MrKのぼやき

煩悩を解脱した前期高齢者男のぼやき

始まりはしゃべりにくさからだった

2021-07-19 23:28:49 | 健康・病気

7月のメディカル・ミステリーです。

 

7月10日付 Washington Post 電子版

 

 

A novelist’s labored speech signaled an unimaginable diagnosis

小説家のぎこちないしゃべり方は想像を絶する疾患の前兆だった

 

By Sandra G. Boodman,

 最初、小説家の Cai Emmons(チャイ・エモンズ)さんは嚙み合わせに問題があると思った。

 2019年12月、Emmons さんがカリフォルニア州 Sausalito(ソーサリト)の集まりで最新作の朗読を行っていた時、自身の声と話し方がいつもとは違っていることを敏感に察知した。「言葉の流れにちょっと欠落があり、リズムが悪かったのです」と彼女は思い起こす。しかしおかしいことに気づいた人は他には誰もいなかったようだった。

 オレゴン州 Eugene(ユージン)に住む Emmons さんにとって、その異常は明らかだった。University of Oregon(オレゴン大学)で創作的著述を教えている自称 “big talker”(大ぼら吹き)の Emmons さんはしばしば朗読を行い、地元の演劇グループに深く関り、大学の女優をしていたこともあった。彼女は自分の声のどこが悪いのかを明らかにし、それを回復させることに最善を尽くすことにした。

 それからパンデミックの混乱もあり、14ヶ月間のめまぐるしい展開が始まり、ようやく聞き知ってはいたものの全く想像していなかった結論が得られたのである。

「途中、正常であると宣言を受けながら実際にはそうではなかったことが明らかになるというような多くのステップがありました」小説家である Cai Emmons さんはそう話す。

 

 「診断をつけたいとは思う人はいないのでしょう」Emmonsさんは最近そのように述べ、もっと早くに真実を知り得なかったことを後悔しているという。

 「もっと早くにわかっていれば、多くのすべての検査や、何度も医師の元を受診する必要はなかったでしょう」と彼女は言う。同じくらい重要なことは、迅速な診断が下されていれば、将来の利用に備えて(自分の声に似せた)人工の声を合成するために自身の声を“bank”(バンク:保存)しておくことができていたはずである。

 

Shifting teeth 歯の位置が変わる

 

 前述の朗読のエピソードから数週のうちに、当時69歳だった Emmons さんは「自身の歯のことで頭がいっぱいに」なったという。成人期によくみられることだが、歯の位置が変わったように感じられ、そのために若干舌がもつれるようになったのではないかと Emmons さんは心配した。さらに彼女は、この2、3年間に経験していた一時的な嗄声が悪化したように感じていた。彼女は歯科医を受診したが咬み合わせには異常はみられなかった。

 友人の助言に従い、従来の金属製装具に替わる invisible aligners(透明なマウスピース)を注文することにした。

 「それは非常に高額でしたがこの問題を解決したかったのです」と彼女は言う。

 ほどなくして、彼女はそれによってむしろ発音が不明瞭になることに気が付いた。そのため数週間それらを装着したもののその後 Emmons さんはそれを引き出しの中にしまい込んだ。

 2020年5月、彼女はかかりつけの家庭医による telehealth(遠隔診療)を受けた。彼は耳鼻咽喉科専門医に紹介したが7月まで受診できなかった。

 それまでの間、友人の勧めにより、オハイオ州に住む医師である友人の親戚に電話をした。Emmons さんから症状の説明を聞いたその医師は、彼女は筋力低下を引き起こす稀な神経筋疾患である myasthenia gravis(重症筋無力症)ではないかと疑った。言語障害は本疾患の一症状である可能性がある。

 「私は彼の診断を受け入れる感じでした」と彼女は言う。

 そのオハイオの医師は彼女に pyridostigmine(ピリドスチグミン:抗コリンエステラーゼ阻害剤)の内服を始めるよう勧めた。これは重症筋無力症に関連する筋力低下を緩和するのに用いられる薬剤である。

 しかし、彼女が実際にこの疾患であるかは確実ではなかった。本疾患を診断するために通常用いられる血液検査は正常だったのである。

 7月、耳鼻咽喉科医は Emmons さんの声帯を検査した。異常所見がないことを確認すると彼は彼女を Euygene 地区の神経内科医に紹介した。

 一ヶ月後、Emmons さんはその神経内科医を受診。彼は試験的に pyridostigmine を処方し、追加の検査を依頼した。その中に筋電図があった。これは Emmons さんの舌の筋肉を含む複数の筋肉内に細い針を刺入する必要があり、電気的活動や、神経刺激に対する反応を測定するものである。その医師の記載によると、彼女は重症筋無力症と「やはり同じような症状を引き起こす、例えば運動ニューロン疾患のような他の疾患」を鑑別したかったためとあった。これらのうち最も良く知られているのは amyotrophic lateral sclerosis(ALS、筋萎縮性側索硬化症)である。これは、運動を制御する脳と脊髄の神経細胞を侵す進行性の神経疾患である。

 「ALS ではないとその医師は断言しました」そう Emmons さんは思い起こす。

 彼女は違うと思いこむことで安堵の高まりが増強されると感じていた。彼女の前夫の母親が1988年に ALS で死去しており、この致死的疾患には確定的な検査がないことを Emmons さんは知っていた。

