7月のメディカル・ミステリーです。
A novelist’s labored speech signaled an unimaginable diagnosis
小説家のぎこちないしゃべり方は想像を絶する疾患の前兆だった
By Sandra G. Boodman,
最初、小説家の Cai Emmons(チャイ・エモンズ)さんは嚙み合わせに問題があると思った。
2019年12月、Emmons さんがカリフォルニア州 Sausalito(ソーサリト)の集まりで最新作の朗読を行っていた時、自身の声と話し方がいつもとは違っていることを敏感に察知した。「言葉の流れにちょっと欠落があり、リズムが悪かったのです」と彼女は思い起こす。しかしおかしいことに気づいた人は他には誰もいなかったようだった。
オレゴン州 Eugene(ユージン)に住む Emmons さんにとって、その異常は明らかだった。University of Oregon(オレゴン大学)で創作的著述を教えている自称 “big talker”(大ぼら吹き)の Emmons さんはしばしば朗読を行い、地元の演劇グループに深く関り、大学の女優をしていたこともあった。彼女は自分の声のどこが悪いのかを明らかにし、それを回復させることに最善を尽くすことにした。
それからパンデミックの混乱もあり、14ヶ月間のめまぐるしい展開が始まり、ようやく聞き知ってはいたものの全く想像していなかった結論が得られたのである。
「途中、正常であると宣言を受けながら実際にはそうではなかったことが明らかになるというような多くのステップがありました」小説家である Cai Emmons さんはそう話す。
「診断をつけたいとは思う人はいないのでしょう」Emmonsさんは最近そのように述べ、もっと早くに真実を知り得なかったことを後悔しているという。
「もっと早くにわかっていれば、多くのすべての検査や、何度も医師の元を受診する必要はなかったでしょう」と彼女は言う。同じくらい重要なことは、迅速な診断が下されていれば、将来の利用に備えて(自分の声に似せた)人工の声を合成するために自身の声を“bank”(バンク:保存)しておくことができていたはずである。
Shifting teeth 歯の位置が変わる
前述の朗読のエピソードから数週のうちに、当時69歳だった Emmons さんは「自身の歯のことで頭がいっぱいに」なったという。成人期によくみられることだが、歯の位置が変わったように感じられ、そのために若干舌がもつれるようになったのではないかと Emmons さんは心配した。さらに彼女は、この2、3年間に経験していた一時的な嗄声が悪化したように感じていた。彼女は歯科医を受診したが咬み合わせには異常はみられなかった。
友人の助言に従い、従来の金属製装具に替わる invisible aligners(透明なマウスピース)を注文することにした。
「それは非常に高額でしたがこの問題を解決したかったのです」と彼女は言う。
ほどなくして、彼女はそれによってむしろ発音が不明瞭になることに気が付いた。そのため数週間それらを装着したもののその後 Emmons さんはそれを引き出しの中にしまい込んだ。
2020年5月、彼女はかかりつけの家庭医による telehealth(遠隔診療)を受けた。彼は耳鼻咽喉科専門医に紹介したが7月まで受診できなかった。
それまでの間、友人の勧めにより、オハイオ州に住む医師である友人の親戚に電話をした。Emmons さんから症状の説明を聞いたその医師は、彼女は筋力低下を引き起こす稀な神経筋疾患である myasthenia gravis(重症筋無力症)ではないかと疑った。言語障害は本疾患の一症状である可能性がある。
「私は彼の診断を受け入れる感じでした」と彼女は言う。
そのオハイオの医師は彼女に pyridostigmine(ピリドスチグミン:抗コリンエステラーゼ阻害剤)の内服を始めるよう勧めた。これは重症筋無力症に関連する筋力低下を緩和するのに用いられる薬剤である。
しかし、彼女が実際にこの疾患であるかは確実ではなかった。本疾患を診断するために通常用いられる血液検査は正常だったのである。
7月、耳鼻咽喉科医は Emmons さんの声帯を検査した。異常所見がないことを確認すると彼は彼女を Euygene 地区の神経内科医に紹介した。
