潔で、無駄のまったくない要約が十行くらい。この要約が何ともいえず傑作なんです。左頁は全頁、線画で、ユニークきわまりない漫画だけ。「まだ」という未練のない、その漫画版の書き出しが、ぼくは大好きですね(笑)。》

このくだりを読んだとき、ぜひ「漫画 吾輩は猫である」を読んでみたいと思った。
それから、月日は流れて、ことし岩波文庫からこの本が出版された。
ことしは漱石生誕150周年だそうだから、それに合わせたものだろう。
長らく読めなかった本が読めるのは、なんともうれしいことだ。

「漫画 吾輩は猫である」を手にとってまずしたのは、長田さんの指摘の確認。
たしかに「まだ」は省かれている。
そして、右ページに簡潔きわまりない要約があり、左ページにユニークな漫画が描かれている。
漫画とはいうけれど、コマ割りはされていない。
滑稽なイラストといった風。

もともと「吾輩は猫である」は、漫文調というか戯文調で書かれている。
だから、漫画と相性がいいのかもしれない。
それにしても、全編1ページに収まる要約をつくり、イラストをつけるというのは、なかなか大変だったのではないか。

《たしかに読みやすい。が、これは翻案というべきだろう。当然著作権者の許諾が必要だが、当時そんなことがあったかどうか怪しい》

とは、巻末の夏目房之介さんによる解説。
漱石の孫にして、漫画研究者の夏目房之介さんは、この本の解説者としてまさに適任だ。
ふたたび解説によれば、「漫画 吾輩は猫である」は、1919(大正8)年、新潮社より、文庫サイズのハードカバーで刊行されたとのこと。
昭和のはじめではなかった。

そして、原本の表紙にも奥付にも、漱石の名前は載っていないという。
あるのは、近藤浩一路の名前だけ。
これはまた、じつに神経が太い。
今回の岩波文庫版もそれを踏襲してか、漱石の名は、表紙・奥付ともに記されていない。

「漫画 吾輩は猫である」の〈吾輩〉は、白ネコとして描かれている。
これは少々以外だった。
〈吾輩〉は勝手に黒ネコだと思っていた。
でも、俥屋の黒は黒ネコだから、絵にするなら黒ネコ以外がいいだろう。
黒ネコだと思っていたのは、「『坊っちゃん』の時代」(関川夏央/著 谷口ジロー/著 双葉社)の印象が強かったせいかもしれない。

「吾輩は猫である」は、全編通して読んだことがない。
読めば、〈吾輩〉の容姿に触れた箇所があるのだろうか。
黒ネコが駄目なら、〈吾輩〉は三毛猫にちがいないと、また勝手に考えているのだけれど。

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鷲は飛び立った

「鷲は飛び立った」(ジャック・ヒギンズ/著 菊池光/訳 早川書房 1997)
原題は“The Eagle Has Fiown”
原書の刊行は1991年。

本書は「鷲が舞い降りた」の続編。
また、ドゥガル・マンロゥ准将がシリーズ・キャラクターとして登場する、第2次大戦秘話ものの一作。
さらに、解説によれば、ヒギンズの長編50作目に当たるとのこと。

香山二三郎さんは、この解説でヒギンズのインタビューを紹介している。
そのインタビューによれば、ヒギンズは50作目の作品を特別なものにしたいと考えていた。
アイデアを得たのはロンドン塔を訪れたとき。
衛士のひとりから、ロンドン塔に収容されていたドイツ軍捕虜についての話を聞いたこと。
では、ストーリーをうごかすための触媒としてのドイツ軍捕虜を、どんな人物にするか。
ここで、「鷲は舞い降りた」に登場した、クルト・シュタイナ中佐のことが閃いた。
シュタイナ中佐は「鷲は舞い降りた」で死亡したけれど、それにこだわることはない。

《狼男は映画のたびにラストではっきりと殺されるにもかかわらず、かならず次の映画に現れる。シャーロック・ホームズは読者の要望に応えて生還した。ならば、シュタイナだっていいではないか》

かくして、本書は書かれることに。

物語は、1975年のロンドンから。
登場するのは、「鷲が舞い降りた」で成功をおさめた〈私〉――ヒギンズ自身。
〈私〉はルース・コーエンという若い女性の訪問を受ける。
コーエンは、ハーヴァード大の学生。
ロンドン大学で博士課程修了後の研究をしていたところ。
コーエンは〈私〉に、クルト・シュタイナは教会墓地に埋められてはいないと告げる。

コーエンがそういう根拠はなにか。
公立記録保管所で、偶然100年間非公開に当たる文書を手に入れた。
文書はコピーをとり、元のほうは保管所に返却した。
そのコピーを、コーエンは〈私〉にみせる。

ヒギンズのもとを去ったコーエンは、すぐ車にひかれて死んでしまう。
巡査に乞われ、〈私〉は死体置き場におもむきコーエンンを確認。
家にもどると、コーヒーテーブルに置いておいた例のコピーが消えている。

コーエンは死に、ファイルは保管所にもどり、唯一のコピーは回収された。
しかし、あの内容を立証しなければならないと、〈私〉は決意。
まだ、内容を裏付けできる人物がひとり残っている。

〈私〉は、ロンドンにおけるIRAの政治活動面を担う、シン・フェイン党の男を訪ねる。
これから、ヒースロゥ空港にいき、ベルファストのユーロパ・ホテルに泊まる。
リーアム・デヴリンに連絡してくれ。
かれにぜひとも会う必要がある。

ベルファストのユーロパ・ホテルで待っていると、タクシーがきていると連絡が。
タクシーに乗ると、カトリック地区の教会に連れていかれる。
ヒギンズが子ども時代をすごしたという地区。
女性の運転手にいわれたとおり、教会の告解室に入ると、デヴリンがあらわれる。

「鷲が舞い降りた」で活躍したデヴリンは、いまや67歳。
2人は聖具室で再会を祝う。
あのコピーの話は事実なのかとたずねる〈私〉に、デヴリンは話はじめる――。

というわけで、プロローグは終了。
以下、本編に。

1943年のロンドン。
ドゥガル・マンロゥ准将と、副官のジャック・カーターは、「鷲は舞い降りた」以後の状況について確認。
この2人の会話のおかげで、前作を知らないひとにも状況が飲みこめる。

「鷲は舞い降りた」でおこなわれたチャーチル誘拐作戦を指示したのはヒムラーだった。
ヒムラーは、カナリス提督にも、総統にも知らせず全計画を実行した。
だから、この失敗した作戦のことをヒムラーは公にしたくないはずだ。

また英国も、ドイツの落下傘部隊員が、英国の田舎でアメリカのレインジャー部隊と交戦したなどという話は広げたくない。

デヴリンはオランダの病院に入院したあと、そこを抜け出し、現在はリスボンにいる。
大使館付き武官アーサー・フリア少佐が、リスボンのデヴリン監視に当たっている。
そして、シュタイナ中佐はロンドン塔に収容されている。

マンロゥ准将は、スペイン大使館付き商務官、ホセ・バルガスを通じ、シュタイナ中佐がロンドン塔にいると、カナリスとヒムラーの双方に情報が届くよう指示。
バルガスには、ベルリンのスペイン大使館付き商務官をしているファン・リベラといういとこがいる。
外交郵袋をつかって連絡をとりあい、金を多くだすほうにつく。

マンロゥ准将の指示はドイツに波紋をひろげる。
ヒムラーに呼ばれたヴァルター・シェレンベルグ少将は、ヴェヴェルスブルグ城へ。
シェレンベルグ少将は、第三帝国をお粗末な喜劇とみている人物。
「もはやメリーゴーラウンドから降りるのには遅すぎるよ、ヴァルター、もう降りることはできない」
などと、自分にいいきかせている。
シェレンベルグ少将は、「ウィンザー公掠奪」にも登場しているらしいけれど、これは未読。