 「義理の母親が死去したとき、私はこう思っていました。『私は ALS について心配する必要はない。なぜなら雷と同じで2度襲ってくることはないから』」Emmons さんはそう思い出す。

 

Disordered speech 言語障害

 

 実質的に ALS と重症筋無力症が除外されたあと Emmons さんに嚥下障害があることに気づいたその神経内科医は頸部のCT検査に加え、脳と頸椎の MRI 検査を依頼し、脳梗塞、腫瘍、あるいは多発性硬化症を示唆するような病変がないことを確認した。全てが正常であったため彼女は Emmons さんを Eugene から90マイル北の Portland の専門的な耳鼻咽喉科に紹介した。

 Emmons さんによるとその頃までには彼女の関心の的は新たな可能性に移っていた:laryngeal dystonia(喉頭性ジストニア)あるいは spasmodic dysphonia(痙攣性発声障害)である。これは、緊張したような、もしくは喉が詰まったように聞こえるような声を発する、喉頭の不随意な痙攣によって引き起こされる発声障害である。婦人科医である Emmons さんの大学の同室者は「彼女の声は、自分の数人の患者とそっくりに聞こえ、それとの関連性があるように私には思える」と彼女に話した。

 しかし、ほぼキャリアが奪われてしまうことになってしまったこの疾患との闘病について語っていた Diane Rehm(ダイアン・レーム、米国公共ラジオトークショーのブロードキャスター)の話を聞いたあと、Emmons さんは、これは自身の病気ではないと確信するようになったという。彼女は言葉を構成するのが徐々に難しくなっていたが、その症状が spasmodic dysphonia の特徴的なものではなかったからである。

 発声の増悪傾向は Emmons さんをいつになく弱気にさせていた。彼女は朗読や、人前での発言、あるいはインタビューを避けるようになったが、それは彼女のぎこちなく気取ったような話し方が聞く人に自分の知性に疑問を抱かせるかもしれないことを恐れたからである。

 2021年1月、20年の連れ合いである劇作家の Paul Calandrino(ポール・カランドリノ)さんに付き添われてオレゴン州の唯一のアカデミック・メディカル・センターである Oregon Health & Science University(OHSU, オレゴン健康科学大学)の喉頭の専門医を受診した。

 彼は即座に spasmodic dysphonia を除外し、Emmons さんに、不適切に笑ったり泣いたりする発作を経験したことがなかったか尋ねた。

 「彼に尋ねられるまで、私はこの現象を何か奇妙なこととして認識したことはありませんでした」と Emmons さんは思い起こす。「私は彼に、『なぜそんなことを訊くのですか?』と問うと、私に pseudobulbar palsy(仮性球麻痺)があるかもしれないと考えたからだと彼は答えました」

 仮性球麻痺という症状は頭頸部の筋を制御する能力を障害するもので脳梗塞を初めとして様々な原因がある。その耳鼻咽喉科医は詳しく説明することなく Emmons さんに、同様の神経内科医に紹介すると告げた。

 「彼には原因がわかっていたようですが、それを診断する立場にはないと考えていたのだと思います」と彼女は言う。「そして私がわかっていなかったことを知っていたのです。彼は非常に思いやりのある人物で、私がちゃんと今後の予約が取れることを確認してくれました」

 

'It broke my heart' 「胸が張り裂けそう」

 

 Portland の神経内科医との面談の約10日前、Emmons さんは、それ以前に予約していたEugene の2人目の神経内科医を受診した。その医師は非常に広範囲に及ぶ検査を依頼したので15バイアル分の血液が必要だった。しかし数日後、何も発見されなかったことを Emmons さんは知った;その医師は悪化していく彼女の症状を説明できなかった。

 変化が訪れたのは Emmons さんが OHSU の Nizar Chahin(ニザル・シャヒン)氏、そして彼と一緒に働いている若い医師の元を受診したときだった。

 その若手の医師がまず最初に Emmons さんを検査した。それから Chahin 氏がそれに加わり理学的検査の一部を繰り返した。彼は Emmons さんに、彼女の足の上部を診察していいかどうか尋ね、5分ほどの間、彼女の両大腿部を注意深く見つめた。何を探しているの?と彼女は訊いた。

 Fasciculations(線維束性攣縮)だと彼は答えた。彼が観察していた無数の不随意な筋の収縮のことを指す。それから Chahin 氏は Emmons さんに bulbar-onset ALS(球麻痺発症型 ALS)について聞いたことがあるかどうか優しく尋ねた。彼女はドッと泣き出した。「私は胸が張り裂けそうでした」Cahin 氏はそう思い起こす。

 ALSのほとんどのケースは“limb onset”(四肢発症型)に分類されるが、それは患者が最初に四肢、しばしば両下肢に症状をみるからである。しかし約30%は“bulbar-onset”となっている。このタイプでは最初に頭部に症状が現れ、特に発声や嚥下を制御する筋にみられる。筋力低下を伴う線維束攣縮、すなわち持続的な筋の収縮は ALS のすべての型でみられる共通の兆候だが、球麻痺発症の病型では遅れて出現する。(それらを眼瞼の痙攣のような、ほぼ普通にみられる良性の現象と混同してはならない)。

 球麻痺発症型は ALS の中でもより進行性の型とみなされており、年間約5,000人の米国民が罹患する。多くのケースで本疾患は遺伝歴なく発症するようである;遺伝性のタイプは症例の約15%と考えられている。