一ヶ月後、Emmons さんはその神経内科医を受診。彼は試験的に pyridostigmine を処方し、追加の検査を依頼した。その中に筋電図があった。これは Emmons さんの舌の筋肉を含む複数の筋肉内に細い針を刺入する必要があり、電気的活動や、神経刺激に対する反応を測定するものである。その医師の記載によると、彼女は重症筋無力症と「やはり同じような症状を引き起こす、例えば運動ニューロン疾患のような他の疾患」を鑑別したかったためとあった。これらのうち最も良く知られているのは amyotrophic lateral sclerosis(ALS、筋萎縮性側索硬化症)である。これは、運動を制御する脳と脊髄の神経細胞を侵す進行性の神経疾患である。
「ALS ではないとその医師は断言しました」そう Emmons さんは思い起こす。
彼女は違うと思いこむことで安堵の高まりが増強されると感じていた。彼女の前夫の母親が1988年に ALS で死去しており、この致死的疾患には確定的な検査がないことを Emmons さんは知っていた。
「義理の母親が死去したとき、私はこう思っていました。『私は ALS について心配する必要はない。なぜなら雷と同じで2度襲ってくることはないから』」Emmons さんはそう思い出す。
Disordered speech 言語障害
実質的に ALS と重症筋無力症が除外されたあと Emmons さんに嚥下障害があることに気づいたその神経内科医は頸部のCT検査に加え、脳と頸椎の MRI 検査を依頼し、脳梗塞、腫瘍、あるいは多発性硬化症を示唆するような病変がないことを確認した。全てが正常であったため彼女は Emmons さんを Eugene から90マイル北の Portland の専門的な耳鼻咽喉科に紹介した。
Emmons さんによるとその頃までには彼女の関心の的は新たな可能性に移っていた:laryngeal dystonia(喉頭性ジストニア)あるいは spasmodic dysphonia(痙攣性発声障害)である。これは、緊張したような、もしくは喉が詰まったように聞こえるような声を発する、喉頭の不随意な痙攣によって引き起こされる発声障害である。婦人科医である Emmons さんの大学の同室者は「彼女の声は、自分の数人の患者とそっくりに聞こえ、それとの関連性があるように私には思える」と彼女に話した。
しかし、ほぼキャリアが奪われてしまうことになってしまったこの疾患との闘病について語っていた Diane Rehm(ダイアン・レーム、米国公共ラジオトークショーのブロードキャスター)の話を聞いたあと、Emmons さんは、これは自身の病気ではないと確信するようになったという。彼女は言葉を構成するのが徐々に難しくなっていたが、その症状が spasmodic dysphonia の特徴的なものではなかったからである。
発声の増悪傾向は Emmons さんをいつになく弱気にさせていた。彼女は朗読や、人前での発言、あるいはインタビューを避けるようになったが、それは彼女のぎこちなく気取ったような話し方が聞く人に自分の知性に疑問を抱かせるかもしれないことを恐れたからである。
2021年1月、20年の連れ合いである劇作家の Paul Calandrino(ポール・カランドリノ)さんに付き添われてオレゴン州の唯一のアカデミック・メディカル・センターである Oregon Health & Science University(OHSU, オレゴン健康科学大学)の喉頭の専門医を受診した。
彼は即座に spasmodic dysphonia を除外し、Emmons さんに、不適切に笑ったり泣いたりする発作を経験したことがなかったか尋ねた。
「彼に尋ねられるまで、私はこの現象を何か奇妙なこととして認識したことはありませんでした」と Emmons さんは思い起こす。「私は彼に、『なぜそんなことを訊くのですか?』と問うと、私に pseudobulbar palsy(仮性球麻痺)があるかもしれないと考えたからだと彼は答えました」
仮性球麻痺という症状は頭頸部の筋を制御する能力を障害するもので脳梗塞を初めとして様々な原因がある。その耳鼻咽喉科医は詳しく説明することなく Emmons さんに、同様の神経内科医に紹介すると告げた。
「彼には原因がわかっていたようですが、それを診断する立場にはないと考えていたのだと思います」と彼女は言う。「そして私がわかっていなかったことを知っていたのです。彼は非常に思いやりのある人物で、私がちゃんと今後の予約が取れることを確認してくれました」
'It broke my heart' 「胸が張り裂けそう」
Portland の神経内科医との面談の約10日前、Emmons さんは、それ以前に予約していたEugene の2人目の神経内科医を受診した。その医師は非常に広範囲に及ぶ検査を依頼したので15バイアル分の血液が必要だった。しかし数日後、何も発見されなかったことを Emmons さんは知った;その医師は悪化していく彼女の症状を説明できなかった。
