「裁きの日」「デリンジャー」

「裁きの日」(ジャック・ヒギンズ/著 菊池光/訳 早川書房 1983)

原題は“Day of Judgment”
原書の刊行は、1978年。

1975年に「鷲は舞い降りた」を刊行したあと、ヒギンズが発表した作品を順に並べると、こんな風になる。

1976 「脱出航路」
1977 「ヴァルハラ最終指令」
1978 「裁きの日」
1980 「暗殺のソロ」

「暗殺のソロ」までいくと、安定したカットバックの技量が楽しめる。
が、それまではそうはいかない。
というわけで、「裁きの日」の面白さはいまひとつだ。
手早くストーリーを紹介して、終わりにしてしまおう。

3人称多視点。
主人公は、「非情の日」の主役だったサイモン・ヴォーン元イギリス陸軍少佐。
舞台は、1963年のベルリン。

葬儀屋の車で検問所を越え、西ベルリンに入った女性、マーガレット・キャンブル。
父は物理学者のグレゴリー・キャンブルという英国人で、原爆の情報を東側に流した人物。
その後、この父娘は東ドイツで暮らしていた。
しかし、肺ガンにかかり余命いくばくもないグレゴリー・キャンブルは祖国にもどりたがっている。
そこで、なにか手はないかと、娘のマーガレットは検問を越えてやってきたのだ。

が、ヴォーンは、マーガレットの話を信じない。
マーガレットは、キリスト教徒の地下組織〈復活連盟〉の神父、ショーン・コンリンと面会。
東ドイツにもどり、コンリン神父が救出にくるのを待つことに。

しかし、ヴォーンが見抜いたように、マーガレットは嘘をついていた。
東ベルリンに潜入したコンリン神父は、東ドイツの国家保安省第2局第5部長、ヘルムート・クラインによ捕まってしまう。

なぜ、東ドイツ側はこんな手間をかけてコンリン神父を捕まえたのか。
コンリン神父と復活連盟の活動は有名で、コンリン神父はノーベル平和賞の受賞候補に推薦されたほど。
このコンリン神父を洗脳する。
そして、公開裁判で、コンリン神父が西側の工作員であったことを自白させる。
折しも、来月はケネディ大統領がベルリンに訪問する予定。
成功すれば、西側に打撃をあたえることができる。

コンリン神父は、ノイシュタット城に収容され、アメリカ人の心理学者ハリイ・ヴァン・ビューレンにより洗脳をほどこされる。

一方、父がすでに死んだと知らされたマーガレットは、自分がただクラインに利用されていたと知る。
コンリン神父が捕まった現場から逃げだし、川に落ち、流され、ノイシュタット村で暮らすルーテル派のフランシスコ修道会に拾われる。
マーガレットは、フランシスコ修道会会士コンラートに、これまでのいきさつを説明する。

コンラート会士は西ベルリンにおもむき、ヴォーンと接触。
2人は、憲法保護局ベルリン支局長、ブルーノ・トイゼンと会う。
トイゼンは、ナチス・ドイツ時代、カナリス提督のもとで仕事をしていた人物。

コンリン神父捕まるの報が世界を駆けめぐる。
バチカンとアメリカがうごく。

バチカンでうごいたのは、コンリン神父と同じ、イエズス会士のバチェリ神父。
現在、サン・ロベルト・ベラルミノ神学校の歴史研究部長の職にある。
ノイシュタット村に閉鎖された教会があることを知ったバチェリ神父は、東ベルリン聖庁のハルトマン神父に連絡をとる。

ホワイトハウスは、スミソニアンで講演していた、チャールズ・バスコウ英文学教授と接触。
バスコウ教授は、戦時中、イギリス軍情報局ではたらいていた。
そのとき、ブルーノ・トイゼンとは敵対関係に。
しかし、今回はともにはたらくことになる。

というわけで、みんなベルリンにあつまってきて作戦会議。
まず、国境警備隊を買収。
それから、ノイシュタット村のフランシスコ修道会から穴を掘る。
穴は、ノイシュタット城の排水溝までつなげ、そこからコンリン神父を救出する。

バチェリ神父の指示により、ハルトマン神父は閉鎖されている教会を調査するという名目でノイシュタット村へ。
そして、ハルトマン神父の監視役に化けたヴォーンも、同じくノイシュタット村に潜入する――。

本書が面白くない理由のひとつは、バチカンやらホワイトハウスやらがでてきてスケールが大きくなったさいの手際の悪さにある。
登場人物ばかり増えて、応接にいとまがない。
読者はすっかり置いてきぼりだ。

また、洗脳の話というのは、面白くするのがむつかしい。
けっきょく、コンリン神父が洗脳に耐えましたという話になるのだが。

本書には、ハルトマン神父が排水溝にはまった配管工を助けだす場面がある。
雨で水位が上がっている水のなかに飛びこんで、半トンものブロックをどかす。
ヒギンズ作品によくでてくる場面だ。

また、閉鎖された教会におもむいたハルトマンは、村びとに乞われるままに告解を聞く。
さらに、英雄的行為をおこなう。

これもまた、「サンタマリア特命隊」などで見慣れた場面。
マンネリだって面白ければいい。
でも、そうはなっていないので残念だ。

もう一冊。
ハリー・パタースン名義で書かれた作品。
「デリンジャー」(ハリー・パタースン/著 小林理子/訳 東京創元社 1990)
原題は“Dillinger”
原書の刊行は、1983年。

デリンジャーは、実在したアメリカの名高い銀行強盗。
本書は1934年、インディアナ州のレイク・カウンティ刑務所から脱獄したデリンジャーの、空白期間をえがいたもの。
メキシコに逃亡したデリンジャーは鉱山や原住民をめぐる争いに巻きこまれた――というのがその内容。

というわけで、この作品は「サンタマリア特命隊」の焼き直しのよう。
やはり、いまひとつといわざるを得ない作品だった。



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脱出航路

「脱出航路」(ジャック・ヒギンズ/著 佐和誠/訳 早川書房 1982)

原題は、“Storm Warning”
原書の刊行は、1976年。

原題の意味は、「暴風警報」。
こちらのほうが、本書の内容によくあっている。
でも、それは読んだからいえるので、本のタイトルとしては、「暴風警報」では意味不明か。

本書の刊行は、「鷲が舞い降りた」の翌年。
よく、ヒギンズの代表作として、「鷲が舞い降りた」とともに並び称される。
たしかに、その評価はうなずける。
後半の盛り上がりぶりは尋常ではない。

では、ストーリー。
3人称多視点。
舞台は、第2次大戦中の1944年。
本書は、だいたい3つの筋からなる。
そのひとつは、ブラジルから大西洋を渡りドイツへ向かう、老帆船ドイッチェラントの物語だ。

ドイツのUボートにより、自国の商船が犠牲になったことから、1942年8月、ブラジルはドイツに宣戦布告をした。
そのため、沿岸に漂着したドイツ海軍将兵をどう扱うかという問題が、ブラジル側に生じた。
費用のかかる捕虜収容所などは論外。
そこで、ブラジル政府は、ドイツ領事補が提出する同胞についての月例報告に目を通すことで満足することにした。

ベルガ―船長も、このブラジル式の待遇を受けたひとり。
もともと、合衆国燃料補給船ジョージ・グラントに偽装した潜水艦補給船エッセンの艦長だったが、3度目の補給任務のさい、イギリスの潜水艦に魚雷をぶちこまれる。
泳いでいるところを、ポルトガルの貨物船に拾われ、リオでブラジル官憲に引き渡された。

《この国には一種の仮釈放ともいえるシステムがあって、敵性国人だろうと職を見つけられればその恩恵に浴することができる》

というわけで、沿岸交易をいとなむドイツ系商会の所有する帆船ドイッチェラントの船長となり、リオとベレンを往復する日々を送ることに。

このドイッチェラント号を拝借し、故国ドイツをめざす。
そのさい、ドイッチェラント号はスウェーデン国籍のグドリド・アンデルセン号に偽装。
本物は、イェーテボリに停泊しているはず。
スウェーデン国旗や、偽の航海日誌、偽の救命道具も用意。
スウェーデンのパスポートも用意した。

これら偽装の事務を担当したのが、ブラジル駐在ドイツ領事補オットー・プラガー。
プラガーとその妻は、ベルガ―船長がほしがっていた無線機をもって、ドイッチェラント号に乗船。
すでに65歳のプラガーにこの航海は無理だと、ベルガ―船長はさとすが、プラガーは聞き入れない。

さらに、プラガーは5人の尼僧を連れてくる。
彼女たちは、僻地で伝道につとめていたが、ブラジル内務省の政策変更のため伝道所をたたむことになった。
また、イタリア戦線に派遣されたブラジル部隊の被害状況が報じられたら、どんな目に遭うかわからない。
結局、ベルガ―船長は、プラガーと修道女のシスター・アンゲラに押し切られる。
乗船を認めることに。

かくして、乗組員22名、プラス尼僧5名とプラガー夫妻の計29名が乗船。
船の積み荷は底荷(バラスト)だけなので、なんとか乗れる。
乗組員22名のうち10名も、同胞のあいだでくじを引いて決めた者たち。
みんな帰国したいのだ。

1944年8月26日午前2時。
8000キロはなれた故国に向け、ドイッチェラント号はベレンを出港する――。

このまま、ドイッチェラント号の航海について語られるのかと思ったら、そうではない。
次は、ハリー・ジェーゴという人物に焦点が当たる。

ジェーゴは25歳のアメリカ海軍大尉。
エール大を中途退学して海軍に入隊。
第2艦隊に編入され、ソロモン沖海戦に投じられる。
その後、アメリカ特務機関員を拾うようにというOSS(戦略事務局。CIAの前身)の要望で、急遽イングランドへ。
ノルマンディー上陸作戦にも参加。
ライム湾に待機するアメリカ軍上陸用舟艇が、Eボートに襲われたさい、応戦し、負傷。
退院後、生き残りの部下9名とともに、イギリス海軍の好意で貸与された砲艇で、ヘブリーズ諸島の各施設をまわる、郵便集配業務に従事することに。

