5/5の記事( my sentimental journey; 虫瞰・鳥瞰 仙台2013 ) で、最近仙台の澱橋-広瀬町-木町通り界隈で失われた建物について書いた。そのとき、太白飴本舗の画像などが自分の手元になく、ネット上で他人の画像をパクッてしまった。そして、今日気づいたよ。googleの公知情報を使えばよいのだと。さらに、時間差効果のおかげで、最近失われた建物はその画像がストリートビューに残っている。
拾ったさ、googleのストリートビューから。ありがとう、ペグマン。初めて使ったよ。今更ながら。すごいよ、ペグマン。
子供の頃、大人から、夜空の星を見つめて、「いか@よ!、今輝いているあの星だって、今・現在輝いているかはわからないんだよ。今・現在は、あの星は消滅しているかもしれんだよ。ただ、昔放った光が今こうしてこの地球に届いているだけなんだよ。」と言われた。この大人が何を言っているのかわけがわからなかったが、おいらは、とても震撼した。
元祖、おまえはすでに死んでいる!だ。
そして、今・現在、おいらのパソコンに写っている「太白飴本舗」は、木端微塵で、かの地にはないのだ。
▼ 太白飴本舗
▼ 木町通りの「鈴木二郎商店」も、木端微塵で、かの地にはないのだ。
ありがとう! ペグマン!
● もっとも、誕生前の事情もペグマンは語ってくれるのだ。
昼飯を食ったのは、仙台・大町 仏華料理屋「Chez harmonie」だ。
(大町&木町通りの少し東へ入ったところ)
最近できたらしい。
今日、ペグマンに連れて行ってもらった。 2011年に;
さて、この 仏華料理屋「シェ・アルモニ」で、流れていた音楽。 ボサノバ。 ただし、フランス語。 その女性ボーカルはイザベル・アンテナを思わせる。 もっとも、フランス語。 四半世紀前、おいらの聞いていたイザベル・アンテナは、英語で唄っていた。
これ、誰? <荊(いばら)の簪(かんざし)を刺した御方>に尋ねる。
「クレモンティーヌ」、と即答。
初耳、クレモンティーヌ!。「クレモンティーヌって誰?」とおいら。目をひんむき驚く <荊(いばら)の簪(かんざし)を刺した御方>。
「クレモンティーヌ知らないの????!!!!!」。
おいら。 知らない.....
四半世紀あまり前の昭和末期、仙台にやって来たおいらは、ボサノバが好きだった。イザベル・アンテナも大好きだった。
当時もっていたCDは全部で10枚程度だろう。それとわずかの本がおいらの全財産だったのだ。 イザベル・アンテナ、 EN CAVALE。 よく、聴いていた。(このすぐ後、われらがぬっぽんでは、小野リサがデビュー。おいらは、新作CD3-4枚分はおつきあいした。その後は、おいらは「自己下放」。ボサノバどころではなくなった。)
そして、仙台の街を散歩した。
而して、四半世紀後、21世紀初頭。
ググった。 クレモンティーヌなるフランス人ボサノバボーカリスト(@しかもぬっぽんのアニメソングをボサノバで唄う)がおいらよりも結構年上で、しかも、イザベル・アンテナと同世代としる。そして、イザベル・アンテナがおフランス人だって今日、知った。
恐るべし、蒙童なおいら!
なぜ、イザベル・アンテナがおフランス人だって知らなかったかというと、四半世紀あまり前、1)買ったCDが輸入盤で解説が全くなかったこと、2)英語で唄っていたこと、3)英語で唄うボサノバボーカリストはブラジル人なんだろうと漠然と思っていたこと、4)おフランス人というのはおフランス語しか使わない(英語なんか使わない)という当時(今も?)流布していた伝説にとらわれていたこと、そして、5)何よりボーカリストの国籍なぞ気にしていなかったのだ。
「英語を学べばバカになる」というホントのバカが2005年におっしゃる20年前、しかも米ソ冷戦崩壊前、に「英語を学べばバカにな」ったのが、おフランス人のイザベル・アンテナなのだ。 グローバル思考という妄想! 冷戦前から、Ikea的、Zara的、そして、ユニクロ的「グローバル思考という妄想!」に憑りつかれていたのが、イザベル・アンテナなのだ。 もっとも、その嚆矢は、スウエーデンのアバに他ならない。
そして、「グローバル思考という妄想」のふるさとこそ、この木町通りなのだ。なぜなら、この通りは、シカゴアヴェニューだからだ(愚記事:シカゴアヴェニューと呼ばれた日)。
クレモンティーヌ/およげ!たいやきくん