 球麻痺発症型 ALS は四肢発症の病型に比べて診断が困難ではあるものの、神経内科医がそれを見逃したことには当惑していると Chahin 氏は言う。単語の発声や困難や嚥下困難は典型的症状だからである。

 Emmons さんには、“pseudobulbar affect(情動調節障害)”と呼ばれる非自発性の不適切な情動の表出がみられた上、彼女は、筋の萎縮、下垂足、腹壁反射に加え広範囲に線維束攣縮を経験していた。それらはすべて ALS の徴候である可能性がある。

 数週後に OHSU で行われた2度目となる筋電図では異常がみられ診断が確定した。同大学の ALS クリニックの責任者でこれまで本疾患を700例以上診てきた Chahin 氏は、最初の筋電図検査と嚥下検査が見誤られていた可能性があると推察している。

 「これらはかなり主観的な検査なのです」と彼は言う。

 Emmonsさんによると、衝撃的に悪い知らせが、Chashin 氏と彼の部下から、彼女と Calandriono さんに伝えられた結果になったとはいえ、「両医師は実に素晴らしい人たちで、私たちのことを大変気遣ってくれていると感じました」という。

 このカップルは OHSUの multidisciplinary ALS clinic(他職種連携 ALS クリニック)にかかるため3ヶ月毎に Portland に通った。Chahin 氏によると、彼の球麻痺発症型 ALS の患者の1人は6年間生存しているという。Emmons さんの呼吸は「非常に良好です。それは非常に良い徴候です」と彼は言う。Emmons さんは本疾患の治療薬の内服を開始している。

 診断から10日後の 2021 年のバレンタインデーに2人は結婚した。

 彼らは、友人や家族と一緒の時を過ごしたり経験を共有したりすることで喜びや安らぎを得られるよう努力している。2人とも、あの診断を受け、非常にショックを受けた自宅までのドライブの時のことを今は笑って思い出す。

 彼らはルート沿いにある高級ショッピングモールに立ち寄り、ろうそくやセーターを買うことで気を紛らわそうとした。店員が商品を包装していたとき、彼女は何食わぬ顔でこう尋ねた。「ところで、今日の調子はどう?」と。

 最近 Emmons さんは、目の運動を言語に変換できるコミュニケーション補助装置を購入した。彼女の声がたどたどしさを増し続けている一方、嚥下を制御する筋の増悪により「今、食べるのにはものすごく時間がかかります」と彼女は言う。

 彼女の次の小説は9月に刊行予定である。数人の友人たちが朗読の代役として参加することに同意してくれている。

 Emmons さんによると、最も辛いことの一つは「他の人たちの思い込みに対処すること」だという。すなわち、声が障害されているからには脳が障害されているに違いないという思い込みであるからだ。

 医療的処置の前に行われる最近のコロナウイルスの検査の際、看護師が「私がまるで幼稚園生であるかのように大声で話しかけてきたのです」と Emmons さんは言う。

 自分の経験が、他の人たちに対して、あまり知られていないタイプのALSへの関心を呼び覚まし、より早期に有効な治療が得られることによって、この病気の進行を遅らせることができればと願っていると彼女は言う。

 「途中、正常であると宣言を受けながら実際にはそうではなかったことが明らかになるというような多くのステップがありました」と彼女は言う。

 

 

ALSについては下記の各サイトをご参照いただきたい。

 

一般社団法人 日本ALS協会

GeneReviews 日本語版サイト

 

田辺三菱製薬の情報サイト

 

筋萎縮性側索硬化症(ALS)は、

脳と脊髄の両方が障害される進行性で致死的な神経変性疾患である。

従来、ALSは主に運動ニューロンが障害される症候群と認識

されてきたが、近年は、前頭葉および側頭葉の他の領域の病変が

一部の患者で様々な程度で関与しているとの認識が高まっている。

さらに、骨(骨Paget病) や筋肉(封入体筋炎)のような

神経系以外の他のシステムが関与している可能性もある。

変性の場所と程度によって臨床像が決まるため、症状の発現、

進行、生存率には患者間で大きなばらつきがみられる。

 

遺伝性ALSはALS患者の10~15%と推定されている。

全体として、ALSの発症年齢は小児期から90歳代まで幅広い。

男女比は約1.3/1で男性により多く発症する。

平均発症年齢は男性で約55歳、女性で60歳代半ばとなっている。

 

運動症状は、上位・下位運動ニューロンの両方の変性によって

生ずる。

前頭葉の運動野にある神経細胞を起点とする

上位運動ニューロン(UMN)は、 皮質遠心路 を介して

脳幹(皮質延髄路)および脊髄(皮質脊髄路)に軸索を伸ばし、

脳神経核細胞や脊髄前角細胞を起点とする下位運動

ニューロン(LMN)の活動に影響を与える。

ALSでは、UMN徴候として腱反射亢進や筋緊張亢進がみられる。

またLMN徴候には筋力低下、筋萎縮、腱反射低下、筋痙攣、

線維束性攣縮(さざ波のような筋の収縮)などがある。

初期症状はさまざまであり、非対称的な四肢の限局的な筋力低下、

または球症状(構音障害・嚥下障害)のいずれかを呈することが多い。

感覚障害を伴わず、筋萎縮を認める分節で腱反射亢進をみることが、

ASLに特徴的な所見である。

一般に初発症状としては球麻痺症状よりも四肢障害がよくみられる。

ALSには下記のような病型があることが知られている。

(1)上肢の筋萎縮と筋力低下が主体で下肢は痙縮を示す上肢型(普通型)