ジェーゴが訪れたファーダ島は、撃沈されたUボートの乗組員が流れ着くようなところ。
また、この島には、負傷して隠遁生活を送っているケアリー・リープ海軍少将がいる。
現役復帰を願っているリープ閣下は、休暇をとってロンドンにいくというジェーゴに、2通の手紙を託す。
1通は、ロンドンで医者をしている姪のジャネット・マンロー宛て。
もう1通は、アイゼンハワー将軍宛て。

空襲下のロンドンで、ジャネットは大忙し。
またしても、「サンタマリア特命隊」同様、赤ん坊をとりあげるシーンがある。
そんななか、アイゼンハワー将軍がジャネットに会いにくる。
リープに用意できるポストは、〈補給兵員統合本部〉の副長官しかない。
前線にでたがっているリープにとって、この返事は望むところではないだろう。
そこで、ジャネットはアイゼンハワー将軍の意向をうけ、ファーダ島を訪れ、リープをなだめることに。

ジェーゴはジャネットにも手紙を届けにくる。
2人は急速に親しくなる。

3つ目の物語は、Uボートの艦長、ポール・ゲリッケ少佐にまつわるもの。
ゲリッケは、ファルマス湾内に潜入し、機雷を敷設せよとの無茶苦茶な指令をうける。
が、無茶苦茶でも指令は指令。
小船団にくっついて防潜網をくぐり抜け、湾内へ。
機雷をまき終え、退去というとき、一隻のタグボートが機雷に触れて爆発。
戦闘のすえ離脱するが、その途中、司令塔で指揮していたゲリッケは海に投げだされてしまう。
その後、イギリス海軍の魚雷艇に拾われ、訊問されたのち、ロンドンに移送。

ゲリッケは、アメリカ側に引き渡されることになる。
グラスコーまではこばれ、そこから合衆国へ。
同じ列車にはジャネットとジェーゴも乗っている。
列車がグラスコーに着くと、ゲリッケは用足しを口実にしてまんまと脱走。
出発した列車に乗りこみ、機転をきかせ、ジャネットのいるコンパートメントに入りこむ。

が、けっきょく捕まり、ふたたび捕虜の身に。
マレーグまでいき、午後の列車でグラスコーにもどるということになったが、ゲリッケはまたもや脱走。
マレーグに着いたジャネットは、迎えにきたマクロード――島で救命艇の艇長をつとめる偉丈夫――の船でファーゴ島に向かう。
なんと、その船にゲリッケが隠れていた。
ゲリッケは一時、主導権を握ったものの、すぐに逆転。
ファーダ島の留置所に入れられる。

一方、マレーグから自身の船で出発していたジェーゴは、ゲリッケがファーダ島にいるという連絡を受け、身柄を確保するためにファーダ島へ。

また一方、ブラジルを出発したドイッチェラント号――。
イギリスの潜水艦に臨検されたり、見習い尼のロッテと掌帆長のリヒターが恋仲になったり、そのロッテに手をだそうとしたコックが海に蹴り落とされたり、コックがいなくなったために尼僧たちがその代わりをしたり、貨物船と遭遇したり、嵐に翻弄されたりしながら、よろよろと大西洋を横断し、スコットランド沖へ。

というわけで、関係者一同がファーダ島周辺に集結する――。

このころのヒギンズは、まだカットバックの手際がいまひとつだった。
後半に重要な役割を果たす人物に、ドイツ空軍ユンカース爆撃機の機長、ホルスト・ネッカー大尉がいる。
大暴風に遭い、坐礁したドイッチェラント号の周囲を飛び続け、ファーダ島と交信を続ける人物。

ネッカーが登場したのは、ジェーゴの登場と同時。
ジェーゴの砲艇を、ネッカーのユンカースが襲撃するのだ。
だが、それから150ページほど読まないと、ネッカーの次の出番はやってこない。
さすがに、おぼえていられない。

関係者をファーダ島に集結させる手続きも、いささかご都合主義にみえる。
2度脱走に成功し、2度ともジャネットに出会うゲリッケなどは、思わず笑いだしてしまうところだ。

にもかかわらず、後半の盛り上がりは素晴らしい。
全ての欠点を帳消しにする、途方もない盛り上がりぶり。
後期のヒギンズ作品にはない、粘りのある筆致で書かれたクライマックスは、大変な迫力だ。
訳者あとがきを引用すると、「怒涛の寄り身」。
この場面だけで傑作と呼べるだろう。

ところで、本書を読んでいたとき、ヒギンズ作品には、よくハイデッガーの同じ文句が引用されることに気づいた。
正確には、ヒギンズ作品の登場人物が、よくハイデガーの同じ文句を引きあいにだす。
本書ではこういう訳文。

《真に生きる者にとって必要不可欠なこと、それは死と断固対決することである。》

「狐たちの夜」ではこう。

《真に生きるためには決然と死に対決することが必要だ》

使いまわしが好きなヒギンズのことだ.
さがせばまだまだみつかるだろう。


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雨の襲撃者

「雨の襲撃者」(ジャック・ヒギンズ/著 伏見威蕃/訳 早川書房 1987)
原題は“The Violent Enemy”
原書の刊行は1966年。

訳者あとがきによれば、本書はヒュー・マーロウ名義で1966年に出版されたそう。
そのときのタイトルは、“A Candle for the Dead”
のちにジャック・ヒギンズ名義で再版したさい、タイトルを変更したとのこと。

3人称多視点。
警視庁特別保安部(スペシャルブランチ)の主任刑事、ディック・ヴァンブラと、同部長刑事ドゥワイアが、服役中のIRAの闘士ショーン・ロウガンを刑務所に訪ねるところから本書はスタート。

ロウガンは、IRAとして名の知られた人物。
戦争直前、ダブリンのトリニティ・カレッジ在学中に、北アイルランド越境襲撃に参加。
負傷して捕えられ、7年の刑に。

ロウガンは、幼いころフランスとドイツにいたため、両方の言葉が流暢に話せる。
そこを買われ、1941年、特殊作戦執行部の要求により釈放。
所定の訓練を経て、ヴォージュ山脈で〈マキ〉を組織するため、フランスにパラシュート降下。
当時、特殊作戦執行部にいたヴァンブラは、そこではじめてロウガンと会った。

戦争が終わると、勲章はすべて辞退し、すぐに除隊。
また、IRAの活動にたずさわり、捕まっては脱獄をくり返す。
そのため、ヴァンブラはいままでロウガンを3度逮捕している。
まるでロウガン担当のような立場。

IRAが北アイルランドでの国境闘争を中止したとき、英国の刑務所で刑期をつとめているIRAのメンバーはほとんどが釈放された。
が、政府はロウガンをひどく恐れている。
よって、あと5年刑期をつとめてもらわなければいけない。
ヴァンブラは、ロウガンに直接そのことを告げるために、刑務所にやってきたのだった。

さて、ヴァンブラたちが立ち去ったあと、ソウムズという男がロウガンに面会をもとめてくる。
ロンドンの弁護士で、コラム・オモアの使いできたとソウムズはいう。
オモアはロウガンもよく知るIRAの大物。
ソウムズは、ロウガンに脱獄をすすめる。

以前、ロウガンはこの刑務所を脱獄したことがある。
そのときは、脱獄したもののいき場がなく、すぐまた捕まってしまった。
そのことを知っているソウムズは、ロウガンに計画を告げる。
脱獄した先には、以前ロウガンと同房だった、汚職警官のポウプが準備をして待っている。
すぐ、オモアのもとへいけるようにしておこう。

かくして、ロウガンは現在同じ房にいるマーティンに、扉の鍵を開けてもらい脱獄する。

マーティンは素晴らしい腕前の錠前破りなのだが、腕が良すぎてだれがやったのかすぐにばれてしまうという人物。
似たような人物は、「地獄の群衆」にもでてきた。
同じく主人公が脱獄するこの作品でも、主人公は同房の、錠前破りのじいさんに扉を開けてもらうのだ。
本書の脱獄のくだりは、「地獄の群衆」の焼き直しといっていいだろう。

ぶじ脱獄に成功したロウガンは、計画通り元同房のポウプから服と車と身分証、それにサンドイッチなどを得て、この土地を脱出。
指示どおり湖水地方のケンドルという町へ。
町の、ある駐車場で待っていると、若い娘があらわれる。
名をハナ・コステロウという、オモアの使者。
ハナの運転で、ウィトベック近くに隠れ住んでいるオモアのもとへ。
ロウガンは10年ぶりにオモアと再会する。

なぜ、オモアはこんな手間をかけてロウガンを呼び寄せたのか。
仕事が用意してあるとオモアはいう。
現在、組織は大編成をおこなっているが、それには金がいる。

金曜日ごとに、週末の剰余金を積んだヴァンが湖をめぐり、リグ駅でロンドンゆきの急行を待つ。
金額は、いつもだいたい25万ポンドほど積んでいる。
このヴァンを襲い、金を奪う。
「あんたは、われわれの持ち駒のなかで一番知恵がまわる」と、オモア。
この仕事のために、オモアはわざわざ刑務所のなかからロウガンを呼び寄せたのだった。

しかし、ロウガンはこの仕事を断る。
もう40になるが、そのうち12年間は刑務所暮らしだった。
おやじがケリイの農場を切り盛りしているが、おやじももう歳だ。
おれのことを、首を長くして待っている。