さて、ヒムラーはシェレンベルグ少将に、「鷲作戦」の顛末について説明。
その上で、シュタイナ中佐を救いだすよう命令を下す。

「彼はドイツ帝国の英雄、真の英雄だ。イギリス人に捕えられたまま放っておく訳にはいかない」

しかもヒムラーは、その仕事をする人物にリーアム・デヴリンを指定する。

また、4週間後、総統はノルマンディの海辺の城、ベル・イルへいく。
そこで、ロンメル元帥をB軍団司令官として正式に任命する予定。
それにより、ロンメル元帥は大西洋沿岸防衛の全責任を負うことに。
この会議で、シュタイナ中佐を総統に引きあわせたいと、ヒムラー。
つまり、シュタイナ中佐を救出する猶予は4週間しかない。

なぜこうまで、シュタイナ中佐を奪回することが重要なのか。
シェレンベルグ少将はいまひとつ腑に落ちない。

ともかく、シェレンベルグ少将は、ファン・リベラに会い、いとこから可能な限り情報を入手するよう指示。
また、シェレンベルグ少将はカナリス提督にも会う。
カナリス提督も、この戦争は負けだと思っているひとり。
そもそも鷲作戦は、総統の思いつきだった。
いつものように、2、3日たてば忘れるだろうと思い、カナリス提督は放っておいた。
現に総統はすっかり忘れたのだが、ヒムラーはおぼえていて、カナリス提督に恥をかかせるために鷲作戦を実行に移したのだった。

その後いろいろあって。
シェレンベルグ少将は、リスボンの酒場でデヴリンと接触。
デヴリンは仕事を引き受け、シュタイナ中佐を救出するためイギリスへの潜入を計画する。

このことは、すぐにマンロゥ准将の耳に入る。
そこで、シュタイナ中佐をセント・メリイ小修道院に移すことに。
そして、その情報をドイツ側に流し、救出しにきたデヴリンと、その協力者を一網打尽にすることをたくらむのだが――。

各国を股にかけたスピーディーな展開は、のちのショーン・ディロンを主人公とした作品群をほうふつとさせる。
デヴリンの斜にかまえた言動は、ディロンそっくりだ。
また、マンロゥ准将は、ファーガスン准将と同一人物のようにみえる。

じつは、デヴリンはシェレンベルグ少将の申し出をすぐには受け入れない。
考える時間が必要だし、クリスマスに友人の闘牛牧場にいく約束があるので3日後にもどってくるとこたえる。
しかし時間がないという少将を、デヴリンはなだめる。

「気を取り直せよ、ヴァルター、リスボンでのクリスマスだろう? 照明、音楽、美女たち。しかも、今のこの瞬間、ベルリンでは灯火管制をしていて、きっと雪が降っているにちがいない。あんたはどっちがいいんだ?」

こういわれて、シェレンベルグ少将は大笑い。
そして3日後、デヴリンは少将の申し出を引き受ける。
この一連の場面は気に入っている。
なんとも余裕のあるえがきかただ。
こういう場面が、本書には随所にある。

シュタイナ大佐救出のさい、デヴリンはドイツ側の情報源であるバルガスとは接触しないことにする。
「バルガスがこちら側の人間だ、という前提に基づいて計画をたて、おれが行ったらそうではなかった、ということになると、おれはまるで馬鹿者の見本になってしまう」

そこで、デヴリンのIRA関係の個人的なつてを頼ることに。
イギリスへは、まずアイルランドにパラシュート降下。
国境を越えてアルスターに入り、ベルファストへ。
そこから船で、ランカシャーのヘイシャムいき、さらにロンドンへ。
メーキャップで容姿を変え、イギリス市民に化ける。
シュタイナ大佐を救出したあとは、協力者のもとへ逃亡し、迎えにきた飛行機で脱出。
が、もちろん、ものごとは予定通りにははこばない。

最後には、なぜヒムラーがシェレンベルグ少将にこんな命令をだしたのか、その理由が明かされる。
また、この事件が100年間の非公開となった理由も。
「あのときはいい考えのように思えたのだが」とヒギンズにいうデヴリンのことばには余韻がある。

いつものことだけれど、生頼範義さんの表紙がまた素晴らしい。
これしかないという瞬間をえがいた、見事な挿画だ。


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反撃の海峡

「反撃の海峡」(ジャック・ヒギンズ/著 後藤安彦/訳 早川書房 1995)

原題は、“Cold Harbour”
原書の刊行は1990年。

ドゥガル・マンロゥ准将がシリーズ・キャラクターとして登場する、第2次大戦秘話もの。
このシリーズは他に、
「狐たちの夜」
「鷲は飛び立った」
「双生の荒鷲」
がある。

内容は、ひとことでいうと、若い女性がスパイとして敵地に乗りこむというもの。
「狐たちの夜」「ルチアノの幸運」に似たパターンの作品といえるだろう。

物語は、マンロゥ准将が入院中のマーティン・ヘアをスカウトしにくるところから。
マーティン・ヘアはアメリカ人。
元ハーヴァード大学のドイツ文学教授。
母親がドイツ人のため、ドイツ語を流暢に話す。
また、フランス語も堪能。

戦争がはじまったとき、ヘアは42歳。
だが、ヨットマンとして有名だったため魚雷艇隊に配属される。
太平洋のあらゆる戦闘水域に出撃。
ソロモン沖海戦で、日本の駆逐艦に撃沈寸前まで追いこまれ、体当たりを敢行。
左肺に砲弾の破片を3つくらい、6日間救命ボートで漂流する。
現在、体調は旧に復したものの、なにをしていいのかわからない。

こんなヘアに、マンロゥ准将は仕事をあたえる。
コーンウォール州に、コールド・ハーバーと呼ばれる小さな漁港がある。
ここを、マンロゥ准将が責任者であるSOE(特殊作戦部)のD課が使用している。
飛行機が2機あるが、いずれもドイツ機。
シュトルヒと、ユンカースJu88S夜間戦闘機。
つまり、ドイツ軍にすっかり偽装して作戦行動をおこなっている。

先月は、ドイツでEボートを捕獲した。
そこで、Eボートに乗る乗組員をさがしている――。

ドイツ軍に偽装するのは、明白な交戦規定違反だと、ヘアが指摘するとマンロゥ准将はわかっているとこたえる。
けっきょく、ヘアはマンロゥ准将の誘いにのることに。

次に登場するのは、フランスでレジスタンス活動をするクレーグ・オズボーン。
元ジャーナリストのアメリカ人。
現在アメリカ軍のOSSに所属する陸軍少佐。

オズボーンは、告解室にひそみ、告解にやってきたドイツ軍のディードリッヒ将軍を射殺。
逃亡中、ドイツ軍が駐留している城館の娘で、元恋人のアンヌ-マリーの助けを得て、なんとか海上に脱出。
ヘアが艦長をつとめるEボートに拾われる。
オズボーンは、まだドイツ文学教授だったころのヘアを見知っていた。

コールド・ハーバーには〈ザ・ハングド・マン〉という元領主屋敷の旅館があり、ここが食堂兼集会所となっている。
この、〈ザ・ハングド・マン〉の女主人をつとめているのが、ジュリー・ルグラント。
ジュリーの夫はソルボンヌ大学の哲学教授で、パリでレジスタンスに加わり、その脱出のさいオズボーンが手を貸したことがあった。

もともとSOEにいたオズボーンは、マンロゥ准将のこともよく知っている。
マンロゥ准将はオズボーンを配下に加えたがっている。
が、マンロゥ准将の悪辣さに閉口しているオズボーンはそれを断る。
しかし、コールド・ハーバー計画は英米の合同作戦だということで、けっきょくオズボーンはマンロゥ准将のもとではたらくことに。

ところで、フランスへの侵攻作戦を計画中の連合軍は、ドイツ軍の出方を心底知りたがっていた。
近日中に、大西洋防壁の責任者であるドイツ軍のロンメル元帥は、ブルターニュのド・ヴォアンクール城で幕僚会議を開く予定。
「蠅にでもなってその会議の場の壁にとまっていたいくらいだ」
と、ぼやくアイゼンハワー将軍に、会議に工作員を潜入させる用意があることをマンロゥ准将は明言する。