(2)構音障害・嚥下障害といった球麻痺症状を主体とする球型

(進行性球麻痺)

(3)下肢から発症し、下肢の腱反射低下・消失が早期からみられ、

LMNの障害が前面に出る下肢型(偽多発神経炎型)

 

上記以外にも、呼吸筋麻痺が初期から前景に出る例や

体幹筋障害が主体となる例、認知症を伴う例など多様性がみられる。

 

球麻痺発症型は ALS 全体の約1/4を占めると推定されている。

 

その他、特異な症状として、記事中に記載されていたような

情動調節障害(pseudobulbar affect, PBA)がみられることがある。

これは、楽しいことに対して泣いたり、

笑うべきでない場面で笑ってしまうなど、

状況にそぐわない感情の反応があらわれる症状である。

これらは患者の社会参加を妨げ QOLを低下させる要因となる。

ただし本症状は ALS に特異的ではなく、多発性硬化症、

パーキンソン病、アルツハイマー型認知症などでもみられることがある。

 

診断

ALSの診断は問診、神経学的検査、筋電図などを組み合わせて行われる。

他の疾患を除外するために MRI などが行われる。

 

経過

初発症状に関わらず、筋萎縮と筋力低下が徐々に進行、拡大する。

眼球運動は最後まで保たれることが多いが、

特に人工呼吸器により延命を図る場合などで 、

長期的には障害されることがある。

 

死因の多くは呼吸筋の障害によるが、

肺炎、肺塞栓症や不整脈のような他の原因によることもある。

 

根治的治療はない。

リルゾール(リルテック)は限定的ながら生存期間の延長を

もたらす可能性がある。

また機能低下をある程度遅らせる効果を期待して

エダラボンが用いられる。

患者の身体的・精神的苦痛緩和のために、

集学的チームによる心身両面からの支持的アプローチが重要となる。

 

本例のように早期の診断が望ましいとは思われるが、

早い段階で厳しい宣告を受けるという現実もまた、

患者にとっては厳しいものとなりそうだ。

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失うものはなにもない

2017-12-14 14:45:00 | 健康・病気

今回のメディカル・ミステリーは

厳密にはミステリーではないのだが、

昨年10月28日にアップしたメディカル・ミステリー

後日談である。

 

 11月25日付 Washington Post 電子版

 

Hoping to find other patients, he revealed a cancer often mistaken for ‘jock itch’

他の患者が見つかることを願い、頑癬(いんきんたむし)としばしば間違われる癌を彼は公表した


By Sandra G. Boodman,

 Stephen Schroeder(スティーブン・シュレーダー)さんは失うものはほとんどないと考えた。それは自分のめずらしい疾病によってもたらされる孤立により絶望感が高まっていたからである。

 2年以上の間、Schroeder さんは、乳腺外パジェット病(extramammary Paget's disease, EMPD)と呼ばれるきわめてまれな浸潤性の癌と戦っていた。その病気は彼の陰嚢に浸潤しており、何度か手術が必要だった。EMPD 症例の約半数は女性である;しばしば湿疹や接触皮膚炎と誤診されるこの癌は陰部や肛門などに存在する発汗組織であるアポクリン腺を侵す。

 この癌は緩徐進行性ながら致死的となることもあるが、男性においては時々、真菌感染症の俗語である“jock itch(頑癬、いんきんたむし)”と誤診される。治療はしばしば辛いものとなるが、Schroeder さんにとって最悪の問題は孤立感だった。彼には診断名を伝え、分かち合えるような人間が誰もいなかったのである。

 しかし、そうこうするうちに Schroeder さんは同じような状況にある他の人たちとつながりを持つことから受ける恩恵によって彼の孤立に対する解決を図ろうとした。彼によると、その体験談の豊富さは彼の想像を超えるものだった。

 2016年、2度目の再発のあと Schroeder さんは、話のできる他の患者を見つけたいと思いウェブページを立ち上げた;EMPD の患者は世界中でわずかに数百人しか報告されていない。それまでも、彼はEMPD の患者と連絡を取りたいと考え、シアトル、フィラデルフィア、およびマンハッタンで彼を治療した医師(彼らはいずれも他の EMPD の患者も治療していた)に対して、患者らに自身の連絡先を知ってもらいたいと話していた。

 しかし残念ながら彼の努力には何も反応がなかった。

 

 

Stephen Schroeder さんは、“ディナーパーティーで持ち出すような話題”ではないと彼が言うような病気について、昨年公表した。

 

 Breaking the silence 沈黙を破る

 

 太平洋岸北西部を拠点とする購買共同組合の顧客開拓部長である Schroeder さんは、その年の後半、妻と3人の子供たちの意向に逆らって公表に踏み切った。彼の事例がメディカル・ミステリーの記事として載ったのである。 

 彼が経過を語ることは、この恐ろしい疾患を制圧し“ディナーパーティーで持ち出すような話題”ではない病気について包み隠さず話す一つの手段だったのである。

 自分の経過が、自身も一年以上患っていたように、一見ささいなことに見えるこの病気を軽視しないよう他の男性に注意を促し、仲間である EMPD の患者とのつながりの火付け役となることを Schroeder さんは望んだ。

