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かって私は、いじめを訴える子どもたちの手紙を連日連夜読み続けていた時期がある。『明星』や『セブンティーン』で連載をしてきた80年代半ばからの10年間にわたって、その声を聞いてきた。『いじめの光景』(小著・集英社文庫)『続・いじめの光景』(同)と世に問い、10万人を超える人が手にしてくれた。また、落選中の04年には『佐世保事件から私たちが考えたこと』(編著・ジャパンマシニスト社)を発刊して、衝撃的な事件の裏に何が潜んでいるのかを取材しまとめた。「子どもたちの悲劇」が連日伝えられ、深刻ないじめの現実や学校・教育委員会の「事件隠し」の体質が批判されている。今日の読売新聞は、全国の「いじめ」の実態を再調査するという記事が出ていて、1999年以後は文科省に報告された「いじめを理由とした子どもの自殺」はゼロだという驚くべき統計がさすがに都合が悪いと思ったのか、もう一度洗い直すのだという。

私が長崎県佐世保の小学校6年生の事件を取材していて痛感したのは、「いじめ」が小中学校の現場に蔓延している事実だった。白昼に同級生が刺殺されるという事件はいきなり起きたわけではなかった。いじめを理由に転校していった子どももいたし、周辺の学校でもいじめが理由と見られる自殺事件が起きていた。学校や教育委員会は深刻な事態に向き合おうとせずに、いずれの場合もことなかれ主義でやり過ごしていた。また、被害女児と同じ名前の中学生の子どもは、事件が報道された後で、「おまえは死なないのか」と追い詰められて死に場所を探して街を彷徨したているところを先輩生徒に保護されていた。また、ある小学校では事件の後にもいじめを受けていた子がカッターナイフを首につきつけて「おまえ殺すぞ」とすごみ一触即発になった。結局は、児童相談所が関与して、ひとりの子どもは転校する形でやり過ごす。

長崎県佐世保市周辺で取材し、子どもたちを心配している親たちと連絡をとっているだけで、「事件」あるいは「事件寸前」の子どもクライシスは続々と起きている。文部科学省が99年以降に「いじめ自殺ゼロ」としてきた神経に首を傾げる。少なくとも新聞記事だけでも、「いじめ自殺」の記事は続いている。私が掘り下げたいのは、なぜ「いじめ自殺」が起きたかではなくて、学校と教育委員会がどのように「いじめと自殺」をもみ消したかだ。再調査をするのであれば、「封印の過去」を紐解くべきだろう。

学校がいじめを放置したと批判をするのであれば、親たちはたとえ数日の授業を犠牲にしても「いじめ根絶」の努力をする教師を支持し、「授業が遅れる」「もういいではないか」などの苦情を口に出さないことである。実際のところ、がんじがらめの教師たちが、「いじめ」と正面から向き合うには親の参加と協力が必要なのである。

教育再生会議なるものが始まる。「子どもたちの悲劇」を「学校バウチャー制度」や「教員免許更新制」など安倍政権教育改革の説得材料に使おうとするのであれば、私は許さない。学校は地獄だと煩悶して生命を絶っていった子どもたちの墓標に誓って、だ。そして、「いじめを報告しない学校」を支えてきたもの----子どもたちの悲鳴に目を伏せて、耳をふさぐのをよしとしてきた「沈黙を強要するスクラム」と対決したい。

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