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鳩山法務大臣の「失言」は、これで三度目である。死刑執行についての「ベルトコンベア・乱数表」発言、そして「友達の友達はアルカイダ」発言に続いて、昨日の午前中、検察官合同の大臣訓示で「志布志事件を冤罪と呼ぶべきではない」という発言が飛び出した。これは、もう放置出来る状態にない。さっそく、今日の予算委員会に呼んで、追及することにした。

ここで冷静に鳩山大臣の発言を分析してみよう。鳩山大臣は、法務・検察の見解をなぞっているし、これまでも同様の発言を衆参の委員会で何度かしてきた。彼の発言は、以下の通りである。

私の個人的な見解ではありますが、(富山の)氷見事件の方はこれは人違いですから冤罪ということでありましょう。志布志事件は『冤罪』と呼ぶべきではないと私は考えております。(08年東京新聞より)

鳩山大臣は氷見事件は「人違い」にもかかわらず有罪判決を受けていたので『冤罪』と呼べるが、志布志事件は裁判を通して無罪となったので『冤罪』とは呼べない……つまり「有罪確定→真犯人発見→逆転無罪」は『冤罪』と言い切れるが、志布志事件は『冤罪』と呼べないという考えを述べたもので、法務・検察の見解そのものでもある。「冤罪とは実際に罪を犯した真犯人ではないのに刑事訴訟と有罪とされることを言うのが多いだろうと考えております」(2006年5月30日参議院法務委員会大林宏法務省刑事局長答弁)

しかし、これは『冤罪』とは無実と同義語である。「無実」を広辞苑で引くと、
「罪がないのに罪があるとされること。冤罪」と出てくる。「志布志事件を冤罪と呼べない」と検察官相手の訓示で法務大臣が発言したとなれば、真犯人など誰もいない警察・検察のでっちあげ、事件捏造をはねのけて「無罪判決」を出している司法判断とは真逆の見解を有しているかのように受け取られることは当然だ。しかも、国家賠償訴訟をたたかう当事者の人たちが、名誉回復をかけて立ち上がっている時に後ろからクロ印の弓矢で打たれたような強烈な不快感を感じるのも、予想できることで、法務大臣としての資質を欠いていると言わざるをえない。さっそくネットで報道が流れている。

辞書ひいたら書いてあった 鳩山法相「冤罪発言」を陳謝
2月14日17時24分配信 産経新聞

 鳩山邦夫法相は14日の衆院予算委員会で、12人の被告全員の無罪が確定した鹿児島県議選の公選法違反事件に関し「冤罪(えんざい)と呼ぶべきではない」と発言したことについて、「今後公式の場では一切使わない。被告の方々が不愉快な思いをしたならば、おわびしなければならない」と陳謝した。

 鳩山氏は「寝ないで考えたが、やはり反省しなければならない。辞書を引いたら、ぬれぎぬ、無実の罪と書いてあった」と釈明した。社民党の保坂展人氏の質問に答えた。

[引用終わり]

実は私がどうしても容認出来ない答弁が12日の予算委員会でなされていた。捜査の可視化についての鳩山大臣の答弁だった。自民党の委員に対して、次のように答えたのだ。

「供述調書というのは当然承諾を得てつくるわけですが、調書にはかかないから真実を、事実を言ってごらん。そういう取り調べは当然あると思うんですね。ところが一種の取り引きじゃありませんが、そういうことも全部、録画されたら、これはしゃべらなくなる」(08年2月12日衆議院予算委員会)

この答弁と「志布志事件を冤罪と呼べない」が結びつくと怖いことになる。鳩山大臣はその職にいるべきではなく、自ら身を処すべきだと最後に言った。








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