ドナウ川の白い雲

ヨーロッパの旅の思い出、国内旅行で感じたこと、読んだ本の感想、日々の所感や意見など。

われは我が咎(トガ)を知る(美禰子考3)(本郷⑤) … 東京を歩く8/9

2023年08月31日 | 東京を歩く

  (ロワールの森)

<三四郎の恋は片思いだったのか??>

 さて、『三四郎』をこうして1場面ごと追っていくとキリがなくなる。

 小説『三四郎』は田舎から出てきた青年の初恋物語で(も)あり、多くの初恋物語がそうであるように、三四郎の恋は失恋に終わる。

 田舎から上京した三四郎にとって、美禰子は躍進する「東京」そのもの。聡明で、自分の考えをもち、しかも美しい。青年は出会いのときから彼女に魅了された。

 三四郎を菊人形展に誘ってくれたのは、美禰子であった。

 美禰子にとっては、サンドイッチを作って広田先生の引越しの手伝いに行ったのも、菊人形展に行ったのも、野々宮さんと逢えるということが大事だったのかもしれない。そう考えると、引越しの日、野々宮さんが遅く来て誰よりも早くかえろうとしたとき、「随分ね」と言い、さらにそのあと、野々宮さんを追って外で立ち話したのも、何となく納得できる。

 だが、菊人形展で体調が悪くなったとき、多分、美禰子はそれまでの野々宮さんへの期待や思いに、気持ちの上で終止符を打ったのだ。……「責任を逃れたがる人だから」。

 一方、三四郎が菊人形展に参加したのは、美禰子に逢いたかったからである。

 それ以後も、三四郎は美禰子に逢える機会や場面があれば出かけて行った。大学の運動会を見に行ったのも、美禰子とよし子が行くと聞いたからである。そして、その帰りにうまく一緒になり、池の丘の上で二人の出会いの場面のことを語り合ったりする。

 三四郎は、物事をまっすぐに見る、朴訥ですがすがしい青年であった。聡明な美禰子は、三四郎の自分への眼差し感じとる。そして、自分自身もこの青年に心ひかれていった。<<※ 美禰子を「無意識の優美な演技家」と見る立場では、美禰子が一方的に三四郎の心を捉えていっただけという見方になる>>。

 だが、三四郎の美禰子への思いは、結婚という現実を考えようとしない純粋培養のような恋。美禰子が結婚の対象としてお付き合いできる相手ではなかった。

 それでも、美禰子が三四郎に心を寄せたかと思われる一瞬もあった <<※ 同様に、美禰子が優美に三四郎を弄んでいるだけという見方になる>>が、そのあとすぐに、唐突に、兄の友人である男との結婚に踏み切ってしまう。

 美禰子のその唐突さは、読者にはよく分からない。

 だが、私は、美禰子は三四郎に心ひかれる自分に区切りをつけようとしたのではないか、と考える。

 それに、結婚を決めた相手は以前からよく知っていた兄の友人で、結婚相手として信頼できる、好ましい男性だったから。

      ★

<雨降る樹下の二人>

 美禰子の心が近寄ったと三四郎が感じたであろうシーンを、そこに到る状況は省略し、そのほんの一瞬だけ、以下、抜き出す。

 二人は博物館を出た。外に出ると、雨が降っていた。

 「雨の中を濡れながら、博物館前の広い原の中に立った。幸い雨は今降り出したばかりである。その上烈しくはない。

 女は雨の中に立って、見回しながら、向こうの森を指さした。

 『あの樹の蔭へ入りましょう』

 少し待てばやみそうである。二人は大きな杉の下に入った。

 雨を防ぐには都合のよくない樹である。けれども二人とも動かない。濡れても立っている。二人とも寒くなった。女が『小川さん』と言う。男は八の字を寄せて、空を見ていた顔を女の方へ向けた。

 『悪くって?? さっきのこと』

 『いいです』

 『だって』と言いながら、寄ってきた。『私、何故だか、ああしたかったんですもの。野々宮さんに失礼するつもりじゃないんですけれども』。

 女は瞳を定めて、三四郎を見た。三四郎はその瞳の中に言葉よりも深き訴えを認めた。

 ── 畢竟(ヒッキョウ)あなたのためにしたことじゃありませんかと、二重瞼の奥で訴えている。三四郎は、もう一遍、

 『だから、いいです』と答えた。

 雨はだんだんと濃くなった。雫の落ちない場所はわずかしかない。二人は段々一つ所へかたまってきた。肩と肩と擦れ合うくらいにして立ち竦んでいた。

 雨の音の中で、美禰子が、

 『さっきのお金をお遣いなさい』と言った。

 『借りましょう。要るだけ』

 『みんな、お遣いなさい』と言った」。

      ★

<三四郎の恋の終わり>

 だが、この日からそんなに月日を経ずに、美禰子は兄の学友だった男との結婚を決めた(今なら婚約ということか)。そのことを三四郎はまだ知らない。

 そのことを知らぬまま、三四郎は、ついに自分の思いを美禰子に伝える。

 三四郎は学友の与次郎の不始末のために、美禰子から金を借りていた。その金を返すため、画家の原口さんのアトリエを訪ねた。情報通の与次郎から、美禰子が原口さんに絵のモデルを頼まれ、毎日、アトリエに通っていると聞いたからだ。

 モデルが姿勢を保つのが苦しくなると、画家は休憩を入れる。

 その休憩中、三四郎は美禰子のそばに行きお金を返そうとしたが、美禰子はここでは受け取れないと言う。それで、その日の作業が終わるのを待って、二人で表へ出た。

 三四郎は少し大回りして帰ろうと誘うが、断られる。美禰子はいつもより疲れているように見えた。無言のまま二人は歩く。

 「やがて、女の方から口をききだした。『今日は何か原口さんに御用がおありだったの』

 『いいえ、用事はなかったんです』

 『じゃ、ただ遊びにいらしったの』

 『いいえ、遊びに行ったんじゃありません』

 『じゃ、何でいらしったの』

 三四郎はこの瞬間をとらえた。

 『あなたに会いに行ったんです』

 三四郎はこれで言えるだけのことを悉く言ったつもりである。すると、女はすこしも刺激に感じない。しかも、いつものごとく男を酔わせる調子で、

 『お金は、あそこじゃ頂けないのよ』と言った。三四郎はがっかりした。

 二人はまた無言で五六間来た。三四郎は突然口を開いた。

 『本当は金を返しに行ったのじゃありません』

 美禰子はしばらく返事をしなかった。やがて、静かに言った。

 『お金は私も要りません。持っていらっしゃい』

 三四郎は堪えられなくなった。急に、

 『ただ、あなたに会いたいから行ったのです』と言って、横の女の顔を覗き込んだ。

 『お金は…』

 『金なんぞ…』

 二人の会話は双方とも意味をなさないで、途中で切れた。」。

 …… 美禰子が、画家の原口さんに用事があったのかと聞く。三四郎は、(原口さんではなく)、あなたに会いに行ったのだと答える。美禰子は、自分にお金を返却するためにわざわざ原口さんのアトリエまで出向いて来たのかと思い、あのお金は、今、自分に必要ないから、持っていてくれと言う。三四郎は「ただ、あなたに会いたいから行ったのです」とストレートにぶつけた。その言葉の意味に気づいて、美禰子は絶句する。

 「それなりで、また小半町ほど来た。今度は女から話しかけた。『原口さんの絵をご覧になって、どうお思いなすって』…… 『あんまり出来が早いのでお驚きなさりゃしなくて』」 (略)

