ドナウ川の白い雲

ヨーロッパの旅の思い出、国内旅行で感じたこと、読んだ本の感想、日々の所感や意見など。

「私の空よ」と (2023夏から秋) … 読売俳壇・歌壇から

2023年12月23日 | 随想…俳句と短歌

 読売俳壇・歌壇からです。今年の夏の終わりから秋の終わりにかけて、讀賣紙上に掲載された作品からです。

      ★

長岡の 花火の乱舞 その合間 「私の空よ」と 月が顔出す (いずみ市/安藤敦子さん)

 花火は夏の風物詩。わが町でも、ささやかながら花火が打ち上げられます。

 しかし、「長岡の花火」は、信濃川の両岸を観覧席とする日本屈指の花火大会だそうです。

 毎年8月2、3日に開催されるようですが、暦を見ると、今年の8月2日は満月でした。…… なるほど‼

  「『私の空よ』と月が顔出す」が、いいですね

 (花火)

       ★ 

ネーミング 「100歳大学」に 魅せられて 米寿の友と 女学生になる (君津市/菅又久子さん)

 米寿には少し遠いですが、私もカルチャーセンターに通って学生をしています。私のもっぱらの関心は日本の古代史(「古事記」や『日本書紀」の時代)とヨーロッパの中世史。そういう時代の方が、茫漠としていて、ロマンがあって、私には面白い。

 コロナの初めの頃は休講になったりしましたが、やがて徐々にオンラインシステムが構築・整備され、今では全国の講座が選り取り見取りで受講できるようになりました。わが家のパソコンで、東京大学の若手の先生のヨーロッパ中世史を拝聴できるのですから素晴らしい。

 それでも、やっぱり出かける方が楽しい。勉強が終わった後、中之島や御堂筋をウォーキングするのが好きです。心身の両方が活性化されます。

 (カフェでひと休み)

      ★

何といふ 事もなけれど 先をゆく 僧の頭に どんぐりの落つ (東大阪市/山本隆さん)

 クスッ

 お坊さんは気が付いたのでしょうか?? 多分、気付かなかったのでしょう??

  「何といふ事もなけれど」がいい

      ★ 

忘れ潮に 小さき命 秋日和 (枚方市/衛藤聡一さん)

 矢島渚男先生評「干潮どきの岩礁の水溜まりには、小魚や藤壺、海藻をはじめ、沢山の命がひしめいている。それを慈しむように眺めて時間を忘れた」。

 秋の日射しの中、ここにも小宇宙があります。

 「忘れ潮」という言葉を初めて知りました。このような言葉を作った古人の言葉のセンスに感心します。日本語は豊かです。

      ★

山の分 少し残して 栗拾ひ (長野県/村田実さん)

 矢島渚男先生評)「『山の分』がいい。鹿や栗鼠(リス)などの具体性よりも漠然がよい。栗も『山』のために働いているのだ。山の栗は柴栗(シバグリ)であろう」。

    今回は、矢島渚男先生が選ばれた作品が多くなりました。

 「山の分」という言葉から日本の山里がイメージされ、矢島先生の解説に尽きると思いました。

 歳時記によると、山栗、柴栗と呼ばれる野生の栗の実は小粒なのだそうです。

      ★

木簡に 鎮兵の文字 彼岸花 (国分寺市/野々村澄夫さん)

  (彼岸花)

 矢島渚男先生評「『鎮兵』と書かれた木簡が出土した。木片に書かれた貴重な記録。奈良・平安初期の鎮守府の兵で家族を同伴できた」。

 改めて新聞記事を探して読みました。

 木簡は福島市の西久保遺跡で発掘。その後、解読作業が進められ、この9月に「鎮兵」の文字が判明して発表されたようです。

 以下は、その記者発表の記事の受け売りです。

 都を警護するために派遣された兵が衛士(エジ)。大宰府の警護に当たったのが防人。そして、陸奥国や出羽国を防備するために派遣されたのが「鎮兵」だそうです。

 各国や各郡は、任地に派遣されていく途中の兵士の病や死に責任がありました。食物や寝る場所を含め、当時の旅は大変だったでしょうから。

 今回の木簡の内容は、下野国で徴兵された兵が出羽国へ行く途中、この地で死亡。当地は使者を立てて出羽国へその経緯を報告しました。木簡は出羽国からの返答で、当地に落ち度はなかった旨を伝えてきた文書だったそうです。

