一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

ゼニの取れる文章

2013-09-13 00:30:44 | 将棋雑考
以前、将棋ペンクラブで、よりよい「将棋ペン倶楽部」を作るにはどうすればいいか、というアンケートがあった。その回答は後に会報に掲載されたのだが、その中で、ある作家が
「投稿者はアマチュアなのだから、会に掲載料を払うべきだ」
というような意見を述べていた。
投稿者のひとりとして、これは耳の痛い意見であった。ただ、「プロとアマの違い」について、私は
「同じことをしても、プロはおカネをもらい、アマはおカネを払う」
という考えは持っていた。
すなわち、プロとアマが将棋を指せば、アマがおカネを払い、プロがおカネをもらう。
プロが野球をすればおカネをもらい、アマが野球をすれば球場使用料でおカネを払う。ゴルフ等も然りだ。
モデルさんを写真撮影すれば、プロカメラマンはおカネをもらうが、アマカメラマンはおカネを払うのである。
その伝でいけば、アマが同人誌に投稿するなら、手数料としておカネを払う、という考えも一理あると思った。
だがその一方で、「将棋ペン倶楽部」は会員からの投稿で成り立っているのも事実だった。おカネを出して原稿を載せてもらうくらいなら、投稿などしない、という会員ばかりになったら、会報の発行自体が危うくなってしまう。やはり会員からの投稿は必要なのだ。
それに会員の投稿は、原稿料が一切出ない。これは棋士が書こうが観戦記者が書こうが、そうである。どんなにおもしろい記事を書いても、見返りは「掲載誌2冊」のみ。アマが原稿料で潤うことなどないのである。
さらに書けば、会員だって原稿を書く際、膨大な時間を費やしている。私の場合は、文章がヘタクソだから、(パソコン上で)書いては消し、書いては消しの繰り返しだ。結果〆切日も過ぎ、編集部に原稿を待ってもらい、心身共にクタクタになって、ようやっと原稿を送信するのである。アマだって、それなりに努力はしているのだ。
とはいえ、アマの原稿を編集部が無料で手直ししてくれるわけだから、御礼はしなければならない。それで私は、ペンクラブ大賞基金に、毎年1万円を寄付しているのだ。

では、そのおカネの取れる作家の書く将棋記事は、どうなのだろう。
誰でも思いつくものに、観戦記がある。古くは坂口安吾、近くでは山口瞳や斎藤榮、原田康子などなどなど。いずれも名稿を世に残している。
そんな今年の3月、第2回電王戦において、夢枕獏が、観戦記を披露してくれることになった。担当は第1局の「阿部光瑠四段VS習甦」と、最終第5局の「三浦弘行九段VS GPS将棋」で、豪華2本立てである。
注目の第1局をワクワクしながら読むと、冒頭で米長邦雄永世棋聖の話が出てきて、面喰らった。
夢枕獏は、氏の著「われ敗れたり」を読んで、感激のあまり泣いてしまい、普通の観戦記が書けなくなってしまったというのである。
何も観戦記を書く段になって「われ敗れたり」を読まなくてもと思うのだが、いやまあ、それはそれでいいのだが、そういう楽屋落ちというか裏話的なものを、観戦記に書かなくてもいいのではと思うのだ。
まあしかし、自身が「おれは書くことのプロだよ」と自信をのぞかせていたから、以降は相当おもしろいものを書いてくれるのだろうと、私は期待を寄せたのである。ところが…。
観戦記は米長永世棋聖の話が続く。夢枕獏も、「とりとめのない話が続くが…」と断っているから承知の上なのだろうが、これが本局と何の関係があるのだろう。
続いて何とかいう自著の話になり、いよいよ私は、何がなんだか分からなくなってきた。
待てよ、と思う。アマの即席観戦記者は将棋をじっくり観戦し、対局者の息吹を少しでも正確に読者に伝えようとする。しかしプロの作家は、そんな瑣末なことは考えないのではないか。観戦した将棋からイマジネーションを最大に膨らませて、作家独自のワールドを展開するのだ。そんなふうに、好意的に考えた。
本文は続く。以下もプロレスの話が出たり、サッカーの話が出たり、筆者がいったん眠ってみたり、文体が変わったり、もうメチャクチャである。
私はプロ作家の本領を何とか理解しようと務めるのだが、どうやっても無理。我が頭のアホの哀しさ、この文の良さがまったく分からないのだ。ただ、この文章はとても私には書けない、ということだけは分かった。さすがはプロの観戦記と、結局私は恐れ入ったのである。