 …… そして、あのやり取りになる。

 「『いつから取り掛かったんです』

 『本当に取り掛かったのは、ついこの間ですけれども、その前から少しずつ描いていただいていたんです』

 『その前って、いつ頃からですか』

 『あの服装(ナリ)で分かるでしょう』

 三四郎は突然として、初めて池の周囲(マワリ)で美禰子に逢った暑い昔を思い出した。

 『そら、あなた、椎の木の下にしゃがんでいらしったじぁありませんか』

 『あなたは団扇をかざして、高い所に立っていた』

 『あの絵のとおりでしょう』

 『ええ、あの絵のとおりです』

 二人は顔を見合した」。

 このとき、向こうから「背のすらりと高い細面の立派な人」がやってきて、美禰子を見つけて声を掛ける。「今まで待っていたけれども、あんまり遅いから、迎えに来た」。

 「『どなた』と男が聞いた。『大学の小川さん』と美禰子が答えた。男は軽く帽子を取って、向こうから挨拶した。『早く行こう。兄さんも待っている』。

 好い具合に三四郎は追分へ曲がるべき横町の角に立っていた。金はとうとう返さずに別れた」。

 美禰子は三四郎に、この男のことを説明しなかった。

 しかし、三四郎は、自分の恋の終わりを感じていた。

      ★

<美禰子の事情と三四郎の事情>

 やがて、三四郎は情報通の与次郎から、美禰子が結婚するらしいと聞く。

 美禰子の結婚は唐突だ。美禰子が野々宮さんのことを思い切ったのは菊の秋。今は冬。

 その間の事情はわからない。

 だが、少しわかることもある。さきほどのアトリエの場面。画家と美禰子の雑談のやりとりの中で、美禰子は画家に、兄が結婚することになったと言った。

 里見兄妹は両親はなく、一軒の家に(奉公人と)兄と二人で暮らしている。兄も既に30歳。兄が妻を迎えれば、美禰子も多少なりとも居ずらくなる。もちろん、当時、若い女性の一人暮らしは考えられなかった。

 それに ……

 先に、美禰子が心を寄せたかと思われる一瞬もあったが、そのあと唐突に美禰子は結婚を決めたと書いた。

 美禰子は三四郎の自分への思いを感じ取り、自身も三四郎に心ひかれていた。だが、三四郎との結婚は現実には考えられない。彼の思いは純真なあこがれのようなもの。美禰子は自分の思いを抑え、自分にとっても、多分、三四郎にとっても、最善な道を選択した。

     ★

 与次郎から美禰子が結婚するらしいと聞いたあと、三四郎は数日間も風邪で寝込んでしまった。古来、若者は、そんな風にして失恋の痛手を乗り越える。

 そこへ与次郎が見舞いに来て、枕元で言った。三四郎の恋心を見抜いて忠告してくれるのは与次郎だけである。

 「馬鹿だなあ、あんな女を思って。思ったって仕方がないよ。第一、きみと同じ年くらいじゃないか」。「何故というに、二十歳前後の男女を二人並べてみろ。女の方が万事上手(ウワテ)だあね。男は馬鹿にされるばかりだ。女だって、自分の軽蔑する男の所へ嫁に行く気は出ないやね」。

 美禰子も同様だと言う。「夫として尊敬のできない人の所へは初めから行く気はないんだから」「そういう点で、きみだの僕だのは資格はないんだよ」と自分のことも含めて、断定する。

 さらに、「あと5、6年たたなければ、自分たちの偉さは現れない。しかし、彼女は5、6年もじっと待つことはない。従って、君があの女と結婚することはできない」。

 そういう論理を組み立てて言って聞かせ、「早く風邪を治せ」と言って帰って行った。

 実際、三四郎は国元から月々仕送りを受けて下宿生活をし、大学に通っている身分である。この世にあって、まだ、何者でもない。

 その後、野々宮さんの妹のよし子も見舞いに来た。与次郎が、美禰子の事情を一番よく知っているのはよし子だから、よし子に聞いたら確かなことがわかると言って、三四郎の病気見舞いに行ってやってほしいと、よし子に頼んだのだ。

 三四郎はよし子から、美禰子の結婚相手が、美禰子の兄の友人であること、その男はよし子の縁談の相手だったことを聞く。三四郎は、野々宮さんのお宅で、たまたまよし子に縁談があること、その話をよし子が兄に断っている場面に出会っていた。

 とすると、美禰子がその相手との結婚を承諾したのはつい最近のことだ。かなり唐突に話がまとまったのだ。

 あの<雨降る樹下の二人>よりも後である。

      ★

 (ケルン大聖堂)

<チャーチの前の別れ>

 三四郎は美禰子にお金を借りたままだ。美禰子が結婚することになった以上、そのままにしておくわけにはいかない。

 二人の最後のシーンは、物語の冒頭の美禰子が花一輪を落として行く場面とともに、彼女を「無意識の優美な演技家である」と断ずる材料として、最もよく取り上げられるシーンである。

 三四郎は美禰子の家を訪ね、美禰子がチャーチに行ったと聞いて、さらにその足で教会へ向かった。そして、寒い中、礼拝が終わるまで外で待った。礼拝が終わり、人々の中にまじって美禰子も出てきた。

 美禰子は、三四郎が自分の結婚のことをまだ知らないと思っている。まだ公にはしていない。

 「『お風邪はもういいの。大事になさらないと、ぶり返しますよ。まだ顔色がよくないようね』。男は返事をしずに、外套の隠しから半紙に包んだものを出した。『拝借した金です。長々ありがとう。返そう返そうと思って、つい遅くなった』。

 美禰子はちょっと三四郎の顔を見たが、そのまま逆らわずに、紙包を受け取った。しかし手に持ったなり、しまわずに眺めている。三四郎もそれを眺めている。言葉が少しの間切れた。やがて、美禰子が言った。

 『あなた、ご不自由じゃなくって』

 『いいえ、この間からそのつもりで国から取り寄せておいたのだから、どうか取ってください』。

 『そう。じゃ頂いておきましょう』。

 女は紙包みを懐へ入れた。

  (略)

 空には高い日が明らかに懸かる。

 『結婚なさるそうですね』

 美禰子は白いハンカチを袂へ落とした。

 『ご存知なの』と言いながら、二重瞼を細目にして、男の顔を見た。三四郎を遠くに置いて、かえって遠くにいるのを気遣いすぎた目つきである。そのくせ眉だけははっきり落ち着いている。三四郎の舌が上あごへひっついてしまった。

 女はややしばらく三四郎を眺めた後、聞きかねるほどのため息をかすかに漏らした。やがて細い手を濃い眉の上に加えて言った。

 『われは我が咎(トガ)を知る。我が罪は常に我が前にあり』。

 聞き取れないくらいな声であった。それを三四郎は明らかに聞き取った。三四郎と美禰子は斯様(カヨウ)にして別れた」。

      ★

<われは我が咎(トガ)を知る>

 前回のブログに書いた「迷える羊(ストレイ・シープ)」のあたりまで、『三四郎』の前半部の美禰子は健康的で明るい。

 だが、連載の途中で、作者が「美禰子は無意識の偽善者である云々」の談話を出したせいか、後半部になって、前半部ほどには美禰子は生き生きと躍動しなくなる。そして、作者の美禰子を描く筆致に、時に陰、或いは影が付加されるようになった感がある。

 そして、この二人の最後のシーンの美禰子には、そう思って読むと、まるで日食でも起きたような陰りを感じる。

 多分、19歳の私も、読んだ文庫本の巻末の解説を読んで、そのように受けとめ、いやな女だと思った。そして、ずっと『三四郎』の美禰子はそういう女だと思ってきた。

 『本郷界隈』もこのように言う。

 「三四郎は、この作品の最後のあたりで、美禰子が、結婚することを知る。

 彼女が教会にいることを知って、外で待つ。彼女から借りた金を返すためであった。もはや借金を返済するということ以外に美禰子とのかかわりはなくなった。やがて、吾妻コートを羽織った美禰子が教会から出てくる。本郷三丁目の日射しが彼女をつつんでいる。漱石の文章は、美禰子を描写するとき、つい詩的になる。

 『女はややしばらく三四郎を眺めた後、聞きかねるほどのため息をかすかに漏らした。やがて細い手を濃い眉の上に加えて言った。

 われは我が咎(トガ)を知る。我が罪は我が前にあり

 聞き取れないくらいな声であった。それを三四郎は明らかに聞き取った』。

 これが、三四郎の淡い恋のおわりである。無意識な演技の結果としての三四郎の"恋"に対し、彼女はほのかに省みたらしく、自分の"悪"に気づいたかのようであったその気づき方さえ演劇的であった。同時に三四郎への残酷な引導にもなっている。華麗なものである」。

 美禰子論の一典型であろう。

 だが、今回、改めて美禰子の心に寄り添って読み返てみて、そういう読み方はしたくないなと思った。それはまあ、…… 私の年のせいかもしれない。これを書いた当時の司馬さんよりも、『三四郎』を書いた頃の漱石先生よりも、今はずっと年上になった。

 そもそもヒロイン美禰子を「無意識の優美な偽善者」とするのは、小説のためにだけに作られたキャラクター、つまり美禰子が「作り物」の人間のように私には思えてくる。三四郎という青年を上から操り人形のように優美に弄ぶ。無意識のうちに、残酷に!!??   