その工作員には、ド・ヴォアンクール伯爵夫人の姪であり、現在ド・ヴォアンクール城に住む――そして、オズボーンの逃亡を手助けした――アンヌ-マリーをつかう予定だった。
しかし、ある事故により彼女をつかうことはできなくなる。
そこで、アンヌ-マリーの双子の妹、ジュヌヴィエーヴに白羽の矢が立つ。
母親が亡くなったのをきっかけに、姉は相続人としてフランスに残り、妹は父親とともにイギリスで暮らしていたのだった。

ロンドンで看護婦をしているジュヌヴィエーヴは、父親の暮らすセント・マーティン村でオズボーンと対面。
さらにマンロゥ准将と会い、事情を知る。
もう姉とは4年も会っていないと、一度は協力を断ったジュヌヴィエーヴだったが、結局は協力することに。

というわけで。
主人公ジュヌヴィエーヴが登場するのは、80ページから。
「鷲が舞い降りた」以降のヒギンズ作品にしては、少々スロースターターだ。
ジュヌヴィエーヴの職業が看護婦というのは、またしてもという感じがする。
しかし、看護婦の技術をみせる場面はない。
そんなことをしなくても物語を語るのに支障はないと、作者は判断したのだろう。

が、登場人物が通りすがりに英雄的行為をしてしまうという場面は健在。
この作品では、オズボーンが空襲にあったロンドンで、瓦礫の下に埋まった子どもを救いだす。
通りすがりに英雄的行為をしてしまうのは、ヒギンズ作品の登場人物のくせだろう。
またやっているなあと、読んでいて微笑んでしまう。

このあと、ジュヌヴィエーヴは即席の訓練を受け、アンヌ-マリーとしてヴォアンクール城に送りこまれる。
はたして、ジュヌヴィエーヴは有益な情報を手に入れることができるのか。
また、敬愛する叔母のオルタンス・ド・ヴォアンクール伯爵夫人を筆頭として、城のひとびとの目をごまかし続けることができるのか。
さらに、マンロゥ准将がジュヌヴィエーヴを送りこんだ裏には、別の目的があった。
それを知ったオズボーンは行動を起こし――と、話をいよいよ盛り上げる。

本書の作風はいささかゆるい。
ストーリーはほとんど会話で進む。
オズボーンが、マンロゥ准将、マーティン・ヘア、ジュリー・ルグランドといった主要な登場人物とあらかじめ知りあいだったというのは、都合がよすぎて笑ってしまう。
しかし、ゆるいというのは、一面余裕があるということだ。
サスペンスを維持しながらも余裕がある。
初期の頃からヒギンズ作品を読んできた身としては、うまくなったなあ感心せずにはいられない。
傑作とまではいかないけれど、立派なできばえだ。

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「裁きの日」「デリンジャー」

「裁きの日」(ジャック・ヒギンズ/著 菊池光/訳 早川書房 1983)

原題は“Day of Judgment”
原書の刊行は、1978年。

1975年に「鷲は舞い降りた」を刊行したあと、ヒギンズが発表した作品を順に並べると、こんな風になる。

1976 「脱出航路」
1977 「ヴァルハラ最終指令」
1978 「裁きの日」
1980 「暗殺のソロ」

「暗殺のソロ」までいくと、安定したカットバックの技量が楽しめる。
が、それまではそうはいかない。
というわけで、「裁きの日」の面白さはいまひとつだ。
手早くストーリーを紹介して、終わりにしてしまおう。

3人称多視点。
主人公は、「非情の日」の主役だったサイモン・ヴォーン元イギリス陸軍少佐。
舞台は、1963年のベルリン。

葬儀屋の車で検問所を越え、西ベルリンに入った女性、マーガレット・キャンブル。
父は物理学者のグレゴリー・キャンブルという英国人で、原爆の情報を東側に流した人物。
その後、この父娘は東ドイツで暮らしていた。
しかし、肺ガンにかかり余命いくばくもないグレゴリー・キャンブルは祖国にもどりたがっている。
そこで、なにか手はないかと、娘のマーガレットは検問を越えてやってきたのだ。

が、ヴォーンは、マーガレットの話を信じない。
マーガレットは、キリスト教徒の地下組織〈復活連盟〉の神父、ショーン・コンリンと面会。
東ドイツにもどり、コンリン神父が救出にくるのを待つことに。

しかし、ヴォーンが見抜いたように、マーガレットは嘘をついていた。
東ベルリンに潜入したコンリン神父は、東ドイツの国家保安省第2局第5部長、ヘルムート・クラインによ捕まってしまう。

なぜ、東ドイツ側はこんな手間をかけてコンリン神父を捕まえたのか。
コンリン神父と復活連盟の活動は有名で、コンリン神父はノーベル平和賞の受賞候補に推薦されたほど。
このコンリン神父を洗脳する。
そして、公開裁判で、コンリン神父が西側の工作員であったことを自白させる。
折しも、来月はケネディ大統領がベルリンに訪問する予定。
成功すれば、西側に打撃をあたえることができる。

コンリン神父は、ノイシュタット城に収容され、アメリカ人の心理学者ハリイ・ヴァン・ビューレンにより洗脳をほどこされる。

一方、父がすでに死んだと知らされたマーガレットは、自分がただクラインに利用されていたと知る。
コンリン神父が捕まった現場から逃げだし、川に落ち、流され、ノイシュタット村で暮らすルーテル派のフランシスコ修道会に拾われる。
マーガレットは、フランシスコ修道会会士コンラートに、これまでのいきさつを説明する。

コンラート会士は西ベルリンにおもむき、ヴォーンと接触。
2人は、憲法保護局ベルリン支局長、ブルーノ・トイゼンと会う。
トイゼンは、ナチス・ドイツ時代、カナリス提督のもとで仕事をしていた人物。

コンリン神父捕まるの報が世界を駆けめぐる。
バチカンとアメリカがうごく。

バチカンでうごいたのは、コンリン神父と同じ、イエズス会士のバチェリ神父。
現在、サン・ロベルト・ベラルミノ神学校の歴史研究部長の職にある。
ノイシュタット村に閉鎖された教会があることを知ったバチェリ神父は、東ベルリン聖庁のハルトマン神父に連絡をとる。

ホワイトハウスは、スミソニアンで講演していた、チャールズ・バスコウ英文学教授と接触。
バスコウ教授は、戦時中、イギリス軍情報局ではたらいていた。
そのとき、ブルーノ・トイゼンとは敵対関係に。
しかし、今回はともにはたらくことになる。

というわけで、みんなベルリンにあつまってきて作戦会議。
まず、国境警備隊を買収。
それから、ノイシュタット村のフランシスコ修道会から穴を掘る。
穴は、ノイシュタット城の排水溝までつなげ、そこからコンリン神父を救出する。

バチェリ神父の指示により、ハルトマン神父は閉鎖されている教会を調査するという名目でノイシュタット村へ。
そして、ハルトマン神父の監視役に化けたヴォーンも、同じくノイシュタット村に潜入する――。

本書が面白くない理由のひとつは、バチカンやらホワイトハウスやらがでてきてスケールが大きくなったさいの手際の悪さにある。
登場人物ばかり増えて、応接にいとまがない。
読者はすっかり置いてきぼりだ。

また、洗脳の話というのは、面白くするのがむつかしい。
けっきょく、コンリン神父が洗脳に耐えましたという話になるのだが。

本書には、ハルトマン神父が排水溝にはまった配管工を助けだす場面がある。
雨で水位が上がっている水のなかに飛びこんで、半トンものブロックをどかす。
ヒギンズ作品によくでてくる場面だ。

また、閉鎖された教会におもむいたハルトマンは、村びとに乞われるままに告解を聞く。
さらに、英雄的行為をおこなう。

これもまた、「サンタマリア特命隊」などで見慣れた場面。
マンネリだって面白ければいい。
でも、そうはなっていないので残念だ。

もう一冊。
ハリー・パタースン名義で書かれた作品。
「デリンジャー」(ハリー・パタースン/著 小林理子/訳 東京創元社 1990)
原題は“Dillinger”
原書の刊行は、1983年。

デリンジャーは、実在したアメリカの名高い銀行強盗。
本書は1934年、インディアナ州のレイク・カウンティ刑務所から脱獄したデリンジャーの、空白期間をえがいたもの。
メキシコに逃亡したデリンジャーは鉱山や原住民をめぐる争いに巻きこまれた――というのがその内容。