 発掘現場に咲く赤い彼岸花が、遠い歴史と現代とを結んでいるようで印象的です。

 かねてから、機会があれば、鎮守府のあった多賀城を訪ねてみたいと思っています。仙台市の北東にあります。

      ★

深秋や 人の願ひに 立つ地蔵 (知多市/田上義則さん)

 矢島渚男先生評「村々に立つ地蔵さん。あれは村人の素朴な願いを受けとめるために作られてきたものだという。枕草子などから平安時代には普及していたようだ。安産、健康、豊作などすべての願い事を受け入れてくださる有難い菩薩様だった」。

    (村の地蔵)

  (合格地蔵)

 秋深く、村落の道端に立つ地蔵尊。いや、現代でも、石仏は大都会の街中にもあります。そして、誰かが、毎日のようにお世話をして、日本の季節と風土に溶けこんでいます。

 日本人の信仰は御利益主義だと言う人もいます。

 しかし、日本の神や仏は、人の悲しみや願いにそっと寄り添い、ほんの少し力を添えてくれる存在です。 

      ★

異界へと 続く縁側 秋の暮 (甲府市/村田一広さん)

 正木ゆう子先生評)「昔はごく普通に在った縁側も、閉鎖的な家ばかりになった今思えば、どこか非日常的。夜ともなれば、縁側は闇へとつながる入り口であった。子供たちの世界観にも影響したか」。

 (縁側のある古風な家)

 写真は龍神温泉の「上御殿」。紀州の殿様の湯治の常宿でした。

      ★

冬近し 何か忘れて 来たような (神奈川県/中村昌男さん)

                      

  (夕景)

 人は不完全な存在だから、いつも何か心残りを残しながら、今日を生きています。

 

  ★   ★   ★

 今年はこれをもって終わりとします。

 皆様、どうか良い年をお迎えください。そして、初詣では、迎える年が良い一年になるよう、また、世界が平和になるよう、みんなで祈りましょう。

 来年も

      ★

 追伸。前回、このブログに紹介した画家の杉浦孝始さんから、何と!! わが家に水彩画が届きました。わざわざ新幹線に乗って絵画展に来てくれたお礼にと、お手紙が添えてありました。

 1年の終わりに良いことがありました

 

   (杉浦孝始さんの絵)

 

 

 

 

 

 

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季節の風を感じて ( 2023春から夏へ) … 読売俳壇・歌壇から

2023年12月03日 | 随想…俳句と短歌

 (杉浦孝治さんの絵画展から)

<閑話 … 「季節の風を感じて~杉浦孝始 絵画展」に行く>

 先日、新幹線に乗って豊橋へ、「~季節の風を感じて~杉浦孝始絵画展(第24回)」に行ってきました。

 杉浦孝始さんは静岡県にお住いの画家です。

 Face bookで、偶然に、白雪を冠したアルプスの山なみとその下に広がる安曇野を描いた絵を見て、その大きな図柄や精緻な描写に感動し、この方の絵を直接に見たいとかねてから思っていました。今回、思い切って、豊橋の会場まで。

 会場では杉浦さんとお話しする機会を得ましたが、絵から受ける感じのとおり、穏やかで朴訥なお人柄の奥にロマンを感じました。

  (レストラン「ボン・ファン」の会場)

 会場は豊橋で有名なフレンチレストラン。この店のオーナーから声を掛けられ、レストランのパーティー用の一室を提供いただいたそうです。このように杉浦ファンはあちこちにいるのでしょう。シックな会場に安曇野や、故郷の浜名湖や新城市の風景画が掛けられていました。

 帰りの新幹線の時間が気になって一番軽いランチをいただきましたが、「ボン・ファン」のランチは本当に美味しかった。近ければ何度でも行きたいぐらい。

  (「涼風白馬村」) 

