林芙美子の「一九三二年の日記」を読んでいた。林芙美子のパリ滞在日記だ。
しばしば、「支那めしを食う」とある。 例えば;
四月二十三日(土曜日 samedi)
白井、大屋とともに支那めしに歩いて行く。
食べあきたのだが金がないので仕方もない。
とある。(なお、ここで白井とは、白井晟一 (wiki)である。林芙美子@人妻の恋人と目されている)
文脈からみて、支那めしは富裕時に食するものではなさそうだ。
林芙美子が、金が欲しいと唸っていたパリ時代。やはり、「支那めし」とは困窮の記号なのであろう。
そして、この林芙美子の「一九三二年の日記」の「支那めし」をみて、おいらの頭の中では、中村あゆみの「翼の折れたエンジェル」が鳴る(YouTube; 中村あゆみ,「翼の折れたエンジェル」)。
~♪~ チャイニーズ・ライスを食って 生きてくふたりの夢を 誰もがいつだって 笑いとばした ~♪~
やっぱり、「支那めし」=チャイニーズ・ライス( google画像)って、カネはないが夢だけはある若い二人が甘受すべき困窮の象徴なのだろうと思った。
でも、おかしいな。
おいらなら、毎日、「支那めし」=チャイニーズ・ライスでOKさ。 うれしいよ。
おいらの「支那めし」好みはともかく、本題に戻って、林芙美子問題。
本件はお金以前に、問題がある。 姦通じゃないか。
■ なので、中村あゆみのチャイニーズ・ライスって具体的になんだろう?とググってみた。
そしてわかったよ;
~♪~ チャイニーズ・ダイスをふって 生きてくふたりの夢を 誰もがいつだって 笑いとばした ~♪~
だって(歌詞)。 チャイニーズ・ダイス (google 画像)。
チャイニーズ・ライス(「支那めし」)じゃなくて、チャイニーズ・ダイス = 支那賽子なんだよ。
30年間、ずーっと、勘違いしていたのだ。 なお、この勘違いは前例があり、凡庸なまつがいであったことも間抜けだ。