だが、すっかり老いたオモアの姿にほだされて、ロウガンはけっきょく仕事を引き受けることに――。

本書は、年老いたテロリストの物語とでもいえるだろうか。
ヒロインであるハナの素性についても書いておこう。
ハナの父と、叔父のバディ・コステロウは、戦争中イングランドの北部でIRAの組織にかかわっていた。
母が亡くなり、父が飲んだくれるようになると、ハナは家をでてロンドンへ。
ウェイトレスになり、悪い男にひっかかり売春。
警察に捕まり、6カ月服役。
出所して、バディ叔父の家に身をよせるようになった。

バディ叔父も妻に先立たれている。
この叔父も飲んだくれで、アイルランド万歳の人物。
ことあるごとに、17歳になる知恵遅れの息子ブレンダンにつらくあたる。

ハナがこの現金輸送車襲撃の件にかかわっているのは、仕事が終わったら2000ポンドもらえるから。
そして、ブレンダンと一緒にアイルランドに連れていってくれるとオモアがいったから。
ハナは、ロウガンの半分ほどの年齢だが、2人は恋仲になる。

現金輸送車襲撃を実行するのは4人。
ロウガンとバディ叔父。
それから、オモアが雇ったモーガンとフレッチャーという2人のならず者。
ロウガンが計画を立て、いざ襲撃。
そしてみんな幸せになりましたとは、もちろんならない。

まず裏切りがある。
弁護士のソウムズや、元同房のポウプもそれに一枚かんでいる。
それから、ヴァンブラが迫ってくる。

ヴァンブラは戦時中、ドイツ軍情報部に捕まったとき、ロウガンに助けられたことがある。
そのロウガンを追わなければいけない自分の立場を、苦にがしく思っている。
物語の後半、ヴァンブラがロウガンを追いはじめると、物語はがぜん活気をおびてくる。

脱獄があり、襲撃があり、裏切りがある。
追跡があり、恋があり、逃避行がある。
それらが初期のヒギンズとしてはめずらしく、バランスよく配置され、物語はストレートに進み、全体として面白い読み物となっている。
読み終えると内容をすっかり忘れてしまうけれど、でも、これも美点のうちに数えたいところだ。


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死にゆく者への祈り

「死にゆく者への祈り」(ジャック・ヒギンズ/著 井坂清/訳 早川書房 1982)
原題は“A Prayer for the Dying”
原書の刊行は1973年。
「鷲が舞い降りた」まで、あと2年。

訳者あとがきによれば、自作のなかで一番好きな作品はなにかという質問に対し、ヒギンズは本書、「死にゆく者への祈り」を挙げたとのこと。

3人称多視点。
ほとんど、ひとつの町を舞台にしたスモール・タウンもの。
天才的な銃の使い手にして、オルガンの名手、元IRA中尉マーチン・ファロンの物語だ。

冒頭、昔の仲間と警察と、双方から追われるファロンは、ロンドンの武器商人クリストゥをたずねる。
クリストゥは、ファロンがほしがっているパスポートとオーストラリアいきの船の切符、それから200ポンドを条件に仕事をもちかける。
標的は、ジャン・クラスコという男。
依頼主は、〈英国版アル・カポネ〉と呼ばれるジャック・ミーアン。
裏社会のもめごとの果ての依頼だ。

IRAの一員として活動中、ファロンは誤ってスクールバスを吹き飛ばしたことがある。
クリストゥがそのことに触れると、ファロンは激昂。
この依頼を断る。
しかし、クリストゥがファロンを特別保安部(スペシャル・ブランチ)に密告したことでゆき場をなくしたファロンは、この仕事を引き受けざるを得なくなる。

ファロンは依頼を達成すべく町にいき、司祭を装い墓参中のクラスコに近づき、射殺。
が、その場面をダコスタ神父にみられてしまう。

ダコスタ神父は、戦時中はSAS(特殊部隊)の中尉だった。
戦後は、叙階を受け、伝道の仕事につき、朝鮮にいって中国軍に5年近く捕まる。
その後、モザンピークに派遣されるが、反乱軍に同情的すぎるとの理由で国外追放にあい、現在はいまにもくずれそうなこの町の教会の司祭をしている。

ファロンは、ダコスタ神父に殺人をおかしたことを告解。
わたしを利用したなと、ダコスタ神父は大いに怒るがどうにもならない。
告解の秘密は神聖であり、ほかにもらすことはできない。
ヒッチコック映画、「私は告白する」状態に。

クラスコ殺しの捜査のために、ミラー警視とフィッツジェラルド警部がダコスタ神父に協力をもとめにくるのだが、神父は話すことができない。
ミラー警視は、この殺人事件の背後にジャック・ミーアンがいることに気がついている。
この事件をきっかけにして、いつも法の網をくぐり抜けるミーアンを捕まえたいと思っているのだが、証拠がつかめない。

ジャック・ミーアンの本業は葬儀社の経営。
葬儀の職務にたいしては、大変熱心かつ真摯。
が、もちろん乱暴者で、不適切な行為をした部下の手を、作業台に打ちつけたりする。
にもかかわらず読書家で、ハイデガーやアウグスチヌスの「神の国」を読むという複雑な人物。

ファロンはミーアンのもとにでむき、仕事の結果を報告。
1500ポンドと、日曜の朝、船に乗ってから、あと2000ポンド支払われることになる。
ただし、目撃者であるダコスタ神父も消すようにとミーアン。
この依頼をファロンは断る。

日曜日まで、ファロンはどこかに隠れていなくてはいけない。
そこで、ミーアンの口利きで、元娼婦のジェニー・フォックスの家に厄介になることに―――。

このあたりまでが、本書の3分の1くらい。
元IRAのガンマンという設定は、「サンタマリア特命隊」の主人公エメット・ケオーを思いださせる。
スクールバスを爆破したなどという負い目をもつところも同様。
音楽的才能をもつという点では、「暗殺のソロ」の主人公、ジョン・ミカリにつながる設定といえるだろう。
登場人物の各資質を少しずつずらしながら再利用し、作風を洗練させていったヒギンズ作品の軌跡がうかがえる。

神父が主要な登場人物である点も、「サンタマリア特命隊」と似ている。
ヒギンズ作品には神父や修道女がよくでてくるけrど、ヒギンズはカトリックなんだろうか。

ダコスタ神父には、一緒に暮らすアンナという盲目の姪がいる。
「ラス・カナイの要塞」には、主人公の盲目の妹が登場したなと、ここでも思い出す)
このあと、ミーアンに狙われたダコスタ神父とアンナを、ファロンが守るという展開になっていく。

この作品でも、キャラクターや作中の雰囲気を強く印象づけようとするあまり描写がくどくなるという、初期ヒギンズ作品のくせがでている。
登場人物の情報を小出しにするという、思わせぶりなだけで効果のない手法も依然として残っている。

また、場面、場面はよいのだけれど、場面と場面のつながりがよくない。
必然性がいまひとつたりない。
後期のヒギンズは、場面と場面のつながりだけで読ませるような作風になることを思うと、やはりまだ技量が落ちると感じてしまう。
けれども、全体としてはよくまとまっている。
欠点は欠点として、作風がひとつの完成にいたったと感じられる。

上記のような感想は、ヒギンズ作品をさんざん読んでから、この作品を読んだために感じたことかもしれない。
最初にこの本を読んでいたら、またちがっていたかもしれない。

読んだのは、2013年に刊行された、16刷。
新装版で、通常の文庫より1センチほど背が高いサイズのもの。
表紙には写真がつかわれている。
ヒギンズ作品というと、表紙はいつも生頼範義さんのイラストだという印象があるから、写真だったのは少々さみしい気持ちがしたものだ。



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狐たちの夜

「狐たちの夜」
原題は“Night of the Fox”
邦題は狐が複数形になっている。
原書の刊行は1986年。

第2次大戦秘話もの。
まず、1人称によるプロローグがある。
〈私〉――ハーヴァード大の哲学助教授アラン・ステイシイは、この3年間ハリイ・マーティノゥという人物の伝記にとり組んでいた。
行方不明だったマーティノゥの遺体が発見され、ジャージイ島に埋葬されると聞いたステイシイは、この島を訪れる。

ハリイ・マーティノゥは道徳哲学の教授。
ボストンで生まれ、ハーヴァードで学び、ハイデルベルクで博士号をとり、38歳のときにオックスフォードで道徳哲学の教授に就任。
その後、第2次大戦が勃発。
陸軍省につとめ、経済戦省に移る。
1945年1月に、偵察員としてアラド96型機に乗り、行方不明に。

アラド96型機はドイツ空軍の2人乗り練習機。
イギリス空軍には〈敵機飛行班〉という、捕獲したドイツ機を飛ばし、その性能を調べる部門があった。
で、海に墜落したものと思われていたアラド96型機だったが、2週間前、エセックス州の湿地を掘削中に発見された。
マーティノゥとパイロットは遺体で発見された。

そこで、いろいろと不思議なことがでてくる。
〈敵機飛行班〉は、つねにイギリス空軍の円形標識をつけていたのに、発見された機体はいまだにドイツ空軍の標識をつけていた。
また、1994年1月に、マーティノゥは殊勲章を授与されているが、なにをして叙勲されたかまったくわからない。
それになぜ、マーティノゥが一度もきたことがないジャージイ島に埋葬されることになったのか。

マーティノゥの遺体をジャージイ島にはこばせたのは、セアラ・ドレイトン博士。
1944年、当時19歳だったセアラはSOEの仕事をしていた。
SOEは、特殊作戦執行部。
ヨーロッパにおけるレジスタンスと地下活動を調整するため、1940年、チャーチルの命令でイギリス情報部に設置された組織。
セアラによれば、マーティノゥはドイツ軍占領下のジャージイ島にきていたという。
親衛隊の制服を着たマーティノゥと、ロンメル元帥が並んで写っている写真を、セアラからみせられたステイシイは仰天する。
当時、ジャージイ島では一体なにがあったのか。
ステイシイはセアラから話を聞く。

