函館 Glass Life

函館市田家町で眼鏡店「サポートGlass」を営む店主の趣味と感じたことの
日記です。

風林火山・裏切りの重臣!!

2007-10-21 | 歴史
由布姫に対する愛なのか?それとも自分の人生の意味
が分からなくなってしまったのか?
それにしても、晴信に置手紙を残して旅に出るとは一国
の軍師の行動ではありません
失恋して、傷心旅行に行く女の子みたいですよね
由布姫が亡くなり、本来の姿に戻ると期待していたの
ですが、ヤッパリ恋愛ドラマから抜け出せないのですね
うんざりしているのは僕だけなのでしょうか??

同じく、家臣同士の争いに嫌気がさし出奔した長尾景虎。
自分の姉の夫である長尾政景に国主の座を譲り出家して
しまいましたね
景虎の出奔は確信犯だと僕は思っていますが…
どう考えても四方に敵を抱えている越後にとって今の処、
景虎抜きでは戦えないのです。
分かっていて出奔したとしか思えないのです
それでも一歩間違えれば、越後騒乱になったかも知れま
せんね
景虎はその賭けに見事に勝った訳です
やはり並みの武将ではないと云う事でしょうか。
短期間で家臣の団結力を高めるには最高の方法だったの
かも知れません
勿論、諸刃の刃でもありましたが

景虎の出奔は歴史的事実ですが、勘助まで同時期に失踪
するとは
あまりにも作り過ぎではないだろうか。
おまけに同じ高野山で同じ高僧に教えを請うとは、出来
過ぎもいいところですよね。
高僧が言った『勘助は自分を高く、景虎は自分を低く見
ている、まるで天と地』と言った言葉が印象的でした
海音寺潮五郎の『天と地』を思い出した僕なのです。
尤も、天と地の主人公は景虎でしたが…

ところで、ここに面白い武将が一人登場、大熊朝秀!!
景虎に反旗を翻し、武田に内通したとされる長尾家の
重臣なのです
大熊氏は守護上杉氏、守護代長尾氏の間で中立を保ちながら、
長尾家の重臣として遇されていた様なのですが…
それなのに何故、景虎を裏切ったのでしょうか??
景虎の出奔の原因とされる家臣同士の争い、取り分け土地を
巡る争いに巻き込まれたと云う説や、守護の上杉定実も亡く
なり、実質的に越後の支配者になった景虎に対し、上杉家を
通しての忠誠心に終りを告げたのか、それとも、出奔する様
な不甲斐ない景虎に嫌気が差したのか…
何れにしても、景虎軍と戦い敗れた朝秀は結局武田を頼り落
ち延びて行くのです
影虎にとっては最大の裏切り者でしょうね

武田家に仕える様になった朝秀は、抜群の軍功を重ね、重臣
の一人としての地位を得た様です
信玄が亡くなった後も勝頼を守り立て、武田家二代の恩義に
報いる為、長篠の役に出陣し奮戦むなしく戦死したと云います。
決して裏切り者ではなかったのです。
又、相当の剣の達人だったとも言われています。
謀反や裏切りが日常茶飯事のこの時代にあっても、重臣の裏切
りはそれ程多くはないのです。
そう云う意味で大熊朝秀、稀有な武将であり興味深い武将でも
あるのです
朝秀の子供は武田家の重臣、真田家に家老として使え明治まで
家が続きますが、家名を守ると云う意味では、朝秀のとった行動
は正解だったのかも知れませんね



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8 コメント

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こんばんは (まい)
2007-10-21 23:39:48
なんともパラレル&ファンタジーなお話でしたね。
まったく、傷心一人旅(しかも書き置き)だなんて、勘助さんはどこまで私情挟みまくりの軍師さんなのでしょうね~。
『天と地と』は、やはり連想される方いらっしゃいますね。かく言う私も。
返信する
Unknown (iseッチ)
2007-10-21 23:43:52
僕だけだと思っていましたが、同じ感覚の方が
いてホットしています。
天と地、やっぱり想像しますよね。
返信する
こんにちはです (ikasama4)
2007-10-22 12:53:29
第1話で
勘助の摩利支天は高野山で授かったものと言ってましたからね。
おそらく今回の構想はこの時から既にあったのでしょう(笑)


大熊朝秀の武勇を示すものとして
上野は長野業政亡き後、業盛の箕輪城を攻めた折に
上泉秀綱と戦いかすり傷ひとつ負わなかったそうです。

上泉秀綱と言えば後の新陰流始祖であり
柳生新陰流の始祖である柳生石舟斎の師でもあります。

この事からもかなりの腕前だったのでしょう。

ちなみに上泉の子孫は後に上杉家に仕えたそうです。
返信する
ikasama4さん (iseッチ)
2007-10-22 13:42:32
こんにちは。
上泉秀綱は僕も知っていましたが、その子孫が
上杉家に仕えたとはビックリです!!
大熊朝秀もかなりの使い手だったのでしょうね。
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こんばんはー (まっちゃん)
2007-10-22 20:11:08
TBありがとうございます。
長尾景虎の出奔は私的には宇佐美の意見でしたね。
本気で仏門に入る覚悟だったと思ったのですが。。
大熊朝秀は今回のドラマで初めて知りました。
色々とご存知なのですねー。とても勉強になります。
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こんばんは! (iseッチ)
2007-10-23 00:56:51
まっちゃんさん、大熊朝秀はとても興味深い
武将なのです。
大名の重臣で他家に寝返ったのは多くは
ないと思います。
僕は、徳川家康の家臣、石川和正位しか
知りません。
殺伐とした世の中にあっても、最低限の
モラルみたいな物が有ったのかも知れませんね。
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しらんかった (むぎこ)
2007-10-23 06:56:26
>大熊朝秀
そうなんですか、立派な方だったんですね・・・。
勉強になりました

ところで・・そうそう恋愛ものからぬけだせない
確かに歴史好きにははああ???の話しだったと思います

むぎこも歴史好き、ただし内野好きなので今回の話しは「オリジナルへの復帰」のための繋ぎと考えています
気持ち悪い「ひめしゃま」病から勘助が“景虎”という希有の目標を再認識して進み始める・・“武田に仕えてからこっち”の歯切れの悪さがなくなったと感じました。
いまだに・・・むぎこ、晴信さんのどこにほれ込んだかわかんなくてどこで恨みが忠義にすりかわったのかわかんなかったのです。

なんか勘助が晴信への忠義みたいなものもですが“景虎”と言う希有の武将と闘う事に喜びも感じ、その敵に対して身内をまもるという姿勢があらわれた気がしました。

まあ、こういう飛んでもないワープしたような話した歴史物も好きですがFTやSFも大好きな麦子にはそれなりに消化できました
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云われてみれば!! (iseッチ)
2007-10-23 07:26:01
“景虎”と言う希有の武将と闘う事に喜びも感じ、その敵に対して身内をまもるという姿勢があらわれた気がしました…
目標が大きければ大きいほど、そういう感覚になるかも
知れませんね。
そう云えば、殺したい程の恨みが忠義に変わったのは
いつからなのでしょうね。
改めて考えてみると、少し違和感を覚えます。

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