いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

大きなものと小さなもの;たまねぎ編

2011年08月11日 20時13分53秒 | 草花野菜

大きなものと小さなもの:コクヨクリップ編に次ぐ、第二弾;

大きなものと小さなもの;たまねぎ@セシウムたっぷり。

震災から五カ月。

まさにあの震災当日の朝、すなわち「原子力発電は二酸化炭素を出しませんからね!クリーンなんですよ!クリーン!!!」と訴えていた木元教子さんは、あの日から、ぷっつりと消息を絶った。と思っていたのはおいらだけ。どっこい元気に生きていた。無事でなによりだ。

⇒ 評論家・木元教子 今、静かに原発の効用を考える。

なるほど、静けさは大切だ。おいらなぞ、放射線管理区域の基準に迫ろうとするほどの放射能を家の周りにばらまかれ、熱くなっている。ブログでぎゃーぎゃーわめきたてている。

こういうのはだめなんだな。冷静に、冷静に....、

何より感情的なぬんげんだ、おいらは。木元教子が出なくなったその生島ヒロシのラジオ番組では、生島ヒロシの故郷の 愚民党 自民党の議員が出演、言っていた;「放射能を浴びて、農畜産物を出荷できず、現金収入を断たれた農民。一方、東電や役人はボーナスをもらっている」。おいらが言ったんじゃないよ、 愚民党 自民党の小野寺議員だよ。ラジオ越しに聞くと、とても上品で誠実そうに感じられる御仁である。たぶん、おいらは、だまされているのであろう。

熱くなれ!「放射能を浴びて、農畜産物を出荷できず、現金収入を断たれた農民。一方、東電や役人はボーナスをもらっている」

全然自慢にならないけど、おいらは生まれて一度も、ボーナスというものをもらったことがねぇよ。もちろん、だからと言って、世を恨んでいるわけでもない。ボーナスと無縁なのは、これこそ、自己責任である。むしろ、ボーナスなぞと無縁だからこそ、安んじて世を呪うことができるんだと思う。でも、収入は大切だ。もっと大切なのはダーチャの野菜の生育だ。えさこそが最大の関心事だからだ。セシウムまみれでも、毎日食べている。ありがとう、東電さまの贈物 (野菜を)掘る身死す ホルミシス。

それにしても、上記リンクの木元の「正論」も、福島第一原発事故を繰りこんでいないヌルい論だ。ABCDE包囲網とか持ち出して原発推進を正当化するってのも、有馬大尊師と同じで、原発利用の動機の説明に留まる。

なにより、原子力発電はクリーンで環境に絶好!と訴えていたのに、この放射能まみれで多くの農民が汚染された田畑(でんぱた)を抱えて、絶望していることへの応答が全くない。どうしたんだ、クリーン木元!

本当に、原発利用を正当化したいのであれば、そのことは筋が通っていると思うが、なぜきちんと運用できなかったのか?なぜ、地震・津波に負けたのかを検討しないことにはどうしょうもない。もっと重要なのは津波・地震に負ける原発運用をしてきた「原子力村」の"田吾作性"の批判。そして、もんじゅをいつまでもたっても運用開始できない「原子力村」の技術開発能力の程度の低さ、"土人性"を詳細に分析、検討しない限り、だめなままである。宣伝・情宣ばっかりやっていてもだめなのだ。第一義には技術問題なのだから。ここで技術とは狭義の原子力技術と広義の運用能力、つまりは大臣以下の組織の作動技術を含む。今だに、この期に及んでも、電力会社は隠蔽など不正行為をやっている。

この両者の技術運用能力の低さでぬっぽんはまぬけだったので、今日の事態となっている。

つまりは、土人だってことだ。

もちろん、おいらも土人として、ダーチャで土にまみれて、がんばっている。ぬっぽん、マンセー!

 

 

 

 

 

 




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