ドナウ川の白い雲

ヨーロッパの旅の思い出、国内旅行で感じたこと、読んだ本の感想、日々の所感や意見など。

小雨の中、奥社に参拝する … 戸隠神社と小谷温泉の旅(2)

2019年11月07日 | 国内旅行…信州

この朝、カメラが故障しました。ここからの写真は、ほんもののカメラで撮ったものではありません。虫眼鏡で画質をチェックしないでください

 

深田久弥『日本百名山』から

 「戸隠は、平安朝の初めから神仏混淆となり、その最盛期は平安朝の末から鎌倉時代の中頃までだったと言われ、奥院、中院、宝光院と3つの群落に別れて、それぞれ数多くの大きな寺社が建立され、その栄えは高野や比叡にも劣らなかったという。その後兵火にあって大部分が廃墟になったそうだが、しかし現在でも中社まで行って、厚い茅葺きの屋根が高々と並んでいるのを見ると、昔がしのばれるようである」。

 「それらの家は皆神官の住まいであって、昔は山伏や修験者を泊めたのであろうが、現在では内部を改造して旅館風な作りになっている」。

 「その後兵火にあって」というのは、武田信玄の甲斐の勢力と上杉謙信の越後の勢力による長い攻略戦のことである。

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宿坊の朝拝に参列する >

 朝から小雨模様だった。

 朝食の前に「朝拝」に参列した。

 宿坊「山本館」は昔から、戸隠神社5社めぐりの多くの参拝者を迎え入れてきた。

 宿坊には、その敷地の一郭に、5社から招いた神々を祀る立派なお社がある。神社併設の宿坊なのだ。身体が不自由だが何とかここまではやってきた人、或いは、ここまで来たが病を得てこの先は仲間と行動を共にできない人、そういう人のために設立されたのだ、と説明があった。 

   ( 宿坊のお社 )

   神官でもあるこの宿坊の主人が、神前で毎朝、お勤めをする。

 宿泊者は、希望すれば、その朝拝に参列することができる。

 外から見るよりは奥行きはずっと広く、腰かけも用意されていた。

 正装した神官は、宿坊・山本館のご主人のお父上ではないかと思われる。祝詞を挙げ、我々の名を言って、これから参拝に行くのでお迎えくださいと神様に紹介され、一人ずつ玉串を奉納した。

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 朝食はありきたりでなく、一般の旅館よりも一品一品吟味された品が出されているように感じた。 

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往復4キロの奥社に参拝する >

深田久弥『日本百名山』から

 「海抜千米の大きな高原が、こんな山中に広がっているのも珍しいが、ここに巨刹が軒を連ねたのは、おそらく戸隠山があったからだろう。修験者はたいてい岩の険しい山を選ぶ。大峰山、石鎚山、八海山、両神山など皆そうである。屏風のように長々と岩壁を連ねた戸隠山が見逃されるはずはない」。

 雨模様の空で、戸隠山は全く見えない。

 駐車場に車を置く。森の入口に大鳥居がある。大鳥居が大鳥居に見えないくらいに森が鬱蒼と広がっている。

  ( 奥社入口の大鳥居 )

 大鳥居をくぐると、1キロほど先に随神門がある。ここが距離的には半分で、徒歩約15分。随神門から奥社までの残りの1キロは登り道となり、階段もあって約25分かかるとある。後半は結構きつそうだ。

 ( 奥社への参道を行く )

 小雨の降る中、平坦な森の中の参道を行く。森林浴のようで、気持ちが良い。

 左右の深い森が「戸隠森林植物園」である。

 右の森には「ささやきの小径」。左の森の中には、「小鳥の小径」や、「水芭蕉の小径」や、「小川の小径」があり、随神門のあたりから左の小径を辿って下っていけば、やがて中社に達する。ただし、今回は参拝だけが目的なので、同じ参道を引き返す。

 随神門に達した。苔むした茅葺の屋根の赤い門が印象的だ。

 

 ( 行く手に随神門 )

 門の右手をせせらぎが流れていて、以後、ずっとせせらぎの音を聴きながら歩いた。

  

  ( 渓流が流れる )

 随神門からは、樹齢400年という杉並木に入る。慶長17(1612)年ごろに植林されたらしい。高さ30mの杉林の中は鬱蒼として、人も小さく見える。  

 ( 高さ30mの杉並木をゆく )

 やがて登り道になり、一気に汗ばんだ。

 そして、急こう配の270段と言われる階段になる。曲がりながら登る登山道に置かれた石段は、段差もばらばらで、脚への負担が大きく、スクワットをしているようだ。

 傷めていた膝の痛みが再び出てきた頃、やっと奥社が見えた。 

  ( 奥社へあとひといき )

   奥社は怪力の神さま・天の手力雄を祀っている。戸隠神社の本社だから、戸隠神社にお参りに来た以上、険しい参道でもここまで頑張らなければいけない。

  ( 奥社で参拝する )

 すぐ近くに風情のある社があるが、ここが九頭竜社。祀られているのはもともとこの地におられた九頭竜大神である。高天原の神ではない。

  ( 地主神を祀る九頭竜社 )

 奥社のすぐ下にある社務所に、御朱印をもらう人が列をなしていた。ここまで汗をかいて上がっていただく御朱印は値打ちがあるというものだ。

 寺社で御朱印をもらって、御朱印帳を一つ一つ埋めていくことを喜びとする人が増えている。空白の御朱印帳が埋まっていけば、功徳を積むようで、きっと日々の励ましになるだろう。

 私の場合は、一度始めると、数を追うことがノルマになりそうで、やっていない。心に負荷をかけず、自由でいたい。

 ただ、次はこの神社へ、その次はこのお寺へと目的ができるから、若い人が日本の神や仏を大切にするきっかけになれば何よりである。それに、御朱印帳を片手に参拝するのは風情がある。自分の念願を達するための励みになれば、さらに良い。

 日本の神さまは絶対神ではない。ただ、念ずる者に寄り添い、そっと力を添えてくれる。あとは本人の努力である。

 雨の中、こんな山奥まで、外国人もやってきて参拝している。欧米或いは中東系の人は、一目でわかる。それぞれ日本の文化を感じ取ろうとしており、作法もよい。

 社務所の横から戸隠山登山道が出ている。

深田久弥『日本百名山』から

 「奥社の裏から登って、蟻の戸渡りとか、剣の刃渡りとかいう岩場を通って、八方睨み(1911米)に達する。ここが普通、戸隠山の頂上と見られている。そこから更に岩壁の上っぷちの尾根を一上一下しながら、一不動というキレットまで出て、そこから戸隠牧場へ下る」。

 20代の登山をしていた頃、戸隠山も登ってみたい山の1つだったが、今は、体力は別にしても、だんだん高所恐怖症になってきて、絶対に登りたくない。

 ウィキペディアで戸隠山の項を見ると、「山の形状が屏風形であるため、… 幅50cm前後しかない尾根上が登山路となり、両側が断崖絶壁である。『蟻の戸渡り』など危険な場所が多く、毎年のように墜落(滑落ではない)死亡事故が発生している」とある。

 山の気象条件は荒い。度胸があり、体力があっても、一瞬、突風が吹いて、背中のザックがあおられれば、バランスを崩して「墜落」する。20代の頃は未知なるものへの冒険心にかられていたが、今は十二分に分別もついた。早い話、各地に修験道は残っているが、戸隠の修験道は今は行われないようだ。

 さて、下りの石段では本気で膝が痛んだ

 それでも、途中でゆき倒れになることなく、頑張って大鳥居までたどり着いた

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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