 Shcroeder さんによると、その後の経緯はとてつもない期待をさらに凌駕するものとなったという。

 「これまでに経験したことのない最高のことでした」と彼は興奮気味に語った。

 掲載後の数週間で Schroeder さんは数百通の eメールを受け取ったという。これまでに EMPD と診断された72人が彼と連絡を取り自分たちの話を伝え合い、治療、医師、対処方法について情報を交換した。その大部分は米国からであり半数は女性だった。そして、ほとんどの人たちが Schroeder さんが立ち上げた国際的オンライン支援グループに参加した。そのほぼ全員が、彼の事例が掲載されるまで、EMPD の患者が存在していることは知っていたが EMPD に苦しんでいる人を他に知らなかったと彼に語っている。

 現在58才の Schroeder さんは、週に約8時間を費やして“自分の新たな熱中”と呼んでいることに携わっている。それは世界中の患者と情報交換し、新たに診断された人や、手術を目前にした人たちに支援のメールを発信し、73の国々からアクセスが記録されている彼のウェブサイトが順調に確実に運営できるようにすることである。さらに彼は癌の研究者たちからの問い合わせにも答えてきた。

 泌尿器科医のあるチームは最近の研究に、Schroeder さんの支援グループのメンバーからもたらされたデータを利用している。この研究は、この稀な疾患に対する新たな研究をもたらしてくれると科学者らは考えている。

 ワシントン州 Spokane(スポーケン)に住み出張の多い Schroeder さんは、彼と連絡を取っている多くの患者と会ってきたが、その出会いを人生で最も有意義なことの一つに位置づけてきた。

 「見知らぬ人と出会うような感じではありません。数時間あるいは数日間のうちに深いつながりを持つことになるのです」と彼は言う。

 

Pushing for a diagnosis 診断を求めていくこと

 

 San Diego の会社で主任技術官をしている Dave Ross さんは、2016年10月、中国から飛行機で帰国中に、フライトアテンダントから渡された新聞で Schroeder さんの記事を読んだ。「なぜその新聞を受け取ったのかわかりません。新聞を読むことはないからです。だけどあの日は読んだのです」と Ross 氏は言う。

 当時50才のこの技術者は Schroeder さんの記事を熟読し不安になった。それが彼自身の経験に奇妙なほど似ているように思えたからである。6ヶ月前、Ross さんは、難治性の頑癬と言われていた病変で皮膚科医を受診していた。その医師は調剤クリームを処方したが、25セント硬貨サイズの痒みを伴う紅斑は持続した。

 Ross さんは自宅に戻ると、Schroeder さんが行ったように皮膚科医に病変部を生検するよう強く求めることにした。Ross さんは Schroeder さんと連絡を取り、彼が医師に尋ねる質問の元になるものとしてウェブサイト上の情報を用いることにした。

 「オンラインに存在するものより Steve (Stephen) から手に入れた情報の方が豊富でした」と Ross さんは言う。「彼の記事に出会ったのはまさにラッキーでした」

 生検では Ross さんが恐れていたものが明らかになった:ある皮膚科医が当初疑っていた扁平上皮癌ではなく実際は EMPD だった。推奨される治療法は Mohs surgery(モース手術)だった。この治療法は皮膚の薄い層を漸次切除し、それぞれを顕微鏡で調べながら悪性病変が検出されなくなるまで切除を続けるものである。

 幼い時に養子に迎えられた Ross さんは、成人してから探し出した生みの母親に電話をかけこの知らせを伝えた。「彼女は私にこう言いました。『ああ、私があなたの年のころにその病気になったわ』」と Ross さんは思い起こす。この疾患の家族性が関与している可能性を考えている研究者もいる。

 Ross さんによると、2017年2月に行われた手術の数日前、始まったばかりの支援グループのメンバーで数年間 EMPD と戦ってきた人物がこの病気で亡くなったという。「この診断は私をひどく恐れさせました」と Ross さんは思い起こす。しかし、彼は定期的に診察を受けており、今のところ癌の再発は見られていない。

 昨年、Ross さんと Schroeder さんは友達となり、Schroeder さんが南カリフォルニアに仕事で出かけたとき2度ほど会って食事をした。

 アラバマ州 Phenix City に住む保険会社の経理部長で66才の Pattee Carroll さんは Schroeder さんの記事に引きつけられた。Carroll さんは 2015 年に EMPD に対する治療を受けていたが、この病気について誰にも話すことはなかった。しかし、彼の記事を読んですぐに彼女は Schroeder さんに eメールを送った。

 「話ができる他の人たちがいること、そうすることで自分の気持ちが楽になるのではないかと思ったからです」と彼女は言う。しかし、普段はこの支援グループを避けるようにしていると Carroll さんは言う。「不安や心配に陥ってしまうからです」

 

A catalyst for research 研究の足がかり

 

 Seattle にある University of Washington School of Medicine の再建泌尿器科学の准教授 Bryan Voelzke 氏にとって、Schroeder さんは真っ先に経験した患者である。Voelzke 氏は Schroeder さんに数回の手術を行っている。Schroeder さんは2014年に診断されてからフィラデルフィアから出身地のスポーケンに戻っている。

 さらに Schroeder さんが集めた患者の情報は Voelzke 氏らによって行われている研究にきわめて貴重なものとなっている。EMPD がたいへん稀な疾患であることから、本疾患の研究のほとんどは、主としてアジアにおける単一施設で治療された比較的少数の患者を包括しているに過ぎないと Voelzke 氏は言う。

