一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

サヨナラ、ワインサロン(後編)・お幸せに…

2011-09-15 00:03:19 | LPSA木曜ワインサロン
船戸陽子女流二段は△3四歩と指した。私は▲2六歩。彼女は△4四歩。
船戸女流二段の結婚のコメントを読んでからというもの、私は「穴熊」と「棒銀」に過剰な反応を示すようになってしまった。ちょっと、どちらも見るのがつらい。新郎新婦の独身時代の「攻防」を想像して、将棋が指せなくなってしまうのだ。
穴熊も棒銀も、自分が指さなければいいが、相手がそれを目指してきた場合は、防ぎようがない。
私が居飛車を明示したので、船戸女流二段の居飛車穴熊は消えた。だがまだ、振り飛車穴熊と棒銀の線は残っている。
▲4八銀△4二銀▲5六歩△5四歩▲6八玉。
ここ▲6八玉で▲6八銀の矢倉志向なら、船戸女流二段はそれを咎めて中飛車に振りそうな気がした。船戸女流二段の中飛車と穴熊はワンセットだ。そうなってはたまらない。
▲6八玉は、私が二段玉に構えれば、船戸女流二段が居飛車にすると考えた。
しかし船戸女流二段は、△4三銀~△3二金と、まだ態度を明らかにしない。
▲5八金右に△1四歩。15手目▲6八銀。これに船戸女流二段が△6二銀と上がったので、やっと穴熊の線が消えた。
しかし…自分の構想より、相手の手を限定させることに神経を遣うとは、何をやっているのだろう。
続く▲3六歩に船戸女流二段が△5三銀と上がったので、これで棒銀もなくなった。私は安堵の息を吐く。
雁木――船戸女流二段の十八番だ。これこそふたりの、最後の対局にふさわしい。
しかし私は、深く頭を垂れたままだ。
目の前にあこがれの女流棋士がいるのに、顔を上げられない。新婚の船戸女流二段を見ることが、どうしてもできない。私のうつろな目は自陣をさまよい、船戸女流二段のワンピースすら、目に入らなかった。
彼女は、どこを見ているのだろう。盤上か、私か。私を見ているなら、それは蔑みの眼なのか。

私を誘えなかった、情けない男――。

私は一口、ワインを飲む。緊張と絶望で、全然味が分からなかった。
と、船戸女流二段が席を立ち、ホワイトボードに何かを書いた。このとき初めて、私は船戸女流二段の全身を見た。その後ろ姿が、まぶしかった。
あれはいつのワインサロンだったか。このブログに「私は船戸女流二段のミニスカートを覗いた」と書いたら、ある棋友から「あれは書きすぎじゃない?」と意見された。
どうも世間ではこの話が拡がって、私が犯罪者になっていたらしい。
だが私が、神聖な船戸女流二段のスカートを覗くわけがないじゃないか。
もし疑うなら、一度ワインサロンに参加してみればよい。対局者が座っていても、覗くのが角度的に無理なのは、誰でも分かるはずだから――。
きょうの船戸女流二段も、スリムだった。しかしあまりにも、スリムになってしまった。
どうしてここまでスリムになる必要があるのだろう。少なくとも私の知っている船戸女流二段は、こんなにスリムではなかった。もっと、健康的だった。いったい彼女に、どういう心境の変化があったのか――。
しかし私には、何も言う権利はない。仮に言ったところで、大きなお世話です、と非難されるだけだ。

