いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

赤いビニールカバーと使徒、あるいは、林彪やユダ

2013年11月20日 19時34分32秒 | 中国出張/遊興/中国事情

― また、プラスチック加工工場で、『毛主席語録』の表紙も作った。毎日労働者たちと八時間の労働をして、何千何万冊にもなる『毛主席語録』を私たちの手で生産した。 ― (唐亜明、 『ビートルズを知らなかった紅衛兵』)

文化大革命のとき、毛沢東語録が流布したが、その赤い表紙の材料はビニールである。 塩化ビニールであろうと思われる。1960年代後半に中国で塩化ビニールがそんなに汎用品だったのだろうか?上記の唐亜明、 『ビートルズを知らなかった紅衛兵』の引用にあるプラスチックとはこの赤い表紙の重合系樹脂系のカバーのことに違いない。

おいらは、当時の毛沢東語録はもっていない。ただ、『毛主席哲学語録』と英語版の『毛主席語録』を上海の古本屋で買った(愚記事; 上海参り 2012)。たしかに、両方とも表紙はビニールである。

■ さて、文化大革命のとき、毛沢東語録という手のひらサイズの本を大量に生産して、流布させたのは林彪である。 使徒としての林彪。 もちろん、聖人は毛沢東さまである。

このYouTube [毛沢東の中国:大いなる実験 4 of 5(文化大革命1 1966-1967) ] の冒頭に毛沢東の著作生産現場が映し出されている。

 
   - 「聖書」制作現場 -

● 2013年秋、多量の「新品」である赤いビニールカバーと冊子本体をみた;

先月の北京参りで(愚記事; 北京参り2013)、骨董・ガラクタ市で、販売している店に多量の文革関連グッズが運び込まれるのを見た。

上記画像は毛沢東語録ではないが、毛沢東手帳みたいな表題が書いてあった。見た目は新品である。さらには、表紙の赤いビニールと本体の冊子が別々に多量にある。これは何だろう?

おいらは、どこか倉庫に忘れられて死蔵されていたものが、最近の経済成長にともなう建物の取り壊しなどで、発見され、日の目をみたのでないかと睨んでいる。

おそらく、今から45年前頃、林彪閣下の指示の元、大量生産された毛沢東関連著作群の一部なのだろう。


 -文革関連グッズが運び込まれた店-


文革関連グッズが運び込まれた店-  毛沢東の布ポスターの裏が在庫置き場

こう思いついた理由はまだある。骨董・ガラクタ市で、販売されている文革関連グッズには、人民解放軍の画報などが多かったのであるが、その多くが毛沢東と林彪のツーショット画像がメインなのである。

人民解放軍の画報は多量にあり、新品同様であった。大きい。A3サイズくらいの大きさか?

 [ 往年の「朝鮮画報」(今もあるのかな?)とか「今日のソ連邦」とかみたいの(← 知らねーよ)。 ]

つまりは、プロパガンダのために林彪が1970年直前に生産した毛沢東関連紙類の残存@しかも新品同様が、ガラクタ市場に流入しているのだ。

● 林彪

林彪は、毛沢東の使徒となり、毛沢東をよいしょして、毛沢東を神聖化することで、自分の権力基盤を強める戦略でがんばった。

他の使徒は、例えば、周恩来だ。 

 
 ―毛沢東語録を掲げる林彪と周恩来―

小平だって、実は毛沢東自身が一番愛したかもしれない使徒なのだ。小平への毛の愛とは、試練である。事実、小平は1989年に毛沢東の第一の使徒であったことを思う存分披露する(六四天安門事件)。

そして、林彪は毛沢東から後継者のお墨付きをもらったが、結局、反逆する。

毛沢東を暗殺しようとした林彪の息子、林立果は、「山本五十六」「ああ海軍」みて狂喜し「我々も連合艦隊であり、江田島精神を持たなければならない」と言ったとされる。 (google)。

林彪事件(りんぴょうじけん)は、1971年9月13日に発生した、中華人民共和国の林彪中国共産党副主席による、毛沢東主席暗殺未遂事件及びクーデター未遂、その後の亡命未遂事件。「9・13事件」とも呼ばれるwiki

   
「雨は降るものだし、娘は嫁に行くものだ。好きにさせればよい」

 
    ―林彪の嫁入り(google)―

■ それにしても、使徒で生き延びたのは、周恩来と小平くらいか?



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