 しかし Schroeder さんと連絡を取っている米国人の患者数は、Affordable Care Act(オバマケア)の一環となっている患者中心の転帰とエビデンスに基づく選択が強く強調されたこともあって、EMPD の診断と治療の状況の研究に格段の好機を与えるものとなった。数ヶ月のうちに Schroeder さんは自力で米国の患者の最大とみられる集団を作り上げた;患者らは多施設で様々な専門医によって治療されていた。

 Schroeder さんは自身の支援グループへのアクセスを許可しており、Voelzke 氏のチームは University of Washington の倫理委員会から研究の承認を得ている。1月、研究者らは55名の患者に調査を eメールし、その75%で調査を終えている。

 Urology 誌に掲載された彼らの研究では、平均的な症例では症状が最初に出現してから約21ヶ月後に診断されていることがわかった。患者は、婦人科医、外科医、皮膚科医、泌尿器科医など多様な専門医によって治療されており、Mohs 手術から、陰部疣贅の治療として承認されている調剤クリームの使用まで複数の治療法が行われていた。調査対象の約30%に再発が見られ、その中には、典型的には急速に発生して致死的となりうるような身体の遠隔部への癌の転移が含まれていた。

 Voelzke 氏は、本研究の掲載が EMPD の標準的治療の開発を促進させ、医師や患者への“知識の拡散”の加速につながることに期待しているという。

 Schroeder 氏にとって、昨年は彼自身の健康についても良い知らせがもたらされた年だった。

 困難な手術や皮膚移植が行われながら何度か再発を見たが、Schoroeder さんの癌は一年以上寛解状態となっている。

 彼の活動によって、彼が最も望んでいたことが一つ達成されたのだという:それは同じ疾患を分かち合う他者とのつながりである。

 「その結果、100年生きても会えなかったであろう人たちと出会えたのです。私は、全くの孤立状態で一人で戦っていた状況から、これらの新しい友人たちを見つけるところまで前進したのです」と、彼は言う。

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“かい~の” じゃ、すまされない!

2016-10-28 13:17:41 | 健康・病気

10月のメディカルミステリーです。

 

10月24日付 Washington Post 電子版

 

Doctors thought he just had jock itch. Then it spread.

彼はただの “jock itch”(いんきんたむし=陰部白癬)だと医師は考えた。しかしそれは拡がっていった。

By Sandra G. Boodman, 

 2014年12月4日金曜日の夕方、Stephen Schroeder (ステファン・シュレーダー) さんが、以前から大変楽しみにしていた長い週末休暇を息子と過ごすためにフィラデルフィアからラスベガスに向かう満席の飛行機への搭乗を待っていたとき、彼の携帯電話が鳴り出した。電話は予期せぬ相手だった:Schroeder さんが思っていたより早く彼の主治医が検査結果を伝えてきたのだった。

 Schroeder さんはドキドキしながら聞いていたが、その内容を必死で理解しようとしながら信じられない気持ちでいっぱいだった。彼はごみ箱の縁を書字台として使い、その医師に聞き慣れない単語一つ一つのスペルを教えてもらいながら自分の搭乗券の裏にメモした。それから彼は、フィラデルフィア郊外の自宅にいる妻に簡単なメールを送り、飛行機に乗り込んだ。

 当時55才だった Schroeder さんはその機上で、思うように機能しない機内のインターネットを起動させ情報を求めた。

 それから5時間かけて読んだことによって、彼は怯え、愕然とし、それから、否認の気持ちが生じ、懐疑的となった。「私は、これが全くばかげた間違いであるに違いないと思い続けました。その診断は誤っているはずだと…」そう彼は思い起こす。

 それまで彼や医師たちが大したことはないものと片付けてしまっていた頑固な皮疹が、その後彼の人生を支配し、生命を脅かすものとなることを Schroeder さんは知ることになったのである。

スポーケンで販売マネージャーをしている Steve Schroeder さんは、一年以上も、自分だけでなく医師も、彼がひどい“いんきんたむし(陰部白癬)”だと思い込んでいた。

 今回の経験によって、適切な治療法を提供できるエキスパートを見つける重要性や、疾患について可能な限り学ぶことの必要性、さらには、非常に稀なために支援グループが存在しない疾患に立ち向かう孤独などについて教訓が得られたのだった。

 

A case of jock itch “いんきんたむし”

 

 2013年の秋、Schroeder さんは股間の小さな紫色の吹き出物に気付いた。「私はてっきり皮膚内の毛(内生毛)だと思い、自然に消えるだろうと考えて6ヶ月間それを放置しました」そう彼は思い起こす。その吹き出物は消失したが、代わって陰嚢に10セント硬貨ほどの大きさの赤い鱗状の発疹が出現した。Schroeder さんは、よく見られる股間の白癬感染症の別名である “jock itch(いんきんたむし)” と考え、さらに数ヶ月何もしなかったという。

 「私は男なので、さほどショックはありませんでした」と彼は言う。購買協同組合の会員拡大の責任者である Schoroeder さんは、1989年に最も悪性度の高い皮膚腫瘍である悪性黒色腫(メラノーマ)の治療に成功していた。再発はなかったし、毎年の検査にもずっと気を配っていた。

 2014年の春、定期の受診のあと彼のかかりつけ医が部屋から出ていこうとしたとき、Schroeder さんは“ほとんどあとから思いついた感じで”その赤い発疹の事を思い出し、それについて話したという。