 さて、問題は、「われは我が咎(トガ)を知る。我が罪は我が前にあり」という聖書から引用した美禰子の言葉(祈り)の意味であろう。

 美禰子は、ここで、自分の何を指して、「我が咎」とし、「我が罪」としたのだろうか??

  『本郷界隈』は、「(自分の)無意識な演技の結果としての三四郎の"恋"に対し、ほのかに省みたらしく、自分の"悪"に気づいたかのようであった」とし、しかも、それを、演劇的に演じてみせたという。もちろん、演じたのも無意識のうちであろうから、悪意はない。

 少しばかり論理が矛盾し、それを「ほのかに」だとか、「らしく」だとか、「かのようであった」とぼかしているようにも思われる。

 それはともかくとして、「省みたらしく」とは、美禰子は何を「省みた」のか?? そして、「自分の"悪"に気づいたかのよう」と言うのは、自分のどういう「"悪"」に気づいたというのか?? 

 意訳すればこうなるだろうか??

美禰子の心A)

 「私は心ならずも、この純真な青年の心に私へのあこがれの気持ちを抱かせ、いつの間にか恋心を燃やすよう仕向けてしまった …… のかもしれない。その結果、私の結婚を知って、この青年はひどく心が傷ついてしまった。私は知らずに罪深いことをしてしまったみたい。ごめんなさい。悪いことをしたわ。そして、これでお別れよ。さようなら」。

 美禰子悪女論である。

      ★

 美禰子の「演技」は、愛なき虚構の驕慢な演技なのか、それとも、愛に伴う自然の演技なのか?? 私は、あえて後者と解する。

   人は誰でも人を愛したら、その心が、表情や、しぐさや、言葉や、行為に表れ出てくる。相手の顔を見て思わず笑顔がこぼれ、相手の眸を思わず見つめてしまい、ささいなことにも相手を気遣い、共通の思い出を語り合い、相手の危機には手も差し伸べたくなる。そういうときも、相手に好い印象を与えたくて、無意識のうちに演技的になる。愛は人を演技家にする。それは人間としての自然である。

美禰子の心B)

 「最初、池のそばにしゃがんでいるあなたを見た時、『迷える羊(ストレイ・シープ)』と思ったわ。可笑しいでしょう。

 あの頃、私は野々宮さんとのお付き合いに決着をつけて、結婚したかったの。兄に結婚話もあったから。

 そのあと、あなたは、私の方を向いてどんどん私に近づいた。

 一方であなたは、野々宮さんと私の関係をずっと気にしていたわ。でも、私は、結局、野々宮さんとのことはあきらめたの。

 あなたは真っ直ぐで、純朴で、魅力的だった。

 でも、あなたは結婚の対象にならないでしょう?? なのに、ふと気づくと、私の心もあなたにひかれていたの。

 そういうとき縁談があって、私もよく知っている兄の友人だった。この人ならと思ったの。

 その方の縁談は初めよし子さんに行ったのだけど、よし子さんはお断りしたの。だって、よし子さんはまだ二十歳前だから。でも、野々宮さんは妹を早く片付けて、身軽になりたがっていたのだと思う。

 その人は本当は以前から、私のことを思ってくれていたらしい。でも、私がその人の友人でもある野々宮さんとお付き合いしていることを知っていたから、遠慮していた。

 私は思いきって決めたの。だって、あなたのことを本気で思い続けても、あなたは何年か先には、私のことなんか思っていないかもしれないでしょう。

 私は結婚を決めた以上、後悔しないよう一生懸命、努力するつもりよ。

 でも、あなたの真っ直ぐな心に、私の心もひかれていたの。それなのに、現実を考えてしまった。その結果が、あなたを傷つけることを知っていたわ。あなたのことを思うと、私の心も痛む。

 私は、自分自身の素直な心も裏切り、あなたのまっすぐな心も裏切ってしまった。

 このことは、私の人生の悔いとして、ずっと心に残る。

 でも、今は、ただ、心の中でごめんなさいとあやまるしかない」。

 …… 私も、美禰子にすっかり騙されてしまったのかもしれない。以上は、こういう物語であってほしいという私の願望込みの話である。

  なお、美禰子がつぶやいた(祈った)聖書の言葉は、旧約聖書の詩編第51編にある。念のため原文を記す。

 「神よ、私を憐れんでください、御慈しみをもって。/深い御憐れみをもって、背きの罪をぬぐってください。/私の咎をことごとく洗い、罪から清めてください。/あなたに背いたことを私は知っています。/私の罪は常に私の前に置かれています。…… 」。

       

<エピローグ ─「 ストレイ・シープ」>

 小説『三四郎』のエピローグは、「森の女」という題名の絵を見に行く場面で終わる。画家の原口さんが美禰子をモデルに描いた等身大の大きな絵である。

 美禰子は既に結婚した。

 「森の女」は展覧会場の一部屋に掛けられ、展覧会の開会の日から評判を呼んだ。

 与次郎に誘われ、三四郎は、広田先生、野々宮さんらと展覧会場にやって来る。彼らはまず「森の女」が掛けらた部屋に向かった。

 以下、本文からの抜粋。

 「与次郎が『あれだ、あれだ』と言う。人が沢山集(タカ)っている。三四郎は入り口でちょっと躊躇した。野々宮さんは超然として入った。

 大勢の後から、覗き込んだだけで、三四郎は退いた。腰掛に寄ってみんなを待ち合わしていた。

 『素敵に大きなもの描いたな』と与次郎が言った。

 『佐々木(※与次郎のこと)に買ってもらうつもりだそうだ』と広田先生が言った。

 『僕より』と言いかけて、見ると、三四郎はむずかしい顔をして腰掛にもたれている。与次郎は黙ってしまった」。

 ( 略 一行はしばし、感想を述べあった後、別の絵の方へ向かう)

 「与次郎だけが三四郎のそばへ来た。

 『どうだ、森の女は』

 『森の女という題が悪い』

 『じゃ、何とすれば好いんだ』

 三四郎は何とも答えなかった。ただ口の内で、迷羊(ストレイ・シープ)、迷羊(ストレイ・シープ)と繰り返した」。

 ここで、この物語は終わる。

 漱石は、最後に、「迷羊(ストレイ・シープ)、迷羊(ストレイ・シープ)と繰り返し」て、物語を閉じた。

 利発な美禰子の選択が幸せなものになるかどうか、それはわからない。幸せになるかもしれないし、そうでないかもしれない。

 そういうこととかかわりなく、美禰子はこれからも迷える羊であろう。そして、自分もそうである。そう、三四郎は思った。

 …… 広田先生も、野々宮さんも、どこかで、皆、迷える羊なのだ。

 漱石はそういうことを言いたかったのではなかろうか。

            ★

<美禰子考」の終わりに>

 再三、取り上げて恐縮だが、『本郷界隈』(司馬さん)の次の一節はヒントになる。

 「『三四郎』という小説は、(主人公の青年が) 配電盤にむかってお上りをし、配電盤の周囲をうろつきつつ、眩惑されたり、自分をうしないかけたりする物語である。明治時代、東京が文明の配電盤だったという設定が理解できなければ、なんのことだかわからない」。

 その「東京」を、ヒロインの「美禰子」に置き換えてみたら良いのではないか、と既に書いた。

 三四郎という青年が、ヒロイン「美禰子」の周囲をうろつきつつ、眩惑されたり、自分をうしないかけたりする物語である。

 美禰子には「自分」というものがある。自覚的で、精神的に自立した女子である。「我」に目覚めた近代人は、前近代のしがらみを脱して「自由」になる。だが、一方で、根っこを失った近代人は、宙を浮遊する。迷子になるのだ。(広田先生が三四郎に、それに似たことを語る場面があった。前近代を全否定してしまったらだめだよと)。

 それはともかく、私の「読み」では (私の「読み」が正しければ)、三四郎は、美禰子という利発で自立した精神をもつ新しい女性の中で、確かな存在感をもった。三四郎は、美禰子に翻弄されながらも、出会いから別れまでの間、真っすぐに美禰子と対峙した。

 そういう意味で、ここに一つの青春があった。

   (三四郎の池)

 だから、この池は「三四郎の池」である。初恋や失恋の経験もない青年に、未来は託せない。

 「池は、その青年の名を異名として冠している」(司馬遼太郎)。

 さて、私の東京紀行はすっかり寄り道をしてしまった。私もこれで『三四郎』を卒業しよう。

 