というわけで、この作品は「サンタマリア特命隊」の焼き直しのよう。
やはり、いまひとつといわざるを得ない作品だった。



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脱出航路

「脱出航路」(ジャック・ヒギンズ/著 佐和誠/訳 早川書房 1982)

原題は、“Storm Warning”
原書の刊行は、1976年。

原題の意味は、「暴風警報」。
こちらのほうが、本書の内容によくあっている。
でも、それは読んだからいえるので、本のタイトルとしては、「暴風警報」では意味不明か。

本書の刊行は、「鷲が舞い降りた」の翌年。
よく、ヒギンズの代表作として、「鷲が舞い降りた」とともに並び称される。
たしかに、その評価はうなずける。
後半の盛り上がりぶりは尋常ではない。

では、ストーリー。
3人称多視点。
舞台は、第2次大戦中の1944年。
本書は、だいたい3つの筋からなる。
そのひとつは、ブラジルから大西洋を渡りドイツへ向かう、老帆船ドイッチェラントの物語だ。

ドイツのUボートにより、自国の商船が犠牲になったことから、1942年8月、ブラジルはドイツに宣戦布告をした。
そのため、沿岸に漂着したドイツ海軍将兵をどう扱うかという問題が、ブラジル側に生じた。
費用のかかる捕虜収容所などは論外。
そこで、ブラジル政府は、ドイツ領事補が提出する同胞についての月例報告に目を通すことで満足することにした。

ベルガ―船長も、このブラジル式の待遇を受けたひとり。
もともと、合衆国燃料補給船ジョージ・グラントに偽装した潜水艦補給船エッセンの艦長だったが、3度目の補給任務のさい、イギリスの潜水艦に魚雷をぶちこまれる。
泳いでいるところを、ポルトガルの貨物船に拾われ、リオでブラジル官憲に引き渡された。

《この国には一種の仮釈放ともいえるシステムがあって、敵性国人だろうと職を見つけられればその恩恵に浴することができる》

というわけで、沿岸交易をいとなむドイツ系商会の所有する帆船ドイッチェラントの船長となり、リオとベレンを往復する日々を送ることに。

このドイッチェラント号を拝借し、故国ドイツをめざす。
そのさい、ドイッチェラント号はスウェーデン国籍のグドリド・アンデルセン号に偽装。
本物は、イェーテボリに停泊しているはず。
スウェーデン国旗や、偽の航海日誌、偽の救命道具も用意。
スウェーデンのパスポートも用意した。

これら偽装の事務を担当したのが、ブラジル駐在ドイツ領事補オットー・プラガー。
プラガーとその妻は、ベルガ―船長がほしがっていた無線機をもって、ドイッチェラント号に乗船。
すでに65歳のプラガーにこの航海は無理だと、ベルガ―船長はさとすが、プラガーは聞き入れない。

さらに、プラガーは5人の尼僧を連れてくる。
彼女たちは、僻地で伝道につとめていたが、ブラジル内務省の政策変更のため伝道所をたたむことになった。
また、イタリア戦線に派遣されたブラジル部隊の被害状況が報じられたら、どんな目に遭うかわからない。
結局、ベルガ―船長は、プラガーと修道女のシスター・アンゲラに押し切られる。
乗船を認めることに。

かくして、乗組員22名、プラス尼僧5名とプラガー夫妻の計29名が乗船。
船の積み荷は底荷(バラスト)だけなので、なんとか乗れる。
乗組員22名のうち10名も、同胞のあいだでくじを引いて決めた者たち。
みんな帰国したいのだ。

1944年8月26日午前2時。
8000キロはなれた故国に向け、ドイッチェラント号はベレンを出港する――。

このまま、ドイッチェラント号の航海について語られるのかと思ったら、そうではない。
次は、ハリー・ジェーゴという人物に焦点が当たる。

ジェーゴは25歳のアメリカ海軍大尉。
エール大を中途退学して海軍に入隊。
第2艦隊に編入され、ソロモン沖海戦に投じられる。
その後、アメリカ特務機関員を拾うようにというOSS(戦略事務局。CIAの前身)の要望で、急遽イングランドへ。
ノルマンディー上陸作戦にも参加。
ライム湾に待機するアメリカ軍上陸用舟艇が、Eボートに襲われたさい、応戦し、負傷。
退院後、生き残りの部下9名とともに、イギリス海軍の好意で貸与された砲艇で、ヘブリーズ諸島の各施設をまわる、郵便集配業務に従事することに。

ジェーゴが訪れたファーダ島は、撃沈されたUボートの乗組員が流れ着くようなところ。
また、この島には、負傷して隠遁生活を送っているケアリー・リープ海軍少将がいる。
現役復帰を願っているリープ閣下は、休暇をとってロンドンにいくというジェーゴに、2通の手紙を託す。
1通は、ロンドンで医者をしている姪のジャネット・マンロー宛て。
もう1通は、アイゼンハワー将軍宛て。

空襲下のロンドンで、ジャネットは大忙し。
またしても、「サンタマリア特命隊」同様、赤ん坊をとりあげるシーンがある。
そんななか、アイゼンハワー将軍がジャネットに会いにくる。
リープに用意できるポストは、〈補給兵員統合本部〉の副長官しかない。
前線にでたがっているリープにとって、この返事は望むところではないだろう。
そこで、ジャネットはアイゼンハワー将軍の意向をうけ、ファーダ島を訪れ、リープをなだめることに。

ジェーゴはジャネットにも手紙を届けにくる。
2人は急速に親しくなる。

3つ目の物語は、Uボートの艦長、ポール・ゲリッケ少佐にまつわるもの。
ゲリッケは、ファルマス湾内に潜入し、機雷を敷設せよとの無茶苦茶な指令をうける。
が、無茶苦茶でも指令は指令。
小船団にくっついて防潜網をくぐり抜け、湾内へ。
機雷をまき終え、退去というとき、一隻のタグボートが機雷に触れて爆発。
戦闘のすえ離脱するが、その途中、司令塔で指揮していたゲリッケは海に投げだされてしまう。
その後、イギリス海軍の魚雷艇に拾われ、訊問されたのち、ロンドンに移送。

ゲリッケは、アメリカ側に引き渡されることになる。
グラスコーまではこばれ、そこから合衆国へ。
同じ列車にはジャネットとジェーゴも乗っている。
列車がグラスコーに着くと、ゲリッケは用足しを口実にしてまんまと脱走。
出発した列車に乗りこみ、機転をきかせ、ジャネットのいるコンパートメントに入りこむ。

が、けっきょく捕まり、ふたたび捕虜の身に。
マレーグまでいき、午後の列車でグラスコーにもどるということになったが、ゲリッケはまたもや脱走。
マレーグに着いたジャネットは、迎えにきたマクロード――島で救命艇の艇長をつとめる偉丈夫――の船でファーゴ島に向かう。
なんと、その船にゲリッケが隠れていた。
ゲリッケは一時、主導権を握ったものの、すぐに逆転。
ファーダ島の留置所に入れられる。

一方、マレーグから自身の船で出発していたジェーゴは、ゲリッケがファーダ島にいるという連絡を受け、身柄を確保するためにファーダ島へ。

また一方、ブラジルを出発したドイッチェラント号――。
イギリスの潜水艦に臨検されたり、見習い尼のロッテと掌帆長のリヒターが恋仲になったり、そのロッテに手をだそうとしたコックが海に蹴り落とされたり、コックがいなくなったために尼僧たちがその代わりをしたり、貨物船と遭遇したり、嵐に翻弄されたりしながら、よろよろと大西洋を横断し、スコットランド沖へ。

というわけで、関係者一同がファーダ島周辺に集結する――。

このころのヒギンズは、まだカットバックの手際がいまひとつだった。
後半に重要な役割を果たす人物に、ドイツ空軍ユンカース爆撃機の機長、ホルスト・ネッカー大尉がいる。
大暴風に遭い、坐礁したドイッチェラント号の周囲を飛び続け、ファーダ島と交信を続ける人物。