 彼女はその発疹を診察し、いんきんたむしのようであるとの考えに同意見で、標準的な治療を試みるよう勧めた:すなわち市販の抗真菌薬のクリームの塗布である。数週間後、症状が続くため Schroeder さんは再受診した。主治医と、その同僚の医師が診察し、より強力な抗真菌薬を処方した。

 「彼らは二人とも心配には及ばないとの意見でした」と Schroeder さんは思い出す。「それは痛くはなかったのです。ただ痒くて気になってはいましたが…」

 2番目の薬も1番目同様効果はなかった。そのため Schroeder さんは皮膚科医を受診した。彼も、最初は身体の中の閉ざされた湿った部位に繁殖する難治な真菌感染症であろうという同じ見解を示した。しかしその後、その皮膚科医は考えを変え、発赤と痒みを引き起こす皮膚の炎症である湿疹を疑った。彼が使っているシャンプー、石鹸、あるいは柔軟剤に対するアレルギー反応である接触皮膚炎を起こしていた可能性があると、彼は Schroeder さんに告げた。

 Schoroeder さんはそれはおかしいと考えたが、使っていたシャンプーや石鹸の銘柄を変え、柔軟剤の使用を中止した。「治療がうまくいっていると思わせるために彼はそういったのだと思います」その皮膚科医について Schroeder さんは言う。発疹は改善しなかった。

 最初の症状から15ヶ月が過ぎ、ラスベガスでの休暇の数日前、Schroeder さんはその皮膚科医を再び受診し、赤い発疹の原因を解明するために生検をしてほしいと彼に頼んだ。

 「Steve、これはめずらしいものです」空港で皮膚科医からの電話に出たとき、そう言われたことを彼は覚えている。

 

Searching for experts エキスパート探し

 

 その医師は Schroeder さんに、彼の “いんきんたむし” 実際は extramammary Paget’s disease, EMPD(乳房外パジェット病)と呼ばれるきわめてまれな、浸潤性の癌だったことを告げた。これは汗を産生するアポクリン腺に発生する腫瘍である;しばしば女性では外陰部、男性では陰嚢や陰茎に認められる。

 この癌の原因は不明で、家族歴が関与しているかどうかわかっていない;一部の EMPD の患者では、母親が乳癌だった Schroeder さんがそうだったように乳癌と密接な関連がある。

 EMPD は進行が遅い;最初の症状の出現から確定診断までの2年間の遅れは珍しくはないことが研究で報告されている。その一つの理由に、本疾患が顕著な特徴を欠き、湿疹や他の良性の皮膚病変に類似していることがある。EMPD が体内の別の場所に潜在する癌を反映しているケースがあるが、Schroeder さんのように他の癌が見つからないケースもある。

 もし治療されないまま放置されると EMPD は転移し致死的となる。世界中で数百例の報告があるのみで、それらの大部分は50才以上の女性に見られている。

 Schroeder さんはこの通告を理解しようと努めたが、その皮膚科医は EMPD については何も知らないと彼に告げた。形成外科医に相談するよう Schroeder さんに勧めた。

 Schroeder さんは飛行機に乗るとすぐにオンラインで調べたが、読んだ内容に愕然とした。「それは、『これは致命的な病気である』と言っているような内容でした」と彼は思い起こす。「私はただびくびくしていました。私は可能な限り人目を忍びながら多くの時間、祈りを捧げ、泣いていました」同乗者や搭乗員から声をかけられることはなかった。

 Schroeder さんが受診した形成外科医は力になってくれなかった;EMPD については聞いたことがないと彼は Schroeder さんに告げた。「ふさわしい人物をどのようにして見つけたらいいのかわかりませんでした。それは実に恐ろしい時間でした。すぐにこの疾患のエキスパートを探し出すことにしました」と彼は言うが、助けになるようなことはほとんど見つからなかった。

 専門病院に電話をすることは思いつかなかったと Schroeder さんは言う。「私は Sloan Kettering のことを聞いたことはありませんでした」ニューヨークの Memorial Sloan Kettering Cancer Center について彼は言う。この病院がのちに彼の人生において大きな位置を占めることになったのである。

 「一人で癌と戦っていた気がしていました。私は探求心を持ち質問をすることを学びました」Schroeder さんは医師を見つけるのを支援してもらうために彼の皮膚科医に電話をかけ、当時フィラデルフィアの Thomas Jefferson University の再建泌尿器科学の部長だった Bradley D. Figler 氏に紹介してもらった。Figler 氏がEMPD と最近診断された別の男性を治療していることを知って彼は安心した。事実、Schroeder さんは、Figler 氏が彼の10年のキャリアで診たEMPD の4人目の患者だった。

 「患者さんらはすべて非常に類似していました」現在は University of North Carolina School of Medicine の泌尿器科准教授を務めている Figler 氏は言う。「彼らは全員中年の白人男性でした」

 2015年1月、Schroeder さんは Thomas Jefferson で約8時間の手術を受け大きな癌を摘出した。癌は3インチ×2インチ(7.6×5.1㎝)の領域を占拠するまで増大しており、左の足から採取した皮膚が移植された。

 Figler 氏によると、他の専門家たちと行ったこの手術には Mohs(モース)手術が取り入れられたという。この手術法では皮膚の薄い層が段階的に摘除され、悪性所見が検出されなくなるまで病理医によって顕微鏡下に調べられる。周囲の組織への損傷を最小限にしながらすべての癌を摘出することを目標としている。Figler 氏よると、EMPD の症例ではとりわけ難しいという。なぜなら、癌細胞がしばしばひとまとまりになっていないからである。