 

 

 

  

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迷える羊(美禰子考 2) (本郷 ④) … 東京を歩く7

2023年08月20日 | 東京を歩く

   (三四郎の池)

<美禰子の、三四郎との出会い>

 前回、「三四郎の池」の出会いの場面における三四郎の心理を表現に即して分析した。だが、美禰子の方は何を感じ、どう思っていたのだろうか。

 今回読み返して、この池のほとりの出会いのシーンを二人で回想する場面が、このあと3回も出てくることに気づいた。

① まず、三四郎が広田先生の引越しの手伝いに行き、「池の女」(美禰子)と再会する場面。

 三四郎が庭の縁側に坐っていると、裏木戸が開いて池の女が入ってきた。このあと、前回の冒頭の<閑話>で取り上げた秋の女のシーンになる。

 そのあと、三四郎は女から名刺をもらう。名刺には「里見美禰子」とあった。そして、三四郎が腰掛けている縁側に、少し離れて美禰子も腰を下ろした。

 「『あなたにはお目にかかりましたな』と名刺を袂へ入れた三四郎が顔を挙げた。

 『はあ。いつか病院で … 』と言って女もこちらを向いた。(※野々宮さんの妹のお見舞いに行ったとき、病院の玄関で出会った)。

 『まだある』

 『それから池の端で … 』と女はすぐ言った。よく覚えている。三四郎はそれで言うことがなくなった。女は最後に、『どうも失礼いたしました』と句切りをつけたので、三四郎は『いいえ』と答えた。すこぶる簡潔である。

② 二つ目は大学の運動会の帰り。三四郎と美禰子は、「三四郎の池」を見下ろす別の丘の上に立つ。

 丘の上から、美禰子は下方の池の暗い木陰を指さして、

 「『あの木を知っていらしって』という

 『あれは椎』

 女は笑い出した。『よく覚えていらっしゃること

 『あの時の看護婦ですか。あなたが今訪ねようと言ったのは』

 『ええ』

 『よし子さん (※ 野々宮さんの妹) の看護婦とは違うんですか』

 『違います。これは椎 ── と言った看護婦です』

 今度は三四郎が笑い出した。『あそこですね。あなたがあの看護婦と一緒に団扇を持って立っていたのは』。 (略)

 『あなたはまた何であんな所にしゃがんでいらしったんです』。

 『暑いからです。あの日初めて野々宮さんに逢って、それから、あそこへ来てぼんやりしていたのです。何だか心細くなって』」。

③ 三つ目は物語の後半部。画家の原口さんのモデルになっている美禰子を訪ねた帰り道のこと。

 モデルになって絵を描き始めた時期のことが話題になり、

 「『その前って、いつ頃からですか』

 『あの (※モデルのときの) 服装(ナリ)で分かるでしょう』

 三四郎は突然として、初めて池の周囲(マワリ)で美禰子に逢った暑い昔を思い出した。

 『そら、あなた、椎の木の下にしゃがんでいらしったじぁありませんか』

 『あなたは団扇をかざして、高い所に立っていた』

 『あの絵のとおりでしょう』

 『ええ、あの絵のとおりです』

 二人は顔を見合した」。

 あの日、美禰子は絵のモデルとして画架の前に立ち続けて、その帰りだったのだ。色彩の綺麗な和服姿で、髪には白い薔薇を挿し、手に団扇を持っていた。

 もしかしたら、そんな装いで長時間のポーズを取り続けた余韻が、花一輪を落として行くという芝居がかった行為になったのかもしれない??

 それはわからないが、…… 少なくともそういう芝居がかったことを、美禰子がいつもしているわけではない。従って、この行為一つで美禰子像を決定づけてはいけない。しかし、時に、そういうこともやってのける不敵さが美禰子にはある。

 ともかくこれらの回想から、美禰子においても、あのときの三四郎が心に残ったことがうかがえる。

 自分を凝視し続けた不躾な或いは無礼な青年というようなことではなく、印象に残るものがあったのだ。

  ( トゥルニューの大聖堂/ブルゴーニュ)

       ★   ★   ★

<広田先生の引越し先で 「女だって」>

 広田先生の引越し先の縁側で、こうして待っていても仕方がないから2人で掃除を始めようと、美禰子が三四郎に提案する。三四郎は隣家で掃除道具を借りてきた。美禰子が部屋の畳を掃き、そのあとを三四郎が雑巾掛けしていく。作業しながら、二人は次第に打ち解けていく。

 そのさ中、こんな場面も。

 「美禰子は例のごとく掃きだした。三四郎は四つ這いになって、後から拭きだした。美禰子は箒を両手で持ったまま、三四郎の姿を見て、

 『まあ』と言った」。

 美禰子にとって、四つ這いになって畳を拭く男の姿は新鮮だった。

 法学士の兄や、兄の友人で結婚を前提にお付き合いをしている研究者の野々宮さんや、一高の教師の広田先生は、そういうことをしない男たちである。

     ★

 1階から2階の部屋の掃除を終えて一息入れ、二人は2階の窓から雲を眺める。

 「三四郎は、…… あの白い雲はみんな雪の粉で、下から見てあのくらいに動く以上は、颶風(グフウ)以上の速度でなくてはならないと、この間野々宮さんから聞いたとおりを教えた。美禰子は

 『あらそう』と言いながら三四郎を見たが、

 『雪じゃつまらないわね』と否定を許さぬような調子であった

 『なぜです』

 『なぜでも、雲は雲でなくっちゃいけないわ。こうして遠くから眺めている甲斐がないじゃありませんか』

 『そうですか』(以下略)」

 ここは、美禰子は気が強いな、などと思いながら読みとばしてしまうところだ。

 漱石は明確には書いていないが、注意深く読んでいくと、野々宮さんと美禰子が長いお付き合いをしてきたことが仄めかされている。美禰子は、野々宮さんが将来を嘱望される研究者であることもよく知っている。また、野々宮さんが自分に好意をもっていることも知っている。雲が雪であるという話は、デートの時に野々宮さんから聞いた話だ。美禰子には三四郎の話の出どころはすぐに分かった。

 野々宮さんはたまに二人で逢ったとき、いつもこういう話をする。まるで理科の先生と生徒みたいに。初めは偉い人だと思って聞いていたが、二人のお付き合いは既に長い。あいまいなまま、まともに向き合おうとしない野々宮さんに、美禰子は愛想をつかしかけているのだ。

 「『雪じゃつまらないわね』と否定を許さぬような調子であった」というのは、美禰子の野々宮さんに対する否定的な気持ちの表れである。

 そういう風に読み込んでいくと、美禰子の心も、彼女の事情も、少しは理解できてくる。

      ★

 やがて、二人を動員した与次郎が荷車に荷物を積んで現れ、さらに広田先生もやってきて、たくさんの書物の整理をする。

 ほぼ全ての作業が終わった頃、野々宮さんもやって来た。

 野々宮さんにとって広田先生は一高時代以来の恩師である。

 一段落したあと、美禰子は持ってきた大きなバスケット(籃)からサンドウィッチを出して、小皿に分け、皆にふるまう。

    以下は、三四郎の学友の与次郎と美禰子とのやりとりである。

 「『よく忘れずに持ってきましたね』

 『だって、わざわざご注文ですもの』

 『その籃も買ってきたんですか』

 『いいえ』

 『家にあったんですか』

 『ええ』

 『大変大きなものですね。車夫でも連れてきたんですか。(略)』

 『(略) 女だってこのぐらいなものは持てますわ

 『あなただから持つんです。ほかのお嬢さんなら、まあやめますね

 『そうでしょうか。それなら私もやめればよかった』

 美禰子は食物を小皿へ取りながら、与次郎と応対している。言葉に少しも淀みがない。しかも、ゆっくり落ち着いている。ほとんど与次郎の顔をみないくらいである。三四郎は敬服した」。

 前回引用した部分に、「女の言葉は明確(ハッキリ)している。普通のように後を濁さない」とあった。     

 「女だってこのぐらいなものは持てますわ」「あなただから持つんです。ほかのお嬢さんなら、まあ、やめますね」。

 「三四郎は敬服した

 初めて『三四郎』を読んだ19歳のとき、こういう箇所も読みとばしていた。

 美禰子は、男たちと会話するときも、自然で、軽やかで、しかも的を射た受け答えをする。言い換えれば、女らしく、慎み深く、控えめな、もの言いはしない。

 大きな籃(バスケット)も、当たり前のように一人で持って来る。(この時代、それなりの家の女性は、外出に当たって、自分で物を運ぶようなことはしなかった)。

 漱石は、そういう女性として美禰子を描いている。こういう美禰子の言葉やふるまいに沿って考えると、「優美な演技家」とか「男を擒にする女」という評価は、少し不自然ではないだろうか。