で、本編――。
映画のように、切れ味のいいカットバックによってストーリーは進んでいく。

1944年のロンドン。
1939年までエジプトの考古学者であり、この3年はSOEのD課――謀略課――の課長であるドゥガル・マンロゥ准将はつらい報告を聞く。

ノルマンディ上陸作戦のため、模擬演習をおこなっていた連合軍が、ドイツのEボートの攻撃を受けた。
揚陸艦2隻は沈没。
海軍200名、陸軍450名が死亡したとみられる。

さらに、ヨーロッパ侵攻作戦の具体的な内容を知っている者〈偏狭者(ビゴット〉が行方不明に。
もしビゴットがEボートに拾い上げられでもしたら、作戦の内容が敵側に知られてしまう。
その後、2人のビゴットの死体は回収される。
が、ひとりはまだ行方不明。

そのひとり、ヒュー・ケルソゥ大佐は脚に負傷し、救命ゴムボートで海をただよっていた。
ケルソゥは42歳。
土木技師で4、5年間、ニューヨークにある一族の建設技術会社の常務取締役をつとめる。
1942年、工兵隊に徴用され、南太平洋の島々の海浜上陸作戦に従事。
実績と経験を認められ、イギリスの連合国派遣軍最高司令部に転勤となった。
ケルソゥのゴムボートは、ジャージイ島に漂着する。

ところで、連合軍のフランス北部上陸を阻止するため、大西洋沿岸防衛の全責任を負っていたエルヴィン・ロンメル元帥は、ヒトラー暗殺にもかかわっていた。
暗殺計画が失敗に終わると、同じ志をもつ、フォン・シュトゥルプナーゲルとファルハウゼンの両将軍に、数日中に会う必要が生じた。
しかし、ロンメルはすでにヒムラーに目をつけられている。
そこで、一計を案じることに。
総統が示唆したジャージイ島への視察に、替え玉をいかせる。
そのあいだに、フランスで両将軍と会う。

替え玉につかうのは、余興のさい見事にロンメルを演じた、ドイツ空挺連隊エーリヒ・ベルガ―伍長。
ベルガ―伍長は、じつはそれが本名ではない。
本名は、ハイニ・バウム。
元キャバレーの芸人のユダヤ人。

1940年、ベルリンに住んでいた当時44歳のバウムは、父母が家から連れ去られるのをみて、とっさに逃げだした。
列車に乗り、着いたキールは、ちょうどイギリス空軍により壊滅的な空襲を受けたところ。
イギリス空軍の第2波を避けるため、手近な地下室に転がりこむと、そこにはエーリッヒ・ベルガ―と、その妻、その娘の遺体が。
バウムはベルガ―の身分証を手に入れ、ベルガ―になりすますことに。
ベルガ―には召集令状がきていたので、バウムも出頭し、空挺部隊に入隊。

ロンメルから替え玉の話を聞いたバウムは微笑してこたえる。
「正直に言って、やってみたいと思います」

一方、ジャージイ島に漂着したケルソゥは、ヘレン・ド・ヴィルという女性によって発見、救出される。
ヘレンは42歳。
ド・ヴィル・プレイスと呼ばれる館の女主人。
夫のラルフは、イギリス陸軍に勤務しており留守。
この2年間、館はドイツ海軍士官に宿舎として提供させられている。

ヘレンのもとでは、ショーン・マーティン・ギャラハーという男がはたらいている。
ギャラハーは52歳。
ジャージイ島出身だが、父親がアイルランド人のため、アイルランド国民。
なので、この戦争では公式には中立。

ギャラハーの少年時代の望みは作家になることで、トリニティ大学で学士号を取得。
大学を卒業したとき、第1次大戦がはじまり、軍人に。
少佐となり、2回負傷して、ソンムでの勇敢な行為により戦功十字勲章を受ける。
その後、アイルランド紛争に参加。
30歳で将軍となり、アイルランド自由国のために、アイルランド西部を駆けまわる。

そのうち、ひとを殺すのにすっかり嫌気がさし、1930年にジャージイ島にもどりここで暮らすことに。
家はドイツ軍に接収されてしまい、現在はド・ヴィル・プレイスの荘園内のコテージに住んでいる。
そして、少年のころから思慕するヘレンの右腕としてはたらいている。

まず、ケルソゥの負傷した脚を治療しなくてはならない。
ヘレンとギャラハーは、信頼できるジョージ・ハミルトン医師に診せたのち、カトリックの修道女会が運営している小さな病院で手術。
ド・ヴィル・プレイスには、清教徒革命中、王党派であり荘園の領主だったチャールズ・ド・ヴィルがつくらせた隠し部屋があった。
で、ケルソゥをこの隠し部屋にはこびこむ。

ケルソゥは、レジスタンスと連絡をとることを切望する。
が、ジャージイ島ではレジスタンス活動はおこなわれていない。

そこで、ギャラハーは貿易船の船長サヴァリに手紙を託す。
サヴァリはその手紙を、フランスのグランヴィルにあるカフェ〈ソフィーズ〉を経営するソフィーとジェラールのクレソン夫妻に渡す。
レジスタンス活動をしている2人は、ロンドンに無線連絡。
こうして、マンロゥ准将は、ケルソゥの生存を知ることに。

ジャージイ島に、だれか送りこまなくてはいけない。
ケルソゥを脱出させなくてはいけないし、脱出できなければ殺さなくてはいけない。
《徹底的にナチになりすますことができて、必要とあらばケルソゥの眉間に弾を打ち込めるだけの冷酷さを具えた男は一人しかいない》

ここでやっと、プロローグにあらわれた謎の人物、ハリイ・マーティノゥが登場。
マーティノゥは44歳。
リヨンでの仕事で、恋人を殺したゲシュタポに復讐したあと、負傷し、当地を脱出。
3か月前に退院し、現在ドーセット州で隠棲している。

マンロゥ准将が立てた作戦には、女性がひとり必要。
プロローグにあらわれたもうひとりの人物、セアラ・アン・ドレイトンがここで登場。
セアラは当時19歳。
ジャージイ島に生まれ、開戦直前に父親がゴム園を経営しているマラヤにいくため、島をはなれた。
シンガポール陥落の1か月前に本国にもどり、現在はロンドンのクロムウェル病院で見習い看護婦としてはたらいている。

空襲後の激務のあとのセアラに、マンロゥ准将と部下のカーターは会い、事情を説明。
父は日本軍の収容所に入っており、父の姉がサセックスにいるが、私がいないのを寂しがるひとはひとりもいない、どのようにつかっていただいても結構よ。
と、セアラは2人の申し出を受け入れる。

で、3人でドーセットにいるマーティノゥを訪問。
セアラはマーティノゥをひと目みて、電撃的な恋に落ちる。

マンロゥは作戦を説明。
パリでブラウンという男を殺したのだが、この男はヒムラー直属の人間だった。
一種の移動大使で、どこでも自分の好きなところを、自分の好きな判断で調査する権限をあたえられていた。
かれらが何者なのかだれも知らない。
親衛隊の個人的な使者にたいする疑念をただしたかったら、ベルリンの長官に直接電話をかけるほかない。
そこで、同じ権限をもつ保安部(SD)のマックス・フォーゲル大佐として、マーティノゥを化けさせることに。

それから、ドイツ軍の高級将校のほとんどは、フランス人のガールフレンドをもっている。
それに準じ、セアラを、アンヌ-マリー・ラトゥールという名の売春婦に仕立てて同行させる。
ジャージイ島に着いたとき、マーティノゥには正体を保証する人間が必要になる。
セアラがその役をはたす。
セアラはヘレンとは血縁だし、ギャラハー将軍のことも知っている。
セアラが島にもどるのは6年ぶり。
ほかの住人には別人で通り、ヘレンと将軍には本人で通るだろう。

こうして作戦は決行。
2人はライサンダー機でグランヴィルに送られ、ソフィー・クレソンが出迎えたあと、マーティノゥがその権限を行使して、ドイツ海軍とともにジャージイ島に潜入する――。

とまあ。
長ながとストーリーを紹介してきた。
この作品は気に入っている。
作戦決行までの経過はわくわくさせるし、なにより2人の替え玉が出会うというアイデアが秀逸。
バウムにいたっては3重の変装だ。

このあと、ジャージ島に渡ったマーティノゥは、ロンメル元帥に変装したバウムと出会うことになる。
まるで、第2次大戦を背景にしたシェイクスピア劇のよう。

登場人物は、いつものヒギンズ作品の要素を散りばめた人物たち。
インテリの工作員、IRAの闘士、勝ち気な娘。
すぐ暴力に訴えるやられ役のろくでなしも、いつも通り登場。
マンロゥ准将は、名前がヒギンズのシリーズ・キャラクターであるファーガスン准将であってもなんの問題もない。
登場人物の経歴を、ひと筆書きのようにえがくのも上手いものだ。

紹介では書ききれなかったが、グイード・オルシニ中尉も興味深い。
ドイツ海軍配属のイタリア人だが、イタリア政府が降伏してしまったため、身うごきがとれなくなってしまった人物。
いつも粋で、向こう見ずな魅力をたたえている。
この人物も大いに活躍。

文庫の解説は、作家の典厩五郎。
典厩さんは、ヒギンズ作品についてこんなことを書いている。

《ヒギンズという作家には困ったものだ。なにしろ旧作にさかのぼるほど面白いという明確な特徴がある。
 筆者の個人的好みでいうなら、邦訳第一作の『地獄島の要塞』がベストワンである。一般的評価でも、第二作の『鷲は舞い降りた』と、第三作の『脱出航路』までの三作品が、ヒギンズのベストスリーといって差しつかえないだろう。》