ネッカーが登場したのは、ジェーゴの登場と同時。
ジェーゴの砲艇を、ネッカーのユンカースが襲撃するのだ。
だが、それから150ページほど読まないと、ネッカーの次の出番はやってこない。
さすがに、おぼえていられない。

関係者をファーダ島に集結させる手続きも、いささかご都合主義にみえる。
2度脱走に成功し、2度ともジャネットに出会うゲリッケなどは、思わず笑いだしてしまうところだ。

にもかかわらず、後半の盛り上がりは素晴らしい。
全ての欠点を帳消しにする、途方もない盛り上がりぶり。
後期のヒギンズ作品にはない、粘りのある筆致で書かれたクライマックスは、大変な迫力だ。
訳者あとがきを引用すると、「怒涛の寄り身」。
この場面だけで傑作と呼べるだろう。

ところで、本書を読んでいたとき、ヒギンズ作品には、よくハイデッガーの同じ文句が引用されることに気づいた。
正確には、ヒギンズ作品の登場人物が、よくハイデガーの同じ文句を引きあいにだす。
本書ではこういう訳文。

《真に生きる者にとって必要不可欠なこと、それは死と断固対決することである。》

「狐たちの夜」ではこう。

《真に生きるためには決然と死に対決することが必要だ》

使いまわしが好きなヒギンズのことだ.
さがせばまだまだみつかるだろう。


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雨の襲撃者

「雨の襲撃者」(ジャック・ヒギンズ/著 伏見威蕃/訳 早川書房 1987)
原題は“The Violent Enemy”
原書の刊行は1966年。

訳者あとがきによれば、本書はヒュー・マーロウ名義で1966年に出版されたそう。
そのときのタイトルは、“A Candle for the Dead”
のちにジャック・ヒギンズ名義で再版したさい、タイトルを変更したとのこと。

3人称多視点。
警視庁特別保安部(スペシャルブランチ)の主任刑事、ディック・ヴァンブラと、同部長刑事ドゥワイアが、服役中のIRAの闘士ショーン・ロウガンを刑務所に訪ねるところから本書はスタート。

ロウガンは、IRAとして名の知られた人物。
戦争直前、ダブリンのトリニティ・カレッジ在学中に、北アイルランド越境襲撃に参加。
負傷して捕えられ、7年の刑に。

ロウガンは、幼いころフランスとドイツにいたため、両方の言葉が流暢に話せる。
そこを買われ、1941年、特殊作戦執行部の要求により釈放。
所定の訓練を経て、ヴォージュ山脈で〈マキ〉を組織するため、フランスにパラシュート降下。
当時、特殊作戦執行部にいたヴァンブラは、そこではじめてロウガンと会った。

戦争が終わると、勲章はすべて辞退し、すぐに除隊。
また、IRAの活動にたずさわり、捕まっては脱獄をくり返す。
そのため、ヴァンブラはいままでロウガンを3度逮捕している。
まるでロウガン担当のような立場。

IRAが北アイルランドでの国境闘争を中止したとき、英国の刑務所で刑期をつとめているIRAのメンバーはほとんどが釈放された。
が、政府はロウガンをひどく恐れている。
よって、あと5年刑期をつとめてもらわなければいけない。
ヴァンブラは、ロウガンに直接そのことを告げるために、刑務所にやってきたのだった。

さて、ヴァンブラたちが立ち去ったあと、ソウムズという男がロウガンに面会をもとめてくる。
ロンドンの弁護士で、コラム・オモアの使いできたとソウムズはいう。
オモアはロウガンもよく知るIRAの大物。
ソウムズは、ロウガンに脱獄をすすめる。

以前、ロウガンはこの刑務所を脱獄したことがある。
そのときは、脱獄したもののいき場がなく、すぐまた捕まってしまった。
そのことを知っているソウムズは、ロウガンに計画を告げる。
脱獄した先には、以前ロウガンと同房だった、汚職警官のポウプが準備をして待っている。
すぐ、オモアのもとへいけるようにしておこう。

かくして、ロウガンは現在同じ房にいるマーティンに、扉の鍵を開けてもらい脱獄する。

マーティンは素晴らしい腕前の錠前破りなのだが、腕が良すぎてだれがやったのかすぐにばれてしまうという人物。
似たような人物は、「地獄の群衆」にもでてきた。
同じく主人公が脱獄するこの作品でも、主人公は同房の、錠前破りのじいさんに扉を開けてもらうのだ。
本書の脱獄のくだりは、「地獄の群衆」の焼き直しといっていいだろう。

ぶじ脱獄に成功したロウガンは、計画通り元同房のポウプから服と車と身分証、それにサンドイッチなどを得て、この土地を脱出。
指示どおり湖水地方のケンドルという町へ。
町の、ある駐車場で待っていると、若い娘があらわれる。
名をハナ・コステロウという、オモアの使者。
ハナの運転で、ウィトベック近くに隠れ住んでいるオモアのもとへ。
ロウガンは10年ぶりにオモアと再会する。

なぜ、オモアはこんな手間をかけてロウガンを呼び寄せたのか。
仕事が用意してあるとオモアはいう。
現在、組織は大編成をおこなっているが、それには金がいる。

金曜日ごとに、週末の剰余金を積んだヴァンが湖をめぐり、リグ駅でロンドンゆきの急行を待つ。
金額は、いつもだいたい25万ポンドほど積んでいる。
このヴァンを襲い、金を奪う。
「あんたは、われわれの持ち駒のなかで一番知恵がまわる」と、オモア。
この仕事のために、オモアはわざわざ刑務所のなかからロウガンを呼び寄せたのだった。

しかし、ロウガンはこの仕事を断る。
もう40になるが、そのうち12年間は刑務所暮らしだった。
おやじがケリイの農場を切り盛りしているが、おやじももう歳だ。
おれのことを、首を長くして待っている。

だが、すっかり老いたオモアの姿にほだされて、ロウガンはけっきょく仕事を引き受けることに――。

本書は、年老いたテロリストの物語とでもいえるだろうか。
ヒロインであるハナの素性についても書いておこう。
ハナの父と、叔父のバディ・コステロウは、戦争中イングランドの北部でIRAの組織にかかわっていた。
母が亡くなり、父が飲んだくれるようになると、ハナは家をでてロンドンへ。
ウェイトレスになり、悪い男にひっかかり売春。
警察に捕まり、6カ月服役。
出所して、バディ叔父の家に身をよせるようになった。

バディ叔父も妻に先立たれている。
この叔父も飲んだくれで、アイルランド万歳の人物。
ことあるごとに、17歳になる知恵遅れの息子ブレンダンにつらくあたる。

ハナがこの現金輸送車襲撃の件にかかわっているのは、仕事が終わったら2000ポンドもらえるから。
そして、ブレンダンと一緒にアイルランドに連れていってくれるとオモアがいったから。
ハナは、ロウガンの半分ほどの年齢だが、2人は恋仲になる。

現金輸送車襲撃を実行するのは4人。
ロウガンとバディ叔父。
それから、オモアが雇ったモーガンとフレッチャーという2人のならず者。
ロウガンが計画を立て、いざ襲撃。
そしてみんな幸せになりましたとは、もちろんならない。

まず裏切りがある。
弁護士のソウムズや、元同房のポウプもそれに一枚かんでいる。
それから、ヴァンブラが迫ってくる。

ヴァンブラは戦時中、ドイツ軍情報部に捕まったとき、ロウガンに助けられたことがある。
そのロウガンを追わなければいけない自分の立場を、苦にがしく思っている。
物語の後半、ヴァンブラがロウガンを追いはじめると、物語はがぜん活気をおびてくる。

脱獄があり、襲撃があり、裏切りがある。
追跡があり、恋があり、逃避行がある。
それらが初期のヒギンズとしてはめずらしく、バランスよく配置され、物語はストレートに進み、全体として面白い読み物となっている。
読み終えると内容をすっかり忘れてしまうけれど、でも、これも美点のうちに数えたいところだ。


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死にゆく者への祈り

「死にゆく者への祈り」(ジャック・ヒギンズ/著 井坂清/訳 早川書房 1982)
原題は“A Prayer for the Dying”
原書の刊行は1973年。
「鷲が舞い降りた」まで、あと2年。

