いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

長面侍従長

2006年12月09日 12時40分56秒 | 日本事情

宮中の様子、いかが御座候や伺いたく、長面小松へ説かれ止めたり。かつ、芋長などは建白書さし出し候よし。僕へも沙汰なく候。
             慶応3年、山内豊信の松平慶永への手紙





冒頭の手紙の、長面こそ伊達宗城のこと。芋長は島津久光のこと。薩摩だからいもということらしい。(ネタ本『王政復古』井上勲)

■最近おいらが、下記ブログで知って、ユーレカ!、というか、まんまじゃねーか!というか、ビンゴ!というか腑に落ちて、すっかりにこにこしてしまったことは、入江相政(元)侍従長が伊達宗城の孫だか玄孫だということ。

■このブログのブックマーク先2ブログで最近次々と言及されている。

リンク切れ 1.やまとこころ  「柳原二位局さまのこと」

2.Feel in my bones   「江戸趣味のお公家さん/スパニッシュロック? 」

■おいらが、がきんちょの頃は、入江侍従長が宮中情宣局長として最盛期の時代。テレビの前で正座して入江侍従長のお話を熱心に聞いたものだ。でも、あまりに熱心だったので、話された内容は今じゃなんにも覚えていやしない。 入江侍従長、隠れ竹雀。 恐るべし政宗。


伊達宗城:だてむねなり 写真左
入江相政:いりえすけまさ 写真右



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