     ★ 

  「『どれ僕も失礼しましょうか』と野々宮さんが腰を上げる。

 『あらもうお帰り。随分ね』」と美禰子が言う。

  「随分ね」は、一番最後に来て、最初に帰ることへの軽い非難。ただし、年上の男性に対して、よほど親しくなければ、こういう言葉は出ない。

 「野々宮さんが庭から出て行った。その影が折り戸の外へ隠れると、美禰子は急に思い出したように『そうそう』と言いながら、庭先に脱いであった下駄を履いて、野々宮の後を追いかけた。表で何か話している。

 三四郎は黙って座っていた」。

 美禰子は、野々宮さんが将来を嘱望された若手研究者であることを知っている。それに、彼は落ち着いた穏やかな性格である。

 だが、彼の頭の中を占めているのは研究のことで、日常的な人間関係に煩わされたくない。本当は今日も来たくなかったのだ。美禰子との関係も、煮え切らないままずっと先延ばししてきた。

 三四郎は二人の関係を知らないまま、気にしている。野々宮さんと美禰子が結婚を前提としてお付き合いをしているのなら、自分が出る幕はないのである。

 (シャガール美術館─ニース)

   ★   ★   ★

<団子坂から野の道へ ━ 迷える羊(ストレイ・シープ)>

 次は、団子坂の菊人形展に行く場面である。(団子坂及びこのとき三四郎と美禰子が歩いたコースのことは、当ブログ「本郷① 薮下の道」で取り上げた)。

 美禰子からお誘いがあって、三四郎は菊人形展に同行することになる。メンバーは、広田先生、野々宮さん、その妹のよし子、美禰子、そして三四郎の5人である。

 団子坂の会場のあたりは、泣き叫ぶ迷子もいて、大混雑だった。

 会場の中で菊人形を見ていたとき、三四郎は少し離れた所にいる美禰子の様子がおかしいことに気づく。気分が悪いらしい。

 美禰子は首をめぐらせて、野々宮のいる方を見た。

 こういうとき、美禰子が頼るとしたら野々宮さんであろう。だが、野々宮さんは少し離れた向こうで、広田先生と菊の培養法について談義している。いつものとおりだ。

 美禰子はそういう野々宮さんを見限って、一人で出口の方へ向かう。

 彼女は気丈である。しかし、そればかりでない。思うに、おそらくこの瞬間、美禰子はずっと迷っていたことを、ふり切ったのだ。

 三四郎は、三人を残して、群集を押し分けながら美禰子の後を追った。 

 追いついたとき、美禰子は青竹の手欄に手を付いていた。

 「どうかしましたか」。三四郎を見た美禰子の物憂い眼に、三四郎は体調のことだけではない何かを感じる。だが、三四郎には、美禰子の心も、事情も、知る由がない。

 美禰子は「もう出ましょう」と言って、一人で出口の方へ歩いて行く。三四郎はついていった。

 表に出ると、周囲はまるで人が渦をまいているような状態だった。

 半町(注 : 5、60m)ほど歩いたとき、美禰子は人ごみの中でやっと、「私、心持ちが悪くって…」と言った。「どこか静かな所はないでしょうか」。

 この辺りは本郷の一角だから、三四郎はよく散策している。「もう1町ばかり歩けますか」と聞くと、「歩きます」と言う。

 二人は石橋を渡って、賑やかな団子坂の通りから、左へ折れた。

 そして、しばらく路地のような所を歩いて行く。すると広い野に出た。(略)

 「ありがとう。大分好くなりました」。「もう少し歩けますか」。(略)

 漱石が、美禰子をどういう女性として描いているか、次の表現に注目したい。

 「1丁ばかり来た。また橋がある。1尺に足らない古板を造作なく渡した上を、三四郎は大股に歩いた。女もつづいて通った。待ち合わせた三四郎の眼には、女の足が常の大地を踏むと同じように軽く見えた。この女は素直な足を真っ直ぐに前へ運ぶ。わざと女らしく甘えた歩き方をしない。従って、むやみにこちらから手を貸すわけにいかない」。

    美禰子を「無意識かつ優美な天性の演技家」とすることに首をかしげたくなるのは、こういう叙述があるからである。

 現代の心理学者は、人は誰でもそれぞれに、それぞれの役割を「演じて」生きていると言う。家庭ではそれぞれに父親を、会社ではそれぞれにもの分かりのいい係長やベテランの課長を、また、久しぶりの同窓会ではそれぞれに在りし日の高校時代の友を。

 そういう意味でなら、美禰子も美禰子らしさを演じて生きている。

 『三四郎』の時代より前の時代(前近代)から現代に到るまで、多くの場面で男はそれぞれに男らしさを演じてきたし、女はそのときどきに「女らしく甘えた」しぐさやふるまいをして見せた。

 だが、美禰子は「素直」で「真っ直ぐ」であると漱石は言う。わざと「女らしさ」を演じないのだ。

   この一点において、美禰子はすがすがしい。

      ★

 続きである。

 二人の向こうに藁屋根が見える。屋根の下に赤い唐辛子が干してある。それを見て、美禰子は「美しいこと」と言い、小川の縁の草に座った。着物が汚れるからもう少し先へと三四郎が言うが、美禰子は意に介さない。結局、三四郎も腰を下ろした。

 川上で百姓が大根を洗っている。小川の向こうは広い畑で、畑の先は森、その上は空である。遠くで、菊人形の客を呼ぶ声が、折々、聞こえてくる。

 しばらく、とりとめもなく話した後、三四郎は言う。

 「『広田先生や野々宮さんはさぞ後で僕らを探したでしょう』。

 美禰子はむしろ冷ややかである。『なに大丈夫よ。大きな迷子ですもの

 『迷子だから探したでしょう』と三四郎はやはり前説を主張した。

 すると美禰子は、なお冷ややかな調子で、『責任を逃れたがる人だから、丁度好いでしょう

 『誰が?? 広田先生がですか』。美禰子は答えなかった。『野々宮さんがですか』。美禰子はやっぱり答えなかった」。

 三四郎は、野々宮さんと美禰子との関係が気になっているが、よくわからないでいる。

 「責任を逃れたがる人だから、丁度好いでしょう」という言葉は、結婚を前提にお付き合いをしてきて、いつまでも煮え切らないままの野々宮さんに対する美禰子の怒りである。

 「もう気分はよくなりましたか。よくなったら、そろそろ帰りましょうか」と言う三四郎に対して、美禰子は立ち上がろうとしない。美禰子は強情である。

 …… そして、「迷子」と言う。

 「女は三四郎を見たままでこの一言を繰り返した」。

 美禰子は、菊人形展を見に来た一行からの迷子であるだけでなく、自分は今、人生の迷子なのだと思う。方向を見失っているのだ。

 「三四郎は答えなかった。

 『迷子の英訳を知っていらしって』。

 三四郎は知るとも、知らぬとも言い得ぬほどに、この問いを予期していなかった。

 『教えてあげましょうか』

 『ええ』

 『ストレイ・シープ(迷える子) ── わかって??』。 (略) 

 ストレイ・シープ(迷える子)という言葉はわかったようでもある。また、わからないようでもある。わかる、わからないは、言葉の意味よりも、むしろこの言葉を使った女の意味である。三四郎はいたずらに女の顔を眺めて黙っていた。すると女は急に真面目になった。

 『私そんなに生意気に見えますか』。

 その調子には弁解の心持がある。三四郎は意外の感に打たれた。 (略)

 女は卒然として、『じゃ、もう帰りましょう』と言った。嫌味のある言い方ではなかった。ただ三四郎にとって自分は興味のないものと諦めるような静かな口調であった」。

(イン・クラッセ聖堂のモザイク画/ラベンナ)

 のちに、美禰子がキリスト教の教会に通っていることがわかる。「迷える羊」は、新約聖書のマタイ伝18-13~に出てくるイエスの言葉である。

 「ある人が羊を100匹もっていて、その1匹が迷い出たとすれば、99匹を山に残しておいて、迷い出た1匹を捜しに行かないだろうか」。「もし、それを見つけたら、迷わずにいた99匹より、その1匹のことを喜ぶだろう」。