訳者あとがきによれば、自作のなかで一番好きな作品はなにかという質問に対し、ヒギンズは本書、「死にゆく者への祈り」を挙げたとのこと。

3人称多視点。
ほとんど、ひとつの町を舞台にしたスモール・タウンもの。
天才的な銃の使い手にして、オルガンの名手、元IRA中尉マーチン・ファロンの物語だ。

冒頭、昔の仲間と警察と、双方から追われるファロンは、ロンドンの武器商人クリストゥをたずねる。
クリストゥは、ファロンがほしがっているパスポートとオーストラリアいきの船の切符、それから200ポンドを条件に仕事をもちかける。
標的は、ジャン・クラスコという男。
依頼主は、〈英国版アル・カポネ〉と呼ばれるジャック・ミーアン。
裏社会のもめごとの果ての依頼だ。

IRAの一員として活動中、ファロンは誤ってスクールバスを吹き飛ばしたことがある。
クリストゥがそのことに触れると、ファロンは激昂。
この依頼を断る。
しかし、クリストゥがファロンを特別保安部(スペシャル・ブランチ)に密告したことでゆき場をなくしたファロンは、この仕事を引き受けざるを得なくなる。

ファロンは依頼を達成すべく町にいき、司祭を装い墓参中のクラスコに近づき、射殺。
が、その場面をダコスタ神父にみられてしまう。

ダコスタ神父は、戦時中はSAS(特殊部隊)の中尉だった。
戦後は、叙階を受け、伝道の仕事につき、朝鮮にいって中国軍に5年近く捕まる。
その後、モザンピークに派遣されるが、反乱軍に同情的すぎるとの理由で国外追放にあい、現在はいまにもくずれそうなこの町の教会の司祭をしている。

ファロンは、ダコスタ神父に殺人をおかしたことを告解。
わたしを利用したなと、ダコスタ神父は大いに怒るがどうにもならない。
告解の秘密は神聖であり、ほかにもらすことはできない。
ヒッチコック映画、「私は告白する」状態に。

クラスコ殺しの捜査のために、ミラー警視とフィッツジェラルド警部がダコスタ神父に協力をもとめにくるのだが、神父は話すことができない。
ミラー警視は、この殺人事件の背後にジャック・ミーアンがいることに気がついている。
この事件をきっかけにして、いつも法の網をくぐり抜けるミーアンを捕まえたいと思っているのだが、証拠がつかめない。

ジャック・ミーアンの本業は葬儀社の経営。
葬儀の職務にたいしては、大変熱心かつ真摯。
が、もちろん乱暴者で、不適切な行為をした部下の手を、作業台に打ちつけたりする。
にもかかわらず読書家で、ハイデガーやアウグスチヌスの「神の国」を読むという複雑な人物。

ファロンはミーアンのもとにでむき、仕事の結果を報告。
1500ポンドと、日曜の朝、船に乗ってから、あと2000ポンド支払われることになる。
ただし、目撃者であるダコスタ神父も消すようにとミーアン。
この依頼をファロンは断る。

日曜日まで、ファロンはどこかに隠れていなくてはいけない。
そこで、ミーアンの口利きで、元娼婦のジェニー・フォックスの家に厄介になることに―――。

このあたりまでが、本書の3分の1くらい。
元IRAのガンマンという設定は、「サンタマリア特命隊」の主人公エメット・ケオーを思いださせる。
スクールバスを爆破したなどという負い目をもつところも同様。
音楽的才能をもつという点では、「暗殺のソロ」の主人公、ジョン・ミカリにつながる設定といえるだろう。
登場人物の各資質を少しずつずらしながら再利用し、作風を洗練させていったヒギンズ作品の軌跡がうかがえる。

神父が主要な登場人物である点も、「サンタマリア特命隊」と似ている。
ヒギンズ作品には神父や修道女がよくでてくるけrど、ヒギンズはカトリックなんだろうか。

ダコスタ神父には、一緒に暮らすアンナという盲目の姪がいる。
「ラス・カナイの要塞」には、主人公の盲目の妹が登場したなと、ここでも思い出す)
このあと、ミーアンに狙われたダコスタ神父とアンナを、ファロンが守るという展開になっていく。

この作品でも、キャラクターや作中の雰囲気を強く印象づけようとするあまり描写がくどくなるという、初期ヒギンズ作品のくせがでている。
登場人物の情報を小出しにするという、思わせぶりなだけで効果のない手法も依然として残っている。

また、場面、場面はよいのだけれど、場面と場面のつながりがよくない。
必然性がいまひとつたりない。
後期のヒギンズは、場面と場面のつながりだけで読ませるような作風になることを思うと、やはりまだ技量が落ちると感じてしまう。
けれども、全体としてはよくまとまっている。
欠点は欠点として、作風がひとつの完成にいたったと感じられる。

上記のような感想は、ヒギンズ作品をさんざん読んでから、この作品を読んだために感じたことかもしれない。
最初にこの本を読んでいたら、またちがっていたかもしれない。

読んだのは、2013年に刊行された、16刷。
新装版で、通常の文庫より1センチほど背が高いサイズのもの。
表紙には写真がつかわれている。
ヒギンズ作品というと、表紙はいつも生頼範義さんのイラストだという印象があるから、写真だったのは少々さみしい気持ちがしたものだ。



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狐たちの夜

「狐たちの夜」
原題は“Night of the Fox”
邦題は狐が複数形になっている。
原書の刊行は1986年。

第2次大戦秘話もの。
まず、1人称によるプロローグがある。
〈私〉――ハーヴァード大の哲学助教授アラン・ステイシイは、この3年間ハリイ・マーティノゥという人物の伝記にとり組んでいた。
行方不明だったマーティノゥの遺体が発見され、ジャージイ島に埋葬されると聞いたステイシイは、この島を訪れる。

ハリイ・マーティノゥは道徳哲学の教授。
ボストンで生まれ、ハーヴァードで学び、ハイデルベルクで博士号をとり、38歳のときにオックスフォードで道徳哲学の教授に就任。
その後、第2次大戦が勃発。
陸軍省につとめ、経済戦省に移る。
1945年1月に、偵察員としてアラド96型機に乗り、行方不明に。

アラド96型機はドイツ空軍の2人乗り練習機。
イギリス空軍には〈敵機飛行班〉という、捕獲したドイツ機を飛ばし、その性能を調べる部門があった。
で、海に墜落したものと思われていたアラド96型機だったが、2週間前、エセックス州の湿地を掘削中に発見された。
マーティノゥとパイロットは遺体で発見された。

そこで、いろいろと不思議なことがでてくる。
〈敵機飛行班〉は、つねにイギリス空軍の円形標識をつけていたのに、発見された機体はいまだにドイツ空軍の標識をつけていた。
また、1994年1月に、マーティノゥは殊勲章を授与されているが、なにをして叙勲されたかまったくわからない。
それになぜ、マーティノゥが一度もきたことがないジャージイ島に埋葬されることになったのか。

マーティノゥの遺体をジャージイ島にはこばせたのは、セアラ・ドレイトン博士。
1944年、当時19歳だったセアラはSOEの仕事をしていた。
SOEは、特殊作戦執行部。
ヨーロッパにおけるレジスタンスと地下活動を調整するため、1940年、チャーチルの命令でイギリス情報部に設置された組織。
セアラによれば、マーティノゥはドイツ軍占領下のジャージイ島にきていたという。
親衛隊の制服を着たマーティノゥと、ロンメル元帥が並んで写っている写真を、セアラからみせられたステイシイは仰天する。
当時、ジャージイ島では一体なにがあったのか。
ステイシイはセアラから話を聞く。

で、本編――。
映画のように、切れ味のいいカットバックによってストーリーは進んでいく。

1944年のロンドン。
1939年までエジプトの考古学者であり、この3年はSOEのD課――謀略課――の課長であるドゥガル・マンロゥ准将はつらい報告を聞く。

ノルマンディ上陸作戦のため、模擬演習をおこなっていた連合軍が、ドイツのEボートの攻撃を受けた。
揚陸艦2隻は沈没。
海軍200名、陸軍450名が死亡したとみられる。