 今回出展されていた16点の中で、私の一番のお気に入りは冒頭の絵です。

 杉浦さんの絵は安曇野をはじめとする風景画です。しかし、コロナになってから、信州にも行けなくなったと仰っていました。

 この絵は、アジサイやバラなどの季節の静物の中に、モジリアーニの絵が配されていて、レストランのシックな雰囲気によく似合っていると思いました。これから、こういう絵もどんどん描いていただきたいと、これは1ファンの勝手なお願いです。

  ★   ★   ★ 

 さて、読売俳壇、歌壇から、前回の続きです。今年の春から夏に讀賣紙上に掲載された作品からです。

<夏の句>

〇 風薫る 穂高の町の 美術館 (向井市/福嶋猛さん)

 信州の風薫る季節は空気に透明感があります。

 これは碌山美術館ですね。

 ずいぶん昔のことですが、私が初めて碌山美術館を訪ねた頃、大糸線はまだSL(蒸気機関車)で、客車2両の後ろに貨物車をつないでのどかにコトコトと走っていました。

 夏の終わり、小さな穂高駅に降りると、安曇野は早くも稲穂が頭を垂れて、その向こうに碌山美術館の尖塔が見えました。

  (秋の安曇野)

 1958年に開館したこの小さな美術館は、夭折した安曇野出身の彫刻家・荻原守衛(碌山)の作品や資料を展示しています。美術館の建設に際しては、長野県下の全小中学生を含む約30万人の若者たちが、5円、10円という金額から募金を出し合ったそうです。文字どおり郷土の美術館です。

 チャーチ風の建物は蔦で覆われ、樹木が陰を落とす美術館の前の空き地では、蝉のように真っ黒に日焼けした子供たちが遊んでいました。

  (碌山美術館)

 荻原守衛(碌山)は明治12(1879)年の生まれ。島崎藤村より7歳年下です。穂高の村の農家の三男に生まれましたが、郷土の相馬家に嫁いできた相馬(旧姓は星)良子(黒光)に啓発され、やがて東京に出て美術の勉強を始めます。

 相馬良子(黒光)は明治女学校で島崎藤村先生らの教えを受けた、ハイカラな考えをもつ女性でした。

 上京した守衛は、数え年23歳から足掛け8年、アメリカとフランスの美術学校に学び、帰国後、新宿の角筈にアトリエをもって彫刻の制作活動を始めました。新宿には相馬良子(黒光)が「中村屋」というパン屋を出して成功し、彼女の周りには文学や芸術を志す青年らが出入りしてサロンのようになっていました。明治43(1910)年、守衛はその中村屋にいたとき、突然喀血し、良子らの介護の甲斐なく、2日後に永眠しました。数え年で32歳の若さでした。

 「デスペア」「戸張孤雁像」「爺」「女」など、日本のロダンと言われる彼の作品は碌山美術館で見ることができます。

 昭和50年代になると、日本人もお金持ちになって大観光ブームも起き、大型観光バスが田んぼの中のこの小さな美術館にも立ち寄るようになりました。小さな穂高の駅の周辺も開発されて、家や店が立ち並びました。

 今は、再び、忘れられたような静かな美術館になっています。

 伝説の海の民である安曇氏の穂高神社も近くにあります。

 できたらマイカーではなく、大糸線の各駅停車に揺られて訪ねれば、いっそう趣が感じられます。

      ★

〇 実家売れ 梔子(クチナシ)の花 助手席に(山形県/沼沢さとみさん)

 矢島渚男先生評)「地方の農家だったのだろうか。移住が風潮にもなってようやく買う人が現れて処分した。実家のクチナシの花を乗せて都市の家へ帰る」。

 そのまま空き家として残していたら、固定資産税やら維持費やらで毎年出費がかさみます。「実家売れ」と、ようやく売れたことに少しほっとしています。

 しかし、心にぽっかりと穴があいたような淋しさもあります。売れたのは「実家」なのですから。

 いい人の手に渡り、大切に住み為してくれたら救われるのですが、更地にされたりしたら悲しい。その家の太い柱や梁には、自分の思い出だけでなく、親の一生や、もしかしたら祖父母らの一生もあったのだから。

 建てた人は、子や孫やその次の世代のことに思いを馳せながら、精魂を傾けたことでしょう。

 哀しいことですが、日本は継承していくことがむずかしい社会になってしまいました。

 車の中、ほのかに薫る白いクチナシの花が印象的です。

      ★

〇 余所(ヨソ)行きも 少なくなりぬ 更衣(コロモガエ) (川崎市/多田敬さん)