続いて第5局。今度は凡人にも理解できる「ふつう」の観戦記を書いてくれるだろうと、私は期待した。ところが…。
冒頭に、過去4局の対戦結果が記されたが、これ、誰でも知っていることである。第1局も同じパターンだったが、なんか、無理に字数を稼いでいる気がして、あまり好感は持てなかった。
さらに違和感を覚えたのが「神々の戦い」という記述である。まあたしかに三浦九段は、七冠王の羽生善治を倒した強豪ではあるけれども、「神」ほどの棋力でないと思う。ちょっと崇めすぎではないか。
さらに不可解なのがアマ強豪・小池重明の登場で、なぜ彼が出てきたのかよく分からない。
ところで私は社会科が大の苦手で、高校の「政治経済」のレポートなどは、筆が進まなくて難儀したものだった。それでも何とか升目を埋めようと、政治経済とは微妙に話題をズラし、当たり障りのない文章で行数を稼いだのである。
プロの作家にこんなことをいうのはアレだが、ちょっと第1局にも第5局にも、同じニオイを感じてしまったのである。
危惧したとおり、以下も小池重明の話が延々と続く。「プロより強いアマチュア」なんて書いているが、そんなアマチュアはいません、と訝りながら先に進む。
以後も、なぜか第4局の感想なんかが出てきたりして、第5局のほうはどうなっているんだ、と疑問を抱く有様であった。
そして気が付けば、総論のような形で、観戦記は終わっていた。……。もはや、呆気に取られるしかない。
そうか…。これがおカネの取れるプロの記事なんですね。これでおカネがもらえるとは、なんて素晴らしいシステムなんだろう。羨ましい!
…しかしこの程度なら、「将棋ペン倶楽部」において、無償で書かれた投稿のほうがはるかにおもしろい…と思うのはバチ当たりで、私の見方が浅いということなのだろう。おのが読解力、まだまだである。
とにかく将棋も文章も、奥が深い。それが分かったことが、これらの観戦記を読んだ、唯一の収穫であった。
コメント (5)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 沖縄旅行2013・6「不満あり」 | トップ | 将棋ペン倶楽部 2013年秋 ... »

5 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
クソ (まるしお)
2013-09-13 05:54:28
 夢枕獏のあの文はクソです。

 将棋ファンを馬鹿にするにも程がある。

 夢枕獏は全将棋ファンに謝罪し、原稿料を返却すべきである。
返信する
恥さらしの駄文 (洋志)
2013-09-13 12:16:40
 獏チャンのあの文章は、金を貰ってもヨム気がしない文章でした。校正者は大変気の毒に思いました。
獏チャンの 『陰陽師』シリーズは、好きだったが、とても同一人が書いた文章とは思えなかった。
 いや、文章などといっては、星の数ほどいる文筆家に申し訳ないくらい。単語の羅列、紙の浪費。
 
 獏チャンは、将棋界に何か恨みがあって、わざと「駄駄駄文」を編集部に送りつけたのか。

 洋志の「一縷の望み」は、上記解釈のみ。
返信する
自己満足(笑) (瀬戸のひしお。)
2013-09-14 01:33:37
多分ご本人はご満足で将棋関係以外のファンもご満足なのではないですか?。
返信する
願いはひとつ (ハブスター)
2013-09-14 13:20:12
「読者の為に書くのがプロ、自分の為に書くのがアマ」という故・吉村達也氏の著書の一節を思い出しました。
こうやって毎日のように地道にブログをアップされている大沢一公さんも十分銭の取れる文章です。
だから休止とか悲しい事は言わず、せめて週1でも月1でもいいので継続して下さい!
返信する
非難はタブー (一公)
2013-09-14 20:51:51
>まるしおさん
プロ棋士の指した悪手を私が非難すると、烈火のごとく怒る人がいるんです。アマチュア(ヘボ)のくせして、プロの将棋を語るな、とこういうことらしいんですね。
ではプロの作家の文章を私たちがけなした場合はどうなんでしょうか。同じ理屈で、やっぱりダメなんでしょうね。

>洋志さん
第1局の第3回は、獏ワールドの白眉でしたね。
あそこまでヒドイ文章に見える文章はなかなか書けません。さすがにプロの作家の所業でした。

>瀬戸のひしお。さん
おお! そういう見方もありましたか。
将棋に興味のない方がこれを読んで、将棋に興味を持ってくれたらいいですね。

>ハブスターさん
ほう…吉村昭がそんなことを書いてましたか。
でも、私の駄文ではゼニは取れませんネ。
10月以降のことは正直、どうしていいか分からなくなってきました。
返信する

コメントを投稿