--皆中合したように私の部屋に大勢同行の人々が参りまして、皆泣いて居りました。こんな依怙贔屓(えこひいき)をされてはこの末とてもどのようなことをされるか分らぬ(略)とか、色々に申しまして、畳に顔を付けて泣いて居りますと、(略)実は皆繰場に参りたいと存じまして、先日高木様に伺いましたら、山口県の方が御入場次第出してやると御申聞けでありましたから、一心不乱に精を出して居りましたところ、山口県の方は一日も繭えりをなさらずに直に糸とりにお出しになりました。あまり残念に存じまして一同泣いて居る所で御座いますと、恥かしいことや何かに気も付かずに申しますと、井原様もよほどお困りの御様子--
和田英 、『富岡日記』山口県工女の入場と我々の失望
旧富岡製糸場操糸場にて。もちろん和田英の画像
■例えば、秀吉とおねの結婚の儀礼が足軽長屋でむしろをひいて質素に(貧相に?)行われたことは現在の通俗劇に不可欠な場面であるが、その根拠はおねが晩年、高台院として落飾しての隠居生活で侍女に語ったことをその侍女が伝え今日のわれわれが知ることができるのである。
■はたまた、政宗の小田原参陣で、秀吉から政宗の首を指揮棒でつつかれたか、叩かれたかした時、つまり、これまた現在の通俗劇に不可欠なあの場面において、まるで熱湯を首にかけられたような感じを政宗はしたと現在のわれわれは知ることが出来るのであるが、これまたこれも政宗が晩年に小姓に語ったことの伝聞なのである。
だから、あまたある政宗伝でこの場面について、「熱湯を首にかけられたような感じを政宗はした」と書く作家はただ政宗自身の供述を引き写しているだけなのである。逆にいうと、政宗は人生を芝居にした上でさらには晩年には注釈をつけてくれたというべきか。
●さて本題。われらが大日本帝国政府は鉄砲や大砲や軍艦なぞを外国から買うために外貨獲得が喫緊の解決すべき政治問題となった。解決策;欧米の生産技術を導入して生糸を生産し輸出する。策の実行;生糸生産モデル工場を作った。群馬県富岡製糸工場。
●官営の工場であるから公文書は、そこの解説の人の話によれば、トラック1杯分もあるそうであるが、われら庶民が読んで楽しいのは、和田英の『富岡日記』である。
現在版元絶版ではあるがネットにテキストあり。なぜか、あの山形活生センセのサイト。http://cruel.org/books/tomioka/tomioka.html
さらには「現代語訳」の優れものもあり;
http://www.geocities.jp/ipstudy/yokota-ei1.html
●冒頭の引用は、長野は松代の出の英が、糸とり(操糸)という花形工程に先立ち繭とりというマイナーな工程をさんざんやらされ、それも長州からの新入りが来れば、長州勢に繭とりをやらせて、英たち長野組は花形の糸とりをやらせてもらえるという約束であったのに、鐘や太鼓でやってきた長州勢は来てすぐ花形の仕事を始めたことへの憤りの表現である。
この表現は当時に書かれたものではなく、約30年後に英が語ったもの。それが現在『富岡日記』としてわれわれが読める。大日本帝国を捏造した長州閥が優遇されるのは当然だと、現在からは思えるであるが、英は素朴に依怙贔屓はいけないという点に立脚して、憤っているのである。その憤り純粋さを見よ! ないーぶなろまんちすと!
▲英の長州閥とのは続く! 『盆踊り事件』!
英の長野組と長州閥の闘いの第二ラウンドは『2)盆踊りボイコット事件』詳細は下記の優れた「現代語訳」を読んでくだされ。時に英さん、15-16歳である。泣いたり、憤ったりする姿が直裁に語られている。
http://www.geocities.jp/ipstudy/yokota-ei6.html
■さて、そんな長州閥と英さんは、残念なことに、佐幕タン ではないのだ。もちろん、御武家様なのではあるが、松代は勤皇の藩。信州松代は六文銭を家紋とするあの真田家が領主。10万石。幕末の藩主、真田幸友は、実に、伊達宗城の子。宇和島伊達家は幕末薩摩との政治同盟を深め幕府体制の改革を目指す。ただ、西郷・木戸の路線には乗れず。
話はそれるが、真田は豊臣家滅亡前に兄弟を豊臣と徳川の両方に臣従させるという、今の華僑みたいことをした。松代真田は徳川についた家系。
(どうでもいいことだが、真田幸村は大阪の陣で豊臣武将として討ち死にするが、その娘は、なぜかしら、仙台伊達家の家臣筆頭の片倉の居城、白石城に落ち延び、片倉小十郎重綱の本妻没したあと、結婚した、というのは竹雀マニア中級レベルのトリビアである。)
■英さんが信州は松代から「歩いて」富岡へ行ったのは明治5年。これはわれらが柴五郎が、会津が集団「流刑」させられた、青森から歩いて東京に行った年である。御武家さまの子弟(当時の日本の最選良であろう)が日帝兵士や女工になり、(『二十四の瞳』の原型!)『富国強兵』を支える時代の始まりである。
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