「きょうのワインは、『塩尻桔梗ヶ原』の2010年です」
彼女が振り向いて、言った。
「はい」
私は棋譜ノートの余白に、「塩尻 桔梗ヶ原 2010」と書く。
しかしそれ以上の説明はなかった。これから客が来た際に、改めて講義を行うのだろう。
船戸女流二段が、ケータイからどこかに電話をして、また私の前に座った。私はまた、目を伏せる。
私はケータイを持っていない。いつだったか、船戸女流二段に強く勧められたことがあった。しかし私は、頑としてケータイを買わなかった。
もしあのとき買っていれば、船戸女流二段とメールのやり取りができたのだろうか。電話が来たのだろうか。それができたら、ふたりは親密な仲になれたのだろうか――。
今年のバレンタインデーのこと。船戸女流二段が、私にチョコレートをくれそうな雰囲気があった。しかし船戸女流二段は当日、マンデーレッスンSは休みだった。
そこで私は、当日ゲスト講師だった中倉宏美女流二段に、北海道土産を渡すことを優先させた。
しかし私は船戸女流二段のことが好きだったのだから、なりふりなり構わず、チョコをもらいに行くべきだったと、いまでは思う。そうなれば…。
しかしどれもこれも、局後の感想戦でしかない。とにかく私は、何もしなかったのだ。自分を呪いたいくらい、何もしなかったのだ。
将棋は中盤戦に入った。いつものふたりなら軽口のひとつも出るところだ。しかし船戸女流二段も私も、一言も発しない。それはまるで、最後の対局の荘厳な儀式を行っているかのようだった。
息が苦しくなってきた。私はうつむいたまま、細かい息を吐く。いままでのさまざまな後悔がまじった、情けないため息だ。しかし船戸女流二段の様子に、変化はない。淡々と、指し手を進めている感じだった。
投了したかった。でも、指さなければいけない。それが船戸女流二段へのエチケットでもある。
97手目、私は飛車で歩を払う。これで私が有利になったと思った。ところがその直後に、銀による飛車取りが飛んできた。1秒も考えなかった手だ。
一目、飛車が逃げれば何でもないと思った。だが読んでいくうちに、上手に存分に捌かれてしまうことが分かった。
もう、ダメだ。こんな状態では、とても指すことができない。限界だった。
「負けました」
ついに私は投了した。
「えーっ!?」
と船戸女流二段。いままでも私の早投げは何度かあり、そのたびに船戸女流二段は頓狂な声を上げた。その声を、最後の対局で聞くことになろうとは…。
「ちょっとこれ以上は…」
私はうなだれながら言った。
「じゃあ、もう1局指しましょう」
「いえいえ、それは…もう…勘弁して、ください」
船戸女流二段のありがたい申し出に、私は歪んだ顔で手を振り、それを拒んだ。お情けの2局目を行ったら、泣きだしてしまいそうだったからだ。
船戸女流二段も強くは言わず、そのまま席を立った。感想戦をやる雰囲気ではなかった。
けっきょく、ほかに客は来なかった。しかし、私がここにいる意味もない。ここにいたって、話すことなどないからだ。本当はいっぱい話したいのに。もっと彼女の声を聞きたいのに…。そしてそのチャンスは、いままでだって、いくらでもあったのだ。しかし私は、何もしなかった。
私はワインを一口含むと、これで失礼します、と言って、席を立った。ワインは2口しか楽しまなかった。もう、胃が受けつけなかった。ワインを残してしまい、船戸女流二段に申し訳ないと思う。私は最後まで、出来の悪い生徒だった。
ときに午後7時28分。ワインサロンは9時までだから、あまりにも早い退室だ。
しかし船戸女流二段も、それを予期していたかのように、はい、と答えただけだった。
ドアの近くまで行く。振り返って、お幸せに、と言いたかった。しかし、言えなかった。私は無言で深々と頭を下げると、顔を歪ませ、部屋を出たのだった。

「――私、何年後かに沖縄でワインバーを開くのが夢なんです」
昨年4月のある夜、船戸女流二段が私にそう言った。
「沖縄のどこかの小さな島で、ワインバーを開くの。ちょっと将棋が強い女の人がワインバーをやってるよって、近所の噂になって。それってちょっといいと思わない?」
彼女は人生を達観したような、崇高な表情で、そう語った。
私は何も答えることができなかった。私にとって船戸陽子は女流棋士であり、ソムリエではない。彼女が東京からいなくなることが、考えられなかったからだ。ただひとつだけ分かったことは、彼女は私を見ていない、ということだった。
私は沖縄には行けない。それまで船戸女流二段との結婚を夢見ていた私は、このとき、彼女とは結ばれない運命であることを悟った。私の目から、涙がこぼれ落ちた。
私はいつも、船戸女流二段を見ていた。女流棋士を続けてほしいと願っていた。
LPSAや日本将棋連盟のホームページで彼女の対局がついていると、ああよかった、彼女はまだ将棋を続けてくれていると、心からうれしく思った。
私にはいま、彼女を憎む気持ちがある。彼女に非はまったくないのに、彼女の不幸を望む自分がいる。そんな自分の狭量が情けなく、悲しい。
船戸女流二段には、こんなバカな男の期待を裏切って、幸せになってほしい。対局も、いっぱいいっぱい勝ってほしい。日本将棋連盟のホームページに、船戸女流二段の昇段マジックが掲載されたとき、彼女は、これでハリが出ます、と言った。これからは、私がLPSAのホームページを見るのがイヤになるくらい、勝ちまくってほしい。
そして、いまの主人に巡り会えて本当によかった。私はとても幸せ。こうキッパリと言い切れるくらい、世界一幸せになってほしい。

船戸陽子先生には、この3年余り、本当にお世話になりました。
船戸陽子先生との対局は、本当に楽しかった。他愛ないおしゃべりも、本当に楽しかった。そして船戸陽子先生は、本当に綺麗だった。何人も寄せつけないくらいに気高く、凄絶なまでに、美しかった。
船戸陽子先生のことは、一生忘れない。本当に、ありがとうございました。

最後に、今回のワインサロンで指された、船戸女流二段との指導対局の棋譜を載せておく。
読者の中で、もし時間のある方がおられたら、悲しみと絶望の中で指した私の将棋を並べてほしい。そしてその指し手の中から、私の気持ちのいくらかでも感じ取っていただければ、幸いに思う。