「地獄島の要塞」がベストワンというのには驚く。
でもまあ、好みはひとそれぞれだ。


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2016年 ことしの一冊たち

ことしはジャック・ヒギンズの作品ばかり読んでいた。
年内のうちに、手元にある本はみんなメモがとれるだろうと思っていたのだけれど、そうはいかなかった。
ヒギンズ作品についてのメモは今後も続け、終わったら作品ぜんたいについてまとめるつもり。

ヒギンズ作品以外となると、ことしメモをとった本は少ない。
こんな感じになる。

1月

「チューリップ」(ダシール・ハメット/著 小鷹信光/編訳解説 草思社 2015)
「怪物ガーゴンと、ぼく」(ロイド・アリグザンダー/著 宮下嶺夫/訳 評論社 2004)

ハメットの最後の作品を刊行して亡くなられるとは。
小鷹信光さんは格好いい。

「怪物ガーゴンと、ぼく」の訳者あとがきに、作者によるこんな発言も記されている。
この作品を出版社に送るためにメーリング・サービスにもっていったところ、翌日、発送をした旨を告げる電話がかかってきた。その女性はこう続けた。「あなたはいつも、すてきな若いヒロインをお書きになります。一度、すてきな年配のヒロインを書いていただけないでしょうか」。きのうの原稿がまさにそれなんですよと作者はこたえたという。ほんとうに、その通りだ。


2月

「美しい鹿の死」(オタ・パヴェル/著 千野栄一/訳 紀伊国屋書店 2000)
「レクイエム」(アントニオ・タブッキ/著 鈴木昭裕/訳 白水社 1998)

「美しい鹿の死」はほんとうに素晴らしい。古本屋で手にとるまで、こんな作品があるとは知らなかった。少しは世に知られた作品なんだろうか。「レクイエム」を読んだあと、「イザベルに」(和田忠彦/訳 河出書房新社 2015)も読んでみた。でも、もう内容を忘れてしまった。


3月

「昭和な町角」(火浦功/著 毎日新聞出版 2016)
「銀行強盗にあって妻が縮んでしまった事件」(アンドリュー・カウフマン/著 田内志文/訳 東京創元社 2013)

まさか、火浦功の新刊が出版されるとは思わなかった。同時期に、火浦功の師匠にあたる小池一夫の、「夢源氏剣祭文」(小池一夫/著 毎日新聞出版 2016)も出版され、書店に2冊並べて置かれていたのを思いだす。また、「銀行強盗にあって妻が縮んでしまった事件」の作者による新刊がことし出版された。「奇妙という名の五人兄妹」(アンドリュー・カウフマン/著 田内志文/訳 東京創元社 2016)。内容紹介を読むと面白そうだけれど、やはりこしらえすぎの感じがするだろうか。


4月からジャック・ヒギンズ作品についての読書メモがはじまる。
それ以外の作品のメモは以下。


6月

「砂浜に坐り込んだ船」(池澤夏樹/著 新潮社 2015)
ことし大ヒットした映画、「君の名は。」をみていたら、この本に収められた「大聖堂」という作品を思いだした。ファンタジーにする必要はないと思った、その理解は浅かったか。それはともかく、ことしは面白い映画をたくさんみた。「キャロル」「オデッセイ」「シン・ゴジラ」「この世界の片隅で」も、池澤さんが絵本をだした「レッドタートル」も、みんな面白かった。「この世界の片隅で」はあんまり面白かったので、絵コンテを買って読んだ。「「この世界の片隅に」劇場アニメ絵コンテ集 」(こうの史代/原作 「この世界の片隅に」製作委員会/著 片渕須直/絵コンテ 浦谷千恵/絵コンテ 双葉社 2016)。絵コンテには「右手さん」というキャラクターがいてびっくりした。「右手さん」にはセリフまで用意されていた。


10月

「ルーフォック・オルメスの冒険」(カミ/著 高野優/訳 東京創元社 2016)
この本が出版されたのが、ことし一番嬉しかった。

以上。

いちいちメモをとるにはいたらないけれど、ほかにも読んだ本はある。
最近では、「万年筆インク紙」(片岡義男/著 晶文社 2016)を読んだ。
著者の片岡さんが、小説の創作メモを書くためにふさわしい万年筆とインクと紙をさがしもとめるエセー。
この本、一体だれが読むのだろうと首をかしげる。
なにしろ目次すらない。
ただただ、万年筆をつかって字を書くという行為が、一冊丸まるつかって、主観的に考察されているだけだ。

でも、個人的には面白かった。
うんちくを語るのではなく、自分が欲しい万年筆とインクと紙についてだけ語っている。
その一貫しているところが好ましい。
それから、その考察や、細かい観察ぶりや、手に入れるまでの過程や、執心ぶりが可笑しい。
読んでいると、次第にユーモラスな気分になってくる。
何箇所か声をあげて笑ってしまった。
本書の終わり近くに、小説というものについて、片岡さんの考えを記した部分がある。
そこを引用してみよう。

《頭に浮かぶことをノートブックに書いては検討して考えをまとめていく、という一般的な理解があるかもしれないが、小説の場合は考えなどまとめてもどうにもならない。そこからはなにも生まれない。思いがけないものどうしが結びつき、そこから新たな展開が生まれてくるとは、たとえば人であれば少なくともふたり以上の人が、そしてものごとならふたつ以上の異なったものが、対話の関係を結ばなくてはいけない。その対話のなかから、途中の出来事として、あるいは結論として、それまではどこにもなかった新たな展開が生まれてくることによって、人々の関係とそれが置かれている状況とが、その新たな展開のなかを動いていく、ということだ。ひとりでやろうとしてはいけない。しかし、対話と称して、自分のことを言い続けるだけの人は現実のなかにはいうらでもいるけれど、小説のなかにそのような人の居場所はない。》

こういう文章に面白味を感じることができれば、この本の良い読者になれるだろう。
しかし、書くという行為の考察だけで、一冊つくってしまうのだから、その筆力には感服する。

もう一冊。
「驚異の螺子頭と興味深き物事の数々」(マイク・ミニョーラ/著 秋友克也/訳  ヴィレッジブックス 2014)。
マイク・ミニョーラは好きな作家で、出版された本はみんな読みたい。
でも、この本が出版されていたのは、古本屋でみかけるまでうかつにも気づかなかった。
表題作と、短編が5つ収録されている。

螺子頭(スクリュー・オン・ヘッド)は、なぜかリンカーン大統領の命令にしたがい、ゾンビイ皇帝によって盗まれたカラキスタン断章を回収しにむかう。
その名の通り、螺子頭は、首の部分がネジになっていて、さまざまな体に装着できる。
といっても、その特徴が物語に反映されることはない。
回収に向かった先は、中東を思わせる砂漠にある寺院の遺跡。
その後のストーリーはヘルボーイ風。
ほとんど、ヘルボーイのパロディのようだ。

ほかの短編もそうだけれど、みんなごく短い物語ばかりなのが物足りない。
とはいえ、ミニョーラの素晴らしい絵と、ひとを食ったようなストーリーが堪能できた。

来年も、面白い本に出会えるますように。
では、皆様よいお年を――。

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暗殺のソロ

「暗殺のソロ」(ジャック・ヒギンズ/著 井坂清/訳 早川書房 1986)
原題は“Solo”
原書の刊行は、1980年。

3人称。
主人公は、ジョン・ミカリ。
地中海にあるイドラ島の出身。
ミカリ家は、海運業で財を成した名家。

早くに父母を失くしたミカリは、祖母と家政婦の手で育てられる。
稀有の音楽的才能をもつミカリのために、一家はミカリが14歳のときニューヨークに移住。
が、17歳のとき、祖母が心臓の発作で倒れ亡くなる。

アテネ大学で道徳哲学の教授をしている祖父のディミトリアスのすすめで、ミカリはイドラ島にもどる。
じきショックから回復し、こんどはパリのコンセルヴァトワールに入り、ひたすらピアノに打ちこむ。

1960年2月22日。
あと2日で18歳の誕生日というとき、子どものころから家政婦をつとめていたカティナがひき逃げにあい亡くなる。
カティナをひいたトラックの運転手は、クロード・ギャレイ。
整備工を2人雇い、セーヌの近くで小さな自動車修理屋をしているろくでなし。

ミカリは復讐におもむく。
トラックのギアをニュートラルにし、ハンドブレーキをはずすことで、坂の下にある地下室ではたらいていたギャレイを押しつぶす。
その後、町をさまよい、売春婦を抱き、翌日、外人部隊に入隊。
全精力を訓練にそそぎ、ライフルと銃の名手となり、格闘技でも高い評価を得る。

アルジェリアで12カ月間戦闘に参加。
凄惨な白兵戦を体験する。
負傷した翌日、独立記念日となり、戦争は終了。
傷病のため除隊し、再びイドラ島にもどり、養生する。

充分回復すると、こんどはロンドンのロイヤル・カレッジ・オブ・ミュージックに入学。
3年すごしたあと、ウィーンで1年学ぶ。
ヨークシャーのリーズ音楽祭に参加し3位に入賞。
ザルツブルグのピアノ・コンテストでは1位に。
以後、世界的なピアニストとして活躍。

が、祖父の死により転機が。
当初、祖父の死因はバルコニーから転落したためだと聞かされていたが、実際はそうではなかった。
軍事政権下で民主戦線のために活動していた祖父は、陸軍情報部により拷問を受け、殺されていたのだった。