    宇多喜代子先生評)「かつては余所行きに着替えて出て行くことも多かったが、最近はそれも少なくなった。いささかの淋しさを感じさせる更衣」。

 「更衣(コロモガエ)」は夏の季語。「春の衣服を夏のものに替えること。昔は陰暦4月朔日(注 : 月の最初の日)を更衣の日と定め、その日に袷に替えたものだが、明治以後は一般に随時替えるようになった」(歳時記から)。

 「余所行き」という言葉には、「晴れの日」の装いという語感もあります。

 私も年とともに公の場に出て行くことがなくなり、それはそれで気楽なのですが、そうなると外出するとき誰かの目を気にするようなことも少なくなります。すると、もう「余所行き」と言うよりも、単なる外出着ですね。

       ★

〇 夏帽子 ひとつだけ乗せ 終電車 (宝塚市/武田優子さん)

 ちょっとユーモラスで、印象に残る句です。

               ★ 

〇 森の夏 フランスパンと すれ違う (加須市/萩原康吉さん)

 宇多喜代子先生評)「すれ違ったのはフランスパンを持った人なのだが、その人を省略してパンの方のみを書き留めた句」。

 「森」「夏」「フランスパン」から、軽井沢などの別荘地をイメージしました。ちょっとファンタジックな感じもあって、オシャレな句です。

 私は堀辰雄や詩人の立原道造が好きで、まだ静かだった頃の軽井沢や信濃追分を貸し自転車で文学散歩したことがあります。

 やわらかに薄緑色に芽吹いたカラマツの林と、その間からのぞく浅間山のどっしりした火山の姿が印象的でした。

 

(軽井沢の有島武郎記念館で)

     ★

〇 ヨットゆく 島にぶつかり そうな風 (逗子市/鈴木喜久代さん)

  自分がヨットを操っているのでしょうか。爽快感があります。

 最初、岬などから見た遠景のヨットかなと思いました。目の遠近感の錯覚で、このような景を見ることがあります。

 しかし、風が強調されていますから、やはり自分はヨットの中なのでしょう。

 下の写真はこの句とは関係ないのですが、好きな1枚なので。

 (エーゲ海のロードス島の夕暮れ)

      ★

〇 母といる ごとき法事の 寺涼み (郡山市/寺田英雄さん)

 法事のため、お母様と一緒によく訪ねたお寺なのでしょうか。境内を囲む木陰の風は涼しく、生前の母の存在を感じています。   

  ★   ★   ★

 ここまでは俳句ばかりになってしまいました。少しだけ短歌を。

<短歌から>

〇 南部ふうりん 窓に聴きをり ひとり旅 せし七十路(ナナソジ)の みちのくの風 (枚方市/鍵山奈津江さん)

 七十路のみちのく一人旅。今は、わが家で、旅の記念の南部ふうりんの音を聴いています。

      ★

〇 夏の朝、飯の焚け具合 知らせ来る ぼっちキャンプの 古希の友より (日野市/那須真治さん)

 「七十路」と言い、「古希」と言いますが、今の日本で70歳は高齢とか老人とは言えなくなりました。70歳の多くはまだまだ元気で、旅に出たり、キャンプをしたりもします。旅行社のツアーなど、この年齢もターゲットにしています。

 でも、70歳は、仕事をリタイアして少し年月もたち、かつての知人との交流も少なくなっています。また、子らはとっくに独立していて、孤独なのです。

 まだまだ元気だが、孤独で淋しい。少子高齢化社会には、そういう中高齢者の心もあります。

         ★

〇 じいちゃんの 歯の抜けたるを じっと見て よき歯生えよと 祈る子のあり (青梅市/梅田啓子さん)

  「祈る子のあり」に、孫の存在のうれしさ、いとおしさが表れています。

      ★

孫娘は われに眼鏡を かけさせて 「この本読んで」と 隣に座る (藤沢市/瑞山徳子さん)

 栗木京子先生が「体温の伝わってくる歌である」と評しておられます。幼い孫の体温が伝わってくるのはうれしいですね。

 

 

 

 

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