▲7六歩△3四歩▲2六歩△4四歩▲4八銀△4二銀▲5六歩△5四歩▲6八玉△4三銀▲7八玉△3二金▲5八金右△1四歩▲6八銀△6二銀▲3六歩△5三銀▲5七銀左△7四歩
▲6八金上△7二飛▲6六歩△7五歩▲同歩△同飛▲6九玉△4一王▲6七金右△5二金▲6五歩△7一飛▲6六銀△6一飛▲7六金△3一王▲5七銀上△4二金右▲6七金△4五歩
▲2五歩△6四歩▲同歩△同銀▲6五歩△7五歩▲6四歩△7六歩▲6五銀打△5三金▲7六銀△6四飛▲6五歩△6一飛▲7八玉△7一飛▲7五歩△9四歩▲2四歩△同歩
▲同飛△2三歩▲2八飛△9五歩▲7七角△8四歩▲8六角△4二金打▲5九角△4四金▲3七角△5五歩▲同歩△3五歩▲同歩△3六歩▲5九角△5五金▲5六歩△6六金
▲同銀△6一飛▲2四歩△同歩▲同飛△6四歩▲同歩△2三歩▲2六飛△4六歩▲同歩△6四飛▲6五歩△2四飛▲2五歩△5四飛▲3六飛△4七銀
まで、98手で船戸女流二段の勝ち。

船戸陽子女流二段との指導対局・対戦成績(2008年5月31日~2011年9月1日)
・平手 下手26勝28敗
・香落ち 下手4勝2敗
・角落ち 下手1勝0敗
・10秒将棋(平手) 下手1勝2敗

(完)



このあと私は、錦糸町の風俗に行った。とてもこのまま、真っ直ぐ帰る気にはなれなかったからだ。
しかしこんな心境では、勃つべきものも、勃たない。
けっきょく、何も、出なかった。
(これが本当の、完)
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6 コメント

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新しい囲いを考える (ソフトなソープリ)
2011-09-15 00:34:34
_______歩_
_歩歩_歩_歩銀_
歩銀馬歩_歩__歩
香銀金____飛_
玉桂金____桂香

馬付き4枚穴熊+棒銀の船戸囲い、これ最強。
銀が一枚多い?
知るか馬鹿野郎!

他人事なのに、そして結末を知ってる小説なのに目から汗が止まらないのは季節外れの花粉症のせいかな。

頑張れ、大沢一公!
働け、大沢一公!
返信する
お疲れ様 (洋志)
2011-09-15 10:23:36
 小説は「完」。現実は続く。
返信する
この小説はせつねえなあ (まるしお)
2011-09-15 18:06:10
 一篇の悲恋小説を読み終え、久しぶりに浜田省吾の「片想い」という曲を聴いています。

http://www.youtube.com/watch?v=iXaQHkxDYYU

あの人の微笑み
優しさだけだと知っていたのに
それだけでいいはずなのに
愛を求めた
片想い
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いい恋をしたんだから ()
2011-09-15 20:08:43
モノを書く人はいい失恋をするとさらにいいものが書ける。 

今回もいいものが書けましたね。
(ただし、錦糸町のくだりは、いらなかった。)

どんどん、恋して、どんどん振られなさい。

そのうち、まちがって、幸せになっちゃうかも。

返信する
3日間お疲れさまです (名無し)
2011-09-15 21:05:36
失恋によって失うのは恋心だけ。
愛は失わなくてもいい。たとえ彼女が他の男と付き合って結婚して子供ができても、彼女は彼女のまま。
友達のように、親友のように愛することはできる。
たとえ恋することはできなくなったとしてもね。

…という言葉を見たことがありますが、実際そんなに割り切れないですよね。
ただ、相手もこれが最後だと感じていたと思いますよ。だから、何も言わなかった。結婚のこともあなたへ伝えたかった言葉も。
それはある意味最大限の思いやりであり優しさです。
逃げずに最後にけじめをつけに行ったあなたもですが、それを逃げずに変わらずに迎えた相手も立派です。
そんな人に出会って、好きになって、あなたは本当に良かったと思いますよ。
夜はいつか明けます。それまで足元を見ながら一歩一歩進んで下さい。
ttp://music.yahoo.co.jp/lyrics/dtl/KAA051596/AAA143846/
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感謝 (一公)
2011-09-16 00:22:40
>ソフトなソープリさん
ぶっきらぼうながら、温かみのあるコメントをありがとうございます。心に沁みました。
馬付き四枚穴熊を「船戸囲い」と呼びましょう。ソフトなソープリさんの命名です。

>洋志さん
現実逃避したくなりました。

>まるしおさん
これはいい歌詞ですね。でも、いまの私には辛すぎます。いつか聴けるといいな。

>と さん
失恋してまでいい文章を書こうとは思いません。ヘタクソな文章でも、恋愛は成就したほうがいいです。
人生で幸せと不幸せの量が同じならば、そろそろ幸せが来ると思います。それを信じます。

>名無しさん
私は彼女に対して、アマ10級でした。やってることが、てんで幼稚でした。いままでは、誘わないのがエチケットだと思っていた。でも、誘うのがエチケットだということが分かりました。
気づくのが、かなり遅かったです。
とにかく彼女には、本当に感謝しています。

私にも、夜が明けるといいな。明けるのかな。
名無しさんオススメの歌も、いい歌詞でした。
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