今回もミカリは復讐を決意。
たまたま出会った外人部隊の旧友ジャロとともに、パリでの演奏旅行中、同じくパリにきていた陸軍情報部の政治部門責任者、ヨルゴス・ヴァシリコス大佐と、部下のアレコ軍曹およびペトラスキ軍曹を、CRS(共和国治安警備隊)のふりをして近づき射殺。
その後、ミカリはすぐコンサートをこなす。
コンサートは大成功。

一方、外人部隊の旧友ジャロは、ミカリの復讐を手伝ったことを気に病み、知りあいの刑事専門弁護士ドヴィルに相談をもちかける。
このドヴィルが、じつは25年も祖国をはなれているウクライナ人。
本名をニコライ・アシモフ大佐というGRU(赤軍情報部)の工作員だった。

西側に混乱をつくりだすことを任務とするドヴィルは、ミカリに接触。
ドヴィルの申し出を受け、以後ミカリは演奏旅行のあいまに暗殺をこなすピアニストとなる――。
ちなみに、このあと旧友のジャロは、ドヴィルとミカリにより殺されてしまう。

ミカリの経歴を語る部分は手際よく、じつに快調。
初期のヒギンズにはできなかったことだ。

ところで。
本作品は、冒頭、〈クレタ人〉と呼ばれる男が、リージェント・パーク近くの邸宅に住む、シオニストの衣料会社会長を暗殺する場面からはじまる。
この〈クレタ人〉とはミカリのこと。
暗殺時、カティナから教わったクレタ訛りのことばをつかったため、当局からそう名づけられた。
ミカリは〈クレタン・ラヴァー〉とも呼ばれており、それは性にめっぽう強く、暗殺時、障害となった女性と親密になることで問題をやりすごしたりしたためだ。

で、冒頭。
暗殺をすませたミカリは、自動車での逃走中、自転車をはね、乗っていた少女を殺してしまう。
少女の父親は、エイサー・モーガンといって、英陸軍パラシュート連隊の大佐だった。

モーガンは、ウェールズの炭鉱夫の息子。
軍隊に入隊し、第2次大戦では空挺隊員に。
パレスチナでは都市ゲリラを経験。
朝鮮では中共軍に捕まり、1年間抑留される。
帰国してから、毛沢東をしょっちゅう引用した革命戦争の新しい概念についての論文を発表する。

この、朝鮮で抑留されたあと、毛沢東を引用する論文を書いたという経歴は、「非情の日」の主人公、サイモン・ヴォーンとそっくり。
作者は少々手を抜いているようだ。

元妻のヘレンは、ヒギンズ作品にたびたび登場する絵を描く女性。
別れた理由は、モーガンが戦争に夢中で、家庭をかえりみないため。

すでに演奏旅行にあわせて、世界各国でイデオロギーの別なく、同じ手口で要人暗殺をくり返していたミカリは、各国治安当局の耳目をあつめていた。
モーガンは、英国秘密情報部、DI5のファーガスン准将によるコントロールをうけながら、独自にミカリを追っていく。

ここに、暗殺者ミカリと、ミカリを追うモーガンという図式ができた。
そこに、キャサリン・ライリーという女性がからんでくる。
キャサリンはアメリカ人。
父はハリウッドの脚本家だったが、赤狩りのためハリウッドをはなれ、スクリプト・ドクターとして生計を立てる。
母は早くに亡くなった。
キャサリン自身は心理学を専攻。
ケンブリッジで博士号を取得。
専門はテロリズム。
異性との関係に問題をかかえていて、父が亡くなると、特別研究員としてケンブリッジに勤めるように。

こんなキャサリンに、ミカリが接触してくる。
というのも、フランクフルトで東ドイツの大臣を暗殺したさい、親密となった女性をキャサリンが面接したからだ。
ミカリはキャサリンと親しくなる。
そして、彼女がなにも知らないと確信を得る。
以来、ミカリとキャサリンは恋仲のように。

また、キャサリンがテロリズムの専門家であるため、モーガンもキャサリンに接触してくる。
というわけで、キャサリンを中心に、互いに相手を知らない三角関係が成立。

ミカリとキャサリンとモーガンは、もっている情報がそれぞれちがう。
ストーリーが進行するにつれ、その情報がたがいに浸透していく。
それが、困惑や疑惑や行動を生みだしていく。

ミカリにくらべると、モーガンの扱いはいささか粗い。
いままでのヒギンズ作品の登場人物をつぎはぎして、いままでの作品の枠内でうごかしているような印象。
それでも、ミカリとの対決シーンは盛り上げる。
最初の、イドラ島での対決のさい、きみは気違いだとモーガンがいうと、ミカリはこたえる。

《「どうして? 以前、ぼくは軍服を着て同じことをやっていたが、それで勲章をもらった。あなたの立場もそっくり同じだ。あなたが鏡をのぞけば、ぼくが映っているだろう」》

2度目の、そして最後の対決ももちろんある。
場所はアルバート・ホール。
大いに盛り上げる。

それから、細かいことだけれど。
本書には、ミカリが飲むクルーグというシャンパンがでてくる。
これは、のちにヒギンズ作品の登場人物が愛飲するグリュッグのことだろうか。
また、ヒギンズの登場人物はなぜかむやみと雨が好きなのだが、雨が好きなミカリはそのはしりかもしれない。



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非情の日

「非情の日」(ジャック・ヒギンズ/著 村社伸/訳 早川書房 1984)
原題は“The Savage Day”
原書の刊行は1972年。
1975年刊行の「鷲が舞い降りた」まで、あと3年。

冒頭に、オリバー・ウェンデル・ホームズというひとが書いた文章が載せられている。
同じ文章は「テロリストの薔薇」にもあるけれど、訳文がちがっている。
両方、引用してみよう。

「非情の日」
《たがいに矛盾する世界を作りたがる二つの人間集団の中間にあって、わたしはなんの救済策も見出しえない。暴力を別として……。どの社会共同体も人々の死の上にあぐらをかいているようにわたしには思えるのだ。 オリバー・ウェンデル・ホームズ》

「テロリストに薔薇を」
《相反する種類の世界を造ろうとする二つのグループの人間が存在する場合、私は、力以外に解決方法はないと思う……いかなる社会も人の死を基盤に存立しているように、私は思える。 オリヴァ・ウェンデル・ホームズ》

さて。
本書、「非情の日」は、サイモン・ヴォーン少佐による〈わたし〉の1人称。
ヴォーンは、朝鮮戦争で英連邦軍少尉として勤務。
指揮官として勇名をはせたが、パトロール中に捕虜となり、中国軍に1年と少し抑留される。
その後、情報部に転属。
破壊的革命に対処する戦術を専攻。
マラヤ、ケニヤ、キプロス、ボルネオ、スーダンそのほかで任務につく。

冒頭、ヴォーンがギリシアの刑務所にいるところから物語はスタート。
叛乱軍に武器をはこんできて捕まったのだ。
そのヴォーンを、イギリス輸送軍のハリー・ファーガスン代将なる人物が訪ねてくる。
のちに長くシリーズ・キャラクターとなるファーガスンの、これが初登場かもしれない。

ファーガスンは、釈放と引きかえにヴォーンに仕事を依頼する。
「北アイルランドのIRA、つまりアイルランド共和国軍を片づけてほしいんだ」

現在、アイルランド紛争の収拾を困難にしているのは、IRAの内部分裂。
なかでも、フランク・バリー――のちに「テロリストの薔薇」にも登場する――ひきいる〈エリンの息子たち〉と称するグループがもっとも悪質。

ところで、5週間ほどまえ、ベルファストからグラスゴーに向かう夜間郵便船が、6人の男にシージャックされた。
首領の名前はマイケル・コーク。
通称〈小男(スモール・マン)〉。
現在、60歳にはなっているはず。

郵便船には、50万ポンド以上の値打ちがある金塊が積まれていた。
男たちは郵便船を奪い逃走したものの、翌早朝、ラスリン島付近でイギリス海軍の高速魚雷艇と衝突。
ただひとり生き残ったマイケル・コークは、郵便船をここぞと思う場所に沈めたあと、ゴムボートでストラモア付近に上陸し、すばやく姿をくらました。

しばらくして、ロンドンの武器販売業者、ジュリアス・マイヤーのもとに、コークの名前で取り引きの打診が。
マイヤーはそれをしかるべき筋に届けでて――。
というのが、現在の状況。

そこで、ヴォーンの任務。
マイヤーの代理人になりすまし、IRAと接触して、金塊の行方をつきとめてくれ。
もちろん、ヴォーンには選択の余地はない。
ファーガスンの提案を受け入れ、刑務所をでて、この任務につくことに。
それにしても、「刑務所からでるために任務を引き受ける」というパターンを、ヒギンズ作品は何度もつかっている。
「水中からなにかを引き上げる」という話もまたしかりだ。

出所したヴォーンは、武器販売業者マイヤーのもとへ。
2人はかねてからの友人。
ロンドンにある、マイヤー所有の倉庫で2人は再会。
ファーガスンもやってきて、今後の方針を確認する。

まず、ヴォーンは月曜日の晩、マイヤーの代理人としてベルファストでおこなわれる会議に出席する。
マイヤーは、ファーガスンとの連絡係を務める。

というわけで。
舞台は、テロが横行するアイルランドへ。
ベルファストの酒場で、ヴォーンはマイケル・コークの姪、ノラ・マーフィと、拳銃の名手である青年、ビニー・ギャラハーと会う。
いろいろあって、交渉が成立し、船で武器をはこぶことに。
ところが、第一回の引き渡し分をはこんでいる航海中、ちょうどブラディ水道を進み、目的地まであとわずかというとき、暗闇からイギリス海軍の高速魚雷艇があらわれる。
驚いたことに、その船に乗っていたのは、フランク・バリーとその一味。
どこかで、この取引を知ったバリーは、武器を横どりしにやってきたのだった――。