さらに、ヨーロッパ侵攻作戦の具体的な内容を知っている者〈偏狭者(ビゴット〉が行方不明に。
もしビゴットがEボートに拾い上げられでもしたら、作戦の内容が敵側に知られてしまう。
その後、2人のビゴットの死体は回収される。
が、ひとりはまだ行方不明。

そのひとり、ヒュー・ケルソゥ大佐は脚に負傷し、救命ゴムボートで海をただよっていた。
ケルソゥは42歳。
土木技師で4、5年間、ニューヨークにある一族の建設技術会社の常務取締役をつとめる。
1942年、工兵隊に徴用され、南太平洋の島々の海浜上陸作戦に従事。
実績と経験を認められ、イギリスの連合国派遣軍最高司令部に転勤となった。
ケルソゥのゴムボートは、ジャージイ島に漂着する。

ところで、連合軍のフランス北部上陸を阻止するため、大西洋沿岸防衛の全責任を負っていたエルヴィン・ロンメル元帥は、ヒトラー暗殺にもかかわっていた。
暗殺計画が失敗に終わると、同じ志をもつ、フォン・シュトゥルプナーゲルとファルハウゼンの両将軍に、数日中に会う必要が生じた。
しかし、ロンメルはすでにヒムラーに目をつけられている。
そこで、一計を案じることに。
総統が示唆したジャージイ島への視察に、替え玉をいかせる。
そのあいだに、フランスで両将軍と会う。

替え玉につかうのは、余興のさい見事にロンメルを演じた、ドイツ空挺連隊エーリヒ・ベルガ―伍長。
ベルガ―伍長は、じつはそれが本名ではない。
本名は、ハイニ・バウム。
元キャバレーの芸人のユダヤ人。

1940年、ベルリンに住んでいた当時44歳のバウムは、父母が家から連れ去られるのをみて、とっさに逃げだした。
列車に乗り、着いたキールは、ちょうどイギリス空軍により壊滅的な空襲を受けたところ。
イギリス空軍の第2波を避けるため、手近な地下室に転がりこむと、そこにはエーリッヒ・ベルガ―と、その妻、その娘の遺体が。
バウムはベルガ―の身分証を手に入れ、ベルガ―になりすますことに。
ベルガ―には召集令状がきていたので、バウムも出頭し、空挺部隊に入隊。

ロンメルから替え玉の話を聞いたバウムは微笑してこたえる。
「正直に言って、やってみたいと思います」

一方、ジャージイ島に漂着したケルソゥは、ヘレン・ド・ヴィルという女性によって発見、救出される。
ヘレンは42歳。
ド・ヴィル・プレイスと呼ばれる館の女主人。
夫のラルフは、イギリス陸軍に勤務しており留守。
この2年間、館はドイツ海軍士官に宿舎として提供させられている。

ヘレンのもとでは、ショーン・マーティン・ギャラハーという男がはたらいている。
ギャラハーは52歳。
ジャージイ島出身だが、父親がアイルランド人のため、アイルランド国民。
なので、この戦争では公式には中立。

ギャラハーの少年時代の望みは作家になることで、トリニティ大学で学士号を取得。
大学を卒業したとき、第1次大戦がはじまり、軍人に。
少佐となり、2回負傷して、ソンムでの勇敢な行為により戦功十字勲章を受ける。
その後、アイルランド紛争に参加。
30歳で将軍となり、アイルランド自由国のために、アイルランド西部を駆けまわる。

そのうち、ひとを殺すのにすっかり嫌気がさし、1930年にジャージイ島にもどりここで暮らすことに。
家はドイツ軍に接収されてしまい、現在はド・ヴィル・プレイスの荘園内のコテージに住んでいる。
そして、少年のころから思慕するヘレンの右腕としてはたらいている。

まず、ケルソゥの負傷した脚を治療しなくてはならない。
ヘレンとギャラハーは、信頼できるジョージ・ハミルトン医師に診せたのち、カトリックの修道女会が運営している小さな病院で手術。
ド・ヴィル・プレイスには、清教徒革命中、王党派であり荘園の領主だったチャールズ・ド・ヴィルがつくらせた隠し部屋があった。
で、ケルソゥをこの隠し部屋にはこびこむ。

ケルソゥは、レジスタンスと連絡をとることを切望する。
が、ジャージイ島ではレジスタンス活動はおこなわれていない。

そこで、ギャラハーは貿易船の船長サヴァリに手紙を託す。
サヴァリはその手紙を、フランスのグランヴィルにあるカフェ〈ソフィーズ〉を経営するソフィーとジェラールのクレソン夫妻に渡す。
レジスタンス活動をしている2人は、ロンドンに無線連絡。
こうして、マンロゥ准将は、ケルソゥの生存を知ることに。

ジャージイ島に、だれか送りこまなくてはいけない。
ケルソゥを脱出させなくてはいけないし、脱出できなければ殺さなくてはいけない。
《徹底的にナチになりすますことができて、必要とあらばケルソゥの眉間に弾を打ち込めるだけの冷酷さを具えた男は一人しかいない》

ここでやっと、プロローグにあらわれた謎の人物、ハリイ・マーティノゥが登場。
マーティノゥは44歳。
リヨンでの仕事で、恋人を殺したゲシュタポに復讐したあと、負傷し、当地を脱出。
3か月前に退院し、現在ドーセット州で隠棲している。

マンロゥ准将が立てた作戦には、女性がひとり必要。
プロローグにあらわれたもうひとりの人物、セアラ・アン・ドレイトンがここで登場。
セアラは当時19歳。
ジャージイ島に生まれ、開戦直前に父親がゴム園を経営しているマラヤにいくため、島をはなれた。
シンガポール陥落の1か月前に本国にもどり、現在はロンドンのクロムウェル病院で見習い看護婦としてはたらいている。

空襲後の激務のあとのセアラに、マンロゥ准将と部下のカーターは会い、事情を説明。
父は日本軍の収容所に入っており、父の姉がサセックスにいるが、私がいないのを寂しがるひとはひとりもいない、どのようにつかっていただいても結構よ。
と、セアラは2人の申し出を受け入れる。

で、3人でドーセットにいるマーティノゥを訪問。
セアラはマーティノゥをひと目みて、電撃的な恋に落ちる。

マンロゥは作戦を説明。
パリでブラウンという男を殺したのだが、この男はヒムラー直属の人間だった。
一種の移動大使で、どこでも自分の好きなところを、自分の好きな判断で調査する権限をあたえられていた。
かれらが何者なのかだれも知らない。
親衛隊の個人的な使者にたいする疑念をただしたかったら、ベルリンの長官に直接電話をかけるほかない。
そこで、同じ権限をもつ保安部(SD)のマックス・フォーゲル大佐として、マーティノゥを化けさせることに。

それから、ドイツ軍の高級将校のほとんどは、フランス人のガールフレンドをもっている。
それに準じ、セアラを、アンヌ-マリー・ラトゥールという名の売春婦に仕立てて同行させる。
ジャージイ島に着いたとき、マーティノゥには正体を保証する人間が必要になる。
セアラがその役をはたす。
セアラはヘレンとは血縁だし、ギャラハー将軍のことも知っている。
セアラが島にもどるのは6年ぶり。
ほかの住人には別人で通り、ヘレンと将軍には本人で通るだろう。

こうして作戦は決行。
2人はライサンダー機でグランヴィルに送られ、ソフィー・クレソンが出迎えたあと、マーティノゥがその権限を行使して、ドイツ海軍とともにジャージイ島に潜入する――。

とまあ。
長ながとストーリーを紹介してきた。
この作品は気に入っている。
作戦決行までの経過はわくわくさせるし、なにより2人の替え玉が出会うというアイデアが秀逸。
バウムにいたっては3重の変装だ。

このあと、ジャージ島に渡ったマーティノゥは、ロンメル元帥に変装したバウムと出会うことになる。
まるで、第2次大戦を背景にしたシェイクスピア劇のよう。

登場人物は、いつものヒギンズ作品の要素を散りばめた人物たち。
インテリの工作員、IRAの闘士、勝ち気な娘。
すぐ暴力に訴えるやられ役のろくでなしも、いつも通り登場。
マンロゥ准将は、名前がヒギンズのシリーズ・キャラクターであるファーガスン准将であってもなんの問題もない。
登場人物の経歴を、ひと筆書きのようにえがくのも上手いものだ。

