お忙しい金曜日の夜に若手医師セミナーにご参加いただいた皆様ありがとうございました。
来月からは須藤先生の水・電解質シリーズです。
現場で最初に研修医が困るパターンをよく知っている熟練指導医におしえていただきましょう!
今日は寺澤先生のERパールズの2回目でした。
質問をいただいた分につきましては、本ブログで内容をフィードバックさせていただく予定です。少しお待ちください♪
今日は、休憩時間に教えていただいたお話を紹介させていただきます。
青木編集長も寺澤先生も沖縄県立中部病院の出身です。なぜその病院に就職をしたのかという話からはじまりました。
当時、現在のようなスーパーローテーションはなかった時代。「麻酔科と産婦人科とかもひととおりまわれるところがいいよねえ」、、と研修病院をさがした寺澤先生。当直でビビらない医者になりたかったのだそうです。
そんな会話を「麻雀しながら」していました。
当時スーパーローテーション教育をしていたのは、三井記念病院、虎の門病院。
麻雀仲間が「沖縄にもそんな病院があるらしい」ともってきた話が県立中部病院。
「そんな遠いところ・・・」と金沢大学の寺澤青年は気乗りしなかったそうです。
友人が、都内の病院の月給が6万円時代に沖縄は20万円くれる、といいます。
そしてこのご友人が一緒に受けようぜ、と書類をくれたそうです。
一度も見学にいかず、試験地は大阪。英語はHow are you? とHow many brothers do you have?まではわかったものの、3つめからの英語がよくわからないので天井を眺めていたそうです。(「やる気のない態度にうつったでしょうね・・・」)
後から知ったこの日の評点は、面接点C、英語点C。
ただ、当時の筆記試験はECFMGの抜粋問題が100問ありました。これが高得点だったそうです。(今はどんな試験かお二人ともしらないそうで)
その後、下宿先に電話が。
「キミは面接の態度が・・・だったらしいが。入る気はあるのかね!?」
「は、はい!あります」
そして沖縄での研修がはじまりました。
青木編集長がそこにあらわれるのはその3年後(^^)
下記の本は、寺澤先生が講義の中で紹介されていたお話のネタ本。
忙しくて、すり切れて、患者さんやご家族への態度がぞんざいになってしまいそうな自分に気づいたら、このような本で心のメンテナンス、いいかもしれませんね。
来月からは須藤先生の水・電解質シリーズです。
現場で最初に研修医が困るパターンをよく知っている熟練指導医におしえていただきましょう!
今日は寺澤先生のERパールズの2回目でした。
質問をいただいた分につきましては、本ブログで内容をフィードバックさせていただく予定です。少しお待ちください♪
今日は、休憩時間に教えていただいたお話を紹介させていただきます。
青木編集長も寺澤先生も沖縄県立中部病院の出身です。なぜその病院に就職をしたのかという話からはじまりました。
当時、現在のようなスーパーローテーションはなかった時代。「麻酔科と産婦人科とかもひととおりまわれるところがいいよねえ」、、と研修病院をさがした寺澤先生。当直でビビらない医者になりたかったのだそうです。
そんな会話を「麻雀しながら」していました。
当時スーパーローテーション教育をしていたのは、三井記念病院、虎の門病院。
麻雀仲間が「沖縄にもそんな病院があるらしい」ともってきた話が県立中部病院。
「そんな遠いところ・・・」と金沢大学の寺澤青年は気乗りしなかったそうです。
友人が、都内の病院の月給が6万円時代に沖縄は20万円くれる、といいます。
そしてこのご友人が一緒に受けようぜ、と書類をくれたそうです。
一度も見学にいかず、試験地は大阪。英語はHow are you? とHow many brothers do you have?まではわかったものの、3つめからの英語がよくわからないので天井を眺めていたそうです。(「やる気のない態度にうつったでしょうね・・・」)
後から知ったこの日の評点は、面接点C、英語点C。
ただ、当時の筆記試験はECFMGの抜粋問題が100問ありました。これが高得点だったそうです。(今はどんな試験かお二人ともしらないそうで)
その後、下宿先に電話が。
「キミは面接の態度が・・・だったらしいが。入る気はあるのかね!?」
「は、はい!あります」
そして沖縄での研修がはじまりました。
青木編集長がそこにあらわれるのはその3年後(^^)
下記の本は、寺澤先生が講義の中で紹介されていたお話のネタ本。
忙しくて、すり切れて、患者さんやご家族への態度がぞんざいになってしまいそうな自分に気づいたら、このような本で心のメンテナンス、いいかもしれませんね。
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ともすれば、研修医は覚える知識と技術の洪水に溺れて、心のゆとりをなくしており、心のゆとりをなくせば、命の瀬戸際やかけがえのない家族を失った遺族の気持ちに気づくゆとりもなくなる。何処まで寄り添えるか、寄り添うヒマも考えるヒマもなく、次の患者さんを診なければならない。そんな日々を送っていると思います。だから、このような講義の中で、知識や技術の話だけではなく、心の話、遺族の心の話をすることは、しかもそれが、救急医である先生から話されるのが、とても良かった!感激しました。
僕の四万十市の師匠も、『医者・役者・芸者』医者は医者の役割を演じる役者でなければならない、患者さんの心を軽く明るくする芸者でなければならない、と良くおっしゃっていました。師匠が言っていた言葉を思い出しながら聴講させていただいた、楽しい2時間半でした。
またよろしくお願いします。
同感です。
自分もかまぼこに泣きそうになり、座長席から何も言えないでいました。