本書は、ヒギンズの初期の作品から「鷲は舞い降りた」にいたる、橋渡し的作品といえるだろうか。
1人称による斜にかまえた口ぶりや、思わせぶりなだけで不必要な描写も依然としてあるけれども、ともかく話はてきぱきと進むし、なにより最初から最後まで、金塊さがしという目標につらぬかれている。
意想外の出来事が次つぎと起こり、尻尾まであんこが詰まっている感じで、最後まで飽きさせない。

このあと、武器はバリー一味に奪われてしまう。
が、対戦車砲から撃針をはずしていたことで、バリー一味をうまく出し抜く。
撃針は、2回目の輸送のときにもってくる予定だった。
その2回目の輸送だが、こんなことが起きるのでは値を吊り上げざるを得ないと、ヴォーンは切りだす。
マイケル・コークが金塊をもっているという噂は聞いている――と、話は進む。

本書で、もっとも印象的なキャラクターは、拳銃の名手であり、理想主義者である、ビニー・ギャラハーだ。
ビニーは、目的が正しければ暴力も正当化されると考えている、バリー一味のような連中を憎んでいる。
作中でこの議論に至ったとき、ビニーはこういう。

《「ちがう、ぼくはそれには反対だ」ビニーが静かに言った。「別な方法があるはずだ、絶対に。さもなければ革命にはなんの意味もない」》

ビニーのような皮肉をいわないキャラクターのおかげで、語り手であるヴォーンと役割分担がはっきりした。
それだけ物語は明瞭になった。
それに、ヴォーンは任務についている軍人だから、アイデンティティに悩むことがない。
そのことも、作品に読みやすさと安定感をもたらしている。

後半、ファーガスンがフランク・バリー一味に捕まってしまう。
あのファーガスンがと思うと、ちょっと面白い。
ラストは、「廃墟の東」風。
少々、小細工を弄しすぎたきらいがある。

表紙の挿画は、おなじみの生頼範義。
ブラディ水道を航行中、高速魚雷艇があらわれた場面だろうか。
緊張感があり、素晴らしい挿画だ。




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テロリストに薔薇を

「テロリストに薔薇を」(ジャック・ヒギンズ/著 菊池光/訳 早川書房 1991)
原題は“Touch the Devil”
原書の刊行は1982年。

3人称多視点。
主人公は、マーティン・ブロスナン。
プロテスタントの、アイルランド系アメリカ人。
作家志望で、プリンストン大学で英文学を専攻。
思うところあって、ベトナム戦争に志願。
空挺レインジャー部隊の軍曹となる。

プロローグは、1968年のベトナム。
カメラマンとして戦場にとびこんだアン―マリイ・オーディン――父はイギリス人、父はフランス人の、大富豪の娘――の乗っていたヘリコプターが撃墜され、アン―マリイは外に投げだされる。
絶体絶命のなか、あらわれたのがブロスナン。
アン―マリイはブロスナンに助けられる。

舞台は変わり、現在のパリ。
イギリスの国防情報本部DI5第4課のエージェント、ジャック・コーダーは、国際テロリスト、フランク・バリイと接触。
今回の標的は、フランス大統領を極秘訪問中のイギリス外相キャリントン卿。
仲間として計画に加わったコーダーだったが、けっきょくバリイに勘づかれ、殺されてしまう。

コーダーの上司、第4課の責任者、ファーガスン准将は首相に経過を報告。
バリイは元IRA。
1972年、第4課創設時、ファーガスンはヴォーン少佐をバリイの組織に潜入させ、その結果バリイは重傷を負った。
(これは「非情の日」のストーリーだ)

が、バリイは逃げおおせ、いまでは国際テロリストとして活動。
その背後ではKGBが暗躍している。

首相からバリイの排除を命じられたファーガスンは、部下である補佐官のハリイ・フォックスと対策を練る。
ハリイ・フォックスは2年前まで近衛騎兵連隊の大尉代行を務めていた人物。
ベルファストでの3度目の勤務のさい、爆弾で左手を失う。
30歳。

ファーガスンは、1972年に、バリイがリーアム・デヴリン、マーティン・ブロスナンと写っている写真をみて、あるアイデアを得る。
陸軍を除隊したブロスナンは、博士号をとるためにダブリンのトリニティ大学にいった。
1968年、ベルファストにあるおじの教会を訪ねたブロスナンは騒乱に巻きこまれ、その後IRAに参加。
参謀長のデヴリンのもとではたらくようになる。

が、1975年、デヴリンの指示で武器購入の交渉のためにフランスを訪れたブロスナンは、仲介者が警察の情報提供者であったために、そこで逮捕。
そのさい、警官2人を負傷させ、ひとりを射殺。
現在、地中海にある孤島、ベル・アイルで終身刑に服している。

一方、リーアム・デヴリンは1975年、独立運動から正式に引退。
現在は、母校であるトリニティ大学英文学部の准教授をしている。
61歳。
デヴリンが引退するにあたっては、ブロスナンの逮捕がきっかけだったのではないかと、ファーガスンは踏んでいる。

で、ファーガスンのアイデアだが――。
ファーガスンとハリイ・フォックスは、SASの第22連隊司令部を訪問し、リーアム・デヴリンの拉致を依頼。
トニイ・ヴィリアーズ大尉がその任務を担当。
負傷しながらも、デヴリンをロンドンに連れてくる。

ファーガスンはデヴリンに、ブロスナンに会いにいくように頼む。
寛大な処置と引きかえに、バリイを殺害する気はないか。
打診してほしい。

ファーガスンは、ブロスナンのいとこ、ノーラ・キャシディが、バリイによって麻薬漬けにされ、けっきょく死んだことをデヴリンに告げ、ヴィデオもみせる。

ところで、バリイとデブリンとブロスナンの3人が写っている写真を撮ったのは、アン―マリイだった。
このときの、IRAについての記事で、アン―マリイはピュリッツァ賞を受賞。
デヴリンは、「ヴォーグ」の仕事でロンドンにきていたアン―マリイと会い、現状を話す。
すると、彼女はデヴリンに同行するといいだす。

さて一方。
フランク・バリイは、パリのソビエト大使館文化担当官、その正体はKGB大佐であるニコライ・ロマーノフから、次の仕事を請け負う。
西ドイツが開発した超小型ミサイルが、来週イギリスにはこびこまれる。
空軍の旧飛行場に降りたち、トラックで陸軍のロケット実験場にはこばれ、そこで専門家などにその性能をみせる。
このミサイルを、ひとつ入手してほしい。
この申し出を受けたバリイは、イギリスの湖水地方に潜入する――。

タイトルの、「テロリストに薔薇を」とは、マーティン・ブロスナンがIRA時代、敵である北アイルランド派遣軍司令官のオフィスの机の上に薔薇を置いて去ったというエピソードに由来している。
ブロスナンは、ほかに当時のアルスタ首相と北アイルランド担当相の机の上にも一輪置いた。
「われわれは、そのことを新聞に知られないよう、機密扱いにしなければならなかった」と、ファーガスン。

上記のようなブロスナンのIRA時代のことは、登場人物たちのセリフによってしか語られない。
デヴリンの履歴についての説明も、すべてファーガスンがハリイ・フォックスに語ることでおこなわれる。
読者への情報提供は、セリフによってするのがいいと決意したようだ。

この作品の登場人物、ファーガスン、デヴリン、トニイ・ヴィリアーズ、ブロスナンなどは、ほかのヒギンズ作品にも参加している。
この作品あたりから、登場人物をつかいまわし、ヒギンズ・ワールドが明確化していくと考えていいだろうか。
本書の悪役、フランク・バリイもセスナまで操縦するのだから、のちのシリーズ・キャラクター、ショーン・ディロンの前身のようなものだ。

ストーリー展開は、よく考えるといささか腑に落ちない。
なぜ、わざわざデヴリンをアイルランドから拉致してこなければいけないのか。
なぜ、アン―マリイは同行を申しでるのか。
少々根拠が薄弱かと思うのだが、読んでるあいだは気にならない。
作戦を練る場面は長く、実行はあっさりと書かれたストーリーは、多視点でテンポよく進み、つながりの悪い部分を意識させない。

このあと、デヴリンの訪問をうけたブロスナンは、ファーガスンの「寛大な処置」を待たず、自力で脱獄をこころみる。
一方、ミサイル強奪に成功したフランク・バリイは、ロマーノフにさらなる金銭を要求する。
ブロスナンも、バリイも依頼者のコントロールの外にでる。
そして、ラストは急展開。
「テロリストに薔薇を」というタイトルが効いてくる。

文庫の解説で権田萬治さんは、「テロリストに薔薇を」というタイトルは原題よりずっといいと書いている。
では、原題の“Touch the Devil”はどんな意味があるのか。
作中でデヴリンが説明してくれる。
アイルランドの古いことわざに、「悪魔に触れたら、手が放せない」というものがあるそう。
意味を訊くファーガスンに、デヴリンはこうこたえる。

《「あんたは充分承知しているはずだ。あんたもわたしも、そこにいる若者(ハリイ・フォックスのこと)も、刑務所のマーティンも。フランク・バリイも。わたしたちはもはや止まることができない、そうだろう? 引き返せない。われわれ全員、くだらない葬儀屋だよ、つねにどこかの哀れなやつを棺で運び出している」》


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虎の潜む嶺

「虎の潜む嶺」(ジャック・ヒギンズ/著 伏見威蕃/訳 早川書房 1998)
原題は“Year of the Tiger”
原書の刊行は1996年。

が、もともと本書は1963年に刊行されたものだという。
ヒギンズは、マーティン・ファロン名義で、英国情報部員シャヴァスが主人公のシリーズを6作書いており、本書はそのうちの1冊だった。
その旧作に加筆をほどこし、タイトルは元のままで、1996年に上梓したのがこの本――と、以上は訳者あとがきから。