変化が訪れたのは Emmons さんが OHSU の Nizar Chahin(ニザル・シャヒン)氏、そして彼と一緒に働いている若い医師の元を受診したときだった。
その若手の医師がまず最初に Emmons さんを検査した。それから Chahin 氏がそれに加わり理学的検査の一部を繰り返した。彼は Emmons さんに、彼女の足の上部を診察していいかどうか尋ね、5分ほどの間、彼女の両大腿部を注意深く見つめた。何を探しているの?と彼女は訊いた。
Fasciculations(線維束性攣縮)だと彼は答えた。彼が観察していた無数の不随意な筋の収縮のことを指す。それから Chahin 氏は Emmons さんに bulbar-onset ALS(球麻痺発症型 ALS)について聞いたことがあるかどうか優しく尋ねた。彼女はドッと泣き出した。「私は胸が張り裂けそうでした」Cahin 氏はそう思い起こす。
ALSのほとんどのケースは“limb onset”(四肢発症型)に分類されるが、それは患者が最初に四肢、しばしば両下肢に症状をみるからである。しかし約30%は“bulbar-onset”となっている。このタイプでは最初に頭部に症状が現れ、特に発声や嚥下を制御する筋にみられる。筋力低下を伴う線維束攣縮、すなわち持続的な筋の収縮は ALS のすべての型でみられる共通の兆候だが、球麻痺発症の病型では遅れて出現する。(それらを眼瞼の痙攣のような、ほぼ普通にみられる良性の現象と混同してはならない)。
球麻痺発症型は ALS の中でもより進行性の型とみなされており、年間約5,000人の米国民が罹患する。多くのケースで本疾患は遺伝歴なく発症するようである;遺伝性のタイプは症例の約15%と考えられている。
球麻痺発症型 ALS は四肢発症の病型に比べて診断が困難ではあるものの、神経内科医がそれを見逃したことには当惑していると Chahin 氏は言う。単語の発声や困難や嚥下困難は典型的症状だからである。
Emmons さんには、“pseudobulbar affect(情動調節障害)”と呼ばれる非自発性の不適切な情動の表出がみられた上、彼女は、筋の萎縮、下垂足、腹壁反射に加え広範囲に線維束攣縮を経験していた。それらはすべて ALS の徴候である可能性がある。
数週後に OHSU で行われた2度目となる筋電図では異常がみられ診断が確定した。同大学の ALS クリニックの責任者でこれまで本疾患を700例以上診てきた Chahin 氏は、最初の筋電図検査と嚥下検査が見誤られていた可能性があると推察している。
「これらはかなり主観的な検査なのです」と彼は言う。
Emmonsさんによると、衝撃的に悪い知らせが、Chashin 氏と彼の部下から、彼女と Calandriono さんに伝えられた結果になったとはいえ、「両医師は実に素晴らしい人たちで、私たちのことを大変気遣ってくれていると感じました」という。
このカップルは OHSUの multidisciplinary ALS clinic(他職種連携 ALS クリニック)にかかるため3ヶ月毎に Portland に通った。Chahin 氏によると、彼の球麻痺発症型 ALS の患者の1人は6年間生存しているという。Emmons さんの呼吸は「非常に良好です。それは非常に良い徴候です」と彼は言う。Emmons さんは本疾患の治療薬の内服を開始している。
診断から10日後の 2021 年のバレンタインデーに2人は結婚した。
彼らは、友人や家族と一緒の時を過ごしたり経験を共有したりすることで喜びや安らぎを得られるよう努力している。2人とも、あの診断を受け、非常にショックを受けた自宅までのドライブの時のことを今は笑って思い出す。
彼らはルート沿いにある高級ショッピングモールに立ち寄り、ろうそくやセーターを買うことで気を紛らわそうとした。店員が商品を包装していたとき、彼女は何食わぬ顔でこう尋ねた。「ところで、今日の調子はどう?」と。
最近 Emmons さんは、目の運動を言語に変換できるコミュニケーション補助装置を購入した。彼女の声がたどたどしさを増し続けている一方、嚥下を制御する筋の増悪により「今、食べるのにはものすごく時間がかかります」と彼女は言う。
彼女の次の小説は9月に刊行予定である。数人の友人たちが朗読の代役として参加することに同意してくれている。