 「彼は極めて大きな手術に耐え、著しい回復をし、困難な状況にもよく頑張りました」と Figler 氏は言う。「この疾患の専門知識を見つけるのは実に困難ですが、彼は実際に探し出したのです」

 「この手術は様々なレベルで難しいと考えます」とこの外科医は続ける。「男性は(男性器という)この身体の領域に多くの自己イメージを持っているからです」

 Schroeder さんの25年前のメラノーマが EMPD の発生に関与しているかどうかは不明だと Figler 氏は言う。

 

‘Like an octopus’ “タコのように”

 

 Schroeder さんの6週間の回復期が過ぎると、待機の時間が始まった。再発は常であり、例外的ではない。「この癌はまるでタコのようです」と彼は言う。

 昨年、Schroeder さんと彼の妻は親戚に近いところに住むため、フィラデルフィアからワシントン州の Spokane に転居した。10月、彼は、最初の場所から離れていないところに新たな赤い発疹を発見し、Spokane で2度目の手術を受けたが、これは最初のものほど広がっていなかった。

 彼の医師の一人が、Sloan Kettering で進行中の、共焦点顕微鏡を用いた非侵襲的なイメージ技術を採り入れた研究を彼に教えてくれた。共焦点顕微鏡では、通常より早期に、より正確に癌の一部を検出できる可能性がある。

 Schroeder さんはこの研究に登録した。今年の初め、そこの医師らは、彼の足など最初の手術部位の近くに3ヶ所の疑わしい領域を見つけた;生検でそれらの部位の EMPD が明らかになった。2ヶ月前、Schroeder さんはシアトルにある University of Washington で3度目の手術を受けた。その後彼は復職し、研究の一環として検査を受けるために定期的にニューヨークまで飛行機で通っている。

 「私は思うことは試してみて、この病気を寄せ付けないために見つけることが可能な手段があるなら何でも利用するつもりです」と彼は言う。

 彼の病気の最も厳しい一つの側面は同じ病気の患者グループが存在しないことである。彼は EMPD を持つ他の患者と話をしたことがないが、そうしたいと願っており、医師たちには彼の連絡先を他の EMPD の患者に自由に教えるよう伝えている。Schroeder さんは数ヶ月前にウェブページを立ち上げたが、これまでのところ誰からも連絡はない。家族、特に妻の愛とサポートが、彼の回復の支えに不可欠だったと彼は言う。

 Schroeder さんは自身の経験を教訓として役立ててもらいたいと思っている。「男性ならあそこの病気は放っておきたいと思うものです」と彼は言う。「もし今回のことで一人の男性が調べてもらおうという気になったなら、それだけの価値はあるでしょう」

 

パジェット病は主に汗を産生する汗器官であるアポクリン腺由来の

細胞から発生する表皮内癌の一種である。

パジェット病は、乳房の乳頭部に発生する乳房パジェット病と、

主に外陰部、肛門の周囲、腋下に発生する乳房外パジェット病とに

分けられる。

乳房外パジェット病の詳細は下記 HP をご参照いただきたい。

http://health.goo.ne.jp/medical/10340300

http://www.skincare-univ.com/article/015831/

 

乳房外パジェット病は皮膚表皮の中にパジェット細胞という

癌細胞が発生、拡大し様々な皮膚病変を起こし、

痒みや痛みを伴う。

70才以降の高齢者に多く発症する。

欧米では女性に多いが、本邦では男性に多く、

女性の2~3倍の頻度となっている。

乳房外パジェット病では他の臓器のがんを合併することがある。

 

初発症状は外陰部の痒みが大部分で、

境界が比較的はっきりした紅色や淡褐色の斑点として現れ、

ところどころに色が白っぽく抜けた斑点が見られる。

局所の灼熱感や痛みを自覚することもある。

進行すると、一部がただれたり、フケやかさぶたのようなものが

付着したりするようになる。

痒みをともなうことが多いため、

湿疹や白癬症として漫然と治療が続けられ、

発見が遅れてしまうケースも少なくない。

 

外陰部病変を見たら注意深い観察を行い、

頑固な外陰部のかゆみや違和感が長く続く場合や、

これらの症状を見ない場合でも

やや盛り上がった赤みを帯びた病変を見た場合には、

病変部の生検を行って組織診断を行う。

 

治療は外科的切除が基本となる。

あらかじめ皮膚生検を行い癌の浸潤度を調べる。

また、手術の前に切除範囲を決める目的で

病変の1~3 cm外側の数か所から組織を採取する

“マッピング生検”を行う。

マッピング生検の結果に基づいて、

正常に見える皮膚を含めて病変から1~3cm 以上、

離れた部位まで切除する必要がある。

切除した標本で浸潤所見を認めた場合には、

広汎外陰切除および両側そけいリンパ節の郭清を行う。

いずれの場合でも欠損が大きくなるため

植皮や皮弁形成などの再建手術が必要となることが多い。

浸潤癌が共存する場合は、しばしばリンパ節転移や

遠隔転移がみられ、予後は不良である。

なお進行期の乳房外パジェット病に対する化学療法や

放射線療法の有益性は確認されていない。

記事中にもあったように

根治手術が行われても術後再発率は高く、

かなり年数が経ってからでも再び病変が

出現することがあるため、

局所再発やリンパ節転移について

慎重なフォローアップが重要である。

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