というわけで、本書はシャヴァスものの1冊。
加筆されたのは、おもにプロローグとエピローグのよう。
旧作を、1995年現在のプロローグとエピローグで挟み、本編をフラッシュバックにすることで、面目を新たにしている。
人称は、3人称シャヴァス視点。

で、まず1995年のロンドン。
シャヴァスは65歳。
一週間前にナイト爵に叙されたばかり。
そして、あす、勤め先である英国秘密情報部の一部門、ビューロー(局)を引退する予定。
シャヴァスはこの職場で、20年現場工作員をつとめ、20年上官イアン・モンクリーフ卿の後任をつとめたのだ。
が、シャヴァスの経歴を惜しむメイジャー首相が、じきじきに残留をもとめてきて、シャヴァスは困惑する。

ところで、この3日というもの、何者かがシャヴァスの住まいをうかがっていた。
メイジャー首相に会った帰り、暴漢に襲われていたその“何者”を、シャヴァスは助ける。
“何者”はチベット人の僧侶。
名前は、ラマ・モロ。
この3日、シャヴァスの家のまわりを俳諧していたのは、シャヴァスに会う機会をうかがっていたため。
ドアをノックするだけでは追い返されるだろうと思っていた。
シャヴァスは、モロに夕食をとらせ、話を聞く。

モロは、スコットランドのグレアン・アリストンにあるチベット仏教寺院で、図書館員としてはたらいている。
シャヴァスが、1959年3月の、ダライ・ラマ猊下のチベット脱出にかかわっていたのはすっかり承知していると、モロ。
しかし、3年後の1962年、チベットのチャングという町に出向き、当地の医療伝道団で長年にわたりはたらいていた、偉大な数学者カール・ホフナーの出国にまつわる事情は知り得ていない。
モロは、直接シャヴァスにその話を聞きにきたのだった。

というわけで、シャヴァスが当時のことを語るとなってフラッシュバック。
舞台は1959年のチベット。
もともとは、この章がプロローグだったのだろう。

さて、ダライ・ラマの一行は、現在インド国境に向かっている。
国境を越えたところにはインド空軍のパイロットが待機していて、ダライ・ラマをデリーまではこぶ予定。
が、中共軍がダライ・ラマ一向に追いつかんとしている。
中共軍はまだチョロ峡谷を超えてはいない。
チョロ峡谷には木の橋がかかっていて、谷を越えるにはそこを通るしかない。

インドは中共軍と戦争状態にあるわけではないから、飛行機でいって橋を爆破してくるというわけにはいかない。
だいたい、航空機で偵察すること自体が完全な違法行為だ。
そこで、ダライ・ラマ一行の先駆けとして、ひと足早く国境検問所にきていたシャヴァスが、橋を爆破しにいくことに。
違法行為ついでに、飛行機で現地にはこんでもらい落下傘降下。
さらに飛行機は、ダライ・ラマ一行に通信筒を落下し、現状を連絡。
随行しているパターン族のハミド少佐がシャヴァスの応援に向かう。

降下したシャヴァスは、中共軍と戦闘しつつ、プラスティック爆弾により橋を爆破。
ハミドも駆けつけ、中共軍を壊滅させたあと、ハミドが用意してくれた馬に乗り、現場を去る。

舞台は変わり、デリーの英国大使館。
一行はぶじインドに到着したのだ。
デリーの重要人物は皆、ダライ・ラマに拝謁するためにあつまっている。
なかにひとり中国人の姿が。
貧民向けの診療所をいとなんでいる、台湾の国民党員、ドクター・張(チャン)。

が、実際はちがう。
あの男の写真を、先月ロンドンのSIS(秘密情報部)の、中国課のファイルでみたと、シャヴァスの上司であるモンクリーフ卿がいう。

休憩のため庭にでたダライ・ラマのあとを追うと、ちょうど張がダライ・ラマに拳銃を突きつけているところ。
ハミドが張に飛びかかり、なんとかことなきを得る。

このプロローグは、大変テンポよく進む。
初期のヒギンズにこの芸当ができたかどうか。
このあたりにも、手を加えたのかどうかが気になるところだ。

次は、1962年のロンドン。
ここ2ヶ月ほど事務仕事ばかりしていたシャヴァスのもとに、待望の任務が舞いこむ。

10日前、若いチベット貴族がカシミールの首都スリナガルに到着した。
現地の工作員ファーガスンが、身柄を保護。
そのチベット貴族は、クレイグ教授にあてたカール・ホフナーの手紙をもっていた。

医師であり数学者であるホフナー博士は、人生をチベットに捧げ、現在カシミールから国境を越えて150マイルほどのところにあるチャングという小さな町で軟禁状態にある。
博士は、空間からエネルギーをとりだすアイデアをもっており、それを元学友のクレイグ教授に手紙でつたえてきたのだった。
このアイデアをもってすれば、現在ソ連が実験しているイオン駆動エンジンに対抗できる。
なんとかして、ホフナーを奪還しなければいけない。
そこで計画。

チベットに入って50マイルほどのところに、日土(ルト)という町がある。
そのあたりは、中国の支配はゆるいらしい。
日土の郊外にある寺は、抵抗運動の中心になっている。
カシミールから飛行機でラダーク山脈を越え、日土にいき、そこからチャングに向かう。
若いチベット貴族も、それに同行する。

ホフナー博士に会ったとき、シャヴァスのことをどう納得してもらうかという問題もある。
クレイグ教授は、過去に博士とのあいだにあったできごとをシャヴァスに話す。
クレイグ教授と博士は、同じ女性を好きになったことがあった。
2人はコインで順番を決め、彼女に話をしにいった。
このいきさつは、2人しか知らないことだ。

シャヴァスは現地へ。
スリナガルで、現地工作員のファーガスンと接触。
ファーガスンの手配で、元RAF(英国空軍)少佐のポーランド人、ケレンスキイとも会い、出発の日時を決定。

いま難民の野営地にいる、チベットから脱出してきた若い貴族のジョロにも会いにいく。
ジョロは、歳は30ほど。
ホフナー博士の配慮で、デリーのミッションスクールにいき3年間勉強した。
博士をたいそう敬っている。

ジョロがカシミールにやってきたのは、中共軍とたたかう武器を買いつけるため。
武器のほうはファーガスンが用意して、シャヴァスと一緒に、飛行機でチベットに運びこむ予定。

シャヴァスはジョロから現地の様子を聞く。
日土近くのヤルン寺(ゴンバ)には大勢仲間がいる。
僧侶たちができるだけ援助をしてくれるはず。
ホフナー博士は、チャングの家で暮らしている。
体調は良くない。
町からでることを禁じられているが、体力のない老人だからどこにもいけない。
そのため、見張りはそういない。
そこがつけ目になる。

地域全体の指揮官は、李(リー)大佐。
博士の家には、ひとり女性がいる。
カーチャ・ストラノワという名前で、母親は中国人、父親はロシア人。
両親ともに亡くなり、ホフナー博士が引きとった。
ひょっとすると、この女が厄介かもしれないと、ジョロ。

しかし、前途に不安のない任務などない。
その夜、シャヴァスはジョロとともに、ケレンスキイの操縦するビーヴァー機でチベット領内へ――。

この作品は、「鋼の虎」によく似ている。
舞台はともにチベットだし、インドから中国側に潜入し、要人を連れて脱出するというストーリーも同じ。
「鋼の虎」には、パターン人のハーミト少佐なる人物が登場するし、英国のエージェントであるファーガスンもあらわれる。
もっとも、本書のファーガスンは足を悪くしているけれど、「鋼の虎」のファーガスンにはそんな記述はみられない。

「虎の嶺」の最初の刊行は1963年で、「鋼の虎」の刊行は1966年。
「虎の嶺」の舞台をつかいまわして、「鋼の虎」を書いたのは、まず間違いないだろう。
加えて冒頭に記したように、「虎の嶺」は1996年にリメイクされている。
3度もつかいまわしているというのは、商売上手なのか、舞台に愛着があるのか、あるいはその両方だろうか。

リメイクされる前の「虎の嶺」がどんな作品なのかわからないけれど、本書を読み進んでいくうちに、プロローグとエピローグだけではなく、作品全体に手が入れられているような気がしてきた。
さりげなく書かれた描写がそう感じさせる。
たとえば、さきほどふれた、ファーガスンの足についての記述。

《「ちかごろ、脚のぐあいは?」
 ファーガスンは、肩をすくめた。「まあこんなものだろう。いまもときたま、まだあるような気がするが、何年もそういう錯覚が残ることがあるそうだ」》

これだけで、ファーガスンの足の状態が示唆される。
まったく上手いものだ。

このあとシャヴァスはチベットに潜入。
しかし、もちろん計画通りにはいかない。
シャヴァスは、ピンボールのボールのように小突き回される。
それでも、運良く目的地にたどり着き、ホフナー博士と接触する。
シャヴァスはクレイグ教授から聞いた話をして、ホフナー博士に、自分の正体に気づいてもらう。
この場面もまた、さりげなくて素晴らしい。

ヒギンズの初期作品のなかでは、シャヴァス物は読むのが楽だ。
それは、シャヴァスがエージェントであるためではないだろうか。
ヒギンズの初期作品によくあらわれる、辺境で苦闘するような人物は、どうしても主張が強く、そのため作品がうるさくなってしまう。
でも、エージェントは任務を遂行すればいい。
アイデンティティを主張する必要がない。
これが、シャヴァス物の読みやすさの理由ではないかと思う。


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