 イエスは、神の前で人はみな迷える羊であると説いているのである。

 美禰子を「優美な天性の演技家」と考える人は、このシーンを、思わせぶりなことを言って、初心な三四郎を擒(トリコ)にしようとすると理解する。… 迷える羊の私を捜しに来てほしい …。

 だが、到る所に仄めかされている美禰子の状況を読みとっていけば、そのようには思えない。

 実際、美禰子は人生の岐路に立たされているのだ。長年、お付き合いしてきた野々宮さんとの関係・結婚のこと。

 さらに、そういうことの根底にある、一人の女性としてのありようのこと。それは、「私そんなに生意気に見えますか」という問いに表れている。

 彼女は前近代の女ではない。今までの女性なら、自分の置かれた宿命に従って、家や親の意を受けて結婚し、夫に従い、伝統やしきたりに沿って生きただろう。そこには、「自分」はない。

 だが、美禰子には「自分」がある。「我」に目覚めた近代人は、前近代のしがらみを脱して「自由」になる。だが、一方で、根っこを失った近代人は宙を浮遊する。迷子になるのだ。

 美禰子は、自分の迷いを少しだけ三四郎に漏らしてみたかった。

 彼女にとって、このときの三四郎は、異性の友達、或いは、姉と弟のような感じに近かったかもしれない。

      ★

 その後、「すっかり直りました」という美禰子と、赤い唐辛子が干してあった家の脇の小道をたどって帰る。その途中のこと。

 「足の前に泥濘(ヌカルミ)があった。4尺(1.2m)ばかりの所、土が凹んで水がぴたぴたに溜まっている。その真ん中に足がかりのために手頃な石を置いたものがある。三四郎は石のたすけをからずに、向こうへ跳んだ。そうして美禰子を振り返って見た。美禰子は右の足を泥濘の真ん中にある石の上へ乗せた。石の据わりがあまり善くない。足へ力を入れて、肩をゆすって調子を取っている。三四郎はこちら側から手を出した。

 『おつかまりなさい』

 『いえ、大丈夫』と女は笑っている。手を出している間は、調子を取るだけで渡らない

 三四郎は手を引っ込めた。すると美禰子は石の上にある右の足に、身体の重みを託して、左の足でひらりとこちら側へ渡った。あまりに下駄を汚すまいと念を入れすぎたため、力が余って、腰が浮いた。のめりそうに胸が前へ出る。その勢いで美禰子の両手が三四郎の両腕の上へ落ちた。

 『ストレイ・シープ(迷える子)』と美禰子が口の内で言った。三四郎はその呼吸(イキ)を感ずることができた」。

 漱石先生の描写表現は、生き生きと美しい。『三四郎』という作品の中で、この場面の美禰子を私はいちばん好きかもしれない。

 だが、三四郎よ、誤解してはいけない。    

      ★

<美禰子からの葉書 ━ 2匹の迷える羊>

 その何日かあと、美禰子から三四郎の下宿に葉書が届く。

 絵が描いてある。

 緑の草の中に2匹の羊。表の宛名の下に差出人の名はなく、「迷える子」と書いてあった。

 三四郎は、迷える子のなかには、美禰子のみではない、自分も入っていたのだと思い、「美禰子の使ったstray sheep(ストレイ・シープ)の意味がこれでようやく判然した」と考える。

 (迷える2匹の羊)

 美禰子は、三四郎という青年が人生のどこへ向いて歩いて行けばよいかわからないでいることを見抜いている。それは、あの出会いの場面、池のそばにしゃがんでいた三四郎を見た瞬間に感じとったのかもしれない。

 そして、自分もまた、一人の女として、どう生きていったらよいのか迷っている。

 広田先生や、野々宮さんは、自分の歩く道を決めて、既に相当に歩いている。彼らはもう迷わない。

 でも、あなたも私も、迷える羊ね。

 美禰子はそういう思いを表現したかったのだろうか。

 そこには、同年齢の男への媚びも含まれているかもしれない。しかし、それは、普通、大なり小なりあることである。

 しかし、それ以上に、この時、彼女は自分らしく生きることに精一杯だったのだと思う。長いお付き合いをしてきた果てに、思いをたち切るのはたやすいことではない。しかし、野々宮さんは自分が人生を共にする人ではないと、結論付けたのだ。

 だが、当時の年頃の若い女性に多様な選択肢が用意されているわけではない。

 (続く)     

 

 

 

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美禰子考⑴ (本郷③) … 東京を歩く6

2023年08月12日 | 東京を歩く

   (シャガール美術館 ─ ニース)

 東京旅行から帰って、小説『三四郎』を読み返してみた。19歳のときに読み、コケティッシュだと思った美禰子というヒロインにもう一度会ってみたくなったから。

 読み返してみて、まとまったことを書くのは難しいと感じた。

   それで、読み返すなかで気づいたことや考えたことの一部を、メモ風に書きとめることにした。

      ★

<閑話 ─ 詩のような漱石の文章>

 本題に入る前に ……

 今回、読み直して、写真で見れば気難しそうな漱石先生が、詩のようなメルヘンチックな文章も書くのだと(書こうと思えば書けるのだと)、改めて感心した箇所があった。その一つを紹介。

 その場面は ── 季節は秋。三四郎は学友の与次郎に頼まれて、祭日の日の朝、広田先生の引越しの手伝いに行く。ところが、まだ誰も来ていなかった。

 一人で待っていると、(同じように手伝いに呼ばれた)「池の女」 が庭に入ってきた。 (このとき、三四郎はまだ、彼女の名を知らない)。

 次のゴシックの部分を味わって読んでいただきたい。

      ★

 三四郎は、一人、手持ち無沙汰のまま、小さな庭の縁側に座っている。そのとき、「庭木戸がすうと明いた。そうして思いも寄らぬ池の女が庭の中にあらわれた」。 (略)

 『失礼でございますが…』。 (略)

 『広田さんの御移転(オコシ)になるのは、こちらでございましょうか』

 『はあ、ここです』。

 女の声と調子に比べると、三四郎の答えはすこぶるぶっきら棒である。

 「『まだお移りにならないんでございますか』。女の言葉は明確(ハッキリ)している。普通のように後を濁さない」(※ アンダーラインの部分については、あとで取り上げる)。

 『まだ来ません。もう来るでしょう』

 女はしばしためらった。手に大きなバスケット(籃)を提げている」。 (略)

 上から桜の葉が時々落ちて来る。その一つがバスケット(籃)の蓋(フタ)の上に乗った。乗ったと思ううちに吹かれて行った。風が女を包んだ。女は秋の中に立っている。

 『あなたは …… 』

 風が隣へ越した時分、女が三四郎に聞いた

 『掃除に頼まれてきたのです』と言ったが、現に腰を掛けてぽかんとしていた所を見られたのだから、三四郎は自分でも可笑しくなった。すると女も笑いながら、『じゃ私も少しお待ちしましょうか』と言った」。

   どうでしょう 風を擬人化して、テレビのコマーシャルの1シーンに使いたいような、オシャレな文章です。 

  ★   ★   ★

<美禰子は「優美な天性の演技家」か??>

 さて、以下は、ヒロイン美禰子はどういう女性として描かれているのか、ということについてである。

 ちなみに、『本郷界隈』(司馬遼太郎) の美禰子論はこうである。

 「(『三四郎を』を)連載中の明治41年、(夏目漱石は)『早稲田文学』に談話を載せている。この女(美禰子)は『無意識(アンコンシアス)な偽善者(ヒポクリツト)』であるという」

 「このタイプの女性は、『ほとんど無意識に、天性の発露のままで男を擒(トリコ)にする』のである。むろん善悪の道徳観念はほとんどもたない。要するに、無意識かつ優美な天性の演技家なのである。偽善には演技を伴う。演技が偽善ともいえる。後者(無意識)の場合、演技をして、そこから何を得ようという功利的目的もない。だから三四郎と結婚することなど頭から考えずに、いわばなぶるのである」。