紹介では書ききれなかったが、グイード・オルシニ中尉も興味深い。
ドイツ海軍配属のイタリア人だが、イタリア政府が降伏してしまったため、身うごきがとれなくなってしまった人物。
いつも粋で、向こう見ずな魅力をたたえている。
この人物も大いに活躍。

文庫の解説は、作家の典厩五郎。
典厩さんは、ヒギンズ作品についてこんなことを書いている。

《ヒギンズという作家には困ったものだ。なにしろ旧作にさかのぼるほど面白いという明確な特徴がある。
 筆者の個人的好みでいうなら、邦訳第一作の『地獄島の要塞』がベストワンである。一般的評価でも、第二作の『鷲は舞い降りた』と、第三作の『脱出航路』までの三作品が、ヒギンズのベストスリーといって差しつかえないだろう。》

「地獄島の要塞」がベストワンというのには驚く。
でもまあ、好みはひとそれぞれだ。


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2016年 ことしの一冊たち

ことしはジャック・ヒギンズの作品ばかり読んでいた。
年内のうちに、手元にある本はみんなメモがとれるだろうと思っていたのだけれど、そうはいかなかった。
ヒギンズ作品についてのメモは今後も続け、終わったら作品ぜんたいについてまとめるつもり。

ヒギンズ作品以外となると、ことしメモをとった本は少ない。
こんな感じになる。

1月

「チューリップ」(ダシール・ハメット/著 小鷹信光/編訳解説 草思社 2015)
「怪物ガーゴンと、ぼく」(ロイド・アリグザンダー/著 宮下嶺夫/訳 評論社 2004)

ハメットの最後の作品を刊行して亡くなられるとは。
小鷹信光さんは格好いい。

「怪物ガーゴンと、ぼく」の訳者あとがきに、作者によるこんな発言も記されている。
この作品を出版社に送るためにメーリング・サービスにもっていったところ、翌日、発送をした旨を告げる電話がかかってきた。その女性はこう続けた。「あなたはいつも、すてきな若いヒロインをお書きになります。一度、すてきな年配のヒロインを書いていただけないでしょうか」。きのうの原稿がまさにそれなんですよと作者はこたえたという。ほんとうに、その通りだ。


2月

「美しい鹿の死」(オタ・パヴェル/著 千野栄一/訳 紀伊国屋書店 2000)
「レクイエム」(アントニオ・タブッキ/著 鈴木昭裕/訳 白水社 1998)

「美しい鹿の死」はほんとうに素晴らしい。古本屋で手にとるまで、こんな作品があるとは知らなかった。少しは世に知られた作品なんだろうか。「レクイエム」を読んだあと、「イザベルに」(和田忠彦/訳 河出書房新社 2015)も読んでみた。でも、もう内容を忘れてしまった。


3月

「昭和な町角」(火浦功/著 毎日新聞出版 2016)
「銀行強盗にあって妻が縮んでしまった事件」(アンドリュー・カウフマン/著 田内志文/訳 東京創元社 2013)

まさか、火浦功の新刊が出版されるとは思わなかった。同時期に、火浦功の師匠にあたる小池一夫の、「夢源氏剣祭文」(小池一夫/著 毎日新聞出版 2016)も出版され、書店に2冊並べて置かれていたのを思いだす。また、「銀行強盗にあって妻が縮んでしまった事件」の作者による新刊がことし出版された。「奇妙という名の五人兄妹」(アンドリュー・カウフマン/著 田内志文/訳 東京創元社 2016)。内容紹介を読むと面白そうだけれど、やはりこしらえすぎの感じがするだろうか。


4月からジャック・ヒギンズ作品についての読書メモがはじまる。
それ以外の作品のメモは以下。


6月

「砂浜に坐り込んだ船」(池澤夏樹/著 新潮社 2015)
ことし大ヒットした映画、「君の名は。」をみていたら、この本に収められた「大聖堂」という作品を思いだした。ファンタジーにする必要はないと思った、その理解は浅かったか。それはともかく、ことしは面白い映画をたくさんみた。「キャロル」「オデッセイ」「シン・ゴジラ」「この世界の片隅で」も、池澤さんが絵本をだした「レッドタートル」も、みんな面白かった。「この世界の片隅で」はあんまり面白かったので、絵コンテを買って読んだ。「「この世界の片隅に」劇場アニメ絵コンテ集 」(こうの史代/原作 「この世界の片隅に」製作委員会/著 片渕須直/絵コンテ 浦谷千恵/絵コンテ 双葉社 2016)。絵コンテには「右手さん」というキャラクターがいてびっくりした。「右手さん」にはセリフまで用意されていた。


10月

「ルーフォック・オルメスの冒険」(カミ/著 高野優/訳 東京創元社 2016)
この本が出版されたのが、ことし一番嬉しかった。

以上。

いちいちメモをとるにはいたらないけれど、ほかにも読んだ本はある。
最近では、「万年筆インク紙」(片岡義男/著 晶文社 2016)を読んだ。
著者の片岡さんが、小説の創作メモを書くためにふさわしい万年筆とインクと紙をさがしもとめるエセー。
この本、一体だれが読むのだろうと首をかしげる。
なにしろ目次すらない。
ただただ、万年筆をつかって字を書くという行為が、一冊丸まるつかって、主観的に考察されているだけだ。

でも、個人的には面白かった。
うんちくを語るのではなく、自分が欲しい万年筆とインクと紙についてだけ語っている。
その一貫しているところが好ましい。
それから、その考察や、細かい観察ぶりや、手に入れるまでの過程や、執心ぶりが可笑しい。
読んでいると、次第にユーモラスな気分になってくる。
何箇所か声をあげて笑ってしまった。
本書の終わり近くに、小説というものについて、片岡さんの考えを記した部分がある。
そこを引用してみよう。

《頭に浮かぶことをノートブックに書いては検討して考えをまとめていく、という一般的な理解があるかもしれないが、小説の場合は考えなどまとめてもどうにもならない。そこからはなにも生まれない。思いがけないものどうしが結びつき、そこから新たな展開が生まれてくるとは、たとえば人であれば少なくともふたり以上の人が、そしてものごとならふたつ以上の異なったものが、対話の関係を結ばなくてはいけない。その対話のなかから、途中の出来事として、あるいは結論として、それまではどこにもなかった新たな展開が生まれてくることによって、人々の関係とそれが置かれている状況とが、その新たな展開のなかを動いていく、ということだ。ひとりでやろうとしてはいけない。しかし、対話と称して、自分のことを言い続けるだけの人は現実のなかにはいうらでもいるけれど、小説のなかにそのような人の居場所はない。》

こういう文章に面白味を感じることができれば、この本の良い読者になれるだろう。
しかし、書くという行為の考察だけで、一冊つくってしまうのだから、その筆力には感服する。

もう一冊。
「驚異の螺子頭と興味深き物事の数々」(マイク・ミニョーラ/著 秋友克也/訳  ヴィレッジブックス 2014)。
マイク・ミニョーラは好きな作家で、出版された本はみんな読みたい。
でも、この本が出版されていたのは、古本屋でみかけるまでうかつにも気づかなかった。
表題作と、短編が5つ収録されている。

螺子頭(スクリュー・オン・ヘッド)は、なぜかリンカーン大統領の命令にしたがい、ゾンビイ皇帝によって盗まれたカラキスタン断章を回収しにむかう。
その名の通り、螺子頭は、首の部分がネジになっていて、さまざまな体に装着できる。
といっても、その特徴が物語に反映されることはない。
回収に向かった先は、中東を思わせる砂漠にある寺院の遺跡。
その後のストーリーはヘルボーイ風。
ほとんど、ヘルボーイのパロディのようだ。

ほかの短編もそうだけれど、みんなごく短い物語ばかりなのが物足りない。
とはいえ、ミニョーラの素晴らしい絵と、ひとを食ったようなストーリーが堪能できた。

来年も、面白い本に出会えるますように。
では、皆様よいお年を――。

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