TOP PAGE BLOG ENGLISH CONTACT




昨日は時間がなくて、十分に記事を書けなかったので、もう一度「小中学生の学校への携帯電話持ち込み禁止」について考えてみたい。おおむね親たちは「賛成」の声が多いようだが、本来は家庭の問題だと私は考える。「携帯買ってよ。みんな持ってるんだから」という子の求めに折れて買ってあげるが、公権力が強制的に規制してくれるならありがたいという本音ものぞく。もともと商業都市として自由な気風を保ってきた歴史のある大阪で、こと「子ども」に関することになるとジョージ・オーウェルの「1984年」顔負けの管理・監督を当然の前提とする発想が、全国でも突出していると私は感じてきた。

『大阪で始まった青少年戒厳令の夜』(保坂展人のどこどこ日記・06年2月6日)という一昨年書いたブログ記事は当時反響を呼んだものだが、一部を転載しておく。

もともと大阪には官僚政治から距離を置き、商都として自由な気風を楽しむ文化があったと思っていた。中学生・高校生を対象とした日本一厳しい青少年健全育成条例は、事実上の「中高生夜間外出禁止令」である。受験勉強に疲れて、本屋で立ち読みをしていても、コンビニに寄っても「禁止時間帯」だと店員に「早く帰りなさい」と促される。夏の花火大会、秋のお祭り、スポーツ観戦、ライブなど「8時までに帰宅しないと条令違反」となるのでは、「若者の居場所」は消える。

 さらに調べてみると、大阪府は当初「16歳未満の子どもは保護者同伴であっても7時以後はカラオケ・ボーリングなどの施設から退去しなくてはならない」という原案を持っていたそうで「厳しすぎる」「家族の団欒を奪うのか」などの意見が殺到して変更したものだというからあきれてしまう。

[引用終わり→時間のある方は全文読んでいただきたい]

ところで、大阪の橋下知事がコブシに力を入れる「小中学生の携帯電話の学校内持ち込み禁止」に、子どもが「携帯メール」や「有害サイト」に接続しておかしな方向にいかないように規制するのはいいことじゃないか……という同調の声も理解しつつ、どこか「青少年戒厳令」的な同質同根の発想を感じてしまうのは私だけではないはずだ。しかも、大阪の橋下知事に続いて、埼玉県でも追随の動きがある。また、教育再生懇談会の議論も同様の結論になるようだ。

[記事から引用]

携帯電話:小中学生「不要」 持ち込み禁止促す--教育再生懇・提言の素案

 政府の教育再生懇談会(座長、安西祐一郎・慶応義塾塾長)は、子どもの携帯電話利用に関する提言の素案をまとめた。「小中学生が携帯電話を持たないよう保護者や学校が協力する」とし、通話機能に限った携帯電話の促進や、小中学校への原則持ち込み禁止を促している。(毎日新聞)

[引用終了]

約3年前に、子どもが被害者になる事件が続いた時に、どんな議論が起きたかを覚えているだろうか。「子どもにGPS機能付の携帯電話を持たせよう」という声がわきあがったと記憶している。「携帯電話のGPS機能だけを頼るのは危険がある」と私は感じていた。子どもたちの内なる力を育て、危険に遭遇した時に回避する非暴力トレーニングを続けているCAPなどのグループの取り組みを国会の議論で紹介してきた。

「携帯電話持ち込み禁止」を叫ぶ前に、子どもたちの現場に責任を持つ身としては、大人として何を推進してきたかについて自ら省みるべきである。森内閣がIT革命を呼号して、子どもたちの現場にPCを普及させようとラッパを吹いてきたこと自体は正しかったのか。今日、携帯電話の問題点として指摘されていることの多くは、進化した携帯端末の持つIモードや、インターネット接続機能が生み出す情報や交信によるものである。携帯電話で出来ることよりも、PCで出来ることの方がスピードや容量も含めてはるかに範囲が広い。

しかも、「有害サイトの接続を禁止した携帯電話用のフィルタリング」がいかにお粗末で有害なものであるのか、私たちは知らせておいた方がいい。

「青少年保護」とフィルタリングの副作用(保坂展人のどこどこ日記 08年7月)

「政治」「宗教」「ブログ」などのジャンル自体が閲覧不能となっていて、子どもや青少年に対しての「情報封鎖」の役割をすることになってしまう。18歳選挙権を検討している国が、19歳まで携帯電話では政治家のサイトに接続出来ないようなフィルタリング機能を強制していること自体が「異常」で「有害」な規制だという視点を欠かしてはならない。

「携帯電話持ち込み禁止」論が正しいのであれば、PCの使用制限も同時に論じるべきだろうと思う。今、問題になっている有害サイトの接続や、メール、掲示板などの交信機能はPCの方が充実している。私は、乳幼児が「遊び相手」に小さな指でPC
を叩くのがいいと思っているわけではない。ただし、「携帯電話取りあげ論」の政治家の皆さんも、つい先日までは「子どもにパソコン教育を」などと推進してきたのではなかったか。

いつの時代にも、新しいツールは槍玉にあげられて、使用規制が検討されてきた。古くは漫画雑誌だし、さらにテレビを見せるなという議論もあったし、「ゲーム脳」という神経神話を広げてゲーム機の規制も話題になった。学校内でメールしたり、授業中チラチラと画面を見ていると落ち着かないから規制した方がいいのではないかと私も思うが、だからと言って「持ち込み禁止」とすべきなのかどうかはもう少し議論すべきだろう。なぜなら、言われている携帯電話の弊害は学校内で使用する時だけに出てくることではないからだ。「学校への持ち込み禁止」とされた携帯電話を使って放課後に数時間使用していたら、弊害は変わらないのだ。

従って、究極の規制は「青少年への携帯電話の販売禁止」「所持・使用禁止」であるだろう。いや、それは極論だという人もいるだろう。しかし、「子どもと携帯電話」の議論を深めていくと、「学校への持ち込み禁止」だけにはとどまらないテーマではないかと思う。むしろ、私としては「学校内での電源オフ規制」を徹底する程度の規制がギリギリの現実的な選択肢ではないかと思う。これだけ普及し、日常化しているツールを根こそぎ封じようと無理をすると、あまり成功しないのではないかと思うのだが、どうだろうか。




  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )



« 野党提出、雇... 福島みずほさ... »