 敬愛する司馬さんではあるが、この美禰子論はちょっときびしい。

 例えば、「三四郎と結婚することなど頭から考えずに …… 」と言う。

 だが、それは、むしろ三四郎の方である。『三四郎』の中にこういう場面がある。

 大学の講義が終わって教場を出るとき、三四郎は親しい学友である与次郎に突然、聞かれる。三四郎の恋を察知し、忠告を与えるのは、与次郎だけである。

 『あの女 (美禰子のこと) はきみに惚れているのか』。

 三四郎は『よく分からない』と答える。

 「与次郎はしばらく三四郎を見て、『そういうこともある。しかし、よく分かったとして、きみ、あの女のハズバンド(夫)になれるか』。

 三四郎は未だかつてこの問題を考えたことがなかった」。

 三四郎は、結婚のことなど頭から考えず、美禰子にひかれ、近づいていった。与次郎は、同年齢の女性との愛は成立しないからやめておけと言うのだ。

 実際、23歳の三四郎は田舎から出てきて大学へ入ったばかり。親の仕送りで勉強をしている身である。この世において、まだ、何ものにもなっていない。

 物語の終わり、美禰子は唐突に兄の学友だった男と結婚する。それで、三四郎の気をひき、擒(トリコ)にし、あっさり他の男と結婚した女という評価も出てくる。

 しかし、美禰子は三四郎に心ひかた瞬間もあったように読み取れる。だが、三四郎のそういう立ち位置を考えて、他の縁談を受け入れたのではないだろうか。そう読みとる方が自然である。

     ★ 

 そもそも文芸研究家や評論家は、しばしば、『三四郎』連載中に漱石自身が語ったという「美禰子論」を紹介し、それを根拠にしてヒロイン美禰子を説明する。

 だが、例えばピカソが、自分の抽象画の意味を誰かに聞かれて、(普通は笑って答えないと思うが)、仮に答えたとしても、それはそのときのピカソの思いのほんの一端の吐露、或いは、そのときの気分で答えたのかもしれず、或いはまた、自分の絵のファンのためにサービスとして語ったことかもしれない。

 だから、創作者自身がどう言ったかを根拠にして作品を説明するのは、必ずしも正しいやり方とは思えない。

 よく言われるように、発表された作品は世に出た瞬間に創作者の手を離れる。そして、時代を超えて、享受者の側に委ねられるのである。

 よって、作品の理解は、作者自身がどう言ったかを根拠にすべきではなく、作品に表現されているところに沿って、享受され、理解されるべきあろう。

     ★

 もう一つ。初めて『三四郎』を読んだ10代の終わり、私も美禰子をコケティッシュ女だと思った。男の心を翻弄するような魅力的な賢い女性というほどの意味である。それは、「無意識かつ優美な天性の演技家」ということと通じる。ただし、司馬さんの場合は、「… いわばなぶるのである」と、非難のニュアンスが強い。

 美禰子の三四郎に対する言葉やふるまいは、全て、男を擒(トリコ)にする天性の演技なのであろうか??

 今回、美禰子のその時々の心情を考えながら、美禰子の立場に添って読み直してみた。

 すると、明らかに演技めいたふるまいは最初の出会いのシーン ─ 池のそばで三四郎の目の前に花一輪を落として行った ─ だけかも知れない、とも思った。

 はっきりしていることは、主人公の三四郎自身が、物語の最終章においても、美禰子に「なぶられた」などとは思っていないことである。

 私は、男を擒にするようなキャラクターの女とその女に翻弄される青年の物語などではないと考える。『三四郎』は、江戸の色男や金持ちの坊ちゃんを題材にした浮世草子ではないのだから。

 とにかく、作品の表現に即して読んでいこう。

 その結果、それぞれの美禰子論があっていいと思うのである。

     ★

<きみが心は知りがたし>

 今回、再読して、美禰子についてまとまったことを書くのがむずかしいと感じた。それには理由がある。

 また、『本郷界隈』から。

 「最近、桜楓社が漱石の作品論をあつめた全集を出した。その第5巻『三四郎』を読んでみて、研究者たちの論文のほとんどが美禰子論だったのがおもしろかった。漱石は、それほどあざやかに美禰子を造形したのである」。

 『三四郎』という作品を論じた論文のほとんどが、「美禰子論」だったという。

 それは、美禰子というヒロインが魅力的であるというだけでなく、とらえがたいからだ。魅力的で、しかも、とらえがたいが故に、多くの論者が美禰子論を論じてみたくなる。

 だが、今回、読み直してわかったことは、作品に描かれている美禰子はほとんど全て主人公の三四郎の眼と心に映じた美禰子であるということだ。

 ゆえに、美禰子の言葉やふるまいの奥にあるその時々の美禰子の心情は、三四郎の目と心を通してしか、私たちにはわからない。

 美禰子は三四郎の自分への眼差しを意識する。そして、親しくなっていき、三四郎に心を寄せたかと思われる一瞬もあったのだが、そのあと、唐突に兄の友人である男との結婚に踏み切ってしまう。

 美禰子のその間の気持ちの変化、或いはその背景にあるはずの美禰子の諸事情は、ほとんど何もわからない。私たちは、三四郎を通して垣間見るだけである。

 『本郷界隈』は、「漱石は、それほどあざやかに美禰子を造形した」と言うが、あざやかなのは、三四郎が見た一瞬一瞬の美禰子であって、彼女の気持ちの変化の過程や彼女の諸事情は何もわからないのである。

 きみが瞳はつぶらにて / きみが心は知りがたし /

   きみをはなれて唯ひとり / 月夜の海に石を投ぐ (佐藤春夫)

 青春とはそういうものかもしれない。

 『本郷界隈』は、『三四郎』のテーマは青春などというものではないというが、私は改めて青春小説だと思った。それにプラスして近代文明批評。

 とにかく、美禰子は春の書斎に迷い込み、気ままに部屋の中を飛んで、ふいっと去っていったアゲハ蝶のようである。

 そういう美禰子を断定的に論じるのはむずかしい。

 ゆえに、それぞれの「美禰子」があっていい。

    以下は、私の美禰子論の切れ端を集めたものである。

 なお、「 」は漱石の『三四郎』からの引用。ただし、現代仮名遣いに直し、漢字も常用漢字の範囲に改めた。

  ★   ★   ★

<プロローグ ─ 三四郎について>

 まず、三四郎という青年について、はっきりさせておきたい。

 小説『三四郎』は主人公が上京する車中から始まる。九州から東京までまる2日間を要する。その間の二つのエピソードを通して、三四郎という青年が紹介される。

 彼は数え年で23歳(満年齢で22歳)。熊本にある第5高等学校を卒業して、これから東大に入学する。

 旧制高等学校は当時日本に8つしかなかった。東大で専門分野を勉強するための予科段階のためにつくられた学校で、今の大学の教養課程に相当する。

 『伊豆の踊子』の一高生は、旅の途中で見かけた旅芸人一座の踊子に恋心を抱くが、三四郎はこれまで恋を知らない。

 三四郎が知っている娘は、故郷のお光さんである。上京後、しばしば母から手紙がくる。そこにはいつもお光さんのことが書いてある。母は息子が大学を卒業したら、お光さんを嫁に迎えるつもりでいる。家と家のつり合いが取れ、年の頃も程よく、自分が気心を知る娘を嫁に迎えたいのだ。

 だが、三四郎はお光さんに異性を感じたことはない。

 汽車の旅はまる2日、かかり、駅近くの宿で一泊する。その夜、同じ宿に同宿した年上の女に誘われる。やりすごしたが、翌朝、その女に「あなたは度胸のない方ですね」と言われて、恐ろしくなる。

 こういうむき出しのストレートな人間関係は、熊本で勉強したことと次元を異にする。三四郎は現実世界の手ごわさを思い知らされる。

   (イブの誘惑 ─ オータン)

 また、車中で中年の男と会話する。その男は東京で再会することになる第一高等学校の英語の先生の広田さんである。もちろん、このとき、そういうことは知らない。

 ちなみに、時代は日露戦争後の明治40年頃。以下、二人の会話の途中から引用する。

 「 『これからは日本も発展するでしょう」と弁護した。

   すると、かの男は、すましたもので、『滅びるね』と言った。

 ── 熊本でこんなことを口に出せば、すぐ殴られる。わるくすると国賊扱いされる。三四郎は頭の中のどこの隅にもこういう思想を入れる余裕はないような空気のうちで成長した。 (略)

 すると男が、こう言った。『熊本より東京は広い。東京より日本は広い。日本より … 』でちょっと切ったが、三四郎の顔を見ると耳を傾けている。『日本より頭の中の方が広いでしょう』と言った。