Emmons さんによると、最も辛いことの一つは「他の人たちの思い込みに対処すること」だという。すなわち、声が障害されているからには脳が障害されているに違いないという思い込みであるからだ。
医療的処置の前に行われる最近のコロナウイルスの検査の際、看護師が「私がまるで幼稚園生であるかのように大声で話しかけてきたのです」と Emmons さんは言う。
自分の経験が、他の人たちに対して、あまり知られていないタイプのALSへの関心を呼び覚まし、より早期に有効な治療が得られることによって、この病気の進行を遅らせることができればと願っていると彼女は言う。
「途中、正常であると宣言を受けながら実際にはそうではなかったことが明らかになるというような多くのステップがありました」と彼女は言う。
ALSについては下記の各サイトをご参照いただきたい。
筋萎縮性側索硬化症(ALS)は、
脳と脊髄の両方が障害される進行性で致死的な神経変性疾患である。
従来、ALSは主に運動ニューロンが障害される症候群と認識
されてきたが、近年は、前頭葉および側頭葉の他の領域の病変が
一部の患者で様々な程度で関与しているとの認識が高まっている。
さらに、骨(骨Paget病) や筋肉(封入体筋炎)のような
神経系以外の他のシステムが関与している可能性もある。
変性の場所と程度によって臨床像が決まるため、症状の発現、
進行、生存率には患者間で大きなばらつきがみられる。
遺伝性ALSはALS患者の10~15%と推定されている。
全体として、ALSの発症年齢は小児期から90歳代まで幅広い。
男女比は約1.3/1で男性により多く発症する。
平均発症年齢は男性で約55歳、女性で60歳代半ばとなっている。
運動症状は、上位・下位運動ニューロンの両方の変性によって
生ずる。
前頭葉の運動野にある神経細胞を起点とする
上位運動ニューロン(UMN)は、 皮質遠心路 を介して
脳幹(皮質延髄路)および脊髄(皮質脊髄路)に軸索を伸ばし、
脳神経核細胞や脊髄前角細胞を起点とする下位運動
ニューロン(LMN)の活動に影響を与える。
ALSでは、UMN徴候として腱反射亢進や筋緊張亢進がみられる。
またLMN徴候には筋力低下、筋萎縮、腱反射低下、筋痙攣、
線維束性攣縮(さざ波のような筋の収縮)などがある。
初期症状はさまざまであり、非対称的な四肢の限局的な筋力低下、
または球症状(構音障害・嚥下障害)のいずれかを呈することが多い。
感覚障害を伴わず、筋萎縮を認める分節で腱反射亢進をみることが、
ASLに特徴的な所見である。
一般に初発症状としては球麻痺症状よりも四肢障害がよくみられる。
ALSには下記のような病型があることが知られている。
(1)上肢の筋萎縮と筋力低下が主体で下肢は痙縮を示す上肢型(普通型)
(2)構音障害・嚥下障害といった球麻痺症状を主体とする球型
(進行性球麻痺)
(3)下肢から発症し、下肢の腱反射低下・消失が早期からみられ、
LMNの障害が前面に出る下肢型(偽多発神経炎型)
上記以外にも、呼吸筋麻痺が初期から前景に出る例や
体幹筋障害が主体となる例、認知症を伴う例など多様性がみられる。
球麻痺発症型は ALS 全体の約1/4を占めると推定されている。
その他、特異な症状として、記事中に記載されていたような
情動調節障害(pseudobulbar affect, PBA)がみられることがある。
これは、楽しいことに対して泣いたり、
笑うべきでない場面で笑ってしまうなど、
状況にそぐわない感情の反応があらわれる症状である。
これらは患者の社会参加を妨げ QOLを低下させる要因となる。
ただし本症状は ALS に特異的ではなく、多発性硬化症、
パーキンソン病、アルツハイマー型認知症などでもみられることがある。
診断
ALSの診断は問診、神経学的検査、筋電図などを組み合わせて行われる。
他の疾患を除外するために MRI などが行われる。
経過
初発症状に関わらず、筋萎縮と筋力低下が徐々に進行、拡大する。
眼球運動は最後まで保たれることが多いが、
特に人工呼吸器により延命を図る場合などで 、
長期的には障害されることがある。
死因の多くは呼吸筋の障害によるが、
肺炎、肺塞栓症や不整脈のような他の原因によることもある。
根治的治療はない。
リルゾール(リルテック)は限定的ながら生存期間の延長を
もたらす可能性がある。
また機能低下をある程度遅らせる効果を期待して
エダラボンが用いられる。
患者の身体的・精神的苦痛緩和のために、
集学的チームによる心身両面からの支持的アプローチが重要となる。
本例のように早期の診断が望ましいとは思われるが、
早い段階で厳しい宣告を受けるという現実もまた、
患者にとっては厳しいものとなりそうだ。