 『囚われちゃ駄目だ。いくら日本のためを思ったって贔屓(ヒイキ)の引き倒しになるばかりだ』

 この言葉を聞いた時、三四郎は真実に熊本を出たような心持がした。同時に熊本に居た時の自分は非常に卑怯であったと悟った」。

 三四郎はこの男の言葉で、瞬時に、自分が熊本、或いは、日本の空気の中にどっぷりと漬かって、自分自身の頭で主体的にものを考えようとしてこなかったことを悟ったのだ。思考を停止して周囲に同調していた。その方が楽で安全だったから。そういう自分を、卑怯であったと悟るのである。

 三四郎は、この世にあって、まだ何ものでもない。だが、物事をまっすぐに見、やわらかい頭脳で受け入れることができる、清々しい青年である。そして、日本より広い頭をもった独立した人間として羽ばたこうとしているのである。

 このような青年が東京にやって来て、いきなり出会ったのが美禰子という女性であった。

  ★   ★   ★

<三四郎の池 ── 美禰子との出会い  >

 出会いのシーンの美禰子は、印象的である。

 当時の大学は欧米並みに9月始まりだったようだ。上京したばかりの三四郎は、夏の暑い日、大学構内に、郷里の先輩の野々宮さんを訪ねる。大学は人気(ヒトケ)がなく、閑散としていた。

 野々宮さんは理科棟の暗い地下室にいた。たった一人、実験器具をいじっている。毎日、こうして<光線の圧力>の実験をしているのだという。

 後でわかることだが、野々宮さんは三四郎より7歳の年長。日本ではまだ無名だが、彼の研究はむしろ西欧で注目されている。

 しばらく野々宮さんの実験器具の説明を聞いた後、三四郎は「穴倉」を辞した。構内を歩いて池の端(ハタ)まで来て、池のそばにしゃがみ込む

 そして、自分のこれからの生き方を思う。野々宮さんのように人気のない地下室で一生を研究に捧げる人生もある。そういう生涯を想像すると、急に寂しさがおし寄せた。

 ふと眼を上げると、池の向かいの丘の上に女が二人立っていた。丘の上は夕日が当たって明るい。

 一人は白い服から大学病院の看護婦だとわかる。もう一人は、日射しを避けて団扇(ウチワ)を額にかざし、和服姿だった。

  「この時三四郎の受けた感じはただ奇麗な色彩だということであった」。

 三四郎は見とれている。やがて、二人は坂をこちら側へ下りはじめる。三四郎はやっぱり見ている。

 坂の下に石橋がある。渡れば池の水際を伝ってこっちへ来ることになる。二人は石橋を渡った。

  (三四郎の池)

 以下、本文から。

 「団扇はもうかざしていない。左の手に白い小さな花を持って、それを嗅ぎながら来る。嗅ぎながら、鼻の下にあてがった花を見ながら、歩くので、眼は伏せている。それで、三四郎から一間ばかりの所へ来てひょいと留まった。(※ 1間とは約1.8m。絶妙の距離感!! )。

 『これは何でしょう』と言って、仰向いた。頭の上には大きな椎の木が、日の目の洩らないほど厚い葉を茂らして、丸い形に、水際まで張り出していた。

 『これは椎』と看護婦が言った。まるで子供に物を教えるようであった。

 『そう。実は生(ナ)っていないの』と言いながら、仰向いた顔を元へ戻す、その拍子に三四郎を一目見た。三四郎はたしかに女の黒眼の動く刹那を意識した。その時、色彩の感じは悉く消えて、何とも言えぬ或る物に出逢った。その或る物は汽車の女に『あなたは度胸のない方ですね』と言われた時の感じとどこか似通っている。三四郎は恐ろしくなった。

 二人の女は三四郎の前を通り過ぎる。若い方が今まで嗅いでいた白い花を三四郎の前へ落として行った。三四郎は二人の後姿をじっと見つめていた。……頭にも白い薔薇を一つ挿している。……」 

                ★

 美禰子は三四郎のそば、一間の所で立ち留まり、繁った樹木を仰いで「これは何でしょう」と聞き、仰向いた顔を元へ戻す瞬間に三四郎を見た。もちろん、一連の動きは意図的、意志的である。二人の目が一瞬、合う。

 そして、三四郎の前に白い薔薇を落として行った。

 美禰子は「無意識かつ優美な天性の演技家」であるという評価は、この出会いのシーンで決まったようなものだ。「天性の発露のまま男を擒(トリコ)にする」女だとなる。

 初めて『三四郎』を読んだ19歳の私も、美しく魅力的だが…… このコケティッシュな女は心許せぬところがあると思った。

 しかし、今は、…… もう少し丁寧に読んでみたいと思う。

 「女の黒眼の動く刹那を意識した」時、三四郎は「何とも言えぬ或る物に出逢った」という。「その或る物は汽車の女に『あなたは度胸のない方ですね』と言われた時の感じとどこか似通っている」。そして「三四郎は恐ろしくなった」。

 三四郎は何に「恐ろしくなった」のだろう。その気持ちが起こったのは、女が花一輪を落としていく前である。それは、女の黒眼が動いた刹那だ。その眼は三四郎を見ようという意志をもって動いた眼である。

 三四郎の恐れは、「汽車の女に『あなたは度胸のない方ですね』と言われた時の感じとどこか似通っている」という。

 「どこか似通っている」ということは、似ているが、別種のものであるということである。しかし、別種だが、両者に共通するものがあるのだ。それは何か。どちらも、三四郎という青年が過去に経験したことがないもの、即ち、未知のものである。そういうものに不意に出会ったときの恐れである。

 それまでの三四郎の人生の中に、このように意志的にはっきりと自分を見た若い女はいなかった。

 『本郷界隈』の次の一節はヒントになる。

 「『三四郎』という小説は、(主人公の青年が) 配電盤にむかってお上りをし、配電盤の周囲をうろつきつつ、眩惑されたり、自分をうしないかけたりする物語である。明治時代、東京が文明の配電盤だったという設定が理解できなければ、なんのことだかわからない。主題は青春というものではなく、東京(もしくは本郷)というものの幻妙さなのである。 …… その意味で、明治の日本というものの文明論的な本質を、これほど鋭くおもしろく描いた小説はない」。

 その「東京(もしくは本郷)」を、ヒロインの「美禰子」に置き換えてみたら良いのではないか。

 明治の日本は、「東京(或いは本郷)」を配電盤として、西洋化、近代化しようと、「坂の上の雲」を目指して驀進している。

 その先に何があるのか?? それが、官の道を捨て、文学の道へ入った漱石の生涯のテーマであった。もちろん、漱石の関心は政治や経済そのものではなく、近代というものが生み出す新しい人間像、即ち近代人である。それは、どういう存在なのだろうか。前近代よりも、近代人は幸せになるのだろうか??

  これまで三四郎が知っていた女子は故郷のお光さんである。田舎の母は、「家」の継承と家格のつり合いを考え、丁度好い年頃のお光さんを嫁に迎えたいと考えている。息子の意思は二の次である。この母の思考は、いわば前近代である。

 一方、三四郎は、「頭の中は日本より広い」と自覚する近代人として羽ばたこうとしている。

 その前に現れたのが美禰子である。

 美禰子は、三四郎が今までに出会ったことのない女性だった。

 これまでの三四郎の頭の中にあった女性は、男に遠慮し、伏し目がちに、慎み深く、或いは楚々として歩く女性であった。

 だが、美禰子ははっきりと自分を見返してくる。

 この場面、美禰子が何を感じ、どう思ったかは書かれていない。『三四郎』は美禰子の側からは、書かれていない。

 しかし、美禰子の側に立ってこのシーンを振り返れば、池の端にしゃがんだ青年がずっと自分に眼差しを向けていたのである。女の側からすれば、当然、意識し、気になる。それは不躾(ブシツケ)であり、無礼でもある。

 そういうとき、美禰子という女性はひるまない。自分を見続けた男の目を、一瞬、見返して、どういう青年かを見定めようとする。

 落として行った花一輪は、自分を凝視し続けた青年の不躾に対する「お返し」

 美禰子は、そういう女性として登場したと、私は考える。

 彼女は、前近代に対して、あえて言えば、自我に目覚めた女性である。

 もちろん、漱石にとって、前近代が古くて遅れており、近代が新しくて立派であるということではない。

     ★

  今回、読み返して、この池のほとりの出会いのシーンを二人が回想する場面が、このあと3回もあることに気づいた。そこから、少しは美禰子の心理も読みとれるかもしれない。

